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名もなきモブ子の1ページ  作者: 早藤 尚
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さよなら夏の塩

 オンナノコのやわやわした肌がスキだ。

 特に二の腕なんか最高で、仲良くなったコには必ずといっていいほどさわらせて、ってお願いする。もちろんおさわりするのは同意をもらってからだ。同意のないスキンシップなんてただの乱暴と変わんないもの。

 やわくってほどよい弾力の二の腕をモミモミしてる時間がたまらなく幸せ。

 ヘンタイ、だなんて冗談まじりに言われるコトもある。いいじゃんヘンタイ。どこが悪いの。だってマナーのあるヘンタイだもの、アタシ。

 ここまで話したらどんなニブチンでも察してると思うけど、アタシがこれから語る内容にはオンナノコ同士のベロチューがあったりするから、見たくない人は帰ってよ。配慮? 違う違う、アタシのため。だって考えてもみなさいよ、誰だってヒトの大事な思い出を嫌悪感ある目で見られたくないでしょ、ねえ?

 大事な思い出なの。大事な思い出のひとつなの。

 大事で、思い出すだけで恥ずかしくって、叫んでのたうちまわるくらい青くって、そんでみっともないアタシの話なの。

 聞いてくれる人だけ、聞いてってよ。



 主様はいつでも見ておられます。

 シスターはいつでもそう締めくくる。

 だから祈りを忘れるな、淑女であれと。

 じゃー毎朝電車のなかで注がれる視線だとか、勝手に枠にはめてくるうざったい広告だとか、女子高ってだけでナニか期待してくる男ども、あれらがきっと主様なんですね。なんて言おうものなら絶対お説教だからしまっとくけど。

「女の子」、「女子高生」そんな幻想ばっかを四六時中押しつけてくる世間の目。いつでも見ておられますのが主様ならきっとソレが主様なんでしょう。

 お砂糖とスパイス、それと素敵なナニかでオンナノコが出来てると思ってるそんな世の中の妄想から唯一逃れられる場所がよりにもよってミッション系の女子高なの、笑える話でしょ?

 百合の園みたいな籠のなかでだけ、アタシたちは「女の子」でもなく「女子高生」でもない、ただの十代の人間でいられた。



「ねえ進路希望出したー?」

「まだー。ってか早すぎんよー。ウチら二年なったばっかだよ?」

「センパイはどこ行ったんだっけー?」

 ぼんやり雑談を聞き流してたら急に話ふられてアタシは目をしばたたかせた。

「え?」

「ほら仲良かったセンパイいたじゃん」

「あー」

 相槌のような返事とともに思い出の紐がほどかれる。

 美術部のセンパイだった。

 大好きだった。

『好きです』って言ったら『あたしも』って言ってくれてその日のうちにキスをした。美術室の隅でこの世のぜんぶの視線から逃れるようにくちびるを重ね合ったあのひとときは、何にも替えられない幸福だった。

 昨日のことのように思い出せる。かすかにこもる絵の具のにおい、センパイの汗のにおい、さざ波みたいに流れてた讃美歌のさわり。額に入れてしまっておきたいほどエモーショナルな瞬間たちはいまもアタシの宝物だ。

「センパイはあ~」

 美人でベリショが似合うセンパイはそう、確か、共学の私大に進学したハズ。

「ナニそれ連絡とかとってないのー?」

 ウソでしょ、って目をぱちくりさせられたけど卒業してから何の便りもないのは残念なことに事実だった。ただ不思議とアタシはそれを寂しいとは感じてなくて。

「まあねー。キレイなキレイな青春の思い出ってヤツよ」

 その証拠にホラ、アタシはこのうえなく幸福感に包まれてるし。きっと来年になってもアタシがここを卒業しても、大人になっておばあちゃんになっても、心の宝箱から取り出しては眺めて幸せに浸れる、そんな時間だった。

 まわりから見たらいびつなのはわかってる。女子だけの園のなかではまかりとおっても、『ここ』から出たら特殊、異常、そんなレッテルを貼られる関係なのは、アタシもセンパイも理解してた。だからお互い言わなかった。卒業しても、この関係を続けよう、だなんて。

 ここに、社会の目から逃れられるここにいる間だけの、シンデレラタイムだったのよ。

 主様はいつでも、見ておられますから。はみ出したことはしちゃいけない。いつでもみんなと同じで、みんなが思う通りでいなくちゃならない。あああもうなんてウンザリ。

「久しぶりに話したら人恋しくなっちゃった。スキンシップさせてよ」

 まーた癖が出たよーなんて笑いながらもアタシの熱~いハグを受け入れてくれる、これもまた友情のカタチ。誰に何と思われたって、当人たちが友情って言ってるんだから友情。ねえそうでしょ?



