それから何日かが過ぎて
黒船の試運転の話はすぐに噂となって広まり……三日後には江戸中どころか日の本中が大騒ぎとなったようだ。
黒船のことを知っていたのは江戸城の何人かと俺達と、ネイのような吉宗様に目をかけられていた商人達と建造にあたった連中で、そのうちの何処かから情報が漏れそうなもんだが、吉宗様が気前よく金をばらまいたのと、隠密連中の活躍もあってそういうことは一切と言って良い程になかったようだ。
いや、何かを作っているらしい、なんらかの船を作っているらしい、それは鉄甲船らしい……と、その程度の情報は流れていたようだが、何しろダンジョンのドロップアイテムなんかを使っているせいで建材の総量が掴めず、どの程度の規模なのかが掴めず、未だに倒幕だなんだと古臭いことを考えている連中にとって黒船計画は、あの日のあの時まで何もかもが不鮮明で不確かな謎の計画で在り続けたという訳だ。
そんな状況での突然の試運転。
参勤交代が廃止されたのを機に倒幕を目論見……財力、軍事力を溜め込んでいた連中は、黒船の話を聞いて何を思ったのか?
それについては想像することしか出来ねぇが……さぞや良い顔で驚いてくれたに違いねぇ。
ネイの言っていた通り、黒船があれば日の本の縦断も容易になるだろう。
そんな船でもって軍や火砲を移送したなら……日の本中何処へだって奇襲攻撃が可能、ということになる。
黒船を持たねぇ連中はその逆で、この日の本列島の長ったるしい大地をえっちらおっちら火砲を担いで移動してこなきゃいけねぇ訳で……その道半ばで本拠が黒船によって奇襲されたとなれば、それでもうお終い……勝負にもなんねぇだろうなぁ。
幕府とやり合いたいなら自らも黒船を持たねばならず、黒船を運用できるような整備された港を持たねばならず……そんなことが出来るのはごく一部の連中だけであり、そんなことをしている間にお江戸は黒船の力で更に更に発展するに違いねぇ。
実質的な中央集権化は既に済んでいる。
後は古臭い藩って制度を終わらせる廃藩を行えば良いだけで……その抵抗勢力だった連中も今回の件を受けて方針転換、吉宗様に従うことにしたようだ。
敵対するよりも味方となってその技術を手に入れたい、その恩恵を享受したい。
そんな誘惑に抗うことはできねぇようで……前々から吉宗様に協力的だった越前、越後や明石、箱館の辺りで黒船が着岸出来る港の整備が始まっていた、なんてこともあってこの流れに乗り遅れちゃならねぇと必死になっているようだ。
……とまぁ、そんな話を俺は、組合屋敷にやってきた薬売りの男から聞いた訳で……その薬売りの正体とは御庭番の同僚、日の本中を行脚し情報収集やら監視をしている隠密の一人だった。
「いやぁ、あの黒船があれば今後は歩いて日の本の端まで行かなくて良いってんだからありがたいよなぁ。
幕府の仕事も薬売りの仕事も、遠方まで行く必要があるのだけが難点だったからなぁ」
組合屋敷の道場の中央にどかんと腰を下ろし、そんなことを半笑いで口にする、うっすら無精髭を生やし、髪の毛は適当にぼさぼさに伸ばし、薄汚れた旅装に身を包み、四角い薬箱を背負った何処にでもいそうな三十辺りの男。
これで吉宗様直属の御庭番の中で最強と名高い隠密だってんだから分からねぇもんだよなぁ。
いや、最強の隠密だからこそ、そうやって平凡の中に溶け込まなきゃいけない訳か。
ちなみにだが隠密連中がその身分を隠すためにやっている薬売りもまた、幕府からの命を受けての重要な仕事となっている。
エルフ達が調合してくれた麻疹などの流行病の特効薬や、各地の地方病の予防薬なんかを日の本中に手に入りやすいようにと格安で売り歩いているって訳だ。
「突然の試作船のお披露目と言い、既に各地で港の整備が始まってたことと言い……思ったよりも早く黒船計画が始まるのかもしれねぇなぁ。
