第26話 醜悪
目を開くと、そこは牢屋の中だった。周りには誰もおらず、独房のようである。
起き上がろうと試みるが、彼女の頭を鋭い痛みが襲った。その痛みで、ようやくどうしてこういう状況になったかを思い出す。
地下牢の見張りの二人を倒したが、もう一人に気づかず、後頭部を殴打され気を失った。ならば、自分も捕らえられたと見るべきか。
とりあえず、後頭部の裂傷は医療魔術で縫合した。仮に、脳にまで傷害が及んでいれば、彼女の手には追えないが、ひとまず動けるだけの応急処置だ。
気持ち痛みが和らいでいき、視線を前に向けると、外には檻に背を預けた二人の吸血鬼が立っていた。
「本当だろうな。こんなガキが……、しかも女が弟を助ける為に俺たちの仲間を二人も殺ったなんてよ」
「えぇ、本当ですよ。僕がしっかりこの目で見たんです。目の前で二人を殺したのを。ありゃ、普通の人間の動きじゃないですね。ヴァンパイアハンターかなんかの類だ」
彼らはエラの話で夢中だ。彼女はそんな彼らの先に小太刀が立て掛けられているのを見た。
武器がなければ、何もできないと思われているらしい。その証拠に服の中に隠してある式神までは奪われていない。
彼女は音を殺して重りを引きずり、彼らの背後に詰めた。
「全く、僕があいつを奇襲してなかったら大変な事になってますよ。 今頃、全員を牢から逃して、僕たちはエリアス様の逆鱗に触れてるところだった」
「やっぱり、信じがたい話だ。おい、新入り。お前の目が節穴だったんじゃないか?」
皮肉交じりに彼は話を振るが、意外にも新入りの方は何も返さなかった。それどころか、新入りはいやに黙りこくったままだ。
その様子を不気味がり、彼は顔を向ける。
そして、その光景に愕然とした。
牢の中から出てきた左手が騒ぎ立てないように新入りの口を押さえ、右手はその彼の胸を突き破っていた。刃物の様な形の氷を纏った右手は彼の血で赤く彩色されている。
唖然とするもう片方の吸血鬼は事態が飲み込めずにいると、彼女から一匹の蝶が浮かんでいたのが分かった。
だが、それを理解したのと同時に胸に違和感を覚える。それが、先の蝶に心臓を貫かれた為だと知る頃には、彼は絶命していた。
「前に、ナハトさんに氷結魔術を教わった甲斐がありましたね」
彼女は氷を溶かし、右手を解凍する。それから、エラは、鮮血に染められた蝶を使ってもう一度鍵束を奪った。
それを使い、自分の足枷と牢屋の錠を外していく。
外に出た彼女は先ず、廊下に立て掛けられた小太刀を再び腰に差す。それから、またレオを探した。
案の定、彼女が囚われていたのはさっきの地下牢だったらしく、レオもすぐ見つかった。
浮かない顔を浮かべていた彼だったが、エラの姿を見て元気を取り戻した。
「お姉ちゃん! 無事だったの? 急に襲われて何処かに連れられていくからビックリした」
「まぁ、無事とは言い難いけど、まだ生きてるわ。私が気を失ってから何分経った?」
「だいたい十分」
彼がそう答えると、満足そうにエラは頷いた。
まだ、それしか経っていないなら、少年らを逃すのは可能だ。彼女は牢屋の扉を開け、一人ずつ足枷を外して回る。
最後の一人の足枷が外れるのを見届けると、彼女はその場にいる全員に向かって告げた。
「今から、ここを脱出する。絶対に、生きてみんなで帰るよ!」
その声に子供たちは力強く首を振った。
エラの強さを知っているからこそ、彼女にありったけの信頼を置いている。そしてまた、歓喜の風が子供たちの中で吹いていた。
死の宿命から解放されるかもしれない。その期待は彼女の肩に寄せられた。
今一度、彼女は自分に掛かった重責を理解する。そして、一歩を踏み出した。
