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彼の日のパラディズム  作者: 多雨書乃 式
第一章 黎明
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第25話 潜行

 エラは夜の闇に紛れてルーチェのアジトまで忍び寄る。それは大きな屋敷の様な造りのそれはゆうに数百は住めそうな広さだ。 

 実際、ここにいる構成員の数もそれ程の数であったから、彼女の見立ては正しいだろう。確かに、この場にいる全員と戦うのは厳しい。

 

 だが、前日までに調べ上げた通り、裏口には護衛もおらず、ここを通っていけばレオたちが捉えられている地下牢まで向かう事が可能である。

 彼らを見つけ出し、最速で逃す。そうすれば、彼女一人でも彼らを救う事ができる。


「これは、案外余裕かな」


 裏口を通ってもなお、誰も姿を現さないのを見て、拍子抜けした彼女は胸を撫で下ろし呟く。

 ある程度の屋敷の地図は頭の中に入っているが、これ以上先はいつルーチェの構成員と遭遇してもおかしくはない。と、気を張り詰めながら進んでいったものの、一向に敵と遭遇しない。

 

 廊下を抜け、突き当たりの階段を下り、湿っぽく薄暗い地下へと足を踏み入れてもルーチェの連中には遭わず、彼女は少し不気味に思い始めていた。

 が、片面に地下牢がいくつか並ぶ廊下でようやく見張り役らしき二人の吸血鬼をようやく見つけ、逆に安堵した。

 

 彼らは安っぽい椅子に腰掛け、古びたランプで灯りを取りながら酒を片手にしている。 

 一方、地下牢には彼女の予測していた通り、何人かの人間が三つ程の牢屋に分けて囚われ身を寄せ合って震えていた。

 

 彼らは重りのついた足枷をつけられ、決して逃げない様に飼育されている。しかも、捕らえらているのは全員年端もいかない幼子である。

 それは彼女にとって看過できない事実であった。


「なぁ、こいつらの内、一つや二つつまみ食いしてもバレないんじゃねぇか?」


 一人が見張りの吸血鬼に語りかける。

 その一言で牢に囚われた人間達の顔が恐怖の色に染まった。怯えているのが、目に見えて分かるが、それを口に出せば何かしらの罰をくらうのであろう。

 彼らは音もなく息を呑んだ。


「やめておけ。エリアス様にどやされるぞ。まだ、死にたくないだろう?」

「それもそうだな」


 そう言うと、彼らは腹を抱えて笑った。

 彼らの言動も思考もその全てを彼女は許容する事は出来なかった。小太刀の柄を握り、居合いの姿勢は取らずにゆっくりと彼らに近づく。

 そして、彼女が鞘から小太刀を抜こうとしたその時、見張りの男の内、一人がエラの存在に気づいた。

 

 彼は椅子から飛び上がり、それに釣られてもう一人も彼女に視線を向けた。その場に暫しの沈黙が訪れる。彼女は柄を強く握り、隙を窺っていた。

 だが、沈黙の後に吸血鬼の男から発せられた言葉は意外なものだった。


「あぁ、お前が今日入った新入りか」


 突如として現れた少女に吸血鬼は勝手に納得して、席に着いた。

 彼女は否定しようとしたが、誤解してくれているのならありがたいと思い直し、小太刀から手を離した。


「え、えぇ。エリアス様に見張りの二人と変わって来いと言われまして……」


 先ほど出た、エリアスという人物の名前を借りて様子を見るが、その名の効果は覿面だった様だ。


「エリアス様が? それはありがたい。長丁場で飽き飽きしてたところなんだ。ほら、お前も行くぞ」


 立ち上がる彼だが、何故かもう一人の男が腕を出して制止した。頬をポリポリと掻いて考え事をしている様子だ。

 それにエラはほんの少しばかり眉を顰める。


「何か変だ。おかしい。……あぁ、そうか」


 やがて、答えに行き着いた彼はエラを見つめた。


「こいつからは人間の匂いがする」


 チッと彼女は舌打ちで答えた。そして、即座に小太刀を抜き、柄頭を立ち上がっていた吸血鬼の鳩尾に叩きつけた。

 いきなりの鈍痛に顔を歪ませ、彼は一歩後退する。  

 そして、唐突の出来事に対応できず、呆気にとられていたもう一人の吸血鬼は椅子から立ち上がろうとするが、その前に彼女に大腿を切り裂かれた事で背を椅子にぶつけながら、転がり落ちた。