 夏だった。

 入道雲がもくもく膨らんで空の青色がまぶしくて雨の匂いがかすかに忍び寄る、テンプレみたいな夏の日だった。蝉の代わりに街中特有の喧騒がやんややんやうずまいて、日差しと熱気と人混みでクラクラしかける、アタシにとってはただの夏休みの一日だった。

 たぶん、あのコにとってもいつもと変わらない日常で、アタシに声をかけたのもなんてことない、単なるコミュニケーションのひとつだったハズ。

「すっげすっげ! ねーキミめっちゃ上手いね!」

 リズムに乗せて踊るゲームの筐体から降りたアタシに投げかけられたのは、興奮に満ちたセリフ。ナンパかぁ?なんていっとき眉をひそめたけれど、そのコの姿を見てそんな疑いはふっとんだ。

 だってカワイかったんだもの。

 明るい茶髪は腰まであるロングで、華奢な身体に大きめのオーバーオールがホントによく似合ってた。

「もうやめんの? もっかい見せてよ!」

 あと、笑顔がとってもキラキラしてた。

 要するに、イチコロってやつでした。

「連コはマナー違反でしょ。ホラ、そっちの番」

「えーおれは見てただけだけど……でもほかに待ってる人いないならやっちゃおっかな!」

 ボクっ娘ならぬオレっ娘だった。

 アタシよりいくらか背の高いそのコはぴょん、と筐体に乗ると手慣れた動作で曲を選んで跳ねるように踊り始める。決して譜面通りとは言えないその姿に見惚れてたってアタシが気づいたのは、もうちょっとあとのこと。



 不思議な印象のコだった。

 よく笑ってよくしゃべって毎分毎秒別人みたいなカオをする、カワイイオトコノコのようなカッコいいオンナノコのような、どっちでもあってどっちでもないような。アタシの感覚はオンナノコ、って告げてたからきっとオンナノコだし、正直そのときのアタシにはとるにたらないハナシだった。

 だって楽しかったんだもの。

 あのコと過ごす時間、すっごく楽しかったんだもの。

 いつもなら気になるアレもコレもちっとも感じなくて、ただの「アタシ」でいられた。

 あのコとしゃべってるとき、主様は、見ておられなかった。

 好きになるのは一瞬だった。次の瞬間にはもっと好きになった。あの日間違いなく、アタシは恋に落ちた、って言えた。

 ねえ、恋をすると毎日キラキラドキドキするのよ。知ってた? アタシはもちろん知ってたわよ。

 だって。

 あの日センパイと重ねた時間と、同じキラキラで同じドキドキだったもの。

 アタシは、あのコが好き。



「へー○女なの? あそこの制服かわいーよね!」

「でしょでしょ。アタシも制服で一目ボレ」

「変形プリーツとサイドのボタンがかわいー」

「わっかる」

 ひとしきり盛り上がってお互い炭酸の缶を開ける。この夏らしい音たまんなくスキ。でもそのうちオトナになったら、この音で夏よりお酒を連想するのかしら。そんなオトナに、アタシもなっちゃうのかしら。ああヤダヤダ、最低。

