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迷宮のウルトラブルー  作者: 津島修嗣
第一章 リトルドラゴン
9/36

五. Encounter

 


 五.




 ――――地下迷宮・第五階層。


 これより先はいよいよ地上と完全に異なる世界、本格的なダンジョンである。

 迷宮は低階層の中でも四層までが入口扱い、その先が探索者にとって本当の意味での迷路となる。


 目的ポイントであるC5‐スピナル地区はもうすぐだ。

 クラン・シザーズ及び狗颅骨(クルグ)に籍を置く九名の探索者はそこで消息を絶ったのだ。


 ツオルギが事前に送信してきた情報には以下の内容が含まれていた。

 彼らのナビは、「ひどいノイズが入って何もかもが掻き消されてしまった」「急に衝撃が伝わってきて同調が切れ、知覚も位置情報もすべて遮断されてしまった」「突然接続が切れて、以降の通信が不可能になっている」などの報告を寄こしたという。

 そして、それらはほぼ同時刻、同じタイミングでの出来事だった。


 迷宮の中で何かが起こり、二つのパーティがそれに巻き込まれた。あるいは彼らの行動が引き金となって何かが起きた。

 それが単なる事故か、はたまたクラン同士の抗争なのか。

 ……それとも、魔物(イミューン)の襲撃をうけたのか。

 トワイライトが四階層で屠った魔物は、通常とは異なる生息域のモノたちだった。

 探索者失踪事件との因果関係は不明だが、この奥で何らかの異変が起きているのは間違いない。

 それについても原因を調べねばならないだろうが、受けた依頼はあくまで迷子探しと安否確認。本格的な調査は機構の人間に任せておけばいい。自ら面倒事に首を突っ込むような真似はしたくないし、柄に合わない。


 トワイライトは気配を殺し、闇の奥へと進む。

 此処いらは探索者による手が充分に入っていないために照明が四層より少なくて、ずっと暗い。


 闇の濃度が段々と濃くなっていく。

 黒い霧のような暗闇はまるで質量を持っているみたいだ。ひょっとすると触れられるんじゃないか、そう勘違いしてしまいそうだった。

 体得した医術で細胞組織に働きかけ、視感度を上げる。神経系の機能を一時的に増強し、暗がりの中でもはっきりとモノを識別できるように視知覚を調整する。

 さらに埋め込んだ素子がAR――現実プラス薄皮(レイヤー)一枚の視覚上に関連情報を上書きし、他に必要な情報があればすぐにネロが付け加える。


 そうして歩いていくと、壁に赤黒い痕跡を見つけた。

 手で擦ったような痕が途切れ途切れに続いている。真っ暗闇のさらに奥まで……。


『血痕だね』

「……ああ」


 見りゃわかる、とはさすがにトワイライトも返さなかった。

 床を見れば同様に血の滴った跡がある。

 千切れかけた足を引き摺って逃げ回った、そんなような胸糞の悪い痕跡がはっきりと残されている。

 爪先でなぞってみると、まだ完全に乾ききっていなかった。ぬめり気を帯びた黒い徴。トワイライトは顔をしかめた。


「よくない兆候だな。ネロ、この先はあまりおススメしない。ここで降りても構わないが」

『今更おあずけは勘弁だよ』


 この先に待ち受ける光景は半ば予想できている筈だが、ネロは臆することなく答えた。


「……そうかい。じゃあ、ツオルギに連絡して五層から六層まで規制線張って通達出すよう言ってくれ。既に潜ってる奴は迂回して八層以降から装置を使って浮上するよう勧告すべきだと付け加えて」

『了解だよ。トワイがそんなふうに言うとなかなか物騒な予感がするね。キミの勘は鋭いから』

「そういうの、データ野郎のセリフと違うんじゃねーの」

『確かにボクはデータを重んじるけど、それと同じくらい信用に足るものだってあるよ』

「そんなもんかね」

『ちょっとはね』


 いつも通りに言葉を交わしながらも、その表情は冴えない。トワイライトが態度を硬くしたのは血痕のせいだけではない。

 何か異様な臭気があたりに満ちている。甘く醜悪な、熟れすぎて落ちる寸前の果実のような香りが。

 それが濃密な血の匂いだと気づくと、彼の歩調は速まった。刀の柄に手を触れながら闇の奥へと突き進む。途中、前へ踏み出す左足が何かを蹴飛ばし、転がった先に目をやると折れた短槍が落ちていた。