とはいえ山の奥なんかは結局歩いていく訳だろ?」
と、そいつと向かい合うように腰を下ろした俺がそう返すと、そいつ……恐らく偽名の田畑耕太が半笑いで言葉を返してくる。
「それでも山の麓まであっという間の船旅でいけるってんだから上等よ。
あー……早く量産してくんねぇかなぁ」
「炉は既に増設が始まっていて造船所も追々増設するらしいが……流石に今日明日って訳にはいかねぇだろうなぁ。
っていうかお前、甲斐の方まで行ってたんだろ? あっちはもう良いのかよ」
「ああ、良い良い。あそこらはもう地方病の根絶の件で幕府やエルフへの好感度が鰻登りだからなぁ、大した恩恵もねぇだろうに黒船計画のために人夫を出すなんてことまで言い出してる始末だ。
今時分に人夫もねぇだろうってことで投資をしてくれりゃぁそれで良いってことになったようだがな」
「はぁん、なるほどね……。
ああ、そう言えば隠密連中が何人も派遣されてるって聞く箱館の方はどうなんだ? あっちはあっちで急激に需要が高まった石炭の買付が大変だって聞くが……」
「ああ、特に問題はねぇよ。
掘れば掘る程出てくるってんで石炭は余ってるくらいだしな、あの獣人達のおかげで採掘やら開拓も順調……わざわざ連中に喧嘩売ったりしなきゃ箱館は安泰、港も整備されるってんならこれからも栄えるだろうさ」
蝦夷地……いや、元蝦夷地か。
大江戸にコボルトが現れたように熊そっくりの人間……獣人が現れてそこに住んでいた連中とあっという間に仲良くなり、驚く程の数がいるらしいその獣人が寒さやら雪に強いということもあってどんどんと開拓が進み、急速に発展することになって成立した新国家。
その新国家との商売や交流の拠点が必要だろうと、綱吉公の提案で作られた街、箱館はそんな新国家と日の本の共同管理地となっていて……俺はまだ行ったことはねぇが、獣人とその後に現れた小人やら何やらが住まう、魔境とも極楽とも呼ばれる面白ぇ場所となっているらしい。
国名は確かシャク―――。
「んなことよりもだ、今日足を運んだのはお前だ、お前のことだよ狼月。
ようやくてめぇが身を固めるって聞いて飛んできてやったんだぞこの野郎。
相手はどんな女なんだ? 別嬪さんなのか? ええ? どうなんだ?」
考え事の途中でなんとも嫌な笑みで下品な声を投げかけてくる田畑。
そんな田畑に呆れながら俺は仕方なく言葉を返す。
「仮にも隠密ならその程度の情報、ぱぱっと調べちまえよ。
それとも……もしかして知ってて聞いてるのか……?
まぁ良い、ネイだよ、商人のおネイ、澁澤んとこの店主だ」
俺がそう言うと田畑は目を丸くし、冷静沈着な隠密にしては珍しく驚きの感情を顕にする。
「お、おま、おま……あ、あのネイちゃんかよ!?
くそっ、仲良さそうに見えて全然手を出さねぇもんだから油断してた……まさかそこに行くとはなぁ。
この野郎、とんだ別嬪さん捕まえやがって……ぶん殴ってやりたくなるぜ」
そんな物騒なことをいってくる田畑に俺は……半目になりながら言葉を返す。
「所帯持ちが何を言ってやがるんだ。
てめぇだって別嬪さんとくっついたんだろうによ、今の発言、奥さんに知らせてやろうか?」
すると田畑は途端にしおれて……項垂れながらしょぼくれた声を上げ始める。
「あ、あいつの話はやめてくれ……。
こっちの弱点を完璧に把握してくれやがったせいで最近じゃ勝てなくなってきてんだからよ……。
御庭番隠密最強の名をかみさんに奪われたなんてことになったら、もう外を出歩けねぇよ」
そんなまさかの情報を耳にすることになった俺は……こいつは良いことを聞いたと笑い、しょぼくれた田畑を元気づけるために、組合屋敷の自室から秘蔵の一本……何かめでたいことがあった時、良い来客が来た時用に用意しておいた酒を引っ張り出すのだった。
お読み頂きありがとうございました。