 大好きなあのコが隣にいるのに、つまんないコト考えるなんて。あのコに失礼ってモンよ。

 自販機横のベンチへ一足先に座ったアタシはまだ立ったままのあのコを目線で招く。

 今日のあのコはルーズなラグランTに腰巻き風スカート。頭にかぶったキャップからのびるポニーテールがことあるごとに揺れて、とってもカワイイ。

「部活は? 入ってないの?」

 意図せず、とは言えないのが恥ずかしいけどこの夏休み、何度かふたりで遊んだ。純粋無垢に偶然、って舞い上がれない理由は簡単。初めて会ったこの場所にアタシが通ってるから。けなげにせっせと、あのコに会いたい一心で。かわいい乙女心? 一歩間違えばストーカー? 恋は盲目とはよく言ったものよ。だってそんな行動力は持てるのに連絡先ひとつ聞けやしないんなんて。我ながら情けない。

「んー部活はね、一年んときに入りそびれて、今年もそのまんまかなあ」

 ベンチの端に腰かけてあのコは足をのばす。その大きめのスニーカーも、ほんとよく似合ってたし、ファッションからしてスポーティーなコだったから、てっきり運動部にでも入ってるかとアタシは予想してたんだけど。

「フリー、ってコト? けっこう自由な夏休みじゃない」

 言いながら、ならまた遊べるかも。って、心が勝手に踊り出しちゃうの、しかたない話でしょ?

「そーかな。塾とかも行ってないし」

 ニコッ、て。アタシに向けられるまぶしい笑顔。ああそのカオがアタシすっごく好き。

「あーでも」

 と、あのコはちょっとだけ空を見上げた。

「海行くんだ」

「海?」

「そーそー。ガッコの友達とふたりでねー」

「いいじゃない。お土産話待ってるわ」

「まかせとけー!」

 ドン、と胸をたたくあのコへニコニコ笑顔を返しながら、アタシの心中はぐるんぐるんしてた。

 友だちと? 海? へえ羨ましい。ホント羨ましい!

 アタシたち友だちかしら? 友だちよね? 連絡先も知らないけど、フレンド登録のあるなしなんかで友情ははかれないわよね? 友情。そう、友情。いまはまだ、アタシあなたの友だちになれているわよね?

「……仲良しは、美しきことよ」

 大事に想う気持ちは、友情だって恋情だってかわりないハズ。

「いい友だちじゃない」

 アタシの言葉にあのコはえへ、と相好をくずす。

「いまだにおれのこと友達って言ってくれないけどねー」

 ハア?

 相槌も忘れてアタシは口をあんぐり開けた。何? どういうコト?

「人見知りってゆーか素直じゃない奴でー、でもすっげいい奴で、アイツのなかではおれだいぶ仲良しに思われてんのわかるしそれでいーんだけど、でもやっぱたまには、」

 友だちって言ってほしいんだよなー。

 あのコはポツリとつぶやいた。

「ハア?」

 アタシ、今度は口に出してた。自重もしなかった。

「何そいつアタシがビンタしてあげようか?」

「目がマジじゃん」

「そりゃそうよ。アタシの大事なアナタを悲しませる人間は全員ビンタしてまわるわよ」

「あっはは」

 あのコの快活な笑い声が夏空に弾ける。

「大丈夫だよーちゃんと友達って思ってくれてるから! おれからはめちゃくちゃ友達だしそれでいーじゃん」

 ってあのコは笑うけど、それでいい? ホントにそう?

 アタシは、そうは思わない。

 誰に何と思われたって、当人たちがわかってたらそれでいい。アタシも、それは同じだけど。でも。

 当人たち、って、「アタシ」と「アナタ」。でもあのコの言うソレは、少し寂しすぎる気がした。

「アタシ、アナタと友だちだしアナタが大好きよ」

「マジ? おれも好きだよ!」

 ホラ。やっぱり、お互い同じ気持ちだったら、幸せだし。

 ソレを伝え合えたら、もっと幸せよね?