 これって、十中八九最悪のパターンじゃねえの。舌打ちするが、それでも歩を緩めることはしない。


『トワイ、この先の空間に微弱な反応があるよ。よく野営に使われる場所だね。イミューンなんかは居ないみたいだけど、念のため用心だよ』

「ふん……なら人か。状態は」

『たぶん黒。反応が弱過ぎて、というか辛うじて明滅を繰り返しているのが分かるだけで、数までは掴めない。でも動いてないよ、彼ら』


 独特の言い回しだが、黒は〝死亡〟を意味するコードだ。

 それを告げるネロは至って平然としている。別に肝が据わっているわけじゃない。この娘は何とも思っていないだけなのだ。

 トワイライトのそれとは異なる形だが、ネロもまた死と隣合わせの日々を過ごす身だ。物心ついてから十数年の間、ずっとそうだった。

 だから慣れきった隣人に接するように、ネロは何の感慨も抱かない。


『トワイ~』

「……分かってる。安全を確保でき次第、命令通り動く。対象者死亡の場合は素子を回収してさっさと撤収。ネロは引き続き周囲の様子に注意してくれ」

『合点だよ』


 ……ツオルギめ、本当に嫌な仕事を押しつけやがって。

 腹の底に湧き上がるのは苦々しい思い。

 トワイライトは周囲に魔物やら襲撃者やらが潜んでいないか注意を払いながら、目標ポイントへと到達する。


 やがて視線の先に通路とは異なる開けた空間が見えてきた。大きめの空洞、というべきか。

 そこに足を踏み入れて――いや、その前から例の匂いがいっそうひどいものに変わっていた。

 辺りには気を抜くと咽返ってしまいそうな悪臭が満ちている。思わず防毒マスクに手を伸ばしかけるが、止める。

 もう正体は分かっていた。

 竜素を集めるよう意識を集中させ、掌に小さな火の玉を浮かべる。ランプ代わりだ。

 地下迷宮・第五階層、スピナル地区。

 その暗がりの中に浮かび上がったのは、予想の上を行く凄惨な光景だった。



 探索者たちの惨殺体が野営地を血の海に変えていた。




 野営地は跡形もなく血溜まりの中に沈んでいる。

 無残にも引き裂かれた肉と臓物、四肢、胴や頭部が最低でも数人分は散らばっており、もうどれが誰のものかも分からない。そこに大量の血潮が混ざり、血腥い混沌を生み出していた。

 まだ新鮮な血の匂い。熟しきった卵のような、肉の匂い。

 赤い闇の中で蠢くものなど最早何一つ見当たらない。


『平気ィ? トワイライト』

「……おまえこそ」

『ねえ、とんだ仕事を頼まれちゃったもんだよね。文字通りの安い汚れ仕事だ。あのオッサン、トワイライトの扱い酷すぎだよ』

「そう言うな。ツオルギをかばう気はまったくないけど」

『そう? じゃあ、さっさと片付けちゃった方がいいよ。ねぇ?』


 ネロに促される形で大量死亡現場の検分に取り掛かる。

 二つのパーティで総勢九名。依頼通り全員の安否――この場合は率直に全員の死亡と言った方がいいかもしれないが――それを確認し、探索者たちの素子を持ち帰らなければならない。


 通常、素子は耳の後ろ、もしくはこめかみの辺りに埋め込まれている。死後は身分を照会するIDタグとしての扱いとなるが、そこには最低限の記録が残っている筈だ。機構に届ければ死亡原因や事故当時の状況分析に役立てられる。

 さすがに少し時間がかかりそうだった。九人分の死体があるのかどうか、見た目だけではもう分からない。……目の前にあるのは、それくらいの惨状だった。


『RPGとかでさ、こういう行き止まり……つまりハズレの道に宝箱が落っこちてる理由がよく分かるよ。この場合は前に力尽きた探索者たちの記録ってことになるけど――』

「同感だけど、ちょっと黙って」

『む』


 不満げな顔をするもネロはツオルギに連絡をいれようと先んじて動く。彼女はなんだかんだ言われずともしっかりと仕事をこなすし、よく働く。

『見つけたよ、彼ら……』ネロがツオルギと会話する音声はトワイライトにも聞くことができる。

 トワイライトも、確認できる者から順に回収に手を付ける。


 探索者たちの身体には鋭い歯で噛み切られたような裂創や咬創が刻まれていた。

 それに露出した肌のところどころに腫れあがったような痕がある。何か鋭いモノを打ちこまれたような傷が見られ、特にそのあたりの腫脹が激しい。毒虫に噛まれた時に生じる赤い隆起とよく似ている。


