薬師
天ぷらを存分なまでに堪能し、腹をいっぱいにして天ぷら屋を後にした俺達は江戸城平川門近くの医薬通りへと足を向ける。
「油っぽいものを食べた後はやっぱり薬膳粥だよな。
あれでもって腹を落ち着かせてやれば、もたれることもなくすっきり爽快ってもんだ」
「良いですねー、生姜に本葛、コボルトクルミ!
それとエルフハーブもあれば文句無しです!」
「……ポチはコボルトクルミさえありゃぁなんでも良いんじゃねぇか……?」
そんなことを俺とポチが言い合う中、膨らんだ腹に手をやって少し気にした様子のネイも無言ながらこくりと頷いてみせて、それで構わないと伝えてくる。
綱吉公が積極的に蘭学を取り入れたことに加えて、コボルト、ドワーフ、エルフ達から全く新しい薬草やら知識やらがもたらされたことで、一気に発展することになった医学薬学を、腰を据えて研究し、大きく発展させようという目的で整備されたその通りには医学薬学に関連した様々な店やら学問所やらが軒を連ねている。
『ここに来たなら誰でも医学を学べる、ここに来たなら誰でも健康になれる』
と、そんなお題目でもって綱吉公が太鼓判を押した医薬通りの効果は絶大で……綱吉公の時代の前と後では、人々の生活の在り方とその価値観が大きく変わったとまで言われている。
手洗いうがいを徹底し、身体は勿論、家の中や衣服やらも清潔にし、旬のものを中心に、品目多く彩り良く食事をすることで病に負けない体を作る。
適度な運動をしたなら尚良しとされて……酒や煙草は害があるからと少しだけ肩身の狭い思いをすることになった。
そうして病は一気に減って、長寿になる者が一気に増えて……そうやって日々を穏やかに健やかに過ごせるようになったことも、今の太平を支えている一柱という訳だ。
「相変わらずここは薬臭いなぁ、おい」
医薬通りに入るなり、俺の口から思わずそんな言葉が溢れる。
ポチ達と比べてあんまり出来の良くない俺の鼻だが、それでもそこら中に漂う薬臭さは嗅ぎ取る事ができる。
そこら中の学問所や、通りに並ぶ屋台でもって、やれ漢方だやれ薬膳だのといった物が煮込まれていて……その湯気がもうもうと立ち込めているのだからそれも当然のことだろう。
今やその湯気すらもが健康に良いものだのなんだのともてはやされている有様で、通りのあちこちには散歩がてらに湯気を吸いに来た老人達の姿があるってんだからお笑い草だ。
しかしまぁ……この医薬通りのおかげで、七十歳、八十歳、九十歳を過ぎてもそうやって元気に歩けるというのだから、いやはやまったく凄まじいものだ。
そんな湯気を全身で浴びながら通りを歩き進んで行って……目的の薬膳粥屋台まで後一歩という所で、何か揉め事でもあったのか荒い声が何処からか響き聞こえてくる。
「どうやら平川門の辺りで何かあったようですね」
その耳をピンと立てながらそう言ってくるポチ。
耳の良いポチがそう言うのであれば間違いないのだろうと頷いた俺が、くるりと振り返ってネイの方へと視線をやると、ネイはこくりと頷いて、
「江戸城近くで揉め事となったらアンタの立場上、確認しない訳にもいかないでしょ。
ぼぅっとしてないでさっさといきましょう」
と、そう言ってくれる。
俺はネイに向けて「悪いな」との一言を返してから踵を返し、足早に平川門へと向かう。
……が、どうやら揉め事は、俺達が到着する頃には終わってしまっていたようだ。
何処へいったのやら荒い声の主の姿もなく、野次馬連中もつまらなそうにその場を後にしていて……ただ一人の、コボルトの姿がそこにあるのみ。
白い割烹着に白い頭巾に、真っ白な毛に、柔らかそうな垂れ耳。
優しげなその目を見るに……どうやら女性であるようだ。
