第5話〔変貌、人の夢と欠いた選択〕⑤
※
むかしむかしあるところに一匹のゴブリンがいました。
ゴブリンは気が付いた時から、ずっと独りでした。
――なので旅に出ることにしました。
けれども行く先々で酷い仕打ちを受けます。
何も悪い事はしていないのに、いつも辛い思いばかり。
その多くは人で、同じ魔物にすらも嫌がられます。
――それでもそのゴブリンは独りで居るコトが嫌で何度も繰り返します。
そしてある時、特別な魔物と出会いました。
そうしてその奇跡的な力を得て、再び心の穴を埋める為の旅に赴き。
到頭――本当の孤独を知ってしまったのです。
結果嘆き悲しむ独りのゴブリンは二度と誰かと会うことのない場所を求めて、遠くへと旅立って行きました……。
※
――姫の言い分を聞き終えて、威厳に満ちていた王様がフムと息を吐く。
「つまり其方は、ワシの誕生祝いとなる品を求めて人目を忍び出掛けたと申すか?」
「はい……、お父様はこの度の事態を重く捉え自ら祝宴を御止めになりました。ですので、せめて贈り物だけでもと思いロゼに相談したところ、以前にお父様が直接足を運ばれてまで購入を為さった酒肴があるコトを知り、無理を私が押す形で出立に至りました……」
「なんと、それはもしや……?」
「はい。本来であれば猛毒を持つとされる海牛魚の卵巣を長期間糠に漬け込むことで、その毒を抜き食せる物とした珍しい品でございます」
すると次の瞬間ガタッと椅子を脚で撥ね除けて王様が立ち上がる。
「即ち福漬けじゃ……。祝い事にも最適な、縁起物でもある」
「流石はお父様、その通りですわ」
「……して結果は如何に? ワシの知るところでは易々と手に入る時期ではないはずじゃが……」
「それでは直接お目見えになさってくだされば」
と言う事は――。
途端に姫から何かしらの合図が送られたのか、近場に居た数名の家政婦達が動き出す。
そして、やや離れた所からガラガラと音を立てて現れたのは一台の配膳車。
――こちらからではハッキリと見えないが、その上には確かに何かが乗っている。
そうして物は王の傍らへと運ばれ。
「おぉ……」
とまるで愛する者の肩を掴むかの様に、王が車の台に手を掛ける。
「この糠独特な香しいニオイ、しかも長きに亘り丹精に仕込まれた年代物でしか味わえぬ程の……」
ぁ、これは長くなるヤツ。
…
「――これは素晴らしき、見事な品じゃ」
漸く落ち着いたのか王が自ら椅子にお戻りになる。
……正直、思っていたよりも長かった。
「喜んでいただけた様子で、とても嬉しく思いますわ……」
さすがは姫様だな。
顔色一つ変えないその態度と対応に敬意を持つ。
「じゃが、如何に逸品と言えども其方の行った事は自己の都合を脱する訳ではない。故に罰を与えざるを得まい」
「王っ」
長い饒舌の最中も王様の傍らで平伏し続けていた青年がばっと顔を上げる。
それを即座に手で制止する王と目を合わせ、ロゼと呼ばれる若き執事が健気な瞳で相手の意向を待つ。
そして遂に――。
「――此度の姫が起こした軽薄な振る舞いはその優しさに免じて以後の行ないを見、判断を下すとしよう。じゃが貴い命を犠牲にした事に変わりはない。よって、この逸品を含めた弔いの品と共に尽力した全ての者達を呼んだ宴を、細やかな形にせざるを得ぬが明日、開く事とする。よいな、皆の者」
「王!」
次いで青年に続く歓声が沸き起こる。
その声量は現状の耳には些か堪えるものの。
まあ、御国の天辺がこれなら、きっとイイ国なんでしょうね。と思う次第です。
――そうして、ドキドキハラハラのドキハラ晩餐が静々と終わり。
徐々に王の命で始動した明日の準備がコト静かに段取られる中、女中に案内され今夜の寝床へと入る。
「……明朝に再び参ります」
緩やかに閉まる扉。
明らかに戸惑っていたな。
案内をする客人が魔物なのだ、致し方の難しい反応になるのは仕方がない。
とはいえ、こちらも状況に甘えてばかりは居られない。
そろそろ今後の方針などを定めるべき時が来た。
しかしだ。
――見た事もない装飾や高級そうな家具の数々。
なんだこれは……、手応えが全くない。
本当に綿が詰まっているのか……?
代わりに空気でも入ってるんじゃないかって程の反発。
最早、感覚としては羽根だ。
極め付けは貴婦人の如く滑らかな敷布。
まぁそんな肌を触ったコトなどないのだが。
ふむ……。
これはアレをやるしかないだろう。
かぁー。
思わず口からもゥガが出そうになる。
それ程の極上な感触、そして綿菓子の様な甘い匂いに包まれて気持ちは極楽浄土の雲の上となり――。
「うふふ、素敵なコトをなさっているのですね」
――天使の笑い声までもが聞こえて。
エっと振り向きざまに体を起こす。
「私も干したその夜にはついやってしまいますのよ、ふふ」
ぉぅ。――寝間着姿たるや女神他ならぬ。
「皆様お静かではありますが、内心バタバタとしておられますね」
微笑んで告げる女神、もといお姫様がそう言って自分の方へと近寄る。
「私も、おジャマして宜しいでしょうか?」
特に何気なくも頷く。
「それでは」
一旦は背を向け、そのままスッと自分の居るベッドに腰を下ろす。
次いで腕に抱えて持っていた書物を自身の膝の上に置き。
「今夜は何だか興奮が冷めませんの。なので、部屋を脱け出し、来てしまいました」
それはご無体ですよ、姫様。
言うまでもないが知れたが最後、首が飛ぶのは獣の方だ。
無論自分の事である。
「ぅが……」
恐怖ならぬ想像を絶する結末を想い、無意識に我慢していた声が漏れてしまう。
そんな危惧の念を抱くこちらの心配を余所に臆面もなく――。
「――ブリちゃんはこちらの本をご存知でしょうか」
ん? と見る、差し出されたのは――絵本。
それは幾つも在る同種の中でも一際有名な児童書だった。
「まあ、魔物様にも知られているだなんて本当に著名な物なのですね」
イヤ元は人間だって、さっき全身全霊で主張して納得もしていただろうに。
とはいえ当人は見るからに緩い性格をしているので、不確かではある。
「実は私には夢がございまして」
ほう。
一国の姫が求める夢、果たして――どの様な。
「私はいずれこの国を出て、この本の続きを探しに行きたいと思っているのです」
ナ、ぬ、イヤでも。