午後三時の決闘
「ねえ、お母さん! 何かおやつない?」
「おやつ! おやつ!」
私と妹のつぐみは学校から帰るなり、背中のランドセルを部屋の隅にほっぽり出すと、おやつを求めてキッチンへと向かった。ところが、そこに母の姿はない。代わりに隣の部屋から声がした。
「お帰り。悪いけど、今日はまだ買い物に行っていないの。テーブルにバナナがあるでしょ? それでも食べて」
「えーっ、バナナぁ!?」
バナナは嫌いじゃないけれど、母が私たちのおやつを手抜きするときは、決まっていつもコレだ。
隣の部屋でたくさんの洗濯物を畳みながら答える母に、私はガッカリした。まったく、可愛い娘二人がお腹を空かせて帰って来たというのに。
つぐみもバナナに不満だったらしく、他に何かないかと、冷蔵庫を開けて覗き込んだ。どうせ、チーズとか魚肉ソーセージとか、父の酒のつまみくらいしか入っていないだろうが。
「――あっ、プリン!」
「えっ!?」
つぐみが発した意外な三文字に、私は敏感に反応した。プリンは私の大好物だ。もちろん、妹のつぐみも。
「つぐみ、私のも取って!」
私はつぐみを急かした。しかし、
「ないよ。プリンはこれ一個だけ」
という無情の返事。
そんなはずはないだろうと、私は自分の目で冷蔵庫の中身を確認した。が、残念ながらつぐみの言う通り。
妹の手に握られた、たったひとつのプリン。これを半分個するというアイデアが一瞬だけ浮かんだが、即座に打ち消す。
元々、そんなに大きくはないプリンを二人で分けてしまったら、一人前なんて二口か三口で終わってしまうではないか。私の大・大・大・大好物である以上、やっぱり丸々一個を独り占めして食べたい。
その思いはつぐみも同じだったようだ。まだ小学二年生のクセに、いつの間にか表情が強張り、目つきは真剣なものになっていた。
ちなみに、私が四つ年上のお姉ちゃんだからという理由で、最近、特に生意気になってきた妹に好物のプリンを譲ろうなんて気はさらさらない。そんなことは関係ないのだ。
生きるか、死ぬか──いや、食べられるか、食べられないか。ここは勝負するしかない。
「いいわね、つぐみ。一回勝負よ!」
私は腕を交差させつつ指を絡ませ、それを胸元からひっくり返した。組んだ両手の隙間を片目で覗き込むようにする。自分でやっていながら、どんな意味があるのかさっぱり分からないが、誰もがやるジャンケン前のポーズだ。
プリンを賭けた私からの挑戦に、つぐみも同じ仕種をした。
「分かってる。『最初はグー』、だからね。お姉ちゃんこそ、この前みたいに負けてから文句言わないでよ」
「ぐっ――!」
実のところ、つぐみとのジャンケンは分が悪く、現在、私の九連敗中だった。それによって、何度、惨めな気分を味わったことか。だからこそ、しっかり九連敗なんていう不名誉な数字を憶えているのだ。
どういうわけか知らないが、私はジャンケンが非常に弱い。友達とジャンケンをしても、大概、負けるのは私だと決まっている。別に、毎回、同じ手を出すというようなパターンもないはずなのに。ひょっとしてジャンケンで何を出すのか、あらかじめ私の顔にでも書いてあるのだろうか。
でも、今回はさすがに負けられない。何たって私の大好物であるプリンがかかっているのだ。今日こそは絶対に連敗を止めてやる!
「じゃあ、行くわよ」
「最初はグー」
「ジャンケン──」
「ホイッ!」
私とつぐみが出したのはグーとグーだった。あいこだ。でも、気を抜いてなんていられない。すぐに次の手だ。
「あいこで──」
「しょっ!」
またしても連チャンでグーとグー。
二度、グーが続いた。ならば──
「あいこで──」
「しょっ!」
私はチョキを出した。妹は──パーだ。
「やったぁ!」
私は右手のチョキをそのまま勝利のVサインとして頭上に掲げた。
ジャンケンに負けたつぐみは今にも泣きそうな顔になっていた。しかし、勝負は勝負である。許せ、妹よ。
私は勝ち誇った笑みを浮かべながら、容器の蓋を開け、ぷるんぷるんのプリンをスプーンですくい、口許へ運んだ。
はむっ、美味しい!
連敗を止めた喜びのせいか、口にしたプリンの味は、いつもと違い格別だった。
そのとき、洗濯物を畳み終わった母が隣の部屋から顔を出した。
「――ああ、それから冷蔵庫にあるプリンは食べちゃダメよ。消費期限がとっくの昔に切れているから」
ゴクッ……!
母からの忠告は、容器内のプリンを私がすべて喉に流し込んだ後だった。