9曲 奇跡、起こせるかな?
明日は、ついにコンクールだ。
私は朝からわくわくした気分で部活に向かう。
「あっ、奏ちゃんおはよう!」
「七歌ちゃんおはよー」
七歌ちゃんたちと合流する。軽い足取りにつられて、身体がふわふわと飛んでいる気分。
「コンクール、楽しみだね」
「うん。でも……」
「でも?」
もごもごと七歌ちゃんが口ごもる。
「明日、もし金賞取れなかったら……3年生は、引退しちゃうんだよね…」
「あ……」
私たちだけに静寂が広がる。車の走る音と、電車の音と……それだけが耳に残る。
ざらざらした、濁った音が。
先にそれを破ったのは、私だ。
「……でも、金賞取ったらもっと歌える」
「そうだけど、他の学校は部員もいっぱいいるし、技術だって上だし、勝ち目ないよ」
「でも、でもきっと出来る!私たちは、9人で音宮中学校合唱部なんだから」
自分を鼓舞するように、私は言った。
♢♢♢
明日は、コンクール。
学校を出た後に、またあの日のようにグラウンドへ一直線に走る。
夕日が眩しくて、金色に輝いている。
「はっ…はぁ…!
……みんな、ありがとう」
はにかみながら、照れながら。
「私は、きっと今日のことを忘れない。ずっとずっと……残っていくと思う。だから、明日は勝ちたい!でも、それ以上に……この9人で、あのステージで、歌いたい!!だから……」
一呼吸おいて、笑う。
「奇跡、起こせるかな?」
夕日に背中を預けて、私は言う。
きっとこんな日々、二度と巡ってなんて来ない。
悔しさと、楽しさと、たくさんの感情と、そして歌で溢れていた毎日。
「うん、きっと起こる!」
「私たちなら、出来るよ」
それはきっと、否、それこそが奇跡なのかもしれない。でもまだそれは、私には分からない。
「さあ、行こう!」
「見たことの無い景色を見るために」
「今までやってきたことを、叶えるために」
「明日、全力で歌おう!」
それぞれの思いが一つになって、輝いていく。それはどんな部活にも、何にも負けない。
それくらいキラキラなものなんだと、思う。
♢♢♢
「明日は、いよいよコンクールだね」
「音葉?」
「心音……心音は、勝ちたい?」
夕陽の差した帰り道、私は心音にそう聞いた。凛先輩も、隣にいて。
「………うん、勝ちたい」
今までの心音とは考えられないほど力強く、そう言った。
「でも、それ以上に……今までの日々が輝いているような、そんな気がして。だって、この9人でいられるのなんて、明日が最後になるかもしれないのにさ。金賞とって、もっと上のところにいって、私たちの歌を届けたい。凛ちゃんが、私を救ってくれたみたいに」
「心音、ありがとう。でも、私はそんな心音に救われたんだよ。あの時私…自分が出来ないことを心音に、後輩が出来ていることにすごく腹が立った。それでもね、あの日のことは消えないけど、やり直すことは出来るって思えたの。私はもう、心残りは無いよ。皆で精一杯歌って、その結果を受け入れる。ただ、それだけだから。」
と、2人の視線が後ろにいる私に向いた。
「「音葉は、勝ちたい?」」
「───勝ちたい!ほんとのこと言うとね、私は心音が合唱を始めたからとりあえず入部して適当に歌ってきた。でも、心音の憧れだった凛先輩が退部して、あーあってなって。でも、奏ちゃんが来てくれてさ、この子みたいに歌いたいって本気で思った。
後輩に憧れるなんてったら、変な話なんだけどね。でも、そっからは本当に真剣になった。自分でも不思議なくらい。それで皆の気持ちが1つになった。だから私は……きっと奇跡が起こるって信じてるよ」
私がこんなことを言うなんて柄じゃないけれど、あの子にとって私は「先輩」でいられたのかな。
奏、ありがとね
♢♢♢
「琴先輩」
「律歌ちゃん、七歌ちゃん、どうしたの?」
「先輩はその…明日、勝ちたいですか?」
その「勝ちたい」という言葉に、私は一瞬戸惑った。ふわふわと、茶色い髪が揺れる。私の心も、少しだけ。
2人の姉妹は、私に真剣な目線を向けて、私をそこにつなぎ止める。
ああ、やっぱり。
「───勝ちたいって聞かれたら、勝ちたい。でも、私は今のまま…ずっとみんなでいたい。高校生になんてなりたくないよ。
だって今が、奇跡なんじゃないかってくらい幸せなんだもん。こんなこと言ったらよくばりだけど…ずーっと、9人で歌いたい。」
私は、目線で2人にも問いかける。
一瞬迷ったような、戸惑ったような………ずっと裏で隠れているような、七歌ちゃんに似ている気がしていたけれど、やっぱり私は、私だ。
「わ、わたしも、勝ちたいです!」
「七歌、成長したね。私も、同じ気持ち」
みんな、成長してる。だから、私も……
♢♢♢
「響」
「絃?」
絃から声をかけてくるなんて久々だ。
隣には、奏ちゃんもいる。どうしたんだろう。
「先輩!……いつも、ありがとうございます!」
「えっ…!」
ぽん、と差し出されたのは小さな花束。
きっと500円くらいの、本当に安いやつ。でもきっと、二人で出し合って買ってくれたんだろう。
「どうして?」
私は二人に問いかける。
「どうしてもなにも、感謝の気持ちだよ」
「はいっ」
じわ……と涙が浮かんでくるのをぐっとこらえる。明日は、みんなのために、自分のために…もっと、高みに臨むために、歌わなきゃ。
「明日、勝とうね」
その後で、私はぼそりと呟いた。
誰にも聞こえることのない声で、小さな奇跡に感謝して。
「……ありがとうね、奏」
ちゃんと、報いてあげたいから。
♢♢♢
私、星永奏は、ごくごく普通の……どこにでもいるような女の子だ。
それは、今だって変わらない。
部屋の中、ベッドに寝ころんで歌う。開け放った窓の外は、白いカーテンの隙間からきれいに輝く星が瞬いている。
「ああ………歌は…」
でも、今は少しだけ、変われたと思う。
8人に出会い、歌い、そして明日は、勝つために歌う。奇跡を起こすために歌う。この9人で、目一杯たのしむために歌う。
「響く歌……奏でる希望……」
響いていく歌は希望を奏でる。
まさに私たちだ。私たちなんだ。「ひびきかなで」る歌なんだ。
「奇跡………」
言葉に出したら照れくさいけれど、歌になったならばそんなことは無い。
だって中学生なんだもの。そんな言葉は……大好きだ。
「大好きだ私。合唱がほんとうに、本当に好きだ。好きなんだ」
声に出す。照れくさい言葉以上に、私は歌が大好きなんだ。
「明日はきっと奇跡が起こる。虹が架かる。夕日と同じくらい眩いものが、きっと手に届く」
ただの中学1年の女の子が、合唱に真剣に打ち込んで、練習して、頑張って……
きっと全国にそんな子はたくさんいる。私だってその一人だ。
「結果は全部じゃない。本当の合唱の楽しさって、きっといっぱいある」
風でカーテンが揺れる。
「それを、届けるんだ」
私たちだけの、「虹」を探して、駆け抜けてきたから。ずっとずっと、明日の奇跡の為に。
───夢は、叶う。