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二一. 洛兄妹

 


  二一.




「十三番でお待ちの患者様ァ、中へどうぞ」


 手袋を脱ぎ棄てながら、待合室にいる〈客〉へと呼びかける。

 今しがたの所業がまるでなかったような朗らかな態度は、はっきりいって異様である。

 されど、これとて日常茶飯事。いつも通りの光景だった。


「トワイ先生、会いたかったヨ!」

「おぶっ」


 トワイライトが顔を出した瞬間、そこへ頭ひとつぶん大きな影が飛び込んできた。

 すぐに長い腕が肩に寄せられ、ものすごい力で抱き寄せられる。頬が硬い胸板に当たって、なんとも言えない悲しみを感じた。同時に窒息しそうな焦燥感も。


「レイシォン! ちょっ、タンマ! や、やめて、本格的にかなりぐるじい」

「お久しぶりだネ~、センセ!」

「首っていうか頭、頭が絞まってるって! 超貴重な中身が出ちゃう! ひぃ、髪とか肩とかクンカクンカしないでぇ……色々無理ィ……」

「はー。先生はいっつも無駄にイイ匂いだナ~。なにこれ、フェロモン?」

「おれが知るかよォ」


 トワイライトをぎゅうぎゅうに抱きしめ頬擦りしているこの青年こそ、(ルオ)雷生(レイシォン)。洛家の次男で、藍洛幇の幹部である。そしてネロの異母兄だ。

 トワイライトがぐったりしたのを見止めて、彼はようやく腕を離した。

 しおしおにされたトワイライトは咳き込みながらも酸素を求めて呼吸を繰り返す。


「死ぬかとおもった」

「かわいこぶるのは良くないネ、トワイライト。もっとボクという存在をしっかり受け止めてくれなくちゃ」

「げほっ……なんでそう力任せにくっついてこようとするの! オマエは!」

「なんでって、好きだからに決まってるだろ。ダメ?」

「ダメ! おれは女の子が好きなの。おっぱいの大きな女の子がね!」

「傷つくなァ。ボクはただトワイ先生が大好きなだけなのに……」

「だ……ダメ! だめです! ノー! よくない! おいこら、身の丈六尺五寸以上ある大男がかわゆく小首を傾げてもダメなもんはダメなんだよォ!?」

「ちぇ」


 胸の前で腕を交叉しながら懸命に訴えれば、レイシォンは案外大人しく引き下がり、手近な診療台へと腰を下ろした。

 開襟シャツにグレーのジャケット、黒いリボンのパナマ帽。ラフなスタイルではあるが、当人の容貌からか隙がなく研ぎ澄まされてすら見える。要はよく似合っていた。

 洛雷生は、トワイライトとはまた違うタイプの美丈夫であった。上背があり、引き締まった体つきをしている。大柄だが、理知的で端正な顔立ちのために、怜悧な印象さえ与えてくる。確かに見た目通り、否、見た目以上に狡猾な青年であることをトワイライトはよく知っていた。

 それでいて「なんだい、そんなに見つめて。惚れ直したかい?」などと平気で聞いてくるような愛嬌も持ち合わせている。

 もちろん惚れ直していないし、そもそも惚れてなどいない。この男の唯一の欠点をあげるとしたら、トワイライトを好いているというその性癖それ自体だろう。

 でも、そうだ。レイシォンはネロによく似ていた。

 端麗な容姿も、利発で狡猾なところも――そこに人懐っこさの同居した内面も。

 だいぶ前のことになるが、ネロにトワイライトを引き合わせたのもレイシォンだった。

 彼は断るまでもなくシガレットケースを取り出し、煙草を一本指に挟むと、そこにガスライターで火を点けた。


「一応、当院は禁煙なんですけどねぇ?」

「さっき吸ってたの、こっそり見てた」

「あれはお仕事用。でもいーなァ、それ高いやつじゃん。一本ちょうだい」

「ん、イイヨ」


 にっこり笑顔のレイシォンが自分の吸いかけを差し出してくる。

 高級煙草で銘柄は〈水晶〉。

 だが、吸いさしを渡されても嬉しくないし、どうしたって下心しか垣間みえない。トワイライトはジト目になってレイシォンを睨みかえした。


「なにそれ、キス顔? せめて眼は閉じてくれなきゃ」

「……あれだろ、レイシォンおれのこと本当は嫌いなんだろ。頼むから嫌って言って、お願いします」

「ああ、さてはキミ、間接キッスが気になるのかい? 恥ずかしがらなくていいんダヨ、トワイライト。そんなに淫らな顔をして……ものたりないと文句を言うなら、もちろん直にくちづけしてくれてもいいのだから。さあ、もっとボクに近寄って身を委ねて――」

