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彼の日のパラディズム  作者: 多雨書乃 式
第一章 黎明
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第34話 荼毘

 時代の節目というものはいつも諍いが付き物というのが世の常だ。

 その例に漏れず、幕末の会津でも同様に権力争いの戦禍に巻き込まれていた。お上お抱えの陰陽師、その一派の橘家はその会津の地にて、来たる新政府軍と交戦していた。


「兄上」


 葵は蓮の手を握る。

 火が放たれた橘家の屋敷は崩壊の一途を辿っていた。既に、戦えぬ者は息絶え、戦える者は戦場にて血を流している。

 故に、その場にいるのはその兄弟二人だけだった。


「……葵、死ぬな!」


 彼は祈る様に語り掛ける。だが、その願いが叶わないのは二人がよく分かっていた。

 今、彼女の腹には屋敷の梁が突き刺さっていた。臓物を潰され、着物を真っ赤に染め上げていく。

 彼女は今一度、彼の手を握った。


「兄上はいつも外へ行きたいって言ってましたよね。ここじゃないどこかに、ここは息が詰まるって」


 葵は息も絶え絶えに兄の手を握る。その手はほんのりと暖かい。彼女の体温が、彼女の生きている温度が伝わってくる。


「そしたら、私も連れてってくれませんか。兄上の冒険に」


 彼女は彼が差す刀を見つめる。橘家で脈々と受け継がれてきた業物。代々、当主がその刀を所持する決まりになっていたが、先代当主、彼らの父親は先程戦死した。

 彼にとっては、成り行きで持っているに過ぎなかったが、その刀を眺める葵を見て彼女が何を言いたいのか彼にはよく分かった。


「魂器に成る気か?」


 刀に人の魂を込めた武器。それは魂の成仏が果たせないとして、陰陽師の間では禁忌とされている。魂器の生成はそれ程に重罪である。

 そんな事は蓮も知っていた。そして、彼が知っているという事は彼女も知っている。


「兄上と一緒に世界を見て回れるのなら、それはそれは素敵じゃないでしょうか?」

「……葵」


 それでも、彼女は魂器と成る事を望んだ。それを彼は拒めるはずもなかった。蓮の手を握る彼女のか細い手は次第に力を失っていく。終わりの時が近い。

 彼女はそっと呟いた。


「私はいつまでも兄上の隣にいます」


 それが彼女の発する最後の言葉となった。程なくして、彼女の手は力を失った。それは畳にポスっと落ち、動かなくなる。

 だが、蓮は彼女が死んだとは思えなかった。彼の差す刀から確かに彼女の脈動を熱を感じたのだった。葵はここにいる。それに疑いの余地はない。

 彼は立ち上がって、屋敷の前に広がる藪を眺めた。その先は、未だに砂塵と煙が上がっている。


「目に刻んでおけよ、葵。お前の兄のかっこいい姿を」


 そう言うと、彼は戦場へと駆けた。


 

 一体幾らの人間を斬っただろうか。

 気づけば、周りには敵も橘家の人間もいなかった。両者ともに壊滅。近くで息がある者は蓮だけであった。


 骸の山と血の海に彼は立ち尽くす。痛いくらいの静寂が彼に押し寄せる。今、己をこの地に縛り付けていた家も、行手を阻む敵もいない。

 晴れて、自由になったというのに彼はもう一歩も動けなかった。

 その場に倒れ込む。そこで、ようやく蓮は左腕と右脚を失っている事に気がついた。最早、痛みすらない。ただ、悔恨だけが彼を渦巻いていた。


「すまねぇ、俺たちの敵は倒したけどよ。もう、ここまでみたいだ」


 彼は刀に向かって、葵に向かって告げた。

 その時、蓮の目に不思議な人物が映った。

 銀髪の女。整った顔立ちと浮世離れしたその格好から海外の者だろうか。いつの間にか現れたその女は彼を見下ろした。白銀の虹彩が彼の顔を覗く。


「お前は何の為に戦ったのだ?」


 予想以上に流暢な日本語に彼は少しばかり吃驚した。ぶっきらぼうな彼女の問いに彼は少し宙を眺めて考える。そして、答えた。


「生きる為だ」


 彼は力強く言い放った。

 だが、彼女はますます不可思議そうな顔をした。


「なら、逃げればよかっただろう。戦う必要はなかったはずだ」

「は! 逃げるだって?」


 彼は吐き捨てた。


「それに、何の意味がある。逃げて、恥を抱えたまま生きるのは死んでるのと同義だ」

「それが、君たちの『ブシドー』というやつか。ますます分からん」


 彼女は蓮の目を見つめた。黒鉄色の綺麗な両眼だ。

 その瞳の奥で何かが揺れていた。


「ならば、質問を変えよう。お前はまだ生きたいか?」


 片手片足を失った蓮に彼女は聞いた。未だ、溢れ止まない血液の流動を感じて、彼は答える。


「俺はあいつに世界を見せてやりたかった。だが、この体じゃここまでだ」

「それを助ける手立てがあると言ったら?」


 彼女は試す様に言う。

 その言葉に蓮は豪快な笑みを浮かべた。


「ここから、助かる方法があるなら教えて欲しいね。悪いが、もうまともに歩けもしな————」

「私は吸血鬼だ。その意味は聡い君なら分かるだろう?」


 彼女は蓮の言葉を遮って言った。

 予想外の言葉に彼は驚嘆しつつも、返す。


「俺に人喰いの鬼にまで身を堕とせと?」

「私はどちらでも構わない。君の決断だ」


 そう言われて、彼は再び刀を眺めた。

 以前の彼なら即座に断っていた。だが、せっかく自由になれたというのに、それを謳歌せずに命を断つのはどうも惜しく思われる。

 何より、葵と世界を見て回りたい。その渇望が彼から湧き上がっていた。

 気づけば、口から言葉が溢れていた。


「鬼にはそう容易くなれるのか?」

「心臓さえ動いているのならば」


 彼女はそう告げる。

 その返答に蓮は息を吸い、吐いた。胸に手を当てずとも分かる。今、自分は生きている。みっともなく地を這いずって、挙句、人喰いの鬼になってまで生きようとしている。その愚かしい無様は心の臓が脈動している何よりの証明だ。


「頼まれてくれるか?」

「お安い御用」


 彼女は口内から吸血鬼特有の二本の牙を覗かせる。そして、それを彼の首へと突き立て、吸血する。だが、それは生き血を得る為の吸血ではなく、眷属を増やす為の吸血行為。


 彼女がしばらくして血を吸うのを止めた頃、彼は猛烈な睡魔に襲われた。体が別の生命体へと変化していくのを感じながら、意識が遠のく。

 そんな彼に彼女は一言告げた。


「お前は何を強がってたんだ?」


 それは、一夜にして家族を失ってもなお、達見した様な顔の蓮に向かっての言葉だった。家族を失って、自らの近しい者を失って正気でいられる方が異常なのだ。蓮と彼らとの仲が良好だっとは言えない。


 だとしても、彼だって肉親を奪われれば、相応の感情は抱く。

 唐突に、彼の身に悲哀が押し寄せた。今まで、その感情を奥底で縛り付けていたのだと今になって理解した。


 そして、人間として最後の眠りに就くその一瞬、彼の目から涙が溢れた。

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