仕立屋のコボルト
着物は基本的に、反物を買って自分の家で仕立てるもんだ。
だから裁断する際はやりやすい直線にし、余分な布は切り落としたりせずに畳んで丸めて縫い込んで、それをほどくことで成長に合わせて大きくしていくことも出来る。
直線に裁断しているから縫い直して反物に戻すのも容易だし、手入れも簡単で……そうすると仕立屋は何をしてるんだって話になるが、そういう素人仕事とはまた別格の上等な着物を作ったり、手直しをしたり、忙しい家の仕立てを引き受けたりすることで商売としていて……クロコマが今着ているような金糸銀糸を使った上等な反物の仕立てをするなんてのは、まさに仕立屋の仕事ということになる。
素人が怯んでしまうような上等な反物でも堂々と、しわを寄せることなくびしっとした仕上がりに仕立てて、何年使っても糸がほつれることのないようにしっかりと縫い合わせて。
それができなけりゃぁ評判が悪くなる訳で、評判が悪くなりゃぁ客が来なくなる訳で……そうならずに長年続いている老舗になると、そりゃぁもうものすげぇ職人達が跋扈するような魔境と化していることもある。
クロコマの幼馴染が働いているという仕立屋もそういった老舗と呼ばれるような仕立屋で、大通りから外れた、大きくて立派な屋敷が並ぶ静かな一帯に立派な屋敷を構えていて……古ぼけていながらも汚れ一つない暖簾がなんとも良い味を出していた。
大きく開かれたガラス戸を通り過ぎて、そんな暖簾をくぐって足を進めて……すると恰幅のいい中年くらいの、屋敷が立つんじゃねぇかってくらいに上等な着物を身にまとった女主人が、帳面を吊るした囲いの中でびしっと背筋を伸ばしながらの正座で、そろばんを弾いていた。
そんな女主人はクロコマを見るなり頬を緩め、そうしてから俺を見やってぎょっとし……ゆっくりと口を開く。
「ようこそいらっしゃいましたクロコマさん……それと犬界さん。
噂の犬界さんまでに足を運んでいただけるとは光栄の至りです。
あの子なら奥で仕事をしていますから、どうぞ遠慮なく顔を出してあげてください……本来であれば素人さんを奥に行かせたりはしないのですが、まぁ、御庭番の犬界さんなら職人達も文句は言わないでしょう」
ぎょっとしながらも冷静に静かにそう言って、慣れた様子でクロコマが履物を脱ぎ始め……一介の役人だった俺が随分とまぁ知られるようになったんだなぁと、そんなことを考えながら俺もまた履物を脱いで小上がりに上がる。
そうして女主人に礼を言いながら奥に進もうとすると女主人は、
「祝言のための一着でも日常の一着でも、反物の注文でも受けますので、奥様にもよろしく言っておいてくださいな」
なんてことを言ってきて……俺は「あいよ」とだけ返してクロコマと共に奥へと進む。
店先に見本として飾ってあった着物も反物も、どれもこれもが上等なものばかりで……屋敷が何件建つんだろうなって代物ばかりで、これ程までに上等なものとなると、商人のネイが手を出すとは思えねぇ訳だが……それでもまぁ、話をするくらいは構わねぇだろう。
クロコマとその幼馴染が世話になっているようだし、それくらいはな……と、そんなことを考えながら真っ直ぐに伸びる廊下を奥に進んでいくと、その左右に広がるいくつもの部屋に、忙しそうに働く職人達の姿を見ることが出来る。
裁断したり縫い合わせていたり、糊付けしたり皺伸ばしをしていたり。
端材と端材を組み合わせて新しい反物を作ろうとしていたり、エルフやドワーフが好む洋裁に挑戦していたり。
そんな職人達の数は結構なもので、その中にクロコマの幼馴染がいるものとばかり思っていたのだが……クロコマはそれらの部屋に視線をやることもなくずんずんと進み、廊下の突き当りまで進んでから、丁字になっている廊下を右へと折れる。
その先には大きな屏風が立っていて、関係者以外立入禁止の文字があり、構うことなくその先に進んだクロコマがその奥にあった障子戸を開けると、一人のコボルトが大きな反物を前に、これまた大きな針を構えての針仕事に精を出していた。
白と茶と黒の三毛で、その毛を糊か何かでぴっちりと固めていて……桃色の上等な着物を動きやすいように所々めくりあげて紐で縛り上げて、その仕事ぶりと目つきがいかにも熟練職人であることを漂わせている。
「……こいつぁすげぇな」
そんな姿を見て思わずそんな声が漏れる。
コボルト達は自分達の毛の柔らかさに誇りを持っていて、しっかりと手入れしふんわりと柔らかくすることに、結構な労力と銭をかけていたりする。
だというのに商品に毛をつけないようにするためなのか、それをわざわざ逆立てる方向に撫でる形でぴっちりと固めてしまっていて……。
あんな風にしたら糊を溶かすだけでも一苦労なはずで、溶かしたとしても変な癖がついちまうはずで。
本来であればふんわりと膨らむはずの毛を固めたせいで、体が細く貧相にも見えちまっていて……それでもそのコボルトはそんなことを気にもせずに、目の前の反物に真摯に向かい合っている。
「後少し一段落だからね、ちょっとだけ待ってくんなよ」
高く響く声でそのコボルトがそう言うと、クロコマは慣れた様子で部屋の隅に積み上げてあった座布団を引っ張り……俺の分も用意した上でそこにちょこんと座る。
それに続く形で腰を下ろした俺は……顎を撫でながら、さてこいつはどっちだろうな? なんてことを思う。
クロコマから話を聞いててっきり色恋沙汰なのだろうと思い込んでいたが……こうなるとどうなんだろうなぁ。
色恋関係なく職人として仕事をしただけのようにも思えるし……それでも色恋沙汰のようにも思えるし。
……っていうかクロコマよ、これの何処が奉公人だってんだ。
専用の部屋をもらって立派な反物を預けられて……仕事っぷりからしても立派な職人じゃぁねぇか。
これを見て何だって奉公人だと思っちまったんだ? と、そんな事を考えていると、一段落をさせたらしい職人コボルトが、針を針山に刺してからほっとため息を吐き出し……そうしてから立ち上がって、右奥にあった襖から部屋を出ていって……少ししてから俺達に、向こうの部屋から「こっちが休憩部屋だからこっちに来てくんな」と、そう声をかけてくる。
その声に従って立ち上がり……襖の向こうにあった部屋へと進むと、いくつもの箪笥と本棚が並ぶ光景と、それと浮世絵が何枚も壁に貼り付けられているといった光景が広がっていて……浮世絵が貼り付けられた壁の一画に不自然な間というか、意図的に作り出したような余地が出来上がっている様子が視界に入り込む。
それはまるでそこに飾ってあった浮世絵を慌てて剥がしたような余地で……改めて本棚の方をよく見てみると、まるで浮世絵のような紙束が半ば無理矢理に押し込まれている様子が見て取れる。
そしてその紙束の隅には『新進気鋭のダンジョン探索者、符術士クロコマ』との、浮世絵の題名と思われる文字が書かれていて……それを見た俺は、ああ、うん、今回の件は色恋沙汰で間違いないようだと、そう確信するのだった。
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