「おまえとりあえずもう死ねよ! 今! なう!」

「なんだい、貰い煙草をするような子にはこれくらいでちょうどイイだろ」


 物騒なトワイライトの物言いに、レイシォンの部下が姿をみせて睨みつけてくる。当のレイシォンは「なんでもない」というふうに手を振ってあしらった。

 ふたりの間にはビジネスライクな関係と一方通行の恋愛感情のほかに、個人的な友人関係もあったが、レイシォンが今日この場に現れたのは藍洛幇による取引のためだった。医院周辺の物々しい警備はそのせいである。


「冗談ダヨ。はいどうぞ」

「さんく~」


 ケースから一本取って咥えれば、レイシォンが手を伸べて火をつける。

 滑らかで長い指だった。大きな手だ。前に、ネロはこの手で頭を撫でてもらうのが好きだと自慢していた。

 ネロは次兄であるレイシォンを一番に慕っていた。レイシォンもまたネロを可愛がっていた。その様子は父子のようであり、恋人のようでもあった。


「それで。リストは? 吐いたんだろう?」

「まあね。これが依頼の品だよ。どうぞ、ご笑納ください」

「なにその言い方。おもしろい」


 やや大げさにへりくだってみせると、トワイライトは黒いファイルを差し出した。

 ファイルには、先程の、裏切り者の烙印を押された男に記させた咒符が挟んであった。

 咒符はただの紙きれではない。それなりの効力を持った魔道具だ。そして、それは魔力を持たぬ者でも扱うことが出来る。

 中身を確認したレイシォンは満足げに微笑んだ。その眼はどこまでも冷たい。

 報復か、さらなる取引か。目的は知れないし聞かないが、ろくなことに使われないという想像だけはついた。

 しかし、依頼は依頼だ。それ以上でも以下でもなく、これこそがトワイライトの本業なのだ。リンレイが遺し、彼が半ば一方的に引き継いだ――。

 彼女の遺志が否としない限り、彼女が手をつけたものは損なわせない。なにひとつ。

 だから、トワイライトは迷宮だってどこにだって行くし、地上の悪事にだって手を染める。もっともトワイライト自身が「悪事」だと認識しているかどうかは別であったが。

 ともかく、そういうやり方でしか、あの女を独り占めにする術はもうないのだから。


「やっぱり、キミの腕は確かだネ。報酬はいつもの通り受け取らせるよ」

「どうも、お世話になっておりますゥ。今後も御贔屓のほどよろしくいただければ幸いですねえ……」


 悪い営業スマイルになって揉み手をすれば、レイシォンは少しだけ愉快そうにしながら溜め息をついた。

 廊下の向こうでは、彼の部下が紙幣の詰まった鞄をキョンシー娘に渡すところだった。

 骸には回路を組み込んであるため、偽物やごまかしは効かない。鞄を受け取り、矯めつ眇めつ中身をチェックすると、白髪キョンシー娘は男の顔をじっと見つめた。瞳孔の開き切った両眼の奥に、獰猛な光が灯る。


