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十九. 女王蜂

 


 十九.




 妖城C³。

 その特別遊戯室(VIPルーム)では、夜な夜な宴が繰り返されているという。どの立方体に押し込められた悦楽よりも愉快で残酷で、猥雑なパーティ。

 しかし、噂が真実であることを知る者は少ない。半分以上は生きて部屋を出ることがなく、生きて出てくる奴らは大抵気の違った人間か人外なのだから。

 ヴィヴィは呪符を飛ばして犠牲者の額や傷口を覆った。念のためだ。もっともテトラのことだから、ぬかりなく殭屍(キョンシー)への転化を予防したうえで十分に余興を愉しんだ筈であろうが。


「……さすがに、食べたりはしてないよね」

「まさか」


 テトラは心外だという顔になった。


「それは人間と繋がりたいという我輩の欲望とは別物さ。もちろん、無礼な客人をディナー代わりにして振る舞う、なんてこともしていない。それは別の専門家の素敵な仕事だよ。食人にはある種の美徳、悪徳といってもいいけれど――とにかく才能が必要だ。あれこそ神様からの賜り物だね。第一、我輩の好物は薔薇や菫の砂糖漬けだよ。正真正銘、処女のお肉を苗床にして育てた特別製だけどね?」

「それはそれで、ちょっと」


 少女はヴィヴィをみて冷やかすように笑う。猫のような口元からは真珠色の犬歯が覗いていた。

 嘘か本当か分からなかった。分からなくていい。


「人間。恋人。家。家族。我輩はそれを知らずに育ってしまったからね。知りたいんだ。彼らのこと。そしてもっと深く繋がりたい。だって素敵だろう、家族っていうのは」

「なんだろう……わりと真剣にセラピーをお勧めするよ」

「君が先生になってくれるんなら喜んで」

「生憎とわたしの専門外。私の稼業は死人が相手だ」

「いじわるだなぁ」


 テトラの行動原理はよくわからない。

 この手の異常者にありがちなパターン。人生は所詮暇つぶし、というアレ。テトラに関しても例外ではなく、空白の時間を塗り潰すためのスリルを求めているだけだと最初は思ったものだが、どうやらそれも違うようだった。

 ……家族。

 案外、本当にそれが動機なのかもしれない。


 彼女はクランを築いた。彼女の一族(クラン)は、地上ではヤクザ連中の傘下に入ることで巧く機能し、迷宮探索においては中堅以上の実力を発揮している。

 一方で、充実したパーティを作り上げているというのに、テトラ自身はひどく気まぐれだった。探索依頼(クエスト)を課された時以外は好き勝手に仲間に探索させ、彼女自身はC³に引き籠ったまま何日も地下迷宮へ、あるいは城の外へ出向かないこともざらなのだ。

 テトラが迷宮探索それ自体、あるいはそこで得られる富や名誉に興味がないのは明らかだった。所詮はどちらも手段のための目的にすぎず、それは何者かとのつながりを求め続ける呪いのようなモチーフに根差しているのかもしれなかった。

 どんな理由があろうと、彼女の行いが狂気の沙汰であることにかわりはない。だが、その背景にある理由を考えると、たとえ異常であったとしても、ヴィヴィは契約を反故にすることが出来なくなった。

 最初から狂っていることは知っているのだ。知っていて、依頼を受けた。

 ……今は十分に自分の力を行使することさえできれば、それでいい。


「さて。話をもとに戻そうか?」


 ヴィヴィが黙考している間、テトラはソファの周りだけを自分の手で片付けていた。申し訳程度であるが、向かい合って話ができる空間が確保されている。床は客人たちの血と体液でべっとりと汚れていたが。


「よし。それじゃあ、今夜の成果を聞かせて頂戴……」


 促すテトラはあっという間に頭目の顔になっている。

 興味があるのかないのか、今夜の彼女は妙な雰囲気だ。心ここにあらずなのはいつもの通り。しかし、どこかテンションが高く、高揚しているようにも見える。頼まれごとや命令を受けたときとは違う、また、狩りのときとも、そして夜会のときともおそらく異なる態度をみせている。いったい、なぜ?

 ヴィヴィは彼女の向かい側、一人掛けの椅子に腰を下ろした。上等な紅い天鵞絨(ビロード)の張地。座り心地だけが良い。


「そうね。まず、わたしが今夜退治した殭屍は全部で八体。その中に貴女の仲間は含まれていなかった。すべて迷宮街を彷徨う浮浪者かスカベンジャーだった」

「へえ。かわいそうに」

「データは既に送