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7曲 約束

「約束しよう、一番になるって。あの虹になるって」


「約束」



 あはは、と雨の上がった空と晴れ晴れとした大きなグラウンドの真ん中、小さな私の笑い声がこだました。


 翌日。



「よろしくお願いします!」


「「よろしくお願いします!」」



 この日からまた、すずさんと私たちの練習が幕をあけた───と思った。



「んんっ」


「?」



 その日、響先輩はいつもしないミスを連発。声の調子も悪いのか、なんども喉を鳴らしていた。響先輩はミーティングでも謝るばかりで、私たちは何も言うことが出来なかった。



「これで合唱部の練習を終わります」



 挨拶をして、帰る支度をする。と、響先輩がすずさんに呼び止められた。



「響、ちょっと」


「───はい」



 一瞬考えて、でもすぐに何かを察して、全員が「ありがとうございました」と帰った後も、視聴覚室の電気は煌々とついていた。

 夜6時、すっかり暗くなっても、ずっと。

その時の私も、皆も、響先輩に起こっていることなんて、微塵も知らなかった。


 知る由も無かった。




♢♢♢




「響、ちょっと」



 その日部活が終わった後、私───響はすずさんから呼び止められた。

 もしかして、と思い、すずさんの近くに寄る。ずっと感じてきたことでもあり、音楽交流会で、じかに証明されてしまったことだった。



『響は、ソプラノにいて本当に実力を出せてる?』



 音楽交流会ですずさんに言われたことが、耳に反芻する。



「ありがとうございました」


「また明日───」



 最後のひとりが視聴覚室を出て、扉がぱたんと閉まったとき、すずさんは話し出した。



「すごく言いづらいし、コンクールまで時間が無いから本当に迷った」


「はい」



 覚悟は出来ている、という風に頷く。

自分の手が少し震えているのには、目を瞑った。



「響」


「はい」


「────ソプラノから、降りて下さい」



 ああ、やっぱりそうだ。その通りだ。

皆の声質に合わせて、私はずっと人手の足りないところをやってきた。

 『響なら出来るでしょ』

そんな冷たい言葉を、投げかけられたことだってあった。


 でも、ソプラノだけはやっぱり────。

声が出ないという欠点があった。そしてその欠点は、あまりにも致命的だった。



「ずっと、響を見て思っていたの。あなたは、自分を二の次にし過ぎていると。

 いくら他の子たちに合う所をパートにしても、今一番実力のあるあなたが合わないところにいるようでは、ここはもう限界が決まっている。」


「…音楽交流会の時にも、言っていましたね」


「そうね。そして、あなたの代わりとしてソプラノには────」



 これがもしも、私の思う通りになってしまうのであれば、私の二の舞になるのはきっと。



「奏ちゃんを上げようと思う」



 わかっていた。あの子が入部したときから。

貪欲に、どんなことも吸収するあの子は、きっといつか、必ず私を追い抜いていく。

 秘めたその才能は花開いて、きっと誰よりも綺麗なものを作り上げる。



「───それには、反対です」



 気付けば、思いが声に出ていた。



「奏には才能があります。私にあそこまでの才能はありません。でも、私は、ほかの子より少しでも上手だっただけに、何度もきつい言葉を投げられ、いじめと認識されても仕方のないことをされてきました。

 もちろん、今いる子たちはそんなことをするような子なんかじゃないと思っています。

 …それでもやっぱり、私の二の舞にはさせたくありません。」


「ええ、あなたの気持ちはとても良く分かる。」



 美しい声音が、少しだけ硬くなる。「でもね」と前置きをして、すずさんは続ける。



「その経験は、今活きているでしょう?」


「────!」



 違うか、と問われれば嘘になる。確かに、その経験があったからこそ今、部長として皆を引っ張っていけているのだと思う。



「そう、ですね。分かりました。

 ソプラノから、降りさせて頂きます。あと、奏を……よろしくお願いします」



 深々と礼をする。そのときに私の涙が床に落ちたことには、すずさんは何も言わなかった。



「夜も遅くなってしまったし、家まで送ります。行きましょうか」


「ありがとうございます」



 電気を消して、扉に鍵をかけた。


 『ちゃんと、相談してくれる?』


絃、ちゃんと言うって約束、頑張るって言ったのに、守れなくてごめんね。

 その後悔を、滲ませながら。




♢♢♢




「あっ、すずさんこんにちは」


「奏、こんにちは」



 すずさんが、じっと私を見つめてきた。

何か言いたげなように見えたけど、私の自意識過剰だと思う。



「響先輩!こんにちは!」


「あ…奏、こんにちは」



 どことなく、二人の様子がおかしいのではと確信したのはこの時だった。



「奏、言いづらいことだけどいいかな?」


「はい?」



 もしかして、退部?辞めさせられる?

