第27話 弟子
思いかえせば、彼女の寝室に入ったのはこれが初めてかもしれない、とレンは思う。
そこは縦長の大きなはめ殺しの窓と一人用のベッド、それからランプの置かれた古い平机があるだけだ。
何の変哲もない部屋。財なら腐る程ある城で贅沢に浸っていなかったのは何とも彼女らしい。
そこで、レンは机の上に手記を見つけた。何気なく、それを取ると中には彼女がこの城にきてからの記録が書かれていた。
「今日は、修行初日だった。初めは、散々に叩きのめされ、何も教えないと言われたが、結局、構えや素振りなど基本的な事を教えてもらった。実は、良い師匠なのかもしれない。お風呂を覗かれたのはいただけないが」
彼はページをめくっていく。
「今日は素振りをしていても何も言ってこなかった。途中、とっても苛立たしげな目でこっちを見てたけど。それと、洗濯物の件で師匠に怒られてしまった。でも、仕方ないじゃない。気づけば服が川を下っているんだもの」
「今日もまた素振りに関して何も言われなかった。機関銃の如く、ずっと舌打ちを繰り返していたけども。それと、掃除の件で師匠に怒られてしまった。でも、仕方ないじゃない。とりあえず、雑巾で拭いとけばなんとかなるだろうと思ったら、気づけば湖が出来てるんだもの」
「今日、初めて吸血鬼を殺した。ちゃんと話も通じるし、見た目も人と変わらない。だけど、私は吸血鬼を殺した。それでも、立ち止まっちゃいけない。レオが生きている事も分かったしもっと強くならないと。でも、やっぱりまだ吸血鬼は怖い」
こんな事もあったなと、レンは彼女との思い出を振り返る。
だが、その当の本人はもういない。
日記を読み進めていくと、一つ、彼の目を引くものがあった。
それは彼を驚愕の海へと叩き落とした。読む手が震える。
「今日、とんでもないないものを見つけた。人の血だ。食料庫には隠し通路があって、その先には血の詰まったワイン樽があった。どうして、こんなものがあるんだろう? 私には分からない。ただ、師匠が吸血鬼かもしれない可能性は考えた。でも、それはないと思う。吸血鬼が私をこの城に置いておく理由がないし、何よりそんな事は考えたくはない。だけど、もし師匠が吸血鬼だったら私が斬る。今日はそれを決意した」
彼女は地下室の存在を知っていた。
あの血は『白の墓標』に運ばれる人間から拝借したものだ。
万が一、瀕死の傷を負った時の為に保管していた。あの日は偶然エラがいたこともあって足しにはいかなかったが、まさか見られていたとは。
それでも彼女は吸血鬼かもしれない人物と二年も暮らしていたのだ。
吸血鬼を忌み嫌う彼女にとってそれは並大抵の神経じゃなかっただろう。
彼は二年分の手記の全てに目を通し、そして、最後、恐らく昨日の夜に書かれた直近のものを眺める。
「決戦の日までもうすぐ。今まで、辛い事もあったけど、その分、楽しい事もたくさんあった。それに、やっぱり師匠は吸血鬼じゃないと思う。あんなに良い師匠が吸血鬼なわけがない。確かに無愛想で口は悪いけど、根っこは良い人だと思う。だから、私は師匠を信じる。信じたいから信じる」
そうして、後は空白が続いていた。彼はもとあったように手記を平机の上に置くと、彼女のベッドに横たわった。
何か空虚なものを感じ取った。
復讐という業火はあの日からずっと彼の身を焦がしてきた。
だが、エラと過ごした時間。互いに高め合っていたこの二年という歳月。その間だけは彼の心の痛みはほんの少し和らいでいた。
この気持ちの名を彼は知らない。だが、この気持ちを蔑ろにしてしまったらきっと後悔するだろう。
それだけは彼にも分かった。
「なぁ、あんたならこれからどうする?」
懊悩するレンはリーベルタースの忘れ形見である豪華絢爛な刀に話しかけた。
勿論、刀が問答を返す事はない。だが、彼は確かに聞いた。
彼女ならどうするか。レンはその耳で確かに聞いた。
「やっぱりそうだよな」
彼は起き上がり、彼女の寝室を後にした。レンならば、リーベルタースの弟子ならば、やるべき事は一つだ。
何も迷わず、振り返らず、彼は玄関へと向かう。
そして、レンは真っ黒に塗りつぶされた闇夜に一人で駆け抜けて行った。




