転生姫と攻略対象
鏡に映ったあどけない自分を見た瞬間、幼いあたしは倒れた。頭の中に一気に襲いくる情報量に、脳が悲鳴を上げるのは当然だった。
そして数日寝込んだ8歳のあたしがはっきりと意識を取り戻したとき。
「マジか……」
そんな、異世界の。幼い王女の口から。一生出ることのないであろう言葉が出てしまったのは不可抗力だ。幸い誰にも聞かれなかった。
『蒼穹円舞』というゲームがあった。
ひとりの女の子が沢山の男たちと交流し、愛を深めていくという――所謂乙女ゲームである。
主人公はベルン国の姫・フリア。
クーデターにより亡命した隣国アーデルドで、様々な立場も年齢も違う男たちと出会いながらも障害を乗り越えるシナリオは中々に好評だった。
アーデルド王国第一王女・ティナは、突然現れたヒロインに周りを陥落されて嫉妬し、彼女に様々な嫌がらせ――それでは済まないような妨害・傷害を繰り返す。
言うなれば『悪役令嬢』。いや、悪役王女か。
あたしは未だベッドに佇みながら早まる鼓動と冷や汗を抑えきれずに息を吐く。
「お目覚めになられましたか! ――ティナ王女様!」
ドアの向こうから『あたし』を呼ぶ声がする。
前世を思い出してから二年。
10歳のあたしは到底ありえない現状の把握と、それに伴う二つの記憶の兼ね合いに大分時間を費やした。
そのせいか乙女ゲーになくてはならないキモの部分をすっかりと失念していた。
先日産まれたばかりの弟を見た、瞬間。
「王女様、王子様。クロード王子様ですよ」
乳母がそう言って、あたしと5つ下の弟・シュエルにお包みを見せた。
「かわいいですね……! あねうえ!」
目を輝かせるシュエルを横目にあたしは首筋がひやりとする。
(クロード……メイン攻略キャラ……? そっか、異母弟になるんだっけ……)
その理解が脳にいきわたった瞬間あたしに天啓がおりた。あの、雷にうたれた描写が頭に描かれるくらいに衝撃だった。
あの人が、いる!
どうして今の今まで気付かなかったのか。あたしは子供ながらの小さい両手を必死で握りしめ、歓喜に震えた。
目の前のお包みに包まれてふくふくと眠っている弟もそりゃあもう可愛いのだが、あたしの頭の中はあるひとりのキャラで一杯だった。
騎士・ワイアス。最年長の攻略キャラ。
逞しく陽気な兄貴キャラ。でもよくある脳筋ではなく思慮深く、なにより。
栗色の髪を若干後ろに撫でつけ、目元は涼しげでありながら優しく、整った顔でありながら雄々しく。そして全てを受け入れる器の大きさ。
液晶越しに夢中になった、彼が、いる。この世界に。
彼は確か、クロードよりも10は上だった。今のあたしとそう変わらないはず。
それからのあたしの行動は早かった。
父である陛下に学院小等部への編入を打診した。公爵家の三男である彼は騎士志望、魔術師志望のあたしとは学部が違う。だが、チャンスだ。
早く会って少しでも仲良くなっておきたい。だって、彼もれっきとした攻略キャラなのだから。
ゲーム開始時期、クロードと同じ歳のヒロインが現れるのは今から17年後。フリアが現れ彼を『攻略』してしまう可能性も大いにあるのだ。
そういえばティナ王女とワイアスは幼馴染という設定だったけど、本来は何処で出会うのだろう。
あたしが学院に行くつもりだと異母弟であるシュエルに言ったら、あの子は目を見開いてあたしに縋り付いた。いかないでほしい! 自分も一緒にいく! と。
普段わがままや願い事なんて自分から口にしないシュエルが、この時だけはずっとあたしにひっついていた。
まだ5歳で、遊び相手はあたししかいないシュエル。忙しい父母よりも、あたしに懐いてくれているシュエル。あたしを呼びながら駆け寄ってくるシュエル。可愛いに決まってる。
この子の言う事は無条件で何でも叶えてあげたい。
でも、でも! あたしは。