 …………虫。

 つい先ほど、上階で飛翔昆虫型の魔物と遭遇したばかりだ。

 さすがに奴らの仕業だとは思えない。あれは二つのパーティを壊滅に追い込むほど強力な魔物ではないからだ。

 しかし、別種の個体がこの辺をうろついているとも考えられる。四階層と同様に、生息域の違う魔物が紛れ込んでいる可能性がある。


『いやな感じがするね』

「……まあな」


 中には貪られた形跡がある犠牲者もいた。骨も筋も物ともせずに削ぎ取られ、体を噛み砕かれている。

 腹に穿たれた大きな傷口。そこから零れ落ちるのは薄い体液の残滓のみ。

 血が疾うに流れ切ってしまい、柔らかい内臓は根こそぎ持っていかれて、殆ど何も残っていない。

 死者の左目は殆ど黒眼が見えていなかったが、右目はまっすぐに宙を向いていた。事切れる寸前、一体何を目にしていたというのか。


 トワイライトは、現状から鑑みて少なくともこの件がイミューンの仕業であると判断した。

 過去によく似た傷を負った患者を診たことがあるし、魔術で強化したとしても並大抵の人間にこんな真似は不可能だからだ。

 それに、場の様子からみて悪魔族の仕業でもないと思われた。彼らはこのような浅い場所にはやってこない。

 彼らには彼らなりの流儀や手管、そして目的がある。この現場はそれにそぐわない。


「誤って縄張りに踏み込んでしまい、ここまで逃げてきた……というところ、か?」

『縄張りってイミューンの? こんな低階層でそういう事故なんかフツー起きないんじゃなぁい? よっぽどの初心者パーティでなければさ』

「……うーん」


 考えながらも手は休めない。

 迷宮での処置用に特殊加工された黒い解剖刀(メス)を用いて、手早く仕事を片付けていく。

 素子を抜き取った遺体には魔除けの札を張り、せめてもの弔いがわりとする。彼らの体そのものが回収されるまで、これ以上亡骸が暴かれることのないように。

 ないと思うが、万が一食屍鬼化して動き回られても厄介である。


 そのまま五分と要さずに三名の死亡確認を済ませた。

 前衛の剣士が二名、魔術師らしき法衣姿が一名。

 ネロに身分照会を頼めば、すぐにクラン・シザーズの行方不明者であると判明した。

 この場に長居するのは賢明ではない。チップを回収し、彼らを殺した魔物につながる証拠があれば集めて、さっさと引き上げるつもりだ。

 本格的な検分もまた、後に派遣される機構の調査隊に任せればいい。


 トワイライトは五人目の確認と回収を終えたところでふと顔を上げ、辺りを見回す。

 十分に注意深く現場を観察して、ようやく気がついた。

 明らかに報告と数が異なっている、と。

 二つのパーティは総勢九名の筈だった。それにしては少なすぎるのだ。

 …………なにもかもが。血と肉、頭、四肢。人体の残骸。要するに、パーツが。

 いくら四肢がばらばらになっていようとも、これでは明らかに――


「足りない」


 思わずそう口に出していた。

 唐突なつぶやきに黒妖精が怪訝な顔で振り返る。でも、すぐにネロは表情を変えた。


『何が……って! トワイ、何かこっちへ来るよ。魔物(イミューン)が二体、やけに動きが速い』

「ったくよぉ、こんなタイミングで。こっちの気配を悟られたかねぇ」

『分からないけど……イミューンのパターンにさっきの〝黒いの〟が被ってて、なんか変なんだ。構えて――すぐに会敵するよ』


 仮視空間上のエンカウント表示。

 点滅する赤い警告文に舌打ちし、トワイライトは〈邪淫蓮葉〉の曲がりくねった柄に右手をかける。左手には竜素を集中させて、いつでも術を展開できるよう準備しておく。

 明らかな空気の変化を感じ、掌にこもる力がわずかに強くなる。

 ……背後に逃げ道はない。倒すか、強行突破して来た道を引き返すかだ。


 そして聞こえてきたのは草原のざわめきのような奇妙な音だった。

 しゃらしゃらと音を立てて多くのものが一様に蠢き、此方へと近づいてくる気配。大勢の子どもが何事かを囁きあっているような不気味な鳴動。

 やがて音がぴたりと止んだ。何者かの息遣いをもう間近に感じている。えらく大きな何かがすぐそこにいる。おまけに、ひどく匂っている。ヒトのものじゃない、魔物の匂い。だが、その姿はまだ闇に隠されている。


