ダンジョンとは
自室から出ていってしまった上様と深森の後を慌てて追いかけた先にあったのは、江戸城の書庫だった。
新しい江戸城の中でも特別大きな一室で、いくつもの本棚がならんでおり、いくつもの机が並んでいて……そんな書庫の中央にいくつもの机が寄せ集められていて、その上にあの箱が置かれている。
黒い木箱のようなそれには蓋が無いようで、側面の一部が切り取られるという形での開封が行われていて……そこにはこちらの世界とは少し違う様式の、鉄製と思われる表紙の本が何冊も詰め込まれていた。
そのうちの何冊かが抜き取られていて、それを書庫の職員なのか何人かの人間とコボルトと、江戸城務めと思われるエルフとドワーフと、そして上様と深森が読みふけっていて……その全員が無言で、身動ぎすることなくただただ本の頁だけをめくり続けている。
声をかけるのは無粋で、かといって異界の言葉を知らねぇ俺じゃぁ読むことも出来なくて、そんな様子をただ静かに見守っていると……深森がぺらぺらと物凄い勢いで頁をめくりながら声を上げる。
「……あちらの世界でも『ダンジョン』が何かはよく分かっていなかったようですねー。
あ、ダンジョンといってもあちらで言う所の『魔物の巣』って意味のダンジョンじゃないですよー、こちらで言う所の『異界迷宮』って意味のダンジョンのことです。
凄くややこしいんでアレなんですけどー、あっちには普通にあったんですよね、魔物の巣、ダンジョンと呼ばれる存在が。
だからこそこっちでもその名が使われてる訳で……こっちで言う所のダンジョン、異界迷宮はあっちでは『鉄の悪魔の迷宮』と呼ばれていたようです。
そう、鉄の悪魔……あっちの世界にあった異界迷宮には魔物ではなく鉄製の何かが出現していたようですね」
そう言って深森は手にしていた本を広げて、そこに書かれていた挿絵を俺達に見せつけてくる。
「記録では鉄の悪魔とか鉄のゴーレムとか言われていますけど……記録を読む限りこれ、多分『機械』ですよね、歯車のようなものがあって、動力炉のようなものがあって……機械的に同じ動作を繰り返す鉄製からくり人形、かな。
今のワタシ達じゃぁ到底作れないとても高度なものですけど……ワタシ達は知っていますー、この技術が発展したなら、何百年か先の未来ならば、こういったものを作れるだろうことをー。
……つまりあちらの世界は、ワタシ達の数百年先を行く、そんな世界と繋がってしまっていたんでしょうねー」
深森が見せてきた挿絵には……なるほど、鉄人形というかからくり人形というか、鉄の魔物というか、そんな存在が描かれていて……確かに見ようによっては機械というかなんというか……今このお江戸で発展しつつある『技術』の片鱗を垣間見ることが出来る。
「こちらとあちらの世界が繋がって出来たダンジョンには、あちらの魔物が出てくる。
そしてあちらの世界と何処かの世界が繋がって出来たダンジョンには、何処かの世界の『住人』が出てくる。
数百年先の技術を持つ、超文明世界とでも言いましょうか、そんな世界の住人が……。
そしてあちらの世界の人々はそんな迷宮と鉄の悪魔のことを『魔法』でどうにか解明しようとしていて、何年も何十年も魔法的な手法で研究をしていたようですね」
クロコマの符術を見て分かる通り、魔法とはよく分からない力で、今盛んに研究されている技術やら学問やらとはまた別の道を行く力で、それで機械を……どうしてそう動くのか、どうしてそういう結果になるのか分かっている、からくりを解明しようとしたってのはなんとも遠回りなことをしちまったなぁと思ってしまう。
とはいえ、挿絵に書かれている機械人形はとても複雑な……江戸城務めのドワーフでも理解しきれないめちゃくちゃな作りをしているようで……それを機械を知らねぇ人間に技術的に学問的に解明しろってのも無茶な話なんだろうな。
「……そして研究の結果は、何もかもが謎。
特に鉄の悪魔に関しては何も分からず、せめてその死体……と言いますかー、残骸を持ち帰れたなら色々発見もあったのでしょうがー、ダンジョンの『敵』を……こちらで言う所の魔物を連れ帰る事はできませんからねー。
