~三十五周目~その二
それからまたしばらく経ち、帝都に戻ったある日、夜も遅い時間にヴィエラが訪ねてきた。今日は駆け落ちの当日のはずである。
今回のように早めに二人を引き合わせた上で、アイエイラに婚約者がいない状態だと、わたしには迷惑は掛からないと考えるのか、最後に挨拶に来るのだ。
正直、わたしに迷惑が掛かると分かっていて駆け落ちする場合こそ詫びに来なさいよ、と思わなくもない。
けれども、いつも仲良くしてくれていた子なので、何度繰り返しても嫌いにもなれなかった。
わたしは複雑な気持ちで、ヴィエラと面会する。
もう夕食時間も終わったような非常識な時間の訪問だが、アシュトランの優秀な侍従たちの対応にそつはない。
応接室でヴィエラは駆け落ち相手とともに、長椅子に座り、緊張した面持ちで服を握りしめている。
「ヴィエラ様、こんな時間にどうなさったのですか?」
「ミーシェレータ様、本日はお別れを言いに参りました」
「…隣のオルフィート様と関係があるのかしら?」
オルフィートも気まずそうな顔をする。何しろ二人を引き合わせたのはわたしだ。その上で駆け落ちするとなると、わたしに対しても不義理になる。それでも、彼らが止まらないことは知っているけれど。
「その通りです。わたくし達はお互いに一目惚れしてしまいまして…今夜、帝都を去ります」
「第二皇妃になるはずの方が、随分軽率なことをなさいますのね?」
「無責任なことは承知しております。けれど、この気持ちに嘘がつけないのです」
「十剣家としての責任も放棄しますの?」
「…弟がおりますから。それに、第二皇妃もアイエイラ様がなられれば影響も最小限に済むかと思います」
「まぁ、それはそうかもしれませんが…」
「ミーシェレータ様にもご迷惑をお掛けすることは存じております。けれど、わたくしには政治の駒として生きることができません。一人の人間として、自分の幸せを追い求めたいのです」
「市井で生きるのは大変ではないのですか?」
この質問にはオルフィートが答えた。
「私は帝国軍人として野営などもしていたし、ヴィエラも趣味で料理ができる。家事はおいおい覚えていくつもりだ。仕事を見つけるのは大変だと思うが、どんな仕事でもするつもりだ。裕福な暮らしはできないかもしれないが、二人で慎ましく生きていこうと決めた。あなたに迷惑を掛けることは本当に申し訳ないが、どうか理解してほしい」
「帝国どころか、周辺諸国には住めないのではなくて?どこへ行かれるおつもりですか」
「…遠いところです」
「安心してくださいな。誰かに言うつもりはありません。グレーイルなら、教会の関係者に個人的な伝手がありますから、紹介状を書いて差し上げることができます」
「本当ですか!?」
ダリファンド自体は先祖代々、愛に生きる人間の多い一族なので、連れ戻すような真似はしないだろうが、他のアシュトラン派の家が動く可能性はある。
グレーイル法王国はドラクレア帝国とも国交があるが、教会の影響力が強い。うまく庇護を受けられれば、仮に見つかっても引き渡されずに済むだろう。東の紅龍連邦など、未だ戦争中の国もある。彼らが移動可能で、かつ現実的に生活可能であり、十剣家の力から逃げられる国は、大陸ではグレーイル。それか北の海を渡った先のアイザしかない。それなりに船での交流のある北はともかく、流石に、大陸があるという噂こそあれど、西の海を越えるのは難しいだろうし、南の海は竜がいて外海に出るのすら不可能だ。
とある高位司祭に向けた紹介状を書いて渡すと、二人は恐縮しきりだった。ヴィエラ様は涙をぽろぽろとこぼしている。
「ありがとうございます!ミーシェレータ様、この御恩は生涯忘れません。ダリファンドにも伝えておきます。我が一族は、子孫に至るまで、貴方の力になるでしょう」
「私も、家に手紙を書きます。あなたから返しきれない恩を受けたこと」
「大げさです。…ヴィエラ様、社交界に馴染まないわたしと、ずっと仲良くしてくれてありがとう」
最初の頃の周回では、ここまではしなかった。邪魔はしないけれど、それほど応援もしなかった。
わたしの感覚では、もう四十年も前になるけれど、不思議なことに、生きてきた時間が長くなってきてから、よく思い出すのだ。
お淑やかな振る舞いが苦手で、今でこそ演技にも慣れたが、幼少期や思春期には悩んでいたし、あまり友人もできなかったわたしに優しくしてくれたこと。
友人の多い子なのに、わたしが一人でいると来てくれて、二人で過ごしてくれたこと。
わたしはヴィエラ様と長い時間抱擁をして別れた。
「お幸せになってください」
「出会ってからの、この短い期間で、あんな風に人生を変えてしまうんですね」
二人が行ってから、ずっと後ろに控えていたグレイドが呟く。
「それが愛の力というものよ。気持ちが一生続くかなんて分からないけれど、そう信じて人は一歩を踏み出すの」
「私が駆け落ちに誘ったら、あなたも家を…領を捨てるのですか?」
「わたしは、それはしないわ。ヴィエラ様が大事にしていないと言うことではないけれど、わたしにとって、領都と領民は大事なものだし、アシュトランとしての責任ある立場に誇りを持っているから。だから、わたしはあなたを口説き落として、わたしの歩む道をともに生きてほしいと思ってる」
「私がそれを嫌だと言ったら?本当に愛しているのなら、駆け落ちしてほしいと頼んだら?」
「その時は、さようならね。でも、だからわたしが貴方を愛してないなんて、思ってほしくないわ。きっとわたしは別れた後、泣いて泣いて泣いて泣いて、その後の人生を一生泣きながら生きていく。それがわたしの生き方で、愛し方よ」
グレイドはそれ以上、何も言わなかった。
「いつか、あの二人に会いにいけるかな」
わたしの眼から涙が溢れる。ただでさえヴィエラ様との別れが悲しいのに、グレイドがひどいことを言うからだ。
「きっとそのうち、会いに行けますよ」
グレイドはそう言って、泣き続けるわたしを抱きしめた。壊れやすいもののように、わたしを優しく包み込む。
三十五回目で初めての、わたしに対して情を見せた行動だった。
けれど、ともに生きるとも、一緒に会いに行こうとも言ってくれなかった。