ぐっと涙をのんで、シュエルを説得した。たまには会いに帰ってくるから、今日は一緒に寝ようか、など。
シュエルは目に涙を溜めながら頷いた。う、心が痛い……。
そして編入試験に合格して、学院へ通うようになって数日。学部共同の実地演習で遠目にだが、確かに見た。
両目にかからないくらいの栗色の前髪を割と乱雑に下ろしている、見知った面影を残した幼い顔。
間違いない。ワイアスだ。
騎士と魔術師のペア、もしくは混合チームを編成するのだが、教師が一人ひとりの入学成績を基に決めるらしい。だから彼と一緒のチームになるのは絶望的かな、と諦めた。
騎士クラスと魔術師クラスはそれぞれ百人程いるのだから。まあ、演習が始まる前でも終わった後でも接触する時間はあるだろうと気を取り直す。
しかし。
「俺はワイアス。よろしく、ティナ王女様」
「ティナでいいわよ。よろしくねワイアス」
お互い笑顔で挨拶する中、あたしの胸中は色々渦巻いていた。
(はああぁ!? 嬉しいけど……何か変な力でも働いてんじゃないの? いや、嬉しいけど……。しかも混合チームじゃなくペアなの!?)
周りを見た感じ、あたしの知るゲームキャラとしての人物はいない。変な力が働いたというのもあながち外れてはないのかもしれない。
国が管理している郊外にある森での演習。
彼はどこまでも明るく、子供でありながら紳士だった。歩きにくい場所で手を差し伸べてくれたり、採取を率先してやったり。
でも。
「ありがとうワイアス。でも、接待じゃないのよ。二人で、課題をこなしましょ」
無理を通して編入させてくれた父の手前、ちゃんと自分の力で学院に居続けなきゃ意味がない。
少し語気が強かったかと焦ったけど、彼は少し驚いた後くしゃりと笑った。
「うん、そうだな。悪かった。一緒に頑張ろうな!」
……その笑顔の破壊力ときたら。
年相応にやんちゃだと思ってたけど、やっぱりあたしの知ってるワイアスだなぁなんて実感した。
まあ、演習はとても楽しかった。その後も学院内限定だけどワイアスとはいい友人関係を築いていたと思う。
高等部に入ってからはお互いに体型も声も変わってしまったけど、関係が変わる事はなく。
跡継ぎではないし、父はあたしを政の道具には使うつもりはなさそうだけど、あたしは仮にもこの国の第一王女。しかたがないと思う反面寂しさもある。
だって最初は推しキャラだからと彼に執着していたけど、今はそうでもない。彼と一緒にいるうちに、ゲームキャラではない現実のワイアス自身に惹かれてしまった。
どうせ叶いっこないのだから、カッコイイと追いかけてるくらいが丁度よかったのに。本気になってしまった。
彼は公爵家三男。跡継ぎの柵はないけど、そろそろ婚約者が宛がわれる頃だろう。むしろ遅いくらいだ。
実際、彼は弱冠18で学院に通いながらも騎士として仕事をしている。一足先に大人の仲間入りをしてしまっているのだから。
それにあたしはかなり前から彼の事を諦め始めていた節まである。必死に頑張って恋仲になったとして、もしその後ヒロインが現れたら。
彼の誠実さを疑うわけでも、心変わりを責めるわけでもない。理不尽な抑止力なんてものが働いて彼がヒロインの方へ行ってしまったら、という可能性がどうしても拭えない。
そんな臆病になっているあたしは想定していなかった。彼が思いもよらず積極的に迫ってくる事を。
「エスコート? まだ決まってないけど」
「俺を選べ。悪いようにはしないから」
「選ぶもなにも誰にも申し込まれてないっての!」
あたしが少しむくれてそう言ったら、ワイアスは満足そうに笑った。
「牽制が効いたな」
聞こえちゃいけない言葉が耳に入ってきた。え、けん制?
半月後、卒業パーティーでのエスコート役を自分にしろ。なんて、直接言われるとは。あたしと彼の立場から地位目当てではない事は確かだから。
(え、何? この人、あたしの事好きだったの?)
