酔っ払いが参ります
疲れた……。
毎日会社に行き、昼食を挟み、帰って来てからは一人孤独の食事を送る。
変わらない日々が十年以上も続いて、軽い鬱病になっていた。
ぐでぇ。
そういう時はお酒に頼る! お酒は嫌な現実から何もかも忘れさせてくれる。まぁ、現実の一時逃避に過ぎないので、明日になれば出勤だ。
それでも、一時的にでも忘れられるのは助かった。
数年後。
後輩も増えて失敗の謝りに行く機会も増えて、ストレスが増々加速した。
ほぼ毎日居酒屋に通う日々。二日酔いにならないギリギリまで飲んでもスッキリしない。
「もーダメだ―! 嫌だあああ!」
「なら、体を動かして見れば?」
居酒屋の女将に勧められたのは、ミットネスというもの。キックボクササイズだけど相手は基本サンドバッグで、幾らでも好きに殴って良い。
おお、スッキリ。
いつぞや、この快感から抜けられなくなり、まだまだ会社で頑張れる気がした。
ーー質の悪い集団が出来た。
会社の人間関係で一番恐ろしいのは何といっても女同士の関係で、一度落ちると見下され、とことん虐めに等しい行為を受ける。性格の悪いグループが出来ると、会社に行くのも鬱になる。
いつもの居酒屋で、もう無理だと悟った。
これ以上やって行ける気がしない。
「死んじゃおっか」
口に出すも怖いのだ。死ぬのは苦しいし、何といっても生んでくれた親に申し訳がない。
「やり直したーい」
居酒屋で酔っ払いがよくわからん愚痴や独り言を周りの目も気にせず喚くのは、本能の現れだから仕方がない。当事者になってようやくわかった。
何度も何度も溜め息、項垂れを繰り返した。
意識が消えていって、眠くなった。
「女将ー、今日はここで寝るー」
「はいよ。さぞ楽しい夢を見れると良いね」
明日はここから出勤か。精々酒臭くならないよう、香水でも付けてから行くとしよう。
そんな存在しない明日への想いを最後に、意識は完全に途絶えた。
*
トンカチで殴られているような痛みが頭を襲う。
二日酔いしたぁ。
頭痛い。仕事に行く準備、しなきゃいけないのに。
立ち上がろうとすると、再び痛みが襲い掛かる。到底立てそうのない痛みに、少し休むことにした。
休むにしても何分休むか、時間を見て決めないと。
「えっ」
まだ夢の途中だった。視界に入ってきたのは、明らかに日本では見られない光景。
広々とした空間に、数多くの椅子とテーブル。受付の奥はやや以上全開未満の女性スタッフ。他にも二人いるけど、その受付だけ列が出来ている。
そして何と言っても、武装集団がいる。
膝に巨大な刃物を持っていたり、老後に使う杖とはまた違う、魔法使いの杖のような物を持っていたり。
まっ、夢だもんな。
まだ寝ているらしき自分に焦ることはあっても、まーさかな事実に驚くことはない。
夢は夢であって、二日酔いがもたらした産物。時期冷めるだろう。
しっかし、珍しい。
夢って意識がボヤボヤで、こうもハッキリした夢を見たのは初めてだ。二日酔いの特典付きだけど……。
しばらくして頭の痛みが和らいだ。これなら動ける。せっかく意識があるのだから、夢の世界を楽しむことに。
外は中世的な雰囲気が漂い、コンクリートの都会とは全く違う。歩いていて楽しさがある。
途中、陽の光を反射する石を見つけた。覗き込むと顔が見えて「さすがは夢の世界、顔も綺麗になってる!」ついはしゃいでしまい、周りの目が痛かった。
「さて、何からすべきだろう? 夢だし目的とかないんだろうな。ダラダラ過ごせばいっか」
目標もなくダラダラと生きよう。
決意を胸に街の外周に向かって歩き出す私に、勢いのある小さな動物がぶつかった。
軽く受け止めて支えると、小さな男の子だった。
「す、すみません!」
そう言い残すと、足早に過ぎ去っていった。
足早いなぁ。
遠くなる影を他所に、夢の世界の外へ。
夢の世界は実にファンタジーを忠実に再現している。
モンスターもいるし、格好もコスプレに近い。
緑豊かな原っぱに、雑魚モンスター代表のスライム。他には少し強そうな兎型の動物がいる。角が生えているところを見ると、モンスターの類だろう。
戦って、みる?