「……オマエ、チュウニクチュウゼイ」

「あ? なんだあ、いきなり。失礼なガキだな」

「血色、リョウコウ。内臓、ケンコウ。脂肪、ギリギリ標準。オマエ、少しだけ美味ソウ」

「なんっ、おい離せ! 触るんじゃない! や、やめ……いぎぎぎっ!」

「あーあー、ストップ、ストップ! だめ、シッ! こら、患者は喰っても〈客〉は喰うなって何度も教えたでしょうが」

「そいつ前にも客を喰ったのかよっ!?」


 勢い余って捕食態勢に入ってしまったキョンシー娘を押さえつけ、額をぺしぺし叩く。


「シャー!」

「シャーじゃない! めっ!」

「キシャー!」

「なんでもいいからそいつを止めてくれえっ! 爪、爪が刺さってうわああぁ!」


 低く喉を鳴らして指に喰らいつこうともがく娘の額へ、トワイライトは素早く咒符を張り付けた。

 鋭く尖った爪を男の腕に食いこませたまま、娘はがくりとうなだれる。


「過去に五回くらいちょっとした不幸な事故があっただけだ。なに、大丈夫ですよ、いまんとこ誰にも訴えられていないから」

「そりゃあんたが訴える人間ごと消してるからだろうがっ! ぎゃああ、腕から血がっ! ちくしょうっ、おれもキョンシーになっちまう!」

「いいんじゃない? どうせ今とそんなに変わらないでしょ」

「そんな、あんまりだ!」


 一連のやりとりを見守っていたレイシォンが「たしかにそうだネ」と、手を叩いて笑っている。レイシォンにとってもまた、この程度の出来事などは修羅場のうちに入らない。

 噛まれた男はしょんぼりと首を垂れて、今にも泣きそうになっている。


「そんなんでも、一応ボクのだいじな部下なんだ。きちんと処置してやってくれヨ」

「わかってるって。後でちゃんと浄剤してあげるから。ほらァ、下手に暴れると毒が回ってしまいますよ?」

「ボク、もち米風呂って薬臭くて嫌いなんだよネ」

「わかるわー。おれもヤだもん」


 トワイライトは適当に相槌を打ちつつ、キョンシー娘の背中に触れた。咒符に組み込んだ命令を実行するように気力を込めて念じると、掌に小さな稲妻が走る。

 符咒回路の調整が甘いのかもしれない。あとで点検をしたほうがいいだろう。

 そう考えている間に、鞄を抱え直した白髪娘はのろのろと歩きだして闇の奥へと消えた。興奮状態から抜け出したその様子はいつもと変わらぬ正常な動作に見えた。噛まれた男の「……怪物め」という低い呟きだけがその場に残った。

 少しの沈黙のあと、煙草をふかし終えたレイシォンが口火を切った。


「ところで、どうだい。うちの小雨は」

「ネロ、いや……詩雨はよくやってくれているよ。おれよりよっぽど引っ張りだこなのに、迷宮に潜るときは必ず時間を空けて付いてくれる。お前の妹は頼りがいのある立派な〈水先人〉だ」

「そうでしょう。そりゃ、ボクは兄弟のなかじゃ一番に詩雨のことを可愛がっているけどネ。欲目でもなんでもなく、実際にあの子は優秀なのさ。もしかしなくても、兄弟の中では一番ね」


 そう語るレイシォンの瞳には愛しさと悲哀がこもっていた。

 ネロこと(ルオ)詩雨(シユウ)は、九魔半島で名を成す富豪・(ルォ)豪毅(ハオユィ)の末娘だ。

 兄弟の中で女は彼女一人だけ。それに聡明で美しいとくれば、父である洛豪毅は詩雨を溺愛せずにはいられなかった。亡き妻に瓜二つであるという事実も彼にそうさせたのだろう。


「それでいて家督を継ぐこともできず、また、普通に生きることすら叶わない。広すぎる部屋に毎日ひとりで寝たきりだ。かわいい小雨。あの娘はとびきり可哀想な子なんだヨ」


「わかるかい」と付け足してレイシォンはトワイライトの表情を窺った。

 彼は黄昏色の瞳の奥にある感情を読みとろうとしている。今、視線を逸らすことは命取りだ。


「……妹想いも大概にしとけよ。詩雨はたしかに可哀想かもしれんが、あの娘は自分自身を哀れんだりはしないだろ。あれは精いっぱい狡賢く立ち回って、望むものを手に入れようとする立派な女だよ」

「へえ。それで、詩雨の望みは叶いそうカナ? 兄としては、そうでないと困るんだけどネ」


 トワイライトの言葉に少しだけ明るい顔に戻りながら、レイシォンは追い打ちをかけてきた。

 ネロの気持ちは知っている。知っていても、報いることはできそうにない。

 ……彼女の望む形では。


「……元気? あいつ」


 矛先を逸らしたくて、トワイライトは逆にネロの様子を聞いた。苦し紛れだ。

 電網を通じたやりとりを行ってはいても、実際の彼女にはしばらく会っていなかった。

 不自然には聞こえないだろうが、やはりレイシォンは少しだけ不機嫌そうに口を尖らせた。あからさまに回答をはぐらかされたのだから、無理もない。


「元気だよ。詩雨といったら、話しかければキミのことばかり喋るんで妬けちゃうネ。あ、もちろんキミではなく詩雨にネ?」

「いや、もうなんていうか、せめておれに妬いてくれよ。妹だろうが」

「そんな!? 相手をヤキモキさせてばかりのトワイ先生のようなスケコマシ野郎には全く理解できないだろうけど、恋は戦争なんダヨ!? たとえ兄妹であっても容赦はなしの――」