「あっれ、――?」

 名前を呼ばれた。

 行き交う雑踏のなかで呼びとめられるなんて。そんなドラマチックなシチュエーション現実に起こるんだ、って妙な感動と、

「久しぶり! 私の卒業以来?」

 心の宝箱から一気にあふれだす、その感情とで、アタシは胸がいっぱいになっちゃって。返事する間もなくすぐ振り向いて、そして。

「元気してた?」

 いまも大好きなセンパイを、しっかり視界におさめた。

「おひさです、センパイ――」

 応える声にも自然と熱がこもっちゃう。だって大好きな人だもの。アタシの高校生活の宝箱だもの。

「あっは、変わってないね」

 もちろんです。アタシはアタシのままですから。アナタが好きになってくれた、アタシのまま。だけど、

「……センパイは、」

 変わりましたね。

 その一言をアタシは飲みこんだ。

 ベリショがよく似合ってたヘアスタイルはゆるいシフォンショートになってたし、化粧っ気のなかったカオは流行りの甘カジメイクでキラキラしていて、ファッションも、どこからどう見たって「どこにでもいる女子大生のお姉さん」で、アタシが憧れた高校時代のセンパイとはずいぶん趣が違っていたけれど。

 ……たいしたことじゃない。たいしたことじゃないわ。

 小学生から見た中学生が一気にオトナに感じるのと一緒。制服姿だけ見慣れていたから。私服が珍しいだけ。環境が変われば見た目にだって影響あるものだし、全然。全然。

 センパイは、センパイのままのハズ。

 アタシと想いを交わし合ってくれた、アナタのままのハズ。

「カワイッ! なに、後輩?」

「高校生!? わっか! 紹介してよ」

 突然増えた声にアタシはビクッと肩を震わせた。

 どうやらセンパイはひとりじゃなくてグループだったらしい。アタシはセンパイしか見えてなかったけど、連れと思われる人影がセンパイのうしろにいくつかあって、ソレは揃いも揃って似たような雰囲気をまとっていた。「いつでもみんなと同じ」の制服から卒業したはずなのに。アタシには、センパイですら、「みんなと同じ」に見えた。

「ダメダメこの子まだ男と付き合ったことなんかないからー」

「逆に点数高いじゃん」

 アタシのなかのナニかがすうっと冷めていって身体の奥からぞわぞわ悪寒が這いずり始めた。

 ねえ名前なんて言うの?

 近寄られるのも声をかけられるのもとにかく気色悪かった。

 たすけてセンパイ。たすけてください。

 センパイ。

 センパイはこの人たちと友だちなんですか――?

「やめなってぇ」

 間に入ってくれてホッとしたアタシのすぐ目の前に、センパイが顔を寄せる。一瞬だけ、キラキラしたあの日の思い出がよぎったけれど、ソレもすぐに消えてった。

 だってセンパイから香るのは美術室の絵の具のにおいじゃなくて甘ったるい香水だったし、ほかにも柔軟剤やら制汗剤やら、それもメンズのにおいと混ざってひどい吐き気がした。

 何より、

「ねえまだ女の子と恋人ごっこしてるの? あんなの女子高のうちだけでしょ。いい加減男慣れして彼氏つくりなよ。見た目イケてるんだからさぁ」

 センパイに。こう言われたのが。

 アタシはたまんなくショックで。

 大事に、大事にしてた宝物に泥をふっかけられたような思いがして。

 それも。

 ほかでもないセンパイ自身に。

 ……恋人ごっこ? センパイにとってはそうだった、ってワケ?

 確かに、まわりから見たらいびつで、まかりとおるのは女子だけの園の話で、『そこ』から出たら特殊、異常、って呼ばれてもしかたない、そんな関係なのは、わかりきってた、けど。でも。

 でも!

 センパイも……アナタも、アタシに、そう言うの?

 気づいたらアタシはセンパイと別れてた。何て挨拶したのか記憶にない。すぐにその場から離れたくて逃げたくて、アタシは一目散に駆け出した。

 近ごろあまり気にならなかった視線が何週間ぶんもまとめてやってきたみたいにねっとり不快で気持ち悪くて涙が出そうだった。

 主様。見ておられますか主様。

 早く男慣れして彼氏をつくるのが一人前のレディらしいです。淑女って何ですか。点数高いって何ですか。制服を脱いでたった数ヶ月で、高校生活ぜんぶがコドモの遊びだったみたいにどうして言えるんですか。どうして。どうして。