答えはノー! なぜって可愛い生き物を殴れるほど腐っていないからだ。
側に寄っても襲って来ない点を踏まえれば害はないんだろう。無害な動物を殴ってまで強くなりたいとは思わない。
ずーっと眺めていようか。
ずーっと。
ずーっと……。
…………。
いつになったら現実の私は目を覚ますんですかね。
そろそろ起きないとやばいよ? 遅刻したら水掛けられはしないだろうけど、めっちゃ睨まれるよ?
女将、起こして。
「女将さん、現実の私を起こしてください!」
平和な原っぱに、声だけは寂しく響き渡った。
誰も返事をしない、何も変化は起きない。
もしかしなくてもと思い、頬を抓ってみる。痛い。
・
・・
・・・。
酒の臭いを感じていた。
顔も知らない男の子にぶつかられて、人の体温を感じていた。
モンスター、コスプレ衣装は田舎だとしても有り得ないとは言わないがまずない。
ああ、そうか。
ここは夢ではなくて、現実なんだ。
*
あれから一日、空腹で夢でないと理解した。
酒に酔ってフラついて死んだ、妙な道に迷い込んだ、可能性は多々あるものの、優先すべきは食べ物。
「お腹が空いた。でもお金がない」
持っていたはずの財布はなく、夢と思い込んだ私の顔も体も服も持ち物も、全てが一変している。持ち物もゼロという絶望的で、お腹を満たすパンの一欠片もありゃしない。
お金を稼ぐ方法を探さなくては。
いきなりで状況理解も出来ない私が本能で最初にやるべきことを理解し、アルバイトで良いからないかな、と周囲を見渡す。
字が読めません。
知らない場所に連れて来られて字すら読めない。幸い声は日本語で解釈出来るけど。
だったらと聞いて回るかことにした。言葉も通じなかったら詰んだが、話せるならある程度何とかなるはず。
露店を営業しているおじさんに、求人はないか尋ねてみた。
「来たばかりで仕事探しているんですけど、何かありませんか? 字が読めないんですが」
「仕事、ねぇ。ここは小さな街だから、あんまり他所から来た人を雇う余裕はないんだよ。ギルドに行ってみたらどうだい? あそこは誰でも歓迎なはずだよ」
「それってどこにありますか? 目印があれば教えてください」
教えてもらった通りに道を曲がる。どれも背の低い建物ばかりの中、スカイツリー並に目立つ一個の建物がある。酒臭く、一度来たことがあった。
相変わらず一個の受付は混んでいる。男性が多く、受付の人の表情があまりよろしくない。仕事を選べる立場じゃないんだろうけど、接客にしても露出狂みたいな格好は嫌だな。
空いている受付に並び、順番を待った。
「どうぞ。あ、先程はすみませんでした」
一瞬ぶつかった関係なのに覚えていたようだ。
まだ十代前半だろうに仕事を。こちらは露出控えめの大正浪漫な格好が周りと一風変わっている。
「気にしないでいいって。それより、何か仕事ありません? 食べるお金もなくって」
「なるほど。僕も同じなんですよ。家族の分を稼がないといけないので。受付の方がまだ足りていないので、よければどうですか」
「サラッと結構なこと言ったけど。さすがにああいう格好はきついから、他のが良いんだけど。欲張りでごめんなさい」
「いえいえ! ギルド長の趣味で……。他の人は普通なんですけどね」
ウェイターの服装は確かに普通だった。
「他に仕事ですと……」
男の子は資料を漁りながら探している様子。適当に流さないところは、小さいながらも立派に働いているなと尊敬出来る。私はたまーにだが、適当に仕事を済ませた記憶が。
「希望ありますか? 何か特技があれば活かせるかもしれません」
「うーん、特技かぁ。エクセル、ワード、パワポ……ないですよね」
「さ、探してみます! 少々お待ちを」
パソコンも携帯もここに来るまで見ていない。街灯もないのだから、技術発展はまだまだなのだろう。データ入力の仕事があるとは思えない。