「いやいやいや、おまえ怖いわ。どっからつっこんでいいかわからないし」

「どっからって、ここダヨ! ボクの胸に飛び込んでおいでトワイライト! この胸をキミのまごころで貫けばイイ!」

「いやもうほんとに帰ってくださいおねがいします!」


 飛び込んでこいと言いながら、逆に詰め寄って頬を寄せてくるレイシォンをぐいぐい押して遠ざけながら叫ぶ。当然、誰も助けには来ない。

 またもや部下が何事かと顔を出すが、「なんでもない。待つヨロシ、九十分くらいネ」とレイシォンがやたら具体的な数字を出すので、トワイライトも半ば殴りかかるような調子に変わる。


「トワイライト先生キレイなんだし、ちょっとやそっとくらいよくなくナイ!?」

「いぎゃあああ! やだぁぁぁ!」


 トワイライトだって、一応道士のはしくれだ。それに幾度にも及ぶ迷宮潜行で鍛え上げた腕っ節だってかなりのものだ。……たぶん。

 だとすれば、それを常人には信じられないような力で押し返して迫るレイシォンはいったい何者だろうか。


「こんの馬鹿力めがァ! なァんでおれが競り負けてンだよォォ!?」

「ふはは! これが愛の力ダヨ、トワイライト!」

「そんな邪悪な愛があってたまるかっ!」

「キミにひとのことを邪悪だとのたまう資格ないでしょ」

「ううう」


 レイシォンの白皙の美貌は欲望でぎらぎら滾っていた。

 とても美しいが、とんでもなくこわい。おっかない。


「診療室ックスって退廃的で素敵ダヨネ!?」

「おまえは端に脳味噌の病気だろがぁぁぁ! オギャーーッ! 尻を鷲掴みにするんじゃないよぉぉ!」

「トワイ先生、随分お疲れだからお注射が必要ダヨネ!?」

「やだやだやだやだァァ!」


 殆ど涙目でトワイライトは必死の攻防を演じた。

 ここでなけなしの貞操を死守しなければ、ハルにもネロにも、そしてブルーが目覚めたあかつきにも顔向けできなくなってしまう――!


「なんで! なんでだめなの!? ひょっとして貧富の差!? 確かにその溝は埋めようもないけど……」

「どっから見てもまるっと全然よくねえだろがっ! あとせめて身分違いって言えよ虚しくなるから! 何にせよとくにおまえだけはダメッ、シッ、あっちいって!」


 飛びのいて白衣でとっさに身体を隠す。わきわきと手をうごめかせながら「冗談なのに」とレイシォンはため息をついた。尋常ではない力と勢いからいって、冗談な筈がなかった。


「でも、詩雨には少しくらい許してやってくれヨ」

「それは……」

「さもなくば、気を持たせるような態度はとってくれるな。中途半端な優しさは罪ダヨ。それでもキミの中にあの娘を好きだという気持ちがわずかでもあるのなら、容赦せずに切り捨ててくれ。いまさら実らぬ想いは、詩雨にとって残酷すぎる」

「……中途半端になんかしねえよ」

「でも〈ネロ〉はかわいくて堪らないんだろう? 手放す気なんて毛頭ない。じゃあ、〈洛詩雨〉はどうなのカナ? 水先人じゃない、キミと感覚を共有するわけでもなんでもない、ひとりの女の子としての、さ」


 絶望的なほどに、レイシォンの瞳は真っ直ぐだった。その視線はトワイライトの弱い部分を容赦なく貫いた。どうしようもない上に、どうすることもできない情を絡ませて。

 相手の弱みを容赦なく狙う残酷さと狡猾さ。幇会に長く身を置いてきた者の気魄と経験が確かに感じられる一面だった。同時に、妹への情愛の深さも思い知らされた。

 トワイライトはただ黙りこむしかない。


「ねえ、トワイライト。詩雨を泣かせたまま逝かせたら、キミを殺して犬の餌にしてやるから、覚悟しておくんだヨ?」


 凪いだ眼の底には、冷たくざらついた輝きがあった。レイシォンは本気なのだ。

 トワイライトは答えに窮した。

 切り捨てる。手を離す。自分のほうから。

 ……そんなことができるだろうか?