言質は取ったからな。と言い颯爽と去りゆく広い背中を見ながらあたしは嬉しさ半分、途方に暮れた。
例えば相手がいないからだとか、女避けだとか、罰ゲームだとか、誰とも知らない人を相手にするくらいなら気心知れたあたしと、なんて、相手の気持ちを考えないような人ではない。
彼自身が周りを牽制しながらも直接エスコートを申し込むなんて、純粋な好意以外にない。
あたしは急に熱が上がって、ぐちゃぐちゃになった頭をかかえ寮の部屋にダッシュした。廊下を走るなという張り紙は無視した。
寮に戻ってからひとり悶々と、火照った頭で考えを巡らせる。
(え、あたしの勘違い? 考えすぎ? 自意識過剰すぎ? 希望的観測? 夢?)
つい条件反射で頷いてしまったが、どちらにせよ、やはり彼と心を通わせるのは勇気がいる。
もし彼が強制的にヒロインへ惹かれてしまったら。嫉妬に狂ったあたしが肉親も好きな人も顧みず暴走したら。
大切な人たちに失望されたら。
怖い。
いっぺんに手足が冷え、体の震えが止まらずあたしはひとりベッドで蹲っていた。
部屋のベルが鳴ったのはその時。
少しでも気を紛らわそうと、のろのろと起き上がり応対しようと扉に近寄り返事をしたら。
「ティナ。今いいか?」
さっき会ったばかりのワイアスが扉の向こうにいた。
まさかエスコートの件は無かった事に。なんて言うのだろうか。辛いけど、それはそれで……。なんてぼんやり考えてあたしは彼を部屋に招き入れた。
結局彼には憔悴していたのがバレた。
「俺も興奮して、じゃなくて色々考えてたからさっきは気付かなったけどよ、お前、なんか思いつめてないか?」
目線を逸らそうと俯くあたしに追い打ちをかけるワイアス。
「俺……じゃなくても、誰かに話すだけでも違うもんだぞ」
話す? 何を? どこまで?
「話せない。絶対に信じてくれない。荒唐無稽で……馬鹿げた話よ」
「おい、見くびるなよ」
見上げるとにやりとシニカルに笑った彼のその目は、真剣だった。
「俺はお前の言う事なら手放しで信じちまう自信がある」
もちろん何もかも信じるなんて事はないだろう。あたしが本気でひとり悩んでいるのを見逃せないんだ。
そんなあたしが嘘をつくはずはないと、信じてくれている。
見上げた彼の顔が滲んでいく。
敵わない。これだから好きなんだ。
「ワイアス……ありがとう。そういうところ、本当に好き」
「っ、お前」
彼は顔を赤くして頭を乱暴に掻いている。しまった、つい。
「あ、や、ちが……。いや違わないけど……!」
「わ、わかった! わかったから落ち着け、な?」
あたしたちはお互い赤い顔をして、一息。
「……なあ、ティナ。俺が半ば早急に騎士の資格を取ったのは何でだと思う」
「夢だったのよね? 小さい頃助けてくれた叔父上に憧れて……」
確かヒロインに何故騎士になったのかと聞かれた時の回想シーンでそんな感じの……。ワイアスが、またにやりと笑う。今度は目に面白そうな色を湛えて。
あたしは思わず片手で口を押さえた。
なんて迂闊だったんだろう。彼のその過去、騎士を目指した動機を今のあたしが知る筈はないのだ。
尋ねてもいないし、聞かされてもいないから。
「……ごめんなさい、その、今のは」
「何で謝るんだ」
ああ、また。あたしは彼の顔を見れなくなった。
「普通はいい気分はしないでしょ。話してもない自分の事を他人が全部知ってるなんて……」
「いや、そうでもない」
気休めではなく、本当にあっさりと言い切った彼を再度見上げた。
「いつか理由を聞かれるんじゃねえかと待ってたんだがな……。知ってたらそりゃ聞かねえわ。俺の事なんて興味ないんじゃねえかってしばらく落ち込んだ時もあったしな。でも、まあ」
フェアじゃないよな?
