序曲 合唱部は、無くなるんだけどね
よろしくお願いします
「合唱」はどこまでだって届く。
かけがえの無い夏、私はいつまででも歌った。
あっと言う間で、楽しくて。
あの「青春」と呼べる日々が愛おしくて。
私にとって、それは憧れだった。
私にとって、それは────────。
♢♢♢
「合唱」
ふと、その名前を口に出した。
それと出会ったのは暑い夏の日。私が学校帰りに見た、電機屋のテレビ。そこにはコンクールで金賞を取った学校のテレビ中継が映し出されていた。
その学校の名は、「音宮中学校」。
合唱とは不思議なもので、あれよあれよという間に私の心を奪っていくものだ。
瞬間、そのテレビに釘付けにされた。
女子だけで3つの声を合わせ、揃え、その響きはえもいわれぬハーモニーを作り出す。
夏のその暑い時期、青春を謳歌すると言っても過言ではないほどに引き込まれていくのが、私は自分でわかる。
「音宮中学校、合唱部」
もう一度声に出した。
そこへ行きたいと思った。私にとって「合唱」は、憧れになった。
「奏、また見てるの?」
「うん」
それからと言うもの、私は合唱曲を沢山聞いた。声の出し方や、たち方を真似したりなんかして、あの日出来た憧れはどんどん増大していった。
もちろん強い合唱部に入るというのなら、中学受験をして確実に強い所に入るという選択肢だってある。でも、私はそうしなかった。
「めぐるめぐりめぐるめぐり………」
だって、自分の通う予定である学校の合唱に一目惚れしたのだから。
ぐるりと運命は巡って、その糸へ辿り着く。
そんな私にとって、この歌は「始まり」だ。
「愛の歌──……」
♢♢♢
二年後───。
「1年A組、星永奏です。今日からよろしくお願いします!」
私は中学生になり、憧れの音宮中学校合唱部へと入部した。部室である視聴覚室へと、軽い足を運ぶ。
「部長の響です。よろしくね、奏ちゃん」
「はい、よろしくお願いします!」
これで、歌える───と思っていた、その矢先。
「合唱部は、無くなるんだけどね」
「………え?」
そんなに簡単に、歌える訳は無かったのだ。
否、私の境遇が違っていたのかもしれない。
「廃部ってことですか?」
「今すぐって訳じゃない。でも、来月の始めまでに部員が8人を超えなければ───」
とっさに聞き返した私は、ごくりと唾を呑む。次の言葉を待ちわびるように響先輩を見つめる。
「学校祭または合唱祭を以て、音宮中学校合唱部は、廃部となります」
いとも容易く伝えられた事実を、ゆっくりと噛み締める。「廃部」、部活が無くなる。
確か、学校祭や合唱祭まではあと約半年間。つまり、その半年間しか私は歌えない。
────そんなのは、嫌だ!!
「8人を超えたら、いいんですよね?」
「うん」
「あと、2人集めればいいんですよね?」
「うん」
そう、今の部活の人数は私を含めて6人。
ソプラノは部長の響先輩、アルトは3年生絃先輩のみ。
メゾソプラノは3年生の琴先輩と2年生音葉先輩、心音先輩。
そして私、奏。
問い詰めていく私に、先輩は頷く。言葉が止まらずにほとばしる私を、先輩は制止した。
「じゃ、じゃあ宣伝とかいっぱいして……」
「その前に」
響先輩がピアノの鍵盤のある蓋を開く。
重厚感のある音が耳に入る。蓋の開く音。
「奏ちゃんのパートを決めなきゃね」
「でも響、アルトかソプラノだよね」
「そうだね」
今は、その子その子の合う声をパートにしているらしい。
最も、今は入部週間で、これから増える可能性だってあるからだそう。
「じゃあ、ピアノの音に続いて声を出してね」
「はい」
部室を静寂が包み、続いてピアノの音が鳴る。ドミソミド、と鳴り終わって、次は私。
───自分の声が、広がっていく。
どこまでも、どこまでも響く。奏でている。
私の声が、届いている。凄く気持ちがいい。
「声質はアルトっぽいね。次は音を上げていくから、続いて声を出してね」
「はい」
高く、高く、もっと上に───。
でも、私の声はあがっていかない。一定の所で、止まった。
