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迷宮のウルトラブルー  作者: 津島修嗣
第一章 リトルドラゴン
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二. Missing

 


 二.




 青空には茜雲。薄明に沈む直前の陽光を浴びた入道雲が紅く照り映えている。

 魔都の不気味な夕暮れは、しかしそれなりに美しい情景だった。

 ハルが言ったとおりだ。夕刻前になって外に出てみると、雨はすっかり上がっていた。


 青燐せいりん堂を出て路地裏街へと抜ければ、すぐに肌に張り付くような熱気に包まれ、湿気垂れ込める重い空気が肺を圧迫した。

 雨雲が暑さを連れ去ってくれることはなかったらしい。高温多湿な初夏の午後、道行く人々の様子もどこか気だるい。

 トワイライトは近くの露店で買った檸檬味の氷菓子を齧りながら、出来るだけ道の真ん中を歩いた。

 通りの両側に聳える集団住宅からの落下物、あるいは壁面のあちこちに取り付けられた室外機からの漏水には注意が必要だからだ。せっかく雨宿りしたというのに、びしょ濡れで帰るのでは意味がない。

 裏路地街は懺骸ざんがい地区が誇る一大繁華街から数ブロック外れた山側に位置している。

 退廃的で妖しげな区画であり、本通りの喧燥も遠巻きだ。白壁と赤い扉を貴重とした古い建築物、それに近年増えつつある店子と集団住宅が合体したプレハブ形式の建物が軒を軋り、棟を並べている。

 トワイライトの医院と青燐堂も裏路地街に店を構えるご近所だ。


「よう、センセイ。仕入れたての生薬あるけど、どうだい」

「今日はやめとく。また今度顔見せるから」

「よろしく頼むよ」

 顔見知りも多い。こうしてふらふらしていれば、往来の中で話しかけられもする。

「あ~、トワイ先生じゃ~ん」

「寄ってかない? サービスしちゃうヨー?」

「悪い、今晩仕事溜まっててさ。次はゆっくりたっぷりね」

「ふうん。それじゃあ、今度はぜったい遊んでね~?」

「分かってるって」


 黄昏時が近づいて、通りもにわかに活気づき始めている。

 軒先に吊り下げられた赤や黄色の提灯に火が灯り、道路脇の食堂からは何やら香ばしい匂いが漂ってくる。

 誘惑に負けそうになるが、ここは我慢。今夜は真っ直ぐ帰宅して、仕事を片付けながら夕飯にすべきだろう。期限の近い仕事をいくつか片付けねばならない。うっかりハルの誘いに乗ってしまったため、予定は余計に押し気味だった。

 トワイライトは人波に逆らうことなく流れに身を任せ、ゆらゆらと自宅の方に向かって歩く。彼の自宅兼医院はここから徒歩で十分ほどの距離にある。


 ふと頭上を見上げれば、抜けるような蒼が目に痛かった。

 魔都の空は粉塵や排煙による靄や霧で霞んでいることが多く、これはなかなか珍しいことだ。

 その色彩は延々と続く薄明の日常に身を浸すトワイライトの気を引いた。

 ……無性に手を伸ばしたくなるような蒼い色。

 宵闇に転じる寸前の儚い蒼は、あの竜の姿を強く想起させた。

 ハルは「お前は本当に竜を見たのか」と問うたが、自分自身ですら未だによく分からずにいる。記憶はもう殆ど曖昧で、断片的なイメージとしてしか残っていない。

 ただ、あの竜は本当に美しかった。それだけが、まるで初恋のように淡く甘やかな記憶として、今もはっきりと頭に残っている。

 記憶か幻かなんて、実際はどうでもいい。

 たとえ何度も見るうちに美しく粉飾され、塗り替えられ続けた夢でもいい。

 トワイライトが竜を「視た」ということに偽りは無い。個人の記憶や経験において、事実と真実の意味は異なるものだ。


 遠くで破裂音。


 子どもが爆竹でも鳴らして遊んでいるのだろう。

 音に驚いた鳩の群れが、絵画のような蒼を白く切り抜いて東の空へと飛び立った。

 彼らの羽ばたきで、トワイライトもまた思惟の淵から浮上した。


 ……懺骸地区の空は狭い。

 ネオン看板やホログラム広告、無尽蔵に壁面を走る配管やらなにやらが所狭しとせり出している。此処が屋外であることすら忘れさせるくらい、路地は雑多なモノで溢れかえっている。人も多い。いつも埃っぽくて、ゴミゴミとしている。