ルーチェの連中に気づかれない様に足を忍ばせ、彼女がやって来た裏口を目指す。
なるべく、音を出さない様に廊下を走り、それを子供たちにも指示し、従ってくれていた。
十数の命を背負った彼女は常に前方を警戒しながら先頭を走るが、来た時同様ルーチェは一向に現れない。
幸いだとは思うが、どうも嫌な予感がする。彼女は何か薄汚い罠に嵌められている気がしたが、それに気づいたとしても今更立ち止まれない。
彼女らは構わず突き進み、とうとう裏口が見えるところまで差し掛かったところで、彼女の抱いた予感は的中した。
「おかしいな、ドブネズミを神聖なルーチェの館に招き入れた覚えはないのだが」
裏口の前、スーツ仕立ての服装の男は顎をさすりながら、彼女らを眺める。
あくまで下等生物を見る様な目、その見下した様な反吐の出る目を昔、彼女は脳裏に焼き付けていた。
「……貴様!」
エラは激昂する。それもそのはずだ。彼女の両親を奪ったのも、レオと彼女を襲ったのもこの舐め腐った顔をした吸血鬼なのだ。
彼女にとって仇そのものである。
だが、当の男はその反応に当惑していた。
「おや、面識があったかな。悪いが、ネズミの顔などいちいち覚えていないのでね」
嘲笑を持って、彼女を見つめる。彼女は苛立ちを募らせて彼を睨み上げた。
「こいつら、どうしますか? エリアス様」
唐突に背後から声がした。その声に引かれるように振り返ると、子供たちは腕を掴まれ、先程までいなかったルーチェの連中がその子供たちの頭に銃口を突きつけていた。
それに、彼女の怒りは爆発した。
「下衆どもが! 汚い手でその子らに触れるな!」
彼女はありったけの式神を引っ張り出し、拳銃を突きつけるルーチェらの心臓に狙いを定める。
だが、射出する前に彼女の頭をエリアスが掴んだ。
「何をする気だ」
耳元で囁かれ、脅しと言わんばかりに彼女の頭を圧倒的な握力で握る。
「それにしても、どうして、来た時も帰る時も誰とも遭遇しなかったと思います?」
エリアスはエラに問うが、彼女は沈黙を保つ。
「正解は私がそう指示してたから! 希望が絶望に変わる瞬間、それが見たいから! あなたは絶望した時、どんな表情を見してくれるんでしょうかね?」
すると、彼女は目線だけを彼に向けて、忌々しげに言い放つ。
「お前に私の絶望など拝ませない。エリアスといったな。お前が先に死ね!」
宙に浮かんだ蝶を反転させ、狙いをエリアス一人に定める。そして、それら全てが殺意を持って彼に発射された。
一つ一つが吸血鬼の心臓を貫くのに足る火力を誇る。故に、数十にも及ぶ式神の乱打に立っていられるはずもない。
そのはずだった。だが、現実は違った。
「な……」
彼女は言葉を失う。その目には尚も彼女の頭を掴んだまま離さない男の姿が映った。
見れば、式神は彼の肌から十センチ程のところで静止している。
「……結界魔術」
「そう!」
正体を言い当てた彼女にエリアスは嬉しそうに語った。
「これが第五真祖の恩恵! これが第五真祖の寵愛! この力こそが第五真祖から愛されている証明!」
彼は嬉々として吠える。エラはどうにかして頭を握る手を振り解くと、小太刀を握り、彼に切っ先を向けた。
物理干渉を及ぼす結界を破るには強い点の力が必要である。故に、彼女は式神をしまい、代わりに刺突を放とうとするが、それがエリアスに届く前に彼女は膝から崩れ落ちた。
火薬の匂い。それに釣られてエリアスを見れば、無表情に自動式拳銃を彼女の左腿に発砲した後だった。
硝煙が揺らぐ中で、彼は地を這いつくばる彼女に告げた。
「故に、そんなものが私に届くわけがないでしょう?」
そう言うと、エリアスは彼女の髪を強引に引っ張った。