そんなことが頭によぎり、冷や汗が流れる。


───もしかして、昨日話していた何かと関係があるのかな


 でも、心当たりは全く無かった。



「───私と、代わってほしい」



 空気が、急に冷えた気がした。その時部室に入ってきた絃先輩たち3年生はそれを察して、ドアのところで立っていた。



「代わる……?」


「急な話で申し訳ないけれど、響と奏のパートをチェンジしたいの。響がこれ以上ソプラノに居てしまえば、やがて限界がくる。響が喉を壊して、歌えなくなるかもしれない」


「そ…れは、私がソプラノに行って、響先輩がアルトに移るということですか?」


「響!」



 重い空気に耐えかねて、絃先輩が響先輩に駆け寄る。肩を掴んで、絞り出すように放った。



「どうして言ってくれなかったの!?」


「絃……ごめん」



 響先輩は、絃先輩からぱっと目をそらした。

絃先輩の目は、悔しさとふがいなさで潤んでいる。



「約束、守れなくて……ごめん」



 そこに、凛先輩と七歌ちゃんも入ってきた。

七歌ちゃんは驚いて、びくっと肩を震わせる。凛先輩は、何かを思ったのか、絃先輩の隣まで歩いていく。



「絃、絃は立派だよ。すごく立派」



 その言葉に、どんな意味があるのかは分からなかったけれど。

 こうして私は、アルトからソプラノへと、大抜擢を受けたのだった。




♢♢♢




「まぁー」


「っんん、あー」



 ソプラノは、なかなかに難しかった。

アルトは歌なのかというほど難しい音程とリズムだったけれど、それに慣れてしまっていただけに、主旋律で伴奏と同じリズムを刻むことや、言葉の発音どおりの音を取るのは意外に難度が高かった。



「皆、自由曲合わせます。集まって下さい」


「はい!」



 響先輩は、パートが代わり、自分にとって歌いやすい環境になったことによってすごく生き生きしていた。

 本当に、重圧がのしかかっていたのだろうと思う。



「うん、すごく良くなったよ」



 すずさんから、そう言われることも増えた。

4月から練習してきたコンクールの課題曲は、1学期が終わる頃にはすっかり板につき、全員が全てのパートを歌えるのでは無いかというほど歌い込んで、楽譜もぼろぼろだった。



「じゃあ、最後の部分だけ通すね。音はソプラノがファのシャープ。それ以外は出せるね。」


「はい」



 1、2、3とリズムを刻む。


♪~響け、奏で、歌よ……



「わ………」



 すずさんが口を押さえて驚きの声をあげる。



「今、音楽の女神(ミューズ)が見えたってくらい綺麗だった。本当に、綺麗だったよ」



 激励の言葉に、全員がほっとした顔をする。

やった!と笑う2年生、ここまできたね…と感慨深く楽譜を見つめる3年生。

 そして、ハイタッチを交わして喜びを分かち合う1年生。多種多様、十人十色の思いがそこにあった。



「そう、実はね。終業式で、合唱部の激励会、歌わないかって打診があるの。」



 それと同時に。



「皆!良いニュースだよ!」



 音香先生が部室に走り込んできた。



「終業式に歌えることですか?」



 冷静に響先輩が聞き返す。皆がこのタイミングの良さか悪さか分からずに苦笑して、すずさんも釣られて笑う。

 音香先生だけがその状況を飲み込めず、言葉を発した。



「えっ、もう皆知って…え?」


「今、すずさんから聞きました。タイミングが良いんだか悪いんだか分からなくて、皆笑っているんですよ」


「えぇ~~っ!!」



 視聴覚室いっぱいに、音香先生の声が響き渡る。普段は高めの声がさらに高く、そして大きく、廊下までぐーっと反響していた。



「じゃあ、歌うということで書類提出してきますね………」


「はい、お願いします♪」



 音香先生が、入ってきたときのハイテンションとは真逆のテンションで部室を出て行く。

 その時に気付いたけれど、律歌先輩だけが有り得ないほどツボに入って笑っていた。



「律歌先輩って、実はツボ浅いですよね」


「え?またまたぁ~」


「お姉ちゃん、いつも家でこんな感じなので…」



 ええ!?と驚く。七歌ちゃんの援護(とは言えない)射撃に律歌先輩が撃沈した。


 今日も、笑いながら歌に溢れた一日が過ぎていく。この上なく幸せなこの時間は、永遠ではないのだと、誰もが知っている。

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