 今だって、どこかの中庭の天窓を見上げているような錯覚すら覚えるほどだ。

 だから切り取られた小さな蒼は、猥雑な都市の空には不釣合いなほど映えた。


 街頭の至る所に組み込まれた電脳掲示板には、今日の天気予報から株価、渡航情報や占いの結果までがかわるがわる表示され、目まぐるしく移り変わっていく。

 強盗事件の現場中継から、流行りの歌手のミュージックビデオやらがごちゃ混ぜに流れる様子はどこかシュールですらある。

 トワイライトがたまたま目を留めた今夜の天気。半島を囲む晴れのマークに混じってテロップが、「黒数島北部、局地的に雨」と報じている。

 日ごろから雨男と揶揄されていたりするが、これでは自分が本当に雨を誘っているようで微妙な気分だ。


 …………空。晴れ渡った青い空。


 それがなんだというのか。

 たとえ空が蒼くたって、雨降りだとしても、当たり前に退屈な日々が続くことに変わりはない。明日も、明後日も。

 今日は今日、明日は明日で、なるようにしかならない。ならば気のむくままにクソッタレな日常を送ろう。

 それがトワイライトの持つ唯一の信条めいたものだった。






 街は混沌そのものといった風情であるにも関わらず、出鱈目で猥雑極まりないという一点においてはこの上なく秩序的だ。

 秩序ある混沌。

 誰が言ったか知れないが、言いえて妙な表現ではある。


 トワイライトの住む魔都・黒数(くろす)は世界でも指折りのメガシティだ。

 黒数本島に九魔半島、そして、その周辺に浮かぶ多数の島々を含む地域の総称でもある。古くから東洋における交通の要所であり、港は自由港として、多くの船舶が入港してくる。


 此岸は黒数本島。

 トワイライトたちが暮らす残骸地区を含め、繁華街や歓楽街、女衒街など、華やかで古い区画を中心としている。

 郊外には歴史的観光地もあり、海外からの客も多い。まさに魔都といった風情のある旧市街地だ。


 一方、対岸は九魔半島。

 なんといっても一番の特徴は、超高層建築が聳える摩天楼群。

 中心商業地区である芙蓉や白魔には多くの企業のオフィスビルがあり、東洋の地域統括拠点として多国籍企業が多数進出している。

 高度な技術を駆使して築き上げられた高級住宅街・空中楼閣も、白魔の摩天楼群の中に隠されている。


 ともかく、年がら年中観光客やビジネスマンで溢れかえるのが海峡都市・黒数の姿だ。


 そして、人の流入を激しくする要因がもうひとつ。


 ――――それが、迷宮探索者。

 地位と名声、そして富を求め、あくなき野心と憧れを抱く冒険者たちの存在だ。


 今から百年以上前、黒数西部の地下で巨大な迷宮(ダンジョン)が発見された。

 迷路のような街の下には、本物の迷宮があったのだ。

 そして今、この巨大迷宮の攻略を目指す探索者の流入が人口の多い街を更に賑わせている。実際、探索者の存在がこの街の経済を潤しているといっていい。

 トワイライトの医院も表向きはそれでもっているようなものだ。商売における裏の側面でも、また副業においても、迷宮とは切り離せぬ関係にあるのだが。

 そもそもこの街で暮らす奴らは、何らかの形で迷宮に関連する仕事についているといっていい。


 今しがた横を通ったパーティの一人が、トワイライトに対して軽く会釈をして去っていった。

 先日、迷宮で怪我を負って医院に担ぎ込まれた剣士だった。なかなか骨のある(そして金もある)男だったので、珍しく気が向いて真面目に……いや、いつも通りきっちり治療を施したのだが、あの様子ならもう問題はないだろう。懲りずに今日も探索に出ていたようだ。