 アタシは、真剣だったのに。

 あの人は、同じ気持ちではいてくれなかった。

 ならせめて、言葉にしないでいてよ。

 アタシの気持ち、踏みにじらないでよ。



 傷心のアタシが逃げこむトコロなんて家かあのコに会えるいつもの場所かの二択しかなくて、アタシはあのコを選んだ。

 たまらなく無性に、あのコに会いたかった。

 あのコはアタシを見るなりちょっと目を見開いて、まだ続行できるプレイをすっと止めた。

「涼しいとこ行かない? おれ喉渇いちゃった」

 あのコに連れてかれるまま休憩スペースへ行って、ガコガコと自販機から飲み物をとるあのコをぼんやり眺めて、いつの間にかアタシはベンチに座ってて、いつの間にかいちごオレを奢られていた。

「あ、もしかしていちごオレ苦手?」

「ううん、好き」

「よかったー。それおれの好きなやつ」

 紙パックにストローをさしてすすると思ったより甘くて、アタシはなんだか泣きそうになっちゃった。ホラ、疲れてるときに糖分はいいって言うじゃない。気分がしょげてるときにもらう優しさも、きっと同じで。なんだかじんわりココロに沁みちゃって。

 つらくって寂しくって、人恋しくなった。

「ねえアタシのお願いきいてくれる?」

「なーにー?」

「ハグしよ」

 ハグってリラックス効果があるらしいわよ。って、言おうとして顔上げて。

 なんとも言えない表情を浮かべているあのコと目が合った。

「えっとねー、それはダメかも」

「あーあんまりベタベタしたくないタイプ?」

 ちょっとがっかりしながらアタシはひとまず頷く。

「そーじゃなくて……」

 あのコはやっぱり何か言いにくそうに、でもアタシの目をしっかり見つめてこう言った。

「気づいてないかもだけど、おれ男だからさ」

「……え?」

「やっぱさ、ダメじゃん? そーいうの」

 ゴメンね。

 あのコのセリフがスーッと右から左へ流れてく。意味はあるのに、まるで意味のない言葉みたいに。

 頭は拒否してるのに、心は理解しちゃったみたいに。

 ストンッて、わかって、わかんなくて。

 気づいたらアタシ、泣いてた。

 さっきまでは我慢できた涙の洪水が、決壊でもしたかってくらいボロッボロ泣いてた。意味がわかんない。

 あのコの前で泣いてるコトだけは把握できたなけなしの理性が、一人前に恥ずかしがってアタシを立ち上がらせた。

 待ってよ、ってひきとめる声が聞こえた気がしたけどわかんない。わかんないわかんない。泣き顔見られたくない。わかんない。わかんないわかんない!

 衝動のまま飛び出した外は夏特有の豪雨真っ最中で、しのぐ間もなくアタシはずぶ濡れになった。でもそんなコトどうでもよかった。

 いつかあのコと一緒にだべった外のベンチにしゃがみこんでアタシは嗚咽をもらした。

 アタシ泣いてるの? そう、泣いてるの。

 悲しくて? あのコがオトコノコだったのが悲しくて?

 ……違う。そうじゃない。

 アタシがオンナノコだと思って好きになった相手は男だった。ソレはそう。ソレはそう、だけど。

 好きになったのが、間違いだなんてアタシは思わないけど。

『いい加減男慣れして彼氏つくりなよ』

 センパイに刺された言葉が頭のなかをぐわんぐわん回る。

『まだ女の子と恋人ごっこしてるの?』

 恋人ごっこじゃない。恋人ごっこなんかじゃない。アタシは真剣にセンパイが好きだった。恋をしてた。アタシはオンナノコが好きなオンナノコだった。

 でも。

 だけど。

 いま恋をしてるのは、男の子でした。

 主様。主様見ておられますか。アナタがおっしゃりそうなコト、アタシわかります。

「やっぱり男の子が好きなんだ。運命の王子様がようやく現れたんだね」って! 言うんでしょう?

 センパイみたいに笑いながらアタシの大切な思い出をバカにしてさも男の子を好きになるのが正しいみたいに諭すんでしょ?