そう言って意地悪げに笑う彼に、あたしは胸の内を全て話さなければならなくなった。
長くなるのを見越して、お茶をすすりながらゆっくりと、わかりやすいように説明していく。
「こことは全く違う世界の娯楽か……」
感心したように次々話を振るワイアスに理解しやすいように、現代日本の言葉を使わずに表現してみた。
「演劇というよりは、声が出る紙芝居みたいな感じね。主人公である女の子を自分の意思で動かして、沢山ある結末に向かって最善の行動を取っていくの」
「その中の登場人物に俺がいたって事か」
あたしがワイアスの過去を知っていた事からその結論に至ったようだ。
「そう、あなたは……主人公のフリア姫が出会う数人の攻略対象者の一人。ええと、主人公は脚本に沿いながら、沢山の男性と交流して心を通わせていくの。誰とも仲良くならない結末もあるし、逆に全員に言い寄られる事もある」
あくまでも、主人公が恋愛をする過程を楽しむ娯楽なのだと説明する。
「フリア姫、って……まさかベルンのか? 確か……クロード王子と同じ歳だったよな」
複雑そうな顔のワイアス。10歳も下のお姫様と恋愛する絵が思い浮かばないのだろう。
そのヒロイン・フリアについても謎が多いし、あたしという規格外の存在が入り込んだ事で、少しずつ元の脚本と違ってきてるのが分かる。
例えば、5つ下の異母弟・シュエル。
あの子はゲーム中には存在しなかった。クロード攻略中に存在が仄めかされ、生まれつき患っていた病によってすでに故人である事がわかる。
享年10歳だった筈だが彼はまだ生存していて、それどころか病弱ではあるものの元気に過ごしている。同じ王妃様の血を引くクロードが誕生した事で、シュエルは病弱を理由に廃太子、最近クロードが立太子した。
はっきりと描写される訳ではなく行間を読むと推測される事実から、劇中のシュエルが死に至る原因となったのは。
「ティナ王女は自分が政権を握りたかった。王妃の実子であるシュエルが病弱なのをいいことに常服薬に毒を少しずつ仕込んで、彼を間接的に殺した」
息を呑む向かいの存在を見ていられず、視線を落として続ける。
「クロードを幼い頃から洗脳紛いに自身に依存させて、将来思いのまま動く傀儡に仕立て上げようとした」
そのクロードはヒロインのフリアと出会って心を開いていった事で、姉に疑心を抱くようになるのだけど。
「騎士志望の幼馴染の夢を嘲笑うかのように、裏から手を回して無理矢理彼を騎士にして忠誠を誓わせた」
「ティナ」
言いたくないのに、やけになったあたしは次々とティナ王女の所業を並べ立てる。
「周りを陥落されて激しい嫉妬と憎悪を拗らせたティナ王女は、高い魔力を使って密かに主人公を心身共に傷付ける」
「もういい、わかった」
止まらない。せき止められたタガが外れて勢いよく水が流れていく。
「全ての悪行が白日の元に晒され、ティナ王女は味方が一人もいない中糾弾され逆上した。主人公が通った道によってはティナ王女を裁くのは」
気付いたらあたしはワイアスの腕の中にいた。
「俺が思うよりずっと重いもん抱えてたんだな……。話すのも、隠すのも辛かったんじゃないのか」
「……そうでもないわよ。さっきまでは」
もしかしたら恋が叶うかも、なんて希望を持ってしまったから。恐ろしい未来をその身に感じてしまっただけだ。
「……元の脚本の本筋に強制的に戻る可能性を考えてるのか?」
密着してるせいで低い声が頭に響く。
「ない話でもないでしょ? 現にティナ王女に成り替わってあたしがここにいるんだから」
逆も充分ありえるのだ。『あたし』が突然消えてゲーム内のティナ王女になってしまうかもしれない。
「そういえば、さっきの話の続きだがな」
何の話の事だろうと体を離そうとするけど、ワイアスはそれを許してくれなかった。