 男どもの無粋な野望が底を尽きることはない。


 探索者たちの目的は多岐に渡る。

 だが、その多くは難所を踏破することによって得られる地位や名声である。

 一流探索者として名を売れば、軽く一財産築くことができるし、地上の企業の用心棒や請負人、大手セキュリティ会社の職員へ転身することも可能になる。

 多くの魔物を屠り、難関を制覇すれば忽ち英雄扱いだ。

 中には迷宮内の希少な鉱物や動植物の採取を目的とした商人も混じっている。

 迷宮には探索者以外にも様々な人間が出入りする。比較的安全な迷宮表層部は半ば街のようになっており、そこに住み着く世捨て人や奇人変人も少なからず存在する。



 地下迷宮の成り立ちについては、有名な伝承がある。


 迷宮は元は一頭の巨大な竜だった――――そう謳う眉唾ものの御伽噺だ。


 大昔、この地で眠りについた巨大な雌竜の肉体が朽ち果て、骨格が化石となり、気の遠くなるような時間をかけて巨大で複雑な迷宮に変貌した。

 伝承によれば、巨竜は〝箱舟〟と呼ばれるある種の兵器だったという。

 箱舟についての解釈は多々あるが、異界と現世をつなぐ船のようなものだとする説が有力だ。

 かつての世界の主、原住種族であった竜族が造り出した巨大知的生命体。

 それが巨竜であるという。

 いにしえの時代、竜族は異界に生まれた破壊の意志、その権化である悪魔どもとの戦争を繰り広げていた。

 巨竜はその際、異界と現世を行き来する船であり、多種族とわたりあうために生み出された生体兵器であった。


 ……そういう、御伽噺。

 現代に生きるトワイライトたちにとっては、もうただの夢物語である。

 たしかに竜族の末裔と呼ばれる者たちが迷宮街で暮らしているし、竜に対する信仰を持つものも存在する。


 伝承が嘘か誠かはさておいて、迷宮は翼の生えた女性の形であることが明らかにされている。

 迷宮の輪郭。その外形が、ちょうど女性が丸くなって自分自身の肢体を抱えた姿勢に見えるとかなんとか。このように現代の調査によって判明した事実が、伝承の肯定論者を後押している。

