第30話 師弟
彼はルーチェのアジトに着くなり、腰に差した一本の刀を地面に突き立て、告げる。
「咲け、赫蕾」
その呼びかけに従い、刀を突き立てた場所から血が吹き出た。どこからともなく溢れるその血液は一度彼を包むように球形に変化する。
直後、それが五つに割れる。そして、花びらの形になったそれらは地を這う様に五つの先端が伸びていった。
その血による残忍な攻撃を知っているエリアスは咄嗟に叫んだ。
「それに触れるな!」
だが、時既に遅かった。
一階の連中の半数ほどが血で出来た花びらを踏んでいる。彼の呼び掛けに従って避けようとするが、花びらからは血でできた腕が出現していて、彼らの足を掴み身動きを封じていた。
その腕は続々と出現し、花びらに触れた者へ無数に絡みついていく。そして、その腕に掴まれた者は皆一様に同じ反応を示した。
絶叫。血の腕に掴まれれば、そこから痛みと負の感情が際限なく侵食した。
その効果を知っているエリアスは舌打ちする。いかに体が強い吸血鬼も精神まで頑丈な訳ではない。
彼の懸念通り、一人が膝をついて倒れた。耳を塞ぎ、目を瞑って、ぶつぶつと独り言を呟き続ける。
その呟きは謝罪だった。流れ込んでくるその苦痛に悲しみに恐怖に謝り続ける。
だが、それで地獄から解放される事もなくただ永遠と苦しみを味わい続けた。それから、その症状は腕に掴まれた者全てに見られる様になった。
精神を破壊する武器。それが赫蕾の真価だった。
彼は場を撹乱している間にエラを探した。そして、背後に生首を抱えたまま凍りついた様に動かなくなっていた彼女を見つけた。
「……間に合わなかった、か」
面識はないが、抱えているその首がレオであろう事はレンにも分かる。彼はそんな暗い絶望の中に閉じ篭もったままの彼女の元へ駆け寄った。
彼女はそれをレンと知りながらも、一瞥も与えなかった。そして、罵倒を浴びせる。
「今更、何しに来た? ……吸血鬼」
拒絶する様に彼女は言い放った。その一言は彼の心に深く突き刺さった。
「吸血鬼……、か。エリアスあたりにでもバラされたか」
否定しない彼の様子を見て、彼女は本当にレンが吸血鬼なのだと確信する。だが、最早そんな事はどうでもよかった。レオが彼女にとっての全てだった。それを失った今、何もかもがどうでもよかった。
だが、レンは彼女に向かって言う。
「確かに俺は吸血鬼で、お前は人間だ。そして、お前が吸血鬼を憎んでいる事も知っている」
彼は語るが、彼女は意に介さない。それでも、彼はなお続ける。
「だがな、それでも————」
レンは彼女の前に回って、屈んだ。目線を合わせようともしない彼女に力強く彼は告げる。
「お前は俺の弟子だ。それだけは変わらない」
それに、彼女は顔を上げた。レンはその目をしっかりと捉えて話す。
「今回の事の顛末の責任は全て俺にある。だから、お前が死ねと言うなら俺は喜んでそれを受け入れよう。ただ————」
彼は二階へと視線を移した。それに、釣られるように彼女も二階を眺める。そこには、ルーチェに捕らえられた子供たちがいた。
レオが殺され、次は自分の番かもしれないと体を震わせて、彼女らを見つめていた。そんな怯えた瞳を彼女は見つけてしまった。
「お前には、まだやるべき事が残ってるんじゃないのか?」
そう言うと、彼は腰に差した豪華な刀、リーベルタースの形見の刀を鞘ごと抜く。
そして、彼女の目の前にそっと置いた。再び戦う理由とその為の武器が彼女に示される。
「これをお前にやる。その刃を誰に向けるかはお前が決めろ」
彼女は、その刀とレンとを交互に見つめた。彼のその真剣な眼差しに彼女は唇を噛む。鉄の味が広がる。
哀情に沈んでいた彼女は目の前の吸血鬼によって強い憤りを引き出された。
「…………ねぇよ」
震えた細い声で彼女が呟いた。
深く息を吸い、彼女はもう一度繰り返す。
「格好つけてんじゃねぇよ! あんたが、あんたがもっと早く来てれば……」
そう言って彼女は暗い閉塞感に押し込められる。
自分がもっと強ければ、レオも助けられた。それを、来なかったレンのせいにすり替えるのはお門違いだ。
だから、彼女の瞳からは涙が溢れた。
「…………クソ」
誰に向かう訳でもない悪態は宙を舞う。
劣情に暮れ、全てを放り捨ててしまう事は簡単だ。
だが、それも違う。レオの憧れのお姉ちゃんはそんな事はしない。
勝ち目があろうがなかろうが戦い抜いて、惨めったらしく生き残る。それが、ストリートチルドレンの流儀だ。
そして、彼女は口を開く。
「良いんですか? 形見なんでしょう?」
「あぁ、いい。もう、そういうのに囚われるのは御免なんだ」
言ってみれば、それは彼の決意だった。もう、復讐なんかで道を踏み外さない。そんなものより、ただ一人しかいない弟子の方がよっぽど大事だと気付かされた。
それ故の決別だ。
彼女は子供たちを見つめる。
自分がここで一歩踏み出さなければ、遅かれ早かれ彼らもレオの様に殺されるのだろう。それだけは絶対に嫌だった。
自分やレオの様な子どもたちを増やさない。それはいつか胸に誓った事だ。
ならば、悩む事はもうない。
彼女は軽く息を吐き、手の甲で涙を拭った。
「後で返せって言われても知りませんからね」
エラは抱えていた生首をそっと脇に置くと、立ち上がった。
「手を貸してくれますか?」
「その為に来た」
レンも立ち上がると、彼らは目の前の敵を睨みつけた。