「なぁんてネ! ちょっと言い過ぎちゃったよネ!」

「……べつにぃ。いつものことだろ。あのさ、妹ってそんなに大切なモン?」

「あたり前だよ。でもボクは妹だからじゃない、詩雨だから大切なんだ。あれ、トワイライトは兄弟いないの?」

「内緒ォ」


 どうしてわざわざ伏せたがるのかと、レイシォンは怪訝な顔をした。

 そこへ携帯端末の振動が響く。一瞥したレイシォンはすぐにビジネスモードに戻っていく。


「……それじゃあトワイライト先生。もう一件頼まれてくれるかい? うちから金を借りていたやつなんだけどね、恢復(かいふく)不能だから、現物取り立て。いける?」

「急だから割増取るけど?」

洛家(ボク)ら相手にそんなこと言えるの、ほんとにトワイ先生くらいネ」

「はん。こちとら忙しいんでね。一階診療室の惨状見たろ? 最近異常に死人も怪我人も多いんだ」


 一階の〈診療室〉は、あくまでマトモな医院としてのスペースだ。

 診療を再開して一週間になるが、診療室も病棟も満床の状態が続いていた。今も診療室は回復を待つ患者や怪我人で溢れていた。患者の殆どは探索者か機構の人間である。

 レイシォン達も入ってくるときに見た筈だろう。


「確かに多いねって、先生は知らないの? 迷宮で新領域が見つかったって話。低層の形状も変動して、魔物の生息領域もずれこんできたりなんかしたりして、いろいろ大変なんだって」

「知っているけど、おれの知ったことじゃないね」

「副業なんでしょ。妹の安全のためにも真面目にやってくれヨ」

「分かってるよォ。噂にゃ聞いてる。でもマジな話、最近こっちが忙しいから地下には潜ってないンだよ」


 傷病者が増えた理由。

 それは迷宮において新領域が発見され、探索者が湧き立っているからだ。未知の領域がしっかり死傷者を増やして儲けさせてくれる。

 そして、もうひとつ。一部クランの連中が相手かまわず暴れ回っているために、トワイライトの医院も患者が増えているのだ。

 原因は狗颅骨(クルグ)にシザーズ。例のクランの連中だ。


「めずらしいね。きみが“慈善事業”に勤しまないなんて」

「すぐに皮肉を言うんじゃないよ、レイシォン。ヤなとこだけ詩雨にそっくりだ。おれにだって事情くらいあンだから、しゃあないのォ……」


 異常事態は異常事態だが、機構から依頼の入る危急の事件というのは、まだ少ない。

 そもそも、〈新領域〉の発見は機構が事態を捌ききれないくらいの新奇な状況だ。迷宮探索は混乱を極めている。皆が探り探りで、なにが危急でなにがそうでないかの区別すらつけにくい状態なのだ。だからトワイライトのところへはなかなか依頼が回ってこない。

 もっとも、今後はどうなるかわからない。

 ……どういう事態にせよ、自ら渦中へ飛び込みたいとは思わなかったが。


「じゃあ、途中まで送り届けるヨ。潜伏先は懺骸(ざんがい)地区からそう遠くないから、直行してくれ給え」

「了解。五分待ってくれれば支度する」

「外で待つ」


 レイシォンはそのまま上階へと戻っていくが、トワイライトは地下に残った。

 ひとつ、重いため息をつく。

 そういえば、ネロが半ば無理やりに突き付けてきたデートとやらの約束もまだ果たしていない。

 すべてを欲しいだけ抱え込むなんて、無理に決まっている。

 だけど、それを知っていたって、放り出すことのできないものがある。厄介なことに、そういう類のものが多すぎる。 

 スクラブを脱ぎ捨て、いつもの装備を身につけながら、トワイライトはそっと階下の方へ目をやった。

 ――――妙な気配がしやがる。

 背骨を震わせる不気味な気配がすぐそばに生じている。匂いでいうと悪臭。触覚めいたものなら怖気。

 一体、いつから?


「なァんか、侵入(はい)られちゃったっぽいねェ。……くそったれが」


 短縮番号でレイシォンを呼び出し、依頼のキャンセルを告げる。同時に、絶対に中へ戻るな、とも。

 理由を察したレイシォンが「心配ないとは思うけど、なにかあったら妹に怒られちゃうからネ。必要なら連絡して」と告げて、通信を切った。

 トワイライトは再び階下を睨んだ。

 地下にはブルーがいる。自分が奪ったものを奪われるわけにはいかない。

 十分な精気を帯びていることを確かめるように拳を握りしめる。

 領分を侵された苛立ちとともに、トワイライトは地下へと一歩踏み出した。





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