 この話の通りなら、探索者たちは巨大な女の骨格を伝って旅をしていることになる。

 なんて奇妙な夢物語。

 兎にも角にも地下迷宮は深く広大で、移ろう女心のように時々刻々と変化を続けているらしい。


 迷宮の中枢部は〝カテドラル〟と称される。

 勇猛果敢な冒険者たちは、このカテドラルを目指してクランを築き、血盟を結んで日々アタックをかけている。

 カテドラルには至宝があり、それを手にしたものは玉座につく資格を得る。そういう尾ひれのついた噂話までが罷り通っている。

 胡散臭い話であるが、なにしろ前人未到なので、誰にも真相はわからないままだ。

 存在しないということを証明することは、何よりも難しい。


 勿論、入り組んだ地下迷路をただふらふらと探索するだけでは済まない。

 冒険小説と同じく、迷宮には危険がつきものだ。

 だから、ある者は武術を磨き、ある者は魔術を身に付け、人びとは徒党(パーティ)を組んで歩く。

 〝イミューン〟と呼ばれる魔物が、その名の通り不躾な侵入者を排除する免疫システムのように行く手を遮る。

 迷宮深部、歪んだ次元の淵からは悪魔族が這い出してくる。その生態は未だに謎が多く、探索者を喰らう異貌の化け物としてしか認識されていない。

 竜や探索者の屍肉によって彼らは肉体を得て迷宮に顕現し、欲望のままに人間共を狩る。悪魔はイミューンと同等かそれ以上に怖れられている。


 ……と、まあ、魔都の地下では冒険小説のような絵空事が日々繰り広げられているのだ。






 それは急なことだったが、同時にいつも通りのことでもあった。

 不穏な報せを受けるのは、大抵気を抜いているときと相場が決まっているものだ。


『……トワイライト、聞こえているか』

「あ?」


 唐突なことだが、べつに驚きはしなかった。思考に直接声が飛び込んでくる。

 本当は、ただ〝聞こえている〟のと何ら変わりはない。「至急応答願う」と告げてから、声はトワイライトの返答を待っている。

 生体通信。

 トワイライトは即座に意識を向けて返事をすると、溶けかけの氷菓子を一気に飲み干した。


『あー、ちょい待ち、っと。……うん、オッケー。聞こえているよ』


 往来で立ち止まったままでは邪魔になるので、歩きながら応じる。

 トワイライトは声に応えつつも、殆ど無意識に即頭部、耳の裏側あたりに手を触れる。


 トワイライトは外科的処置によって特殊で微細な素子をアタマに埋め込んでいる。

 これにより可視化された電網に直接アクセスして情報を引き出すことが可能になる。

 このご時勢、金銭面や身体に問題がなければ誰でもやっているようなことで、別に珍しくはない。


 同様の処置を受けた者同士であれば無線であっても直接他者との通信が行える。今しがた受けた通信がこれを利用したものだ。

 必要があれば互いに自分の知覚から情動に到るまで、極めて〝正確〟な意思疎通を交わすことだってできる。

 ……もっとも、トワイライトの場合、それを用いることは滅多にないが。

 また、外部装置に記憶を保存して再利用するシステムも実現されている。いわゆる他者の記憶と経験のシミュレーション。人はあたかも他人に憑依したかのような体験を享受することができる。

 難病患者から、商社マン、ゲーム好きの若者や専業主婦まで、多くの人間が生体と機械の融合によるサイバネティクスの恩恵を受けている。


 特に迷宮探索者において、それらの技術は、電網を介した迷宮内でのリアルタイム・ナビゲートや仲間との通信手段のために重宝されている。

 冒険小説で描かれたような迷宮探索は最早過去のもの。

 現代の冒険では、ギルドやクランにおける人的互助機能はそのままに、高度技術もまた探索者を後押しする重要なツールとなっている。

 そうでなかったとしても、素子を埋めこむことでID管理を受ける探索者が殆どだ。増加の一途を辿る迷宮探索者の安全管理、また一般観光客や民間人との不要なトラブルを避けるため、生体素子の埋め込みは半義務化している。

 ――――それでも、魂の台座は脳みそと肉体で、迷宮に乗り込むのは生身の人間。

 多くの探索者たちが泥臭く血の通った夢物語を追い求めているという点は、今も昔も変わらない。


『少しいいか』

『うん? 問題ないけど、オマエは……』


 声は男性のもの。

 少し疲れたような印象の渋みのある声で、若いんだかオッサンなんだか、その声だけではよく分からない。

 しかし、聞き覚えはある。


『……オマエは、ツオルギだよな?』

『いかにも』

『相変わらず気苦労多そうな陰気ボイス。こっちの運気まで下がりそう』

『やかましい。こちらとて電話越しに会話するだけで阿呆と淫乱が感染りそうで嫌だ』

『いってろよ。面白みに欠けるカタブツよりはマシだろーが』


 ツオルギは迷宮探索統括機構(LQPO)の第二分署副所長である。

 迷宮を探索するにあたり、多くの探索者はギルドに身分登録し管理される。

 ギルドは情報交換や仕事・任務の斡旋の場であり、それらを含めた互助組合的な役割を担う組織、そして、機構はそれらのギルドやクランの登録情報を取りまとめる役所にあたる。

 ……役所といっても、迷宮内にもある程度の秩序が必要だと考える一派によって設立された組織にすぎないのだが。

 それでも彼らの功績は大きく、迷宮の探索や治安の維持にたいへんに寄与しているといっていい。

 役所。役人。中間管理職。

 トワイライトにとっては、耳にするだけでなんだか無意味にげんなりしてしまう言葉の羅列だ。


『それでぇ? 副署長サマがどうしたよ。なァんか声が焦ってるけど』

『急ですまないが、一つ頼まれごとを引き受けてはくれまいか』


 内心では、「きた」と思った。

 ツオルギからの連絡は仕事関連以外にない。

 とりわけ厄介な案件……それもトワイライト向けでしかない案件が舞い込んだとき以外には。


『言ってみろ』

『クラン・シザーズ、及び狗颅骨(クルグ)の探索者総勢九名が第五層到達以降、ナビとの通信が途絶えたまま戻っていない。両パーティとも五層への到達を報せた後、一切の連絡もよこしていないのだ』

『……それ、どれくらい経つのよ?』

『もうすぐ一日が経過する』

『現在位置とか、なんにもわからねーの』

『反応が微弱で、地上からでは大まかな位置しか分からない。潜ってみないことにはどうにもいえない』

『それはご愁傷様だねぇ』


 ――実際ちょっと厳しいな。


 皮肉めいた言い方をしつつも、トワイライトは胸中で舌打ちする。

 目的座標への誘導や魔物の出没状況、その他の問い合わせも含め、ナビゲート役へ何の連絡も無いというのは不自然なことだ。

 自分たちの状態を含め、なんらかの知らせを逐次入れておくのが普通である。


 おまけに、シザーズといえば精鋭揃いで有名だ。第十層・塊聶かいじょう地区の探索で名を売っている。

 クルグも魔物の討伐数が多く、中堅の探索者たちで構成されている。トワイライトも彼らのクランの名前を知っている。熟練度から考えても、両者が初歩的なミスや無茶をやらかすと思えない。

