第21話 暗鬼
「えーと、野菜は……、これでいいか」
白の墓標から帰宅したエラはある程度料理を完成させたのだが、付け合わせの野菜が少ないと感じ、サラダの材料を選びに食料庫に来ていた。
彼女が城に訪れたばかりの頃は腐った食料ばかりで、ほとんど使える食べ物はなかった。なので、先日、それら全てを廃棄する事にした。
その後はなるべく日持ちする食材を蓄えているとはいえ、二人分の食料しかない為に食料庫にはかなりの余裕が出来ている。
「あれ? こんな扉あったっけ?」
この前の大掃除のお陰か、食料庫の隅の地面に取り付けらた扉にエラは気付いた。
彼女の記憶が正しければ、この上には木箱が積まれていたが、中の野菜が腐っていたので木箱ごと捨てた筈だ。恐らく、これはその木箱に隠れて今まで気づかなかったのだろう。
「床下収納でしょうか?」
こういうものは城の主人であるレンの承諾を得た方がいい気もしたが、彼女の好奇心の方が勝った。扉の取手は錆び付いて、長らく誰も使っていない様子だったが、問題なく開いた。
「これは……」
彼女の眼下に広がるのは階段だった。隠し通路というものだ。何か追加の腐った食料が出てくるとばかり思っていただけに、彼女は驚嘆した。と、同時にさらに好奇心が煽られる。気づけば、彼女は階段を降りていた。
階段は石造で、螺旋状に下へと繋がっていた。地下は多湿な上に、扉からしか光が射さず、無音も相まって不気味さが彼女に纏わり付く。
時折、壁に松明を灯す為の燭台こそあるが、流石にどこも灯っていない。
下がっていくほどに肌寒くなっていき、息を掌に当てて暖を取りながら、いつになればこの階段は終わるのかと考えていると、唐突にその終わりは訪れた。
地下には細長い部屋が広がっていた。暗がりだが、そこには樽が横たわっていて強い圧迫感を感じさせる程に並べられているのが分かる。
「これはワイン用の木樽かな?」
木樽が並べられてワインを想像するのは自然な流れだ。それに、ワインの熟成の為ならば年中を通して冷涼な地下室は最適だろう。
そうだ、今日の夕食の飲み物はこのワインにしよう。だから、レンの帰りを待って許可を得てから少し拝借しよう。とそこまで考えてエラは樽を眺めた。せっかくここにワインがあるのに指を咥えて待つのはいかがなものか。城の主人の帰りを待つべきなのは重々承知だが、それでもやはり好奇心が勝った。
手前の樽に手を掛け、ダボ穴の栓を抜く。何か瓶の様なものがあればよかったのだが、周りには樽のほかに何もなかったので仕方なく穴に人差し指を入れた。
味見してみよう、そんな感覚だったのだが、それがいけなかった。
ぬるりとした感触。まとわりつく様なこの感覚で理解する。これはワインではない。
慌てて指を引き抜くと、人差し指は燻んだ赤に彩色されていた。暗い地下室だが、こうもべっとりと付いていれば色を見間違う筈もない。
恐る恐る彼女は指先を舐めた。唾液と一つになって喉を流れた流動体は苦い鉄の味がする。
あの感触と色、そしてこの味とくれば、彼女にとって連想されるものは一つしかなかった。
「……血」
それも、恐らくは人間の。
彼女はすぐに栓をして、樽から後ずさった。この樽には血が入っていた。ならば、ここにある全ての樽にも同様に血で満たされているのだろうか。
彼女は言いようのない吐き気に襲われて、口を覆った。理解が出来ず、困惑し、焦燥し、呼吸が浅くなっていく。
なぜ、血が貯蔵されているのか?
パニック状態の頭でそれだけを考え続けた。そして、ただ一つ。最悪の考えだけが思い浮かんだ。
レンが吸血鬼である可能性。
吸血鬼であれば、ここに人の血を保存している事にも納得できる。納得はできるが、彼女は自らの考えを否定する。
だとするなら、なぜ今まで黙っていたのか、仮に、本当に彼が吸血鬼なら彼女はとっくに殺されている筈だと、そう自分に言い聞かせる。第一、レンが彼女が最も憎んでいる存在である吸血鬼だとは考えたくなかった。
だが、一度抱いてしまった疑念は消える事なく胸に巣食い続ける。
その時、彼女の耳に聞きなれた声が響いた。
「おーい、もう夕食の支度は済んだか?」
遠くから呼んでいるのか、随分と小さく聞こえたがその声の主は紛れもなくレンであった。
彼女は胸に疑念を押し殺して、己の師匠の呼びかけに答えるべく慌てて階段を登った。
「ここにいたのか」
レンは帰宅後、エラの姿が見えない事を気にかけてしばらく城を散策していたが、食料庫でようやく彼女の姿を確認できた。
「えぇ、夕食の付け合わせが寂しいと感じたので少し追加しようかと」
「そうか、もうじき出来るか? ナハトの馬鹿が腹が減ったと言って聞かないもんでな」
「はい、直ぐに出来上がるので、お二人はどうぞダイニングでお待ちください」
「それはよかった」
そう言うと、彼は踵を返して食料庫を後にしようとした。
「……待ってください」
気づけば、彼女はレンを引き止めていた。
「どうした?」
彼はゆっくりと振り返る。
「え、えーと」
地下室での光景。彼女がレンに全てを伝えて、なぜあんなものがあるのかを問い質せば、彼が吸血鬼かもしれないと言う疑念は晴れる筈だ。そう、その筈なのだ。
だが、寸前まで出かかっているのに、最後に口に出す勇気だけが出なかった。
「今日の夕食は自信作なので、楽しみに待っていてくださいね」
結局、誤魔化してしまった。
万が一、万が一にもレンに自分は吸血鬼だと言われたら、それ以上どうやって彼と会話すればいいのか彼女には分からなかったからだ。だから、言葉を飲み込んだ。
「おう、そうか。それじゃ、楽しみにしているよ」
彼の言葉はエラの頭を何度も反響した。