「ガキの頃俺を助けてくれた騎士……その騎士が叔父さんだったなんてつい最近知ったんだが、まあ、あの人に憧れて騎士を目指したのは確かだ。でもそれ以外に」
ワイアスはあたしの肩をそっと離して、至近距離で見下ろしてきた。その真剣で熱の篭った目に見つめられてこっちも目が離せない。
「条件のひとつが、正式に騎士になる事だったんだよ。……お前との婚約の」
「え?」
聞き間違い? ……じゃないな。この真剣な顔からして。
「婚約って……、え、ちょっとまっ」
「もうひとつの条件が、お前の気持ちだ」
はっとした。
あれはいつだったか。
あたしに婚約の打診がいくつかあったと聞いたとき、陛下である父はなんと言ったか。
『ティナがいいと思う男が出来たらいつでも言え。私がこの中から選ぶ事はない』
そしてあたしは何と答えたか。
『出来ても言わないわ。絶対に叶う事なんてないんだから』
半ば恋心を諦めていて少しやさぐれていた頃、そう言い切って話を終わらせた記憶がある。
「ティナ。俺を見ろ。俺は来るかどうかも分からない脅威に怯えてお前を諦めたくない」
あたしは思わず頷いてしまった。それを見て頷き返すワイアスをあたしはぼんやりと見る。
「よし、二言はないな? 先が不安なら契約書でも書くか? 俺はお前がどうなっても絶対に裏切らない契約だ」
「それは嫌」
あたしは首を振る。
そして、しっかりと頭を覚醒させて、ワイアスを見据えた。
「あたしがあたしじゃなくなって狂ってしまったらちゃんと止めて。あなたの手で。それが約束できないなら婚約はしない」
「いいぜ。約束……いや、契約しよう。お前が気持ちを殺して一人で悩むくらいなら俺は覚悟できる。ちゃんと、止めてやるよ」
また涙が滲みそうになって、慌てて話を切り替えた。
「……ありがとう。ところで」
「なんだ?」
「婚約の話、初耳なんだけど! いつそんな事になってたわけ?」
ワイアスは目線を反らして、考えるような、少し気まずそうなそんな顔。
「あー……ガキの頃、親父に引っ付いて行った王城でお前を見かけた時に、な。親父に言っちまったんだよ。結婚、するなら……あの子がいいって」
曰く。一番上の兄に婚約者が出来て、自分もそんな意識になってしまったと。もちろん公爵はあたしを知っていたから、あの方はこの国の王女だからまあ無理だろうなと諭す。
「んで、俺は必死に聞いたんだよ。どうすれば王女様と結婚できるのかって、真剣にな」
夢を叶えてきちんと自立した上で、王女がワイアスと一緒になりたい意思があればもしかしたら。公爵がそう言った事で、陰で話を聞いていた父もその気になってしまったらしい。
「……当事者をひとり無視して何やってんの……」
父はどうにも悪ノリが過ぎるところがある。もちろん娘の幸せを考えた上での悪ノリである事はわかってるけど。
「初等部の実地演習で初めて会ったんだと思ってたわ」
「ああ……それもな。後から知ったんだが……」
なんと、あの時一緒のペアになったのは公爵が裏から手を回していたかららしい。あ、呆れるやら怒っていいのやら。
「で、初等部を卒業した時、陛下から正式に婚約の話をいただいた。条件付きで」
「さっきの二つの条件ね」
今思えば、初等部からずっとワイアスは親しげというか、可愛らしいアピールをしていたような気もする。
あの頃は子供の可愛らしい振る舞いだとしか見てなくて、ほくほくと見守ってる気にしかなってなかったけど。
「もしフリア姫に気が行こうものなら思いっきりお仕置きしてやるから」
「ああ、頼む」
極限まで嬉しそうにそう笑うから。あたしは歓喜と同時にまた目頭が熱くなって誤魔化すように笑った。
その後、ゲームの設定に無かった時見の力が宿ったあたしは、その力で裁判所の官職として働くようになる。明らかにビデオカメラを想像させる力である事から、あたしが転生者だから宿った力なのかもしれない。