 正直、どちらもお行儀がよいとは言えないクランだが。

 地上の無法者が、地下では英雄。これはさして珍しいことではない。


 しかし、その彼らが行方不明となると状況はよくない。何かに巻き込まれている可能性が高い。

 迷宮は時々刻々と変化し、予想外の事故や襲撃を受けることも多い。

 高等な知能を持つ魔物は待ち伏せによる襲撃も行うし、地形を利用した攻撃や、各個体が連携した攻撃を仕掛けてくることもある。

 体内に侵入した異物を排除する。唯一、その目的のためだけに、〝イミューン〟そう呼ばれる魔物どもは強い力をもっている。

 嫌なイメージが一気に膨れ上がる。

 半ば返答の予想はつくが、問いが口をついて出た。


『ふーん。で、ツオルギよ。俺にどうして欲しいってんだ』

『お前に当該ポイントまで潜って欲しいのだ。依頼内容は彼らの安否確認、死亡時はID素子の回収を行うだけで構わない』

『今、生存者の保護って含めなかったのは希薄だって分かっているから? その人数だと生きていても俺一人じゃ救助は無理だろ』

『……ノイズのせいもあるが、途中で彼らの生体信号が途切れているのは事実だ。お前の言うとおり〝黒〟の可能性が高い。

 どちらにせよ、実際に潜ってみないとこれ以上の情報が得られない』


 〝黒〟は死亡を意味するコードだ。

 安否確認というよりは死亡の確認、そして彼らの潜行記録の回収が真の依頼内容というわけだ。


『クラン同士の抗争の可能性もある。強力な魔物の襲撃を受けた可能性もまた。情報が少なすぎる現段階で表立った捜索や調査を行いたくはない。こちらも人手が不足しているのが現状だ。単独潜行が可能、かつ中立の立場の人間で手隙なのは今お前だけなのだ』