そのコボルトは重たげな荷箱を背負いながら、誰かに押されでもしたのか尻もちをついて……悲しげな表情をしたまま立ち上がれないでいる女性の下に、俺とポチは驚かさないようにとゆっくりと足を進める。
そうやってある程度まで近付いてから、同種族であるポチが出来る限りの柔らかい態度で声をかける。
「もし、そこのお嬢さん、お怪我はありませんか」
すると女性は悲しげな表情を振り払って、気丈な表情をこちらに向けながらか細く揺れる声を返してくる。
「は、はい、少し転んだだけですから……大丈夫です」
「そうかい、ならよかった。
……で、一体何事があったんだい? 俺はこれでも江戸城勤めでね、何か揉め事があったってんなら相談に乗るぜ」
女性の目の前まで足を進めて、膝を地面に突き立てた俺がそう言うと……女性はおずおずと、少しだけ言い辛そうにしながら何があったかを話し始める。
「いえ、その……私、こう見えて薬師でして……。
それでその、ダンジョンへ向かう方の助けになれないかと、江戸城に入っていく方々に声をかけていたのです。
『医は仁術』……人を助けてこその医学ですから、少しでも助けになればと……亡くなる方を少しでも減らすことが出来たらと思ったのですが……江戸城に入っていく皆様からは……その、あまり良くは思われなかったようでして……」
と、女性がそこまで口にしたところで、俺達の様子を窺っていたらしい野次馬の一人、恰幅の良いおばちゃんから声が上がる。
「いやぁ、ほんっとにその子が可哀想になるくらいにひどいもんだったよ!
女のくせにとか、コボルトのくせにとか! そんな難癖つけて煙たがってさ!
最後の連中なんか、その子のことを蹴っ飛ばそうとしたんだよ!!
今時分のお江戸でコボルトにそんな態度を取るなんてね……妙な訛りをしていたし、余所者に違いないよ!!」
その声を受けて、俺とポチと、少し離れた場所に立つネイの口から「ははぁ」との声が漏れる。
綱吉公のお膝元であった江戸では、コボルトと共に在ること、コボルトと同じ家屋敷に住まうことは、綱吉公に習おうとのちょっとした流行を経ての常識となっている……が、他の地域、特に遠方ではそうではない。
綱吉公の威光も虚しく、コボルトへの差別意識なんてものを持っている不届き者までいる始末で……この女性はなんとも運の悪いことに、ダンジョン目当てに入り込んだそういった連中に声をかけてしまったのだろう。
「なるほどなぁ、災難だったなぁ」
と、そう呟いた俺は、顎を撫で回しながら女性のことを観察し……すぐ側に立つポチへと視線を投げかける。
するとポチは女性の顔や毛並み、その身に付けている道具やらをつぶさに観察して……そうしてからゆっくりと口を開く。
「僕は良いと思いますよ。
身なりは綺麗、身に付けているものは上質、道具に関しても丁寧に使い込んでいます。
性根も悪くないようですし……染み込んだ薬の匂いは、薬師としての経験の長さを物語ってくれています」
「ほほう……それほどかい」
「えぇ、ダンジョン内でのいざという時の助けとなることは勿論、普段の体調管理などでもありがたい助力を得られるに違いありません」
自分と同じコボルトにこれほどの薬師が居てくれたことが誇らしいと言わんばかりに、胸をぐいと張りながらそう言ってくるポチに、俺はこくりと頷いて……女性へと声をかける。
「なぁ、薬師のお嬢さん。
こう見えてこの犬界狼月とそこに居るポチもダンジョンに挑んでいる身でね……薬師として俺達の助けとなっちゃぁくれないかい?」
すると女性は、その口を大きく……顎が外れたのかと思う程に大きく開けて、ぽかんとした表情となってしまうのだった。
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次回新キャラについてとなります。