肉体労働、になるのか。
男の子の悩ましい表情にストップを掛けさせる。このまま無理に探させるのも忍びないし。
「変な店とかじゃないなら、肉体労働でも良いです。ありますか?」
「ギルドがその一つですが、他がいいですか?」
「ギルドって何するの? あ、何をするんですか?」
「畏まらなくていいですよ。冒険者の皆さんも気にしない人が多いですから」
そういうわけにもいかないが、口を挟む前に説明が始まった。
冒険者ギルド。
職業を冒険者とし、モンスターの討伐から工事現場への派遣まで何でもござれ。
「薬の材料の採取もありますから。戦闘が苦手でも問題ありません」
それは良い。可愛い動物ことモンスターを殺すのは抵抗がある。
登録する必要があるようで、アンケート用紙に記入をしていく。
「えっと、ここには何を」
氏名、住所などなどに違いはないのだけど、字が読めないそして書けないのだから、手間は掛かるが頼むしかない。
「書けないのでお願いしても良いですか……」
迷惑な客ですみません。
心の中で謝って、一枚の紙と交換にカードを渡された。
「力強く握ってみてください」
言われるがまま強く握る。画面が浮き上がって、色々と表示されたが読めない。数字は読めたが、どれも二桁に届かない。
「戦闘経験のない方は平均なので落ち込まないでください。あとはスキルと魔法ですが」
ですがで止められて、良いことを言われた覚えがない。
男の子の顔から察するに、よろしくないのはわかる。
けれど教えてもらわないと。こっちは自分で確認出来ないんだから。
「いいかな」
そうして男の子は、儚い事実を私に告げた。
「スキルも魔法も、覚えていません。ほとんどの方は一つや二つ初期から覚えているのですが」
そうか、なるほどスキルや魔法があるのかそして私にはないのか。
「理解しました。英雄になりたいとかじゃないので、簡単に出来そうな仕事をください。薬草の採取。知識がない人が見てもわかりますかね」
「もちろんです。初心者用のクエストですので」
「じゃあそれを」
頭では平凡で良いって思っていても、本心だと特別だった方が良かったなっていうのがある。しかも落ちこぼれとなるとズモヤモヤする。
「ま、のんびり頑張りますかね」
薬草を採取しながら半年が経った。
草ばっかり毟っていた私は気が狂い始め、お酒に入る。女将のお酒に比べれば美味しいとは言えないけど、飲めばそこそこ忘れられた。
特に変化のない世界。八カ月ほどで限界を迎え、日本にいた時同様、サンドバッグを探した。モンスターも一度は考えたが、可愛くて撫でることは出来ても殴ることは出来なかった。
外国の文字を読めるようになったり、常識について知ったり。けれど、冒険者としては三流のまま。その証拠に、モンスターを倒していないからレベルも上がらず、他と比べる気もなくなり、強いのか弱いのかさっぱりだ。
「今日と明日の分はこれでいっか」
木が倒れ掛かってきたのを手で振り払い、森を降りる。しつこかったので一発蹴りを入れてその場を離れた。
暴力じゃない、正当防衛です。
相変わらず混んでいるギルドの中。列も変わらず、一箇所だけが並んでいる。
お馴染みの男の子ーーケンの受付を選ぼうとしたが、今日は閉鎖されていた。
「今日はいないのか」
残念。他を当たりに行こうとした途端、足元が揺れた。
「皆さん! モンスターの大群が押し寄せてきます!」
それは大変だ。って他人事じゃないか。
ギルドを駆け抜けて行く冒険者たちを見ながら思うのだ。あれほど屈強な男性や女性が武装している中、武具の一つもない私が行って役に立つのか。
いつも世話になっているし、住民の避難くらいは出来るだろう。
私は街の外へ行き、避難を手伝うことにした。