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名もなきモブ子の1ページ  作者: 早藤 尚
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思いの儘

 特別教室棟、三階の一角。階段からも遠くって夏は暑くて冬は寒い、窓を開けたって見えるのは中庭の端っこだけ。そんな、周囲からすればたいして用のない場所に、わたしは約二年間通った。

 こんなじめじめしたとこで放課後のほとんどを過ごしてたなんて友達が知ったら笑われるかも。どうだろう。悪ノリが好きなグループだから、理由を聞いても茶化さずにいてくれるかは怪しい話だった。

 だって。

 放課後は気になる人をずっと見てました、なんて。

 わたし自身、友達の口から言われたら、えー恋なの?とか、誰なの?、とか、本人をおいて盛り上がってしまうに違いなくって、でもそれってそんなノリで話されたい話題でもなくって。

 だからわたしは、結局誰にも言わなかった。仲良くしてた友達は誰も知らない。わたしがあの部屋に通っていたことを。

 わたしだけの秘密、だったのは三年生になるまでの話で、ある日の放課後、わたしに遅れて新たな女子生徒がやって来た。

 窓際にもたれてぼんやり中庭を見るわたしと同じように彼女も窓の向こうへ視線を落とす。だてに何ヵ月もここから外を眺めてなんかいない。わたしにはわかる。だってここから見えるのは、中庭しかないんだよ。中庭の、それも端っこだけ。あんまり人通りのない、端っこにある、……花壇、だけ。

 わたしにはわかる。

 彼女はわたしと一緒。

 誰にも冷やかしを受けずに、ただ見ていたい人がいるだけ。

 だからわたしも声をかけなかった。彼女も声をかけてこなかったし、お互い挨拶もしなかった。する必要なんか、なかった。

 唯一会話らしい会話をしたのは、わたしと彼女が見ていた花壇に、見慣れない可愛い女子が訪れたときくらい。ふたりとも揃って腰をあげて、「えっ?」って思わず声に出して、それから無言で顔を見合わせたっけ。いま思い出してもおかしくって笑えちゃう。

 その出来事は杞憂に終わったけれど、それからわたしと彼女の間に妙な連帯感が生まれたのも事実。

 だけどやっぱり会話はなかった。

 なんでだろ、わかんない。わかんないよ。

 話しかけることもできた。挨拶をすることも。わたし達は、それを端から諦めてたのかな。どうせ手が届かないからって、諦めて、綺麗な花みたいにただ愛でていたのかな。

 わかっていたのはわたしはこの気持ちを何とも呼べていなかった、それだけだった。

 気づけば目で追ってしまう人がいる。気づけば声を聞きとってしまう人がいる。ことばや、しぐさ、ひとつひとつを知るたびに嬉しくなるわたしがいる。確かに、いるのに。

 友達の前では口に出せない。ましてや本人の前でなんて。こんないまどき少女漫画でも使わないような、熱のある視線、だとか舞い上がる気持ち、だとか、を。

 気持ち悪がられたらどうしよう。

 遠くからいつも見てくるだけの視線を、笑わない。わたし自身が、しないとは、言い切れないから。これまで、してこなかったとは言い切れないから。

 結局はわたしのためだった。わたしが傷つきたくないからだった。友達に打ち明けられなかったのも、あの教室から眺めるだけの関係から進めなかったのも。

 ハッキリと目の当たりにしてしまうと、わたしが困るからだった。

 モヤモヤしたままのまだ何でもない気持ちをずっと抱えていたかった。

 これが『何』なのかわかってしまったら、わたしは心のなかにそれをしまう場所を作らなくちゃいけないから。整理して、ラベルを貼って、よく見えるところに。『それ』のためのスペースを。

 わたしはずるくって卑怯な女です。

 名付ける前なら、勘違いしたっていいでしょ。

 ただの憧れだって、ごまかしたっていいでしょ。

 だって、『それ』の正体を知らないんだから。

 わたしは清楚な乙女じゃないもの。くだらない話を大口開けて笑って、息をするように誰かをイジって笑う女なの。友達だってそう。みんなそう。ずっとその井戸のなかで過ごしてきたから、これ以外の大海を知らないの。ううん、知ったけど、でも、どうしていいかわかんないの。

 わたしが毎日見てきた人は、びっくりするほど綺麗で、優しくて、摩擦のない人だった。荒れた肌を、ふんわり撫でていくような、そんなことばを、口にする人だった。

 わたしとは、何もかも違いすぎて。

 冗談に乗せないと、嘘でも話に出せやしない。でも、茶化されるのはイヤで。

 ほんとに、わたしはずるい女だった。


「……もうすぐ、卒業ですね」


 いくつもの気持ちを宙ぶらりんにしたまま、わたしは三学期になってもまだ中庭の花壇を見下ろしていた。自由登校の時期だからか、それとも忙しいのか、姿を見る機会もずいぶんと減ってしまったけど、自然と足が向いてしまうんだ。だって二年だよ? 高校三年間のうちの二年なんて、青春のだいたい全部だし、その半分を一緒に過ごした彼女とも、会話こそなかったけど……顔馴染み以上の何かに、きっとなれたと思う。

 もうすぐ卒業ですね。

 誰が、とは言わなかった。

 今年卒業するのは、緑色のネクタイの学年。


「……気持ち、変わると思いますか」


 誰の、何の。彼女はやっぱり言わない。でも、わたしにはじゅうぶん通じた。


「わかんないよ。ずっと会わずに、名前も忘れて、顔も忘れて、わたしの毎日から何もかもなくなったら、」


 そう。忘れる、のがいちばんいい方法。忘れられたら、たぶん。わたしは楽になれる。

 でもあいにくそれは難しかった。

 だってあの人は、ステージに立つ人だから。この先、ネットとか、雑誌とかで絶対顔を見るだろうし、わたしだって応援したいと思ってる。これは応援の気持ちだと、ごまかして思い込んでいられるから。そんな名ばかりの気持ちでも、受けとってもらえるから。

 わたしは、ファンの皮をかぶったとんだ悪人だ。


「先輩」


 彼女が立ち上がる。わたしのそばにきて、そっとスマホの画面を見せてくれた。


「SNSで繋がりませんか」


 ダークモードの画面には彼女のものらしいアカウントが表示されている。


「SNS?」


 そりゃわたしだってアカウントくらい持ってる。情報を追うならSNSがてっとりばやいもの。

 彼女はこくんと頷いた。


「競争しましょう。どっちが先に、ただのファンになれるか」

「競争、するの?」


 うん、と彼女はまた頷く。

 ただのファン。いまのわたし達からはとても遠い立ち位置だった。


「なれるかわかんないよ、わたし」

「あたしもです」


 早々の敗北宣言にわたし達はふたりして笑った。

 いつかこの気持ちを『 』だったと呼べる日がくるのかなあ。過去形で、さっぱり笑って、『 』だった、って。

 そのとき、わたしからあの人にかけることばは、何のごまかしもない、まっすぐな想いだったらいいと、わたしは思う。

 だから、まだ。

 わたしはこの気持ちを、『 』とは呼ばない。




〈思いの儘/完〉

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