『……それ、俺が暇人だと端から断定してるように聞こえるのだけど』

『そうだが』

『ひどい』


 ツオルギはにべもなく言った。

 言い返しつつも、トワイライトは実力と実績を鑑みた上で彼に依頼されていることを知っている。


 迷宮は地上とは独立したルールによって、生き方が規定される。

 黒数は法治国家であるが、地下には地下のルールがある。それが許されている。

 地下社会の唯一の掟。

 すなわち、弱肉強食。それがほぼ全ての答えだ。

 地上のルールもいかなる組織も、そして闇社会の人間でさえも、直接的に迷宮内のことがらに手を下すことはできない。これは昔からの取り決めだ。

 探索者が迷宮の中で生き残るには、自分自身の運と力量、そして仲間の助けだけが頼りだ。

 社会のルールも何もかもが彼らを守ってはくれず、地下は完全なる自己責任の世界。

 こればかりは誰がどうこういっても変わりようがない。

 むずかしいことは分からない。けれど、なぜだか魔都と迷宮はこの大雑把なルールによってバランスを保ち、探索者たちの冒険は今も続いている。


 そんな無慈悲なルールの中で生き残り、他者を上回る力をもって行動できる者。

 他人の事情に干渉してなお平然と生き残ることのできる者。


 ――――そういう奴にしか厄介事は頼めない。


『今日はまだ他のパーティも多く潜っている。混乱を避けるため、現段階であまり騒ぎを大きくしたくはない。無理は承知の上だが、どうか行ってくれないか』


 トワイライトの副業。それは迷宮召喚師である。

 探索者の救助や保護を行い、時には迷宮内でのあらゆる厄介事を引き受け、片付ける。体のいい便利屋か、それでなければライフセーバのようなもの。

 現在のトワイライトは迷宮探索者ではないし、どのギルドにも属さない。

 単独で動けるのは医術士としての技術と召喚師としての手腕があるから。独自の戦り方ができるからだ。

 あくまで中立的立場で動くし、自主的にパーティを組むことはありえない(そして、その気も無い)。

 それでも顔は広く、こうして役所の知り合いや馴染みのクラン、時には裏の界隈から依頼を受けることも多い。


 やすっぽい(特にお役所関連の)依頼などクソくらえ。


 ……そういって本来ならバッサリ断りたい内容の依頼であっても、形はどうあれ「人助け」になるものであれば意に反していても引き受けざるを得ない。

 これこそが生前の師・リンレイに刻みこまれた「命令」のひとつなのだ。

 昔、あのアバズレ女はあろうことか体の奥深く――というか骨に直接命令の呪文を刻みこみやがった。

 大雑把に言えば「人のためになることをしろ」という内容の呪文を、文字通りトワイライトの脳髄に刻み込んだのだ。


 彼女の気まぐれなのか、修行や更生のためか。あるいは単なるムカつくクソ弟子への嫌がらせなのか。それは未だに分からない。

 もしかすると愚かな弟子が社会から完全に逸脱し、正真正銘の左道に足を踏み入れぬよう施した「くびき」のつもりかもしれない。

 なんにしろ、トワイライトはこの面倒くさい呪いのおかげで、一度は遠のくことを決意した迷宮に未だにつながれていた。


 肝心の呪いの効能。これが問題だ。

 その効果は(あくまでリンレイ基準の)受けるべきと判断される依頼を断るとめちゃくちゃ具合が悪くなる、というものだ。

 至ってシンプルである分、なんだか無駄にタチが悪い。

 生前も、そして残念なことに今も、師の価値基準はよく分らないままである。

 そもそも性格……というか、その人間性自体がよくわからない女だった。

 解決する術がすでに失われている以上、トワイライトもこの性質については半ば諦めかけていた。


『引き受けてくれるか』


 勘が――――、正確には脳裏に深く刻み込まれた呪いが、「引き受けろ」と告げていた。

 こうなると、もう断ることができない。

 三日三晩トイレに篭り切りになったり、あるいは原因不明(何せ呪術だし)の頭痛に悶え苦しむのは御免である。以下同様の流れで、迷宮絡みの厄介事はその大半を引き受けることになるのだ。

 だから、トワイライトはいつも通りの返事を返す。


『……分かった』

『イミューンの仕業であれば、相当ランクの探索者に向けて討伐司令を下す。

 お前はあくまで対象の安否確認、死亡時は素子の回収を優先してくれ。くれぐれも深追いするな』

『分かったよ』

『ナビゲートはネロに依頼を出してある。彼女はすでに接続して待機中だ。お前に呼び出されるのを長らく待っていたようだぞ』


 ネロはトワイライトの相棒……の、ようなものだ。

 迷宮に潜る用事がある場合は、もっぱら彼女に案内役を任せることが多い。

 彼女は人よりコンピュータに詳しくて、そして少しだけ変わっている。

 あとは、自宅にひきこもったまま殆ど外に出てこられない。出ない、のではなくて、出てくることができないのだ。


『……ツオルギ。あんまり病人を酷使してくれるなよ』

『お前こそ、その病人に気を持たせるような真似を控えたらどうかね』

『きっついね』


 思いのほか皮肉な文句で返されたことに苦笑せざるを得なかった。

 確かにツオルギの言うとおりで、トワイライトは何も言い返せない。


『入り口に人員を手配しておく。戻り次第、素子を渡し報告してくれ』との言葉を最後に通信は切られた。


 ツオルギが探索者たちの生存を期待していないのは明白だった。

 パーティの全滅なんて日常茶飯事。無謀な冒険者の死などいちいち気にしてはいられない。

 運よく今日を生き延びた探索者は、夢と栄光を信じながら明日もまた迷宮へ潜る。

 その繰り返しだ。


「あーあ。なんか嫌な風向きなんだよなァ」


 どうにもキナ臭い感覚が拭えない。誰彼時の生温かい風が頬を撫ぜてゆく。

 風に乗せられた白い欠片が舞って、トワイライトの前髪に音もなく被さった。


「……灰? いや、羽か」


 トワイライトはその一片を指先で摘み上げて弄んだが、すぐに手から離した。

 羽はふわりと浮かんで宙を舞い、やがて重力の存在を思い出したみたいにゆっくりと時間をかけて路面に落ちた。

 溜息一つで切り替えて、トワイライトは足早に医院へ引き返す。

 そしてすぐに装備を整えると、迷宮入り口・蓋頚がいけい地区へと急行した。





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