あくまで持ち帰れるのはドロップアイテムのみですからー……どうにも難しかったんでしょうねー。
でもダンジョンの仕組みについてはいくつかの発見をしていたようですねー、さすが魔法の本場、そこら辺のことに関しては一日の長がありますねー。
……あくまで結論には至っていない仮説の段階のようですが、どうやら向こうではダンジョン……異界迷宮のことを、世界のかさぶた、と考えていたようですねー」
その言葉に書庫の一同の手が止まる。
読んでいた本から目を話し、誰もが深森の方を見やり……今の言葉は一体どういう意味かと、その視線でもって問いを投げかけている。
「世界に亀裂が入り、違う世界から何かが流れ込み……その亀裂を塞ぎ、修復するためのかさぶた。
こちらとあちらで言うなら、世界に亀裂が入って、その亀裂からコボルトさん達やドワーフさん達、ワタシのご先祖様であるエルフ達が流れ込んできて……その亀裂を修復するためにダンジョン、異界迷宮が出来上がった。
あるいはダンジョンそのものを世界の『傷』と考えても良いようですね。
……あちらの世界では病気の原因を魔法の力で特定していました。
病気の原因はこちらで言うところのケガレ……つまり病原菌でしてー、目に見えないそれを魔法の力で感知して……その様子を魔法で監視しながら、どの薬草が効くのか、どういったお薬が効くのかっていうのを、繰り返し実験したことで、エルフの薬学はものっすっごい勢いで発展したんですー」
突然そんなことを言い出した深森に対し、俺を含めた書庫にいた一同は目を丸くする。
ダンジョンの話が突然、何だって薬学の話になったのかと訳も分からず困惑していると、深森は俺達に「分かっています、分かっています」とそんなことを言ってから、言葉を続ける。
「そしてエルフ達は、病気に対抗する力……免疫機能についても魔法の力で解明していました。
皆さんも知ってますよね? 免疫の力。白血球の力……傷口に病原菌が入り込んだら、白血球が病原菌に襲いかかってそれを排除しようとするんですよー。
……つまりですねー、あちらの世界の人々は、異界迷宮に出現する鉄の悪魔を、世界の免疫であると考えていたようなんですよ。
ダンジョンに入り込んだ犬界さん達に襲いかかる魔物達も同じですね。
……魔物の姿をしている幻影、何度でも繰り返し登場する魔物の姿をした白血球……。
つまりダンジョンにとって……いえ、世界の傷にとって犬界さん達は、傷を膿ませる病原菌って訳ですねー。
……まぁ、その説でいくと、なんでドロップアイテムが出てくるのかってことの答えが出ませんけども……そこら辺の説明不足はあくまでこれが仮説、研究中の説の一つだったってことでご容赦くださいー」
そう言ってこてんと小首を傾げる深森。
その態度に小さな苛立ちを感じた俺は……心の中で舌打ちをしてから、あることが気になって深森に問いを投げかける。
「世界の傷……かさぶた、ね。
すると何か? いつかその傷は『完治』しちまうのか?」
すると深森は小首を傾げたまま、事も無げに答えを返してくる。
「はい、そうなりますね。
実際にあちらではしたようですよー。
鉄の悪魔の迷宮が消滅し、消滅した段階でそれ以上の研究は不可能となって……この本にもその旨が、研究を中断せざるを得ないことへの著者の無念が綴られていました」
その言葉を受けて、俺達は小さな……長いため息を吐き出す。
俺達に様々な恩恵をくれているダンジョン、あちらに帰りたがっている者達にとっての最後の希望であるダンジョン。
それがいずれ……いつそうなるかは分からねぇまでも、いつかは消えちまう可能性が高い。
そうと知って俺達はため息を吐き終えてから口を開き、
「なるほどな……」
「あー……」
「マジか……」
「まぁ、いつまでもって訳にはいかねぇよな……」
と、そんな言葉を吐き出すのだった。
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