 不意に、暗黒の中に白いものが浮かび上がる。

 黒く粘ついた水の中から、ぷかりと浮き出る腐肉のように。それは不吉で緩慢な光景だった。

 てっきり魔物が姿を現したのだと思った。……でも、違った。

 次の瞬間、トワイライトはそれが何かをはっきりと視認した。


 暗がりに浮かび上がったのは人間の顔だった。

 血の気を失い、青白く映える青年の顔。それが逆さまになって宙に浮かんでいる。


 続いて上半身が晒し出され――そこに続くのは血泡に塗れた異形の大顎。無数の単眼。

 トワイライトは眼前の光景に、ひゅ、と短く息を吐く。その極めて小さな音を聞き取ったとでもいうように、太く赤黒い顎肢と発達した口器が蠢く。

 腰から下を魔物の大顎に挟み込まれた青年が目を開く。恐怖と絶望に見開かれた瞳がこちらを向いた。


「助けて」


 青年の懇願する声が、はっきりと聞こえた。

 まだ辛うじて生きている。生かされている、というべきか。

 彼は生きたまま魔物の顎に砕かれ、喰われつつある。青年が身を震わす度に魔物の体節から突き出た毒牙が腹にめり込んで大量の血が滴り落ちる。

 漏れる苦鳴は泣いているような響きを伴い、トワイライトの耳に届いた。


「助けてくれ」


 その苦鳴すら味わうように、ゆっくりと闇の中から這い出る異形。


 眼前に現れたのは、地上の蝍蛆(むかで)とよく似た特徴を持つ大型イミューンだった。

 おぞましい形の頭と多数の歩脚をもつ胴節の連なり。捕食性の獰猛な蟲である。


 更にその背後からざわめくような音を立て、黒光りする個体がもう一体現れる。

 雌雄一対。どうやらツガイで行動するうちの雄のようだ。


 そいつも、残りの不明者であろう魔術師の少女を大顎に咥えていた。

 少女の黒いローブにはクラン「狗颅骨(クルグ)」のシンボルである狗の頭骨マークが縫い付けられている。剥がれかけのそれがどうしてか、はっきりと目についた。

 雄の顎肢に捕らえられ、臓物を垂れ流している少女はぴくりとも動かない。歩脚に抱き込まれたまま此処まで引き摺り回されたのか、細い体躯は襤褸切れ同然と化している。


『うげぇ……最悪ゥ』


 今、ネロのつぶやきはトワイライトにしか聞こえない。

 トワイライトは何の相槌も打たなかったが、ネロの悪態は彼の心情をしっかりと代弁していた。


 大蝍蛆の触角はニュルニュルと自在に蠢き、角というより触手に近い。

 巨大な雌は頭を近づけ、未だ動かずにいるトワイライトの出方を窺い始めた。

 頭部の五つの単眼が彼をしっかりと捉えている。複数の目玉にじっくりと値踏みされている感覚に怖気が走る。それでも恐怖に駆られて動きだしたりはしない。

 新しくて活きのいい、しかも大量の魔力を帯びた餌を見つけた。

 そういう本能的な悦びが魔物の眼に垣間見えた気がしたが、所詮は勝手な思い込みにすぎない。

 それでも地上においては多くの女とまぐわい気を高め、迷宮では竜素をその身に集め溜めこむトワイライトは、間違いなく極上の餌と映っただろう。


 ――新たな獲物とみとめたらしい。雌蝍蛆は顎肢に捕らえた青年の胴を一気に噛砕すると口から振り棄て、トワイライトに牙をむく。

 それとほぼ同時。駈け出した彼に躊躇は無かった。

 獣のように猛然と四肢で地を蹴り、一気に雄の頭に飛び移る。一瞬よりも短い刹那、彼のいた場所を雌の曳航肢が叩きつける。

 飛び散った床の破片が頬を裂き、白磁の肌に薄い血の筋を滲ませる。


 どうってことはない。むしろ傷なんかどうだっていい。


 半身を噛み砕かれた青年剣士はもう助けようがない。最初からそこに跳びこむことなど不可能だった。それは瞬時に判断していた。


 だから雄の大顎に跳びついたトワイライトは刀を差し込み、力任せに口器を抉じ開けてゆく。ごきん、と音をたてて開かれた魔物の顎から少女の体が崩れ落ちる。トワイライトは自らも勢いをつけて落下し、少女を受け止める。