 やめてよ。アタシの宝物を勝手にゴミだって言って捨てないでよ。アタシには前の恋もいまの恋も比べられないくらいステキでキラキラしてて大好きな気持ちなの。

 どっちかが正しくて、どっちかが間違いだなんて、言いたくないの。

 いろんな感情が雨と一緒にザーザー降りそそいでアタシ自分が死ぬほどみじめだった。自己嫌悪の沼に深く沈みそうだった。

 だってアタシ、だってアタシ。

 あんなにソレを嫌がってたのに。逃げたくてしかたなかったのに。結局いちばんに気にするのは『ソレ』で、自分のコトばっかり保身ばっかりで、オトコノコなのにオンナノコに見られてたあのコの気持ちなんてちっとも考えてなかったのよ。

 勝手に枠にはめられて決めつけられて夢想されるの、毛嫌いしてたのは誰? アタシよ。

 でもソレをあのコにしてたのは誰? アタシよ。

 ああ、ああ、ホント、アタシは、最低だ。

「……濡れちゃうよ」

 すぐそばで聞こえた声にこうやってドキッとしちゃうのもあんまりにも現金すぎて。

 そろりと見上げたあのコは夏物のパーカーを精一杯広げて雨避けにしてたけど。

「ここまで濡れたらもう変わんないかあ」

 へへっ、と笑うそのカオはいつも通りのアタシの大好きなカオで。変わんない、って言いながらしっかりアタシを雨から守ってくれるのもやっぱり大好きなとこのひとつで。

「……変わんない、わね」

 雨と涙でベショベショのアタシを見てもなんにも変わらずいてくれるのが。

 本当に。

「……っ好きぃぃぃ」

「あっはは。ありがと!」


 ――アタシ、アナタと友だちだしアナタが大好きよ

 ――マジ? おれも好きだよ!


 ホラ。やっぱり、お互い同じ気持ちだったら、幸せだけど。

 今日は、あのコは「好き」を返してくれなかった。

 アタシと同じ「好き」を、返してはくれなかった。

「風邪ひくから屋根あるとこ行こ」

 あのコに促されるままにそばの駐輪場まで走っていって、ようやくアタシたちは身体を叩く雨から解放された。それでもトタンの屋根はバンバン鳴るし雨どいはガタガタ震えてしぶきが顔にかかるほどの雨脚がアタシたちを囲む。

「まるで濡れネズミだわ。ゴメンなさい」

「いーよいーよ。夏っぽいじゃん」

 パーカーをアタシに頭からかぶせるとあのコはシャツの裾を勢いよく絞った。ボタボタ、って吐き出される水分にアタシはアタシを重ねてしまう。だってアタシみたい。ムードも何もない、泣き方したアタシみたいじゃない。

「……ねえ、二の腕さわっていい?」

「二の腕?」

「よくオンナノコたちにさわらせてもらってるの、アタシ」

「えーいいけどさすがに女の子とは違うよ?」

「ウン」

 はい、と差し出された腕にそっと自分の手を添える。

「くすぐったい」

 カラリと笑うあのコの腕は、初めて触れるあのコの腕は、ちゃんとやわいし弾力感あるしアタシの好きな二の腕に間違いなかったけと、でも違ってた。アタシの知ってる二の腕じゃなかった。クラスのオンナノコほどやわくないしちょっと強めに押せばしっかりした筋肉が指先に感じられるほどの、ちゃんと「男の子」の腕だった。

 初めて触れる、男の子の腕だった。

 オンナノコじゃ、なかった。

「…………オトコノコだあ……」

 目の当たりにした現実か、はたまたいつもの幸福感がないスキンシップのせいか、それとも自己嫌悪か、どれかかぜんぶのせいでアタシの声は震えてかすれてた。

「うん、そうだよ」

 あのコの声は変わらないのに。

「オンナノコって思っててゴメンなさい……」

「全然いーよー。だっておれ女の子に見えるもんね?」

 うん。確かにそう。まっすぐ長いキレイな茶髪も、いつもオシャレだったファッションも、ぜんぶ。オンナノコだった。アタシのなかの「オンナノコ」に当てはまる要素だった。だからアタシは「オンナノコ」って勝手に決めつけて勝手に想いを寄せていた。


 ――「女の子」、「女子高生」そんな幻想ばっかを四六時中押しつけてくる世間の目。いつでも見ておられますのが主様ならきっとソレが主様なんでしょう。

 お砂糖とスパイス、それと素敵なナニかでオンナノコが出来てると思ってるそんな世の中の妄想から唯一逃れられる場所がよりにもよってミッション系の女子高なの、笑える話でしょ?