 よろけていた吸血鬼は、怯みから立ち直るとエラを睨みつけるが、何も行動を起こす前に彼女の小太刀で心臓を貫かれた。

 両足を失った男も、懐から自動式のハンドガンを取り出すが、発砲を許す前に彼女の操る蝶の式神に心臓を潰された。そして、永久に静止する。

 直後、地下室に一時の静寂が訪れた。それを破ったのは歓声だった。


「すげぇ」

「すごい」

「吸血鬼なのに……」


 それは牢に囚われた少年少女の声だった。言葉はまちまちだが、羨望の目でエラを見ているのが分かる。


「ちょっと待っててね。今そこから出してあげるから」


 彼らの声に応える様に、彼女は牢屋の鍵を探す。そして、倒した吸血鬼の内の一人の腰に鍵が束になって掛かっていた。彼女はそれを拾い上げる。

 どうやら、数を見るに彼らの足枷の分の鍵もここにありそうだ。彼女は一番手前の地下牢に赴き、一つずつ鍵穴に挿して開かないかどうかを試す。

 


 その間、エラはふと牢の中を見た。何人もの人間が期待に胸を膨らませ、牢の鍵が開かれるのを心待ちにしているが、そんな彼らの内、暗めの金髪が目に止まった。

 二年前まで、何度もその髪色を見続けた彼女が、髪の主を間違うはずもない。その金髪を見つけた彼女は興奮気味で彼の名を呼ぶ。


「レオ!」


 その言葉に彼は肩をビクッと震わせた。怪訝な目で彼女を見るが、それがエラだと分かると途端に瞳孔を開いた。


「お姉ちゃん? エラお姉ちゃんなの?」

「えぇ、レオの前にいるのはエラお姉ちゃんだよ」


 彼女は久々の再会に、無意識に涙が溢れた。

 レオは無理にでも重りを引きずって牢屋の入り口にまで歩く。


「どうして、ここに? それに、お姉ちゃんこんなに強かったっけ?」

「レオを助ける為にいっぱい鍛えたの。だから、今のお姉ちゃんは無敵だよ」


 そう言って、彼女は笑って見せた。うまく笑えているか彼女にはわからなかったが、そんな事は関係ない。笑いたいから笑うのだ。

 彼も大好きだった笑顔をもう一度見られて、不意に熱い液体が頬を伝った。


「まさか、お姉ちゃんが来てくれるなんて。これで、また二人で————」


 彼は突然に言葉を止めた。顔を青ざめ、彼女の背後を見つめる。その理由を彼女は計りかねたが、レオはそんな彼女に叫んだ。


「お姉ちゃん、後ろ!」


 レオはエラの危機を必死で伝えようとする。だが、彼女が振り返る前に彼女の後頭部は強い衝撃を受けた。

 その場に倒れ込み、意識だけは保とうとするが、視界には靄が掛かっていき、次第にフェードアウトしていく。


 最後に、彼女の耳には砕けたビール瓶の欠片が地を打つ音だけが反響した。



 レンは無意味に城を散策する。ダイニングをキッチンを庭を教会を書庫を武器庫を訓練場を風呂場を順繰りに回っていく。

 そろそろ睡眠の支度を始めなければならない時間だが、どうにも寝付けない。それで、散歩を始めたが止め時も分からず、ただ城内を徘徊していた。


 ふと、彼は足を止めた。何を思ったわけじゃない。ただ、そこはエラが二年の歳月の間、使用していた寝室だった。

 いや、きっと何も考えてないフリをしていただけなのだ。本当は、彼女の事で頭がいっぱいだった。

 だから、こんな場所で足を止めたのだ。

 

 彼にとって、それは理解していても理解したくない事実だった。

 彼の師、リーベルタースの死後、彼はただ復讐の為にその力をつけてきた。それはおよそ百年。

 その年月を思えば、たかだか二年そこら親しくしていた者を切り捨てる事で目的が達せられるのならば、安い買い物だ。

 

 エラ・フリーダ・フォーゲルは存在しなかった。

 二年前に少女を助けてもいないし、ましてや弟子入りを懇願されてもいない。料理の得意な弟子もいなかったし、負けず嫌いで意地っ張りな弟子もいない。

 

 そう考える事にした。そう考える事にしたのに、何故だか彼はエラの寝室の戸を開けていた。

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