そして、淑やかで、でも芯の通った主人公フリア姫はこの世界にはいなかった。隣国の姫は典型的な我侭放題、美貌を武器に男を惑わす毒婦。そんな評判が伝わってきている。
それを聞いた時あたしの頭にひとつの可能性が浮かぶ。
「フリア姫もお前と同じ……記憶持ちだって事か」
「ううん、あまりにもあたしの知ってる性格と違い過ぎるからそう思うだけで、確証はないの」
学院を卒業と同時に婚約し、少しの恋人期間を経て夫となったワイアス。彼も隣国に危機を覚えているようだ。
広いベッドに沈み熟睡しているあたしたちの愛しい子。8歳の男の子。3歳の女の子。
愛しい愛しい我が子に布団を掛け直しリビングに戻る。使用人たちはすでに下がらせ二人だけでそんな会話をしながら、あたしは晩酌をしているワイアスの向かいに座った。
「ん? 飲まないのか?」
あたしが自分のグラスを用意してない事にワイアスは首を傾げた。
「ええ、しばらくやめておく。……十月十日くらいはね」
にっこりと笑ってやれば、夫は目を見開いて持っていたグラスをテーブルに叩きつけ……。
「ちょっと、静かに。あの子たち起きちゃう……」
あっという間に近づいてきて抱きしめられた。
しかし、順風満帆だと思っていた日常が、崩れた。
隣国に使者として赴く予定だというシュエル。なんだか嫌な予感がして説得するものの。
「あの時とは逆ですね」
爽やかに、どこか陰のある綺麗な顔で微笑み返された。
あの時? そう首を傾げると。
「まだ小さかったですが……私もあの時、とても嫌な予感がしたんです……まあ、的中してしまったわけですけどね」
「何の話? ねえ、どうしても行くなら本当に気を付けてよ? 薬はちゃんと持った? 生水は飲んじゃ駄目よ? 知らない人について行っちゃ駄目よ?」
姫に、気を付けて。
軽口で注意するが内心は本当に不安だった。理由は、その時は分からなかったが。
「姉上、私いくつになるか知ってます?」
困ったように笑い、シュエルはやんわりと一瞬だけあたしを抱擁してから、馬車に乗り込んだ。
嫌な予感は――的中して、しまった。
シュエルは、ただの言いがかりで姫の取り巻きたちに命を奪われた。
憤り悲しみに暮れた国やあたしたちは隣国に宣戦布告し、事前に内乱の情報も得ていたために潤滑に、順調に事を進められた。
その過程で。あたしは時を遡って見た光景の中に、主人公の少女を見つけた。直接話をしてみて間違いないと思った。この子が。姫の影武者であったフレイが蒼穹円舞のヒロインだ。
問題は復讐に我を失った弟クロードが暴走したツケだろうか。
結局、雨降って地固まる的にクロードとヒロイン――フレイは上手くいきそうだけど。
国内がもう少し落ち着いてきたら、あの事を――あの子の言葉を。みんなに伝えないといけない。最後の言葉だけはあたしだけの胸にしまっておくけれど。
『姉上。見てくれている事を信じて遺言を。私はもうじき殺されるでしょう。姫の従者たちによって』
牢の中、憔悴しきってボロボロなシュエルの映像に嗚咽がこらえきれなかった。
見たくない。まるで目の前にいるのに助けられない状況のようで。手を伸ばしても実際のそこには、ベルン城の牢屋にはもう誰もいないのだから。でも。
あたしはこの力で、シュエルの最期をみんなに伝える義務がある。シュエル本人もあたしにそれを望んでいる。
『姉上、クロード……父上、母上、義母様。王族の男子として不出来だった私を見捨てずに大切にしてくれてありがとう。家族の一員にしてくれてありがとう……幸せでした。
それと……個人的な事を』
「っ、ばか……っ」
あたしは膝から崩れ落ち、しばらく起き上がれなかった。
『それと……個人的な事を。
姉上……ティナ。貴女が好きでした。愛しています。どうか、幸せに』