 百合の園みたいな籠のなかでだけ、アタシたちは「女の子」でもなく「女子高生」でもない、ただの十代の人間でいられた。


 幻想を押しつけていたのはアタシのほうだ。

 アタシが死ぬほどイヤな見られ方をアタシ自身がしていた。

 ねえ、このときのアタシの気持ちわかる? 思い出すだけで恥ずかしくって、叫んでのたうちまわるくらい青くって、そんでみっともない、このアタシの姿。なんにも輝かしくなんかないアタシの足跡。笑っちゃうでしょ。

 しかもあんだけオンナノコが好きって言っといてけっきょく好きなのよ。好きなの。

「……でも男だからさ」

 うん、ってアタシは鼻をすすりながら頷く。

 でも好きよ。オトコノコ、って知っても好きなのよ。

 笑っちゃうくらい最低なアタシを、笑わず責めずそのままでいてくれる、アナタが。

 やっぱり、好きだと思う。

「ごめんね」

 声もなくアタシは頷いて、顔は上げられなかった。

 ごめんね。

 ハグを求めたときに言われた「ゴメンね」と、きっと意味が違う気がした。

 ソレは、性別を勘違いしていたアタシへの「ごめんね」なのか、それとも別の気持ちへの、「ごめんね」なのか――アタシは、アタシには、なんとなく想像ができた。

 できたけど、さらなる返事はしなかった。

 それでいいと、アタシは思ったから。



 ねえ、ひと夏の恋、ってどんなイメージが浮かぶ?

 キラキラ真っ青な空に弾ける笑顔? しっとり夕暮れに染まる頬? 胸の奥がキュッてして照れくささとぬくもりに満ちあふれるような、少女漫画かドラマにでもありそうなシチュエーション? そうね、アタシも同じかも。

 だけどアタシのひと夏の恋は青空どころかゲリラ豪雨まっただなかだったし、頬どころか顔面いっぱい雨と涙でグチョグチョで、気の利いた言い回しなんてできないまま「好き」しか言えなかった、物語のクライマックスのロケーションとしてはないでしょってカンジの結末だった。

 それでも、それでもよ。

 大事なアタシの一部なの。カッコつかなくてみっともなくて思い返すたび心臓がギュウッて痛くて泣きそうになるけど。恥ずかしい、床を転がりまわりたくなるくらい青いアタシの話だけど。

 でもそれでもアタシには大切で、何にも代えられなくて、砂のなかに見つけたキラキラ光る小石みたいな存在なの。

 誰にも軽く扱われたくない話。アタシだけの、アタシの話。

 ね、わかるでしょ。誰だってヒトの大事な思い出を嫌悪感ある目で見られたくもなければバカにもされたくないでしょ。最初にアタシが言った意味、わかってくれた?

 でも月日が経ってアタシもオトナになったら、あの夏の音を炭酸からお酒に変えるように、大学生になったセンパイのように、いつかこの話を笑い話にして消費するのかしら。コドモの遊びだった、おふざけだった、って、嗤うのかしら。

 そんなオトナに、アタシはなりたくない。

 そんなオトナになるくらいなら、いつまで経っても何歳になっても昨日のコトのように思い出しては痛くて悶えて転がるアタシでいたい。いつまでも、新鮮な傷としてアタシ自身に刻んでいたいの。

 その後のハナシ? あのコとはいまも仲良しよ。そのうちいちばんの親友になって、あのコの友だちと言ってくれない友だちとやらにビンタしてやるんだから。

 だってやっぱりそうでしょ。お互い同じ気持ちだったら、幸せだし。ソレを伝え合えたら、もっと幸せ、って。そうじゃないかってアタシ思っちゃうから。

 友情でも、恋情でも。両想いがステキよね。

 ねえ、あなたにはある?

 こんなふうに、甘くなくて、辛くもなくて、少しだけしょっぱい、あなただけの大事な思い出。

 よかったら、聞かせてよ。




〈さよなら夏の塩/完〉

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