 牙から噴出される毒液を巧みに避けて、掻っ攫った娘を抱えたまま後方へ飛び退く。

 尻尾の追撃から逃れ、更に後退。振り下ろされる曳航肢がぶつかる度に堅牢な筈の壁がひび割れ、亀裂が走る。

 野営地の奥、行き止まりの場所にまで追いやられたのはよくない。でも、今更遅い。


 滑るように着地して膝をつくと、はずみで腕の中から何かが落ちる。

 抱えた腕から零れ落ちたもの。それは、ずたずたになった少女の手指と小さなナイフだった。

 時既に遅く、少女はとうに事切れていた。

 腹や胸からは肉が削がれ、少女らしい丸みを帯びた体つきの大半が失われている。そこには人の温もりも魂も、尊厳すらも残されていない。

 紙みたいに、ひどく軽い。その体の希薄さが無性に心をざわつかせた。

 こちらも見込みがあったとは思っていないが、トワイライトはぎり、と奥歯を噛みしめる。憐れんでいるわけじゃない。ただ腹が立つだけだ。


 ……ってゆーか、魔術師なのに杖じゃなくてナイフかよ。ひよっこでクソったれのメスガキ探索者が、装備もロクなの持ってねえってか。


 馬鹿げてる、と覚えた違和感に場違いな突っ込みをいれるが、ふと気がつく。

 きっと正式な武器なんて、とっくに折れてどこかにいってしまったのだろう。探せばどこぞに転がっている筈だ。見つける気なんて全くないが。

 少女が絶望的な状況に自害しようと構えたのか、それとも最後まで抵抗しようとしていたのかは分からない。けれど、最後に構えたのが護身用の粗末なナイフだったのだ。

 それを懸命に握りしめていた指にはつつましやかなデザインの指輪が嵌っていた。

 腕からも掌からも千切れて、小さな肉の塊になってしまった薬指。……多分、薬指だろう。

 彼女はもう何の約束もできないし、そして既に交わされたそれを守ることも叶わない。


「……ってぇ、あほか俺は」


 ばかじゃねえの、とごちてトワイライトは芽生えた感傷をすぐさま捨てる。枷になるようなものは要らない。

 いつも身軽でなければ勝ち続けることはできない。

 いつかリンレイ師匠がそう言っていた……と、思う。いつだってあの女の説得力のある言葉が好きだった。今だって、それに従うだけだ。

 幼い魔術師の瞳には恐怖がやきついたまま見開かれている。

 恐怖? 諦観かもしれない。

 どっちだっていい。関係ない。俺には。


 トワイライトは掌でそっと押さえると、そのまま少女の瞳を閉ざしてやった。優しさでも憐れみからでもない身勝手な行為。これ以上余計なものを少女の瞳に見出す自分に耐えられそうにないから、閉じたのだ。

 死は生者にとって永遠に正体の分からないモノだ。今生きている限り知ることが出来ない。

 死者は何も物語らない。その代わりに、彼らは真実(それ)自体として、そこにある。

 ただそれだけ。


『やあ、大丈夫? 彼ら相当気が立ってるみたいだね』


 トワイライトの気を引きもどすためか、ネロが普段通りの落ち着いた口調で語りかけてくる。

 この魔物の過去の出現情報から活動範囲、交配期間が視空間に投影される。生息域は十層以降とある。

 情報を視認すると違和感が生じたが、すぐにネロが明確化してくれる。


『でもさ、こんなのが地表近くまで出てくるなんて、やっぱりどう考えてもおかしいんだよ。まるで何か……それでなきゃ誰かに意図的に誘導されているみたいじゃない? トワイライト――』


 呼びかけに被さるように叫び声が響き渡る。眼前の魔物が上げた咆哮だ。

 それは音というよりは直接的な空気の震えとなって全身に伝わった。


『兎も角さ、誠に残念ながら、キミの足を引っ張る人間なんて此処には誰一人残っていなかったんだから。もう存分に暴れちゃいなよ?』

「……言われなくても」


 ネロの合図とほぼ同時。

 紅い闇を泳ぐようにして距離を詰め、二体の魔物が積極的な捕食の態勢を取る。どちらも本気でトワイライトに狙いを定めたようだ。

 ……最低最悪。ただじゃ地上(うえ)にも戻れねえってか。

 不審な点が残ったままだが、まずはこいつらを片付けなければならない。

 

 トワイライトは刀を抜いて構えると、いつも通りの淫靡で猛悪な笑みを浮かべた。





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