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彼の日のパラディズム  作者: 多雨書乃 式
第一章 黎明
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第8話 薄明に浮かぶ師弟

 レンは少女の膝下と首に手を回した。驚いた顔をした少女だったが、抵抗はしなかった。

 死体の処理はしない。血痕から彼らがここで殺された事を証明する為だ。そうしておけばモーントに迷惑をかける事はなくなる。


 レンはひとまずこの場から逃げる事だけを考える。そして、一つ策を思いつき、魔術を行使した。

 少女は少しだけ暖かな熱を感じた。それが羽織っていたコートからだと分かる頃にコートの中から何枚かの式神が勝手に出てきて、事もなげに空中に固定されていった。

 

 式神らは整然と並べられていき、やがて即席の階段へと化した。レンは少女を抱えたまま不安定な足場を一枚ずつ慎重に踏み締め、隣家の屋根に飛び乗った。

 二人が屋根に着くなり、式神は吸い寄せられるように再びコートの中へと消えていく。

 

 それからは彼は脇目も振らず屋根の上を疾駆した。風を切りながら屋根と屋根を飛び越え、途中大きな道路を挟むならば、今度は式神で橋を作り上げる。

 瓦造りの屋根を踏むと、時折に瓦がひび割れる不吉な音が聞こえるが、レンは構わず駆け抜けた。斜面を登ったり下ったりを幾度も繰り返し、少女は思わず恐怖で目を閉じたが、レンが地に降り立った音を聞いて目を開くと、既に街の外れまで来ていた。

 

 閑散とした家々に、捲れ上がった道路。所々ある畑も雑草塗れで食べられそうなものはなにも生えていない。

 

「ここまで来れば大丈夫だろう」


 レンはそっと少女を降ろした。少女は目の前で繰り広げられた現実が受け止められず、ただ首を回して辺りを見回していた。

 何しろ、先程まで裏路地で襲われていたにも関わらず、それから一瞬で町外れまで来てしまったのだ。驚くのも無理はないだろう。

 その様子にレンは少女の頭に手を置いた。


「もう一人であんなとこ行くなよ」

 

 こういう笑顔は苦手だったが、不器用にも精一杯笑って見せた。

 少女は顔を伏せた。人見知りなのか、それとも単に恐怖から解放された安堵で言葉が出ないのか、それは分からない。表情は可憐な金髪の中に隠されてしまっている。

 この少女にこれ以上彼がしてやれる事はない。頭を無造作に掻くと、少女に背を向けて去ろうとした。

 その袖を少女が掴んだ。


「……待ってください」

 

 金髪の中から碧眼がレンを覗く。

 止められたレンは少女に向き直ると、身を屈めて少女と同じ視線に立った。


「どうかしたか?」


 レンは親身になって少女の言葉の続きを待つ。

 少女は言おうか迷う素振りを見せたが、勇気を出して噤んでいた口を開いた。


「お願いがあります」


 そう言うと少女は頭を下げた。長い髪が垂れ下がり、地面に着いているにも関わらず、少女は懸命に頭を下げた。


「命を救って貰った身として図々しい事は承知しています。ですが、どうしても聞き入れて欲しい事があるのです」


 少女は震えだす体を押さえつけ、一度、息を吐き、呼吸を整える。それから大きく息を吸い込んだ。


「私はヴァンパイアハンターになりたいと思っています」


 少女の突然の告白にレンの双眸が大きく見開かれた。

 衝撃は勿論の事、何よりレンには少女の言っている意味がまるで理解出来なかった。


「何を言っている? 俺を誰だかわかっているのか? 俺は—」

「—えぇ、分かっていますよ」


 少女はレンの言葉を遮った。


「凄腕のヴァンパイアハンターなんでしょう?」


 開いた口が塞がらなかった。勘違いも甚だしい。だが、少女はレンの事など意に介さず、一人でに熱くなっていった。


「先程の身のこなし。語らずとも肌身を通して伝わってきます。歴戦の修羅場を潜り抜けてきた吸血鬼狩りなのでしょう?」


 少女はいつしか目を煌めかせてレンの顔を見つめていた。

 羨望の眼差しの少女とは裏腹にレンは困った表情を浮かべた。確かによくよく思い起こせば、自らが吸血鬼であると示唆するような発言をした覚えはない。

 

 普通の人間からしたら吸血鬼という巨大な悪を倒すのはヴァンパイアハンターで、吸血鬼同士のいざこざなどは想像もつかないのかもしれない。

 しかし、だからと言ってレンがヴァンパイアハンターと間違われるとは思わなかった。


「その腕を見込んで、お願いがあります」


 少女は再び頭を下げた。


「私を弟子にしてくれませんか?」


 少女の願いに対して、レンの脳裏にはナハトと話していた『腕』が過っていた。

 あれがあれば、師匠の仇討ちを果たす事が出来る。こんな時期に厄介事を持ち込む訳にはいかない。


「悪いが、力には—」

「—私にはどうしても救いたい人がいるのです」


 純粋な曇りのない眼で訴えかける。

 だが、それよりもレンには少女が「救う」と言ったことに引っ掛かった。


「救う? 誰かを救う為に力が欲しいのか?」

「はい」


 少女は即答した。

 まるで自分と違う、レンは率直に思った。一人の吸血鬼を殺す為、憎しみだけを糧にこの百年間自らを鍛え続けた。そんなレンからしたら誰かを救う為に力が欲しいというのは理解できない感情だった。


 だが、同時に興味も惹かれていた。

 少女をもっと知りたいと一瞬でも思ってしまった。

 断るべきだというのは分かっている。分かっているのに口から溢れる言葉はレンの意に反していた。


「…………しろ」

「え?」


 細い声で呟いた彼の声を少女は聞き返す。なので、次は威厳を持たせつつもはっきりと告げた。


「勝手にしろ」


 彼は照れ臭く感じ、わざと視線を外して呟く。


「俺は今から自宅へ帰る。どうしても弟子になりたいのなら、勝手についてくればいい。見て学べ」


 一見、突き放す様な内容だった。だがしかし、よくよく聞いてみればそれは弟子入り自体を拒む内容ではなかった。その思考まで至ると、少女は喜びを表情に出した。

 そして、一言。少女は彼に自分の確固たる意思を込めて呼ぶ。


「はい、師匠」


 甲高い声で返事をした少女はぴょんぴょんと兎の様にレンの背中を追いかけた。

 レンは少女に構う事なく自宅へ歩きだしつつ、ズボンのポケットに手を突っ込んでもうすっかり顔を出した太陽に目を眇めた。


「師匠か」


 どうして弟子をとったのか。そんなの酔っているからに決まっている。

 レンは自分が血迷った判断を下した事など分かっていた。だがしかし、少女の発した「師匠」という言葉は不思議と悪くない響きだった。


 これから起こる事などレンには想像もつかない。だが、心地よい夜明けの朝日は二人を優しく照らしていた。

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