大猪鬼戦 その2
「何かあったらすぐに戻ってこいよ! 俺の目が届く範囲なら秘銃での援護が出来るし、縄梯子もいつでも引き上げられるようにしておくからな!!」
そんな狼月の声を背に受けながら、縄梯子を降り、洞窟へと降り立ったポチは仲間と共にゆっくりと慎重に足を進めていた。
大猪鬼が逃げた先……天井にある扉から降り注ぐ光が届かぬ闇の向こう。
じっとりとした空気が支配する洞窟の奥へと向かって足を進めて……そうしながら突き出した鼻をすんすんと鳴らす。
耳もしっかりと立てて髭を揺らして、全身の毛を逆立たせて微妙な空気な変化をも感じ取って……。
そうしていると背後から更に、
「良いか、本当に無茶だけはするんじゃないぞ!
別にアイツを倒す必要はねぇんだからな!!」
と、そんな狼月の声が響いてきて……その声を立てた耳で受け止めたポチは口元を小さく歪めて苦笑する。
狼月の臆病とも言える慎重過ぎる程慎重な性格には、今まで何度も助けられてきて、これまでのダンジョン攻略が無事に成功してきたのも、その性格のおかげと言えるだろう。
平和を愛し、穏やかな日々を愛し……それを壊す者を憎み、徹底的に排除しようとし。
そのための準備を怠らず、準備に大金をかけることを良しとし、過剰な準備をするくらいで丁度良いとすら考えている。
そんな性格は吉宗様直属の御庭番時代にも良い方向に働いていて、狼月と一緒に行動していたポチは、そのおかげで何度も何度も吉宗様にお褒めの言葉を頂くほどの手柄を立てることが出来ていた。
そのことに深く感謝しているし、友人として狼月を敬愛もしているし……その性格も好いてはいるのだが……だが、それはそれとして、男たるもの、コボルトたるもの、時にはその内に秘めたる冒険心に従っての行動をしたくなるものなのだ。
記録が無かったことから察するに、恐らくこの洞窟はダンジョンの調査をしていたエルフやドワーフ達も発見していない……前人未到の未知の空間だ。
そんな空間を発見したのだから自らの手で鼻で、調査してみたくなるのがコボルトというもので……そのために命を落とすことになったとしても、それを悔やむことはないだろう。
もし仮にそうなったら……狼月や家族、ネイや吉宗様が酷く悲しむだろうから、出来る限りそんなことにならないようにと気を付けはするが……だがそれでも沸き立ち弾む冒険心を抑えることは出来なかった。
それは何もポチだけに限ったことでなく、ポチの後ろに続くシャロンやクロコマも同じような心境であるようだ。
それもそのはず、二人もポチと同じコボルトで……それぞれが興味を持った薬学と符術という未知なる世界に足を踏み込み、邁進してきた者達である訳で……ポチが学問にのめり込んだのと同様、全てはコボルト特有の冒険心から来るものだった。
不安は無い、恐怖は無い、我らにはこの鼻がある、耳がある、ふさふさの尻尾がある。
そんなことを考えてポチ達は……一応は狼月の慎重さを見習って、ゆっくりとじっくりと……警戒心を高めながら洞窟の中を、道のようになっている空間を進んでいく。
ある程度足を進めて、天井から降り注いでいた光が完全に届かなくなった辺りで、ポチ達は用意しておいたコボルトに合わせた大きさのカンテラを取り出し……明かりを灯してからしっかりと腰紐に固定する。
コボルトの目ならばその程度でも十分な光源と成り得る。
そもそも頼れる鼻と耳があるのだから、無くても十分なのだが……それでも念の為というやつだ。
そうやって灯りも頼りにしながら洞窟の奥へ奥へと足を進めていくポチ、クロコマ、シャロン。
それぞれの手には小刀と、符術の符と、投げ紐が握られていて……いつでもそれらを使用できるようにしながら、この先に逃げたはずの大猪鬼の後を追う。
「思ったよりも広いのう。
……いや、あの大猪鬼の体格を思えば狭い方……なのかのう?
狼月はあの大鉈のことを驚異と考えていたようだが……こんな洞窟で振るうにはいま一つ向いて無さそうだのう」
足を進めてしばらくした頃にクロコマがそんな声を上げてくる。
「そーですねぇ……。
ただあれだけの体格だというのに、あんなにも鋭く動き回れる膂力のことを考えると……壁や天井に大鉈が当たったとしても、その膂力でもって無理矢理に振り回してきそうですねぇ」
「……壁や天井を破壊しながら、か?
ダンジョンの壁なんかは破壊はできんものなのだろう?」
「それはあくまで僕達には不可能という話で……ダンジョンに住まう、あちら側の生き物である魔物達がどうかは今でも謎、なんですよ。
そればっかりは試しようがないですし……ダンジョンごとに法則が違うことを思うと油断はできませんね」
「確かにのう。
そもそもこの洞窟の在り方自体、道理に合わんもんだからのう。
……何をどうやったらあんな原っぱの真下にこんなものが出来上がるのか……。
ワシらの常識で計らんほうが良さそうだのう」
そんな会話をポチとクロコマがしていると、コボルト三人の体毛が……逆立たせてちょっとしたそよ風でも揺れる状態にしていた体毛がほんの僅かに、見て分からない程度にふわりと揺れる。
歩いていたから体毛が揺れたというのとは全く違う、どこからか流れてきた空気に撫でられてそうなったのを感じ取ったポチ達は、すぐさまに飛び退き、散開し……いつでも戦えるよう、逃げられるように戦闘態勢を取る。
するとカンテラの灯りに照らされた通路の奥の奥から確かな気配が近づいてきて……怯えた表情を浮かべながら、その体を血に濡らした大猪鬼が姿を見せる。
大猪鬼は構えを取るポチ達を見るなり、驚き怯え、数歩後ずさったのだが……その大きな鼻をすんすんと鳴らし、周囲を見渡し……そうしたかと思ったなら突然表情を変貌させ、ニヤリと嫌な笑いを浮かべる。
それは恐らく狼月が……秘銃を持った狼月がこの場に居ないことに気付いてのことだったのだろう。
自らを傷つけたあの武器がここには無い。
あの嫌な匂いを発しながら凄まじい攻撃をしてくるあの武器の使い手がここには居ない。
ここに居るのは小さく非力そうな……三つの毛玉だけ。
……じっとりとした湿った空気が支配する空間で、大猪鬼はなんとも嫌なじっとりとした笑みを浮かべ続ける。
そんな笑みを受けて小さなため息を吐き出したポチは……通じないと分かっていながらも、ついつい大猪鬼に話しかけてしまう。
「……知ってますか?
人間って鼠を退治するのに罠を使うとか、猫の手を借りるとかするんですよ。
相手が小さすぎて、素早すぎて、自らの手では捕らえられないから……そうするしかないんです。
……お前と僕達の体格差もそれと似たようなもので……お前のその図体で、この僕達が捕まえられますかね?」
そう言ってポチが小刀を構えた瞬間、大猪鬼の大鉈が振るわれる。
上から下へ、鼠を棒で叩こうとする人間のごとく、凄まじい勢いで。
するとポチはひらりと横に飛び退きながら小刀を振るい……シャロンは後ろに飛び退きながら投げ紐を回転させはじめ、クロコマは回避しながら駆け出し、駆けながらそこら中の床や壁にペシンペシンと符を張り始める。
『ヌグォォォォォォォォ!!』
攻撃があっさりと回避されたことを悔しがったのか、それとも傷が痛むのか……そんな大猪鬼の大声を合図に、コボルト達の戦いが始まるのだった。
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