7.神化
氷床ノ宮家の長い廊下を祝詞は静かに歩いていた。足音が木の床に優しく響く。廊下の両側には美しい障子が続き、外の庭の緑が見え隠れしている。祝詞は目を細めながら、遠くに見える離れを目指していた。妹の神楽が待つ部屋へと向かう足取りは、どこか決意を感じさせるものであった。
離れに到着し、祝詞はそっと扉を開けた。中には妹の神楽が主治医の理人先生と楽しそうに話していた。大人の男性である理人先生は優しい笑顔を浮かべ、神楽の話に耳を傾けていた。
「理人先生、いつもありがとうございます。」
祝詞は深く礼をして感謝の意を伝えた。
理人先生は穏やかに微笑みながら、「いえいえ、仕事ですので。」と答えた。その優しい声には、神楽への深い思いやりが込められていた。
「お兄ちゃん、また来たのー?練習うまくいってないの?」
神楽はいたずらっぽく微笑みながら祝詞に尋ねた。
祝詞は少し照れくさそうに笑って肩をすくめた。
「うん、まあ、まだまだ練習中だよ。でも、少しずつ上達してる気がする。」
「そうなんだ!お兄ちゃんが頑張ってるなら、私ももっと頑張らないとね。」
妹の顔を見て元気が出た祝詞は、再び浮遊の訓練に取り掛かる決意を固めた。神楽の明るい笑顔と言葉が、彼に新たな力を与えたのだ。
「じゃあ、また後でね、神楽。」
祝詞は優しく微笑み、妹に手を振った。
「お兄ちゃん、頑張ってね!」
神楽も手を振り返し、祝詞を見送った。
祝詞は離れを出て、庭へと戻った。広々とした庭は静寂に包まれ、訓練に集中するには絶好の場所だった。祝詞は深呼吸をし、再び足先に力を集めることに集中した。
「今度こそ…。」
祝詞は自分に言い聞かせるように呟き、冷たい力を足先へと流し込んだ。ゆっくりと足元から力が放出され、体がふわりと浮き上がり始めた。
しかし、すぐにバランスを崩して地面に落ちる。祝詞は痛みに顔をしかめながらも、すぐに立ち上がった。
「もう一度だ。」
彼は何度も挑戦し、何度も転びながらも、諦めることなく訓練を続けた。神楽の元気な姿を思い浮かべながら、祝詞は自分の限界を超えようと必死に努力した。
古美華はその様子を少し離れたところから見守っていた。
そしてついに、祝詞はバランスを保ちながら浮遊することができた。体がふわりと浮き上がり、地面から離れる感覚が祝詞を包んだ。
「やった!」
空中に浮かぶその瞬間、彼は自分の努力が実を結んだことを実感した。安定して浮かび続けていると、次第にそれに慣れ始めて自然と体がバランスをとれるようになっていた。例えるなら自転車のようだった。最初は不安定で何度も転んでしまうが、一度感覚を掴めば、その後は自然に乗りこなせるようになる。
祝詞は自分の体が自然にバランスを取っていることに驚きと喜びを感じた。足先から力を放出し続けながら、空中での自由な感覚を味わった。
古美華は祝詞の成功を見て、満足そうに微笑んだ。「凄いわ、祝詞君。」
祝詞は驚きのあまり体のバランスを崩しそうになった。「古美華!?いつからそこに?」
「ずっと見ていたわ。」古美華は微笑みながら答えた。
「えっ…!?」祝詞は少し恥ずかしくなり、顔を赤らめた。
古美華はそのまま姿を変えてふわりと飛び上がった。彼女の髪は水色に変わり、瞳も氷のように澄んだ色に輝いていた。彼女の服装は桃色の着物のような羽織ものに変わり、その姿はまるで神々しい光を放っていた。
「祝詞君。次はこれよ。」
古美華は優雅に空中に浮かぶ。
「え?これって?」
「神化するの。」
「し、しんか?」
祝詞はさらに驚いた表情を浮かべた。
「神に化けるって書いて神化よ。実はまだ、祝詞君には半分以下の力しか渡してないの。」
「そうだったのか…。」
祝詞は驚きと共に、これまでの努力の成果がまだ完全ではなかったことを理解した。
「この力はとっても危険だから、しっかり人間性を見極めたうえでしか渡せないの。ごめんね。」
古美華は申し訳なさそうに言ったが、その目には祝詞への信頼が宿っていた。
「いや、いいよ。当たり前だと思う。」
「じゃあ、始めるわね。」
古美華は祝詞に優しく微笑んだ後、彼の額にそっとキスをした。
その瞬間、祝詞の体に激しい痛みが走った。まるで筋肉がつった後の鈍い痛みを何倍にも増幅させたような感覚が全身を襲い、彼は耐えきれずにその場に倒れ込んだ。
痛みは喋ることすら許さず、祝詞は歯を食いしばりながら苦悶の表情を浮かべた。全身の筋肉が引き裂かれるような激痛に、汗が額から滴り落ちる。彼の体は激しく震え、声にならないうめき声が喉の奥から漏れた。
「ぐっ…ああ…!」
祝詞は痛みに耐えるために拳を固く握りしめ、爪が手のひらに食い込むほどだった。その瞳には決して諦めない強い意志が宿っていた。
祝詞は心の中で何度も自分に言い聞かせた。ここで耐え抜かなければ、これからの試練には立ち向かえない。神楽や古美華のためにも、決して挫けるわけにはいかない。
――がんばれ、俺…!
祝詞は心の中で叫びながら、全身に走る痛みに必死に耐え続けた。意識が朦朧としそうになるたびに、彼は自分を奮い立たせた。
全身に広がる痛みは、まるで内側から何かが変わっていくような感覚だった。彼の体が新しい力を受け入れるために変化しているのだと理解したが、その痛みは想像を絶するものだった。
祝詞の目に一瞬、古美華の顔がぼんやりと映った。彼女の目には涙が浮かんでおり、その表情には深い心配と信頼が込められていた。その視線を感じながら、祝詞は痛みに耐える力を振り絞った。
時間が経つにつれ、祝詞は痛みに慣れていった。激しい痛みが徐々に和らぎ、彼の体は少しずつ新しい力に適応していった。呼吸を整えながら、祝詞は体の内側から湧き上がる新たな力を感じ取った。
――もう少しだ…!
祝詞は歯を食いしばり、全身の筋肉を緩めて体を楽にしようと努めた。痛みは完全には消えないものの、その感覚に対する耐性がついてきたのを感じた。
「祝詞君、そのままでいいから聞いてほしいの。」
祝詞は痛みに耐えながらも、古美華の言葉に耳を傾けた。
「実はね、九神本懐で氷の神が勝てたのは、たったの1度しかないの。」
「え…?」
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