出会い
トッ、トッ、トッ、と小気味良い音が山の中に染み渡る。
まるでここは自分達の領土だと主張せんばかりに生い茂った緑が真昼の陽射しを和らげ、遠くの木々からは生の隆盛を極める蝉たちのコンサートが聴こえる。
そして跨るバイクから伝わる音が、振動が、自分が自然の中に生かされているという純然たる事実を再認識させてくる。
こんな時に私がふと思うのは、人間が地球環境の中に生きている以上、自然と人工物を切り離して考えるべきではないのではないか、と言うことだ。
地球の営みの中で人間は生活をし、人間の営みの中で様々な物が作られる。
つまるところ人間が製造するありとあらゆる森羅万象は、地球環境の中に包括され得るのではないか。
ひいては私がお気に入りのバイクに跨り自宅から片道約一時間半もかけて隣県の林道をひた走っているのも自然の営みと呼んでおよそ差し支えないはずだ、というのはさすがに暴論が過ぎるだろうか。
そんなくだらない事を考えながらトコトコと山道を走っていると、目印の鉄塔が見えてきた。
もう間もなく到着といった所だが、急ぐ理由もないのでゆっくりと走り続ける。
落ち葉に埋もれた地面を、タイヤが蹴り上げる感覚が心地良い。
目を三角に吊り上げてカッ飛ばすような走りも悪くはないが、今私は自然の調和に精神を集中させているのだ。
路面状況やミリ単位のスロットル操作に神経を尖らせている場合ではない。
数ヶ月前の台風で少し深い轍や倒木が点在している様ではあるが、その程度であれば考え事をしながらでもクリアしていく事ができる。バイクは進む。
十五分程針葉樹林の中を走り続け、目的地である広場に辿り着いた。
恐らく送電線用の鉄塔の建設及びメンテナンスの為に整備されたのであろうこの場所は、登山者もいない程荒れた山にはおよそ似つかわしくない程芝生が美しく整えられており、標高もそこそこあるので眼下には街が一望できる、私がこの山で最も気に入っているスポットだ。
早速昼食を摂るべくバイクを降りる。
ドロドロに汚れてしまっているオフロードブーツでは動くのに億劫だが、脱ぐのも面倒なのでこのままにしておく。それにどうせ芝生に座っておにぎりを食べるだけなのだ。
ましてや誰かが見ている訳でもない。
そう思ってヘルメットを脱ぐと、何処からか声の様なものがするので咄嗟に身構える。
人間の声とも、動物の声ともつかないくぐもった音が、そう遠くない場所から聞こえてくる。
例えば局部を露出する為だけにこんな山奥までやってくる物好きはいないとは思うが、一応用心しておこう。
あるいは熊か。その場合はバイクに飛び乗って山を降りよう。
下りであれば撒ける可能性が高いし、それなりに自信もある。
こういう場合に声の主の元へ近付くのが正解かどうかは分からないが、このままでは食事もままならないので見に行ってみる事にした。
どうやら辺りの芝生ではなく、茂みの方から聞こえるらしい。あくまで慎重に、自分の姿を悟られぬ様に。
そう思っていた矢先、足元に転がっていた太めの枝を思い切り踏み付けてしまった。
ばきっ、という音が大きく響き、心臓がビクンと飛び跳ねる。
時折自分の不注意と言うか、そそっかしい部分が堪らなく嫌になる時があるのだが、例えば小学生の頃なんかは通学路の途中で図書の本を忘れてきた事に気付いて、慌てて家に取りに帰ったら代わりにランドセルを家に置いて行ってしまったし、高校生の時は初めてできたボーイフレンドに……などという事は思い出したくもない。
どうして私は大事な場面で抜けてしまう事があるのだろうか。
「誰かいるんですか?」
私が過去の黒歴史を逡巡している内に向こうの方から声をかけてきた。
しかしどう反応して良いものか分からず答えあぐねていると、茂みの中からもぞもぞと声の主が姿を表した。
「驚いた」私はそう言う他なかった。