「下がっていくよ」
今度は、どんどん低くなっていく。
さっきの高音よりもずっとずっと楽に出てくる。鳴り響く。
でもやっぱり、どこかで声は止まる。
「うん、アルトだね」
アルトの絃先輩が発した。低い位置で結ぶポニーテールを揺らして、にっと笑った。
「これからよろしくね、奏ちゃん」
「はい!」
絃先輩と握手を交わす。
そうして私は、アルトパートに決まった。
でも、パートが決まっただけで、廃部を阻止するための事は一切無い。
でも、何をしたら良いんだろう。
程なくしてパート練習に移り、楽譜を貰って本格的な練習が始まった。
「奏ちゃん?」
「はいっ」
「音、ズレてるよ」
「あ、ご、ごめんなさい!」
でも、ぼーっとするのは良くなかったみたい。今度からは気をつけなきゃ。───と、絃先輩は私の顔を覗き込む。
「「廃部を阻止しなきゃ」って思ってる?」
それは、勿論。歌えないのは、何よりも嫌。
私はぶんぶんと首を縦に振って、絃先輩を見る。絃先輩の瞳は、とても優しいものだった。
「これは私たちでなんとかするから、奏ちゃんが背負って悩むことは一切無いよ」
「はい……」
違う教室から、ソプラノの声が響いてくる。
響先輩の声は、女神のように澄んで美しい。
「響も、きっと色々考えてるはずだから」
それより練習しよう、と絃先輩が言ってくれる。絃先輩は、どこか遠くを見つめるように、歌いながら外を見つめていた。
まるで誰かのことを、考えているみたい。
「うたー…ぁー」
「そこ下がってるよ」
「うたー」
「もう少し、「あいうえお」の発音を意識してみて」
「うた~」
「そうそう、そんな感じ」
完全に陽が沈む数刻前に、初めての部活は終わり、私はゆるゆると家路についた。
♢♢♢
「凛……」
響がふと呟いた。
「響、凛はもういない」
「分かってる…けど」
絃と響が、部室にあるピアノの椅子に、半分ずつで座っていた。部活はもうすでに、とっくに終わり、部室に残っているのは響と絃の2人だけ。
外にはもう、うっすらと色白の月が浮かんでいる。車も、人通りもまばら。
「諦められない?」
「うん…」
「そう、だよね」
凛という少女に思いを馳せる。
───と、響は重く閉じた口を開いた。
「どうする?」
「何が?」
「廃部になったら」
「なったら、勉強するよ」
「そっか」
だって受験生だもの、と絃が笑う。響も、釣られるように笑った。絃が響にもたれかかる。
ぐいーっと体重をかけると、響はちょっと絃、とやりかえされる。
「絃、重たい」
「ふふ、ごめんごめん」
「でもさ」
「何?」
「今日、入部した子」
「奏ちゃん」
「奇跡でも、起こしちゃいそうだよね」
「わかる!」
「凛を連れ戻してきたり、廃部防いじゃったり、あわよくばコンクールで金賞なんて取っちゃいそう」
冗談ともとれるような絃の口振りに、響は何故だか半分本気で頷いた。2人からふふ、と笑い声が口から漏れる。
「だって」
「うん」
「あの子には才能があるよ」
「そうだね」
「だけど」
「自分じゃ気付いてない?」
「うん…」
一瞬の静寂が2人を包む。
「響」
「絃?」
「あの子は響と同じ───否、それ以上の才能を秘めてる。響と同じ、辛い思いをさせないように、私たちが何とかしないと駄目だよ」
一呼吸おいて、拗ねたような声を出す。
「───分かってる」
「本当に?」
「ほんと」
「一人で、抱え込まない?」
「うん」
「ちゃんと、相談してくれる?」
「……善処します」
響が、もう一度ふふっと笑う。お互いもたれかかって顔は見えないけれど、きっと笑ってるんだろうな、なんて思う。
一人の少女と、一人の天才少女に、桜の花びらを散らせる風が、外の木々を揺らしていた───。
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「光と闇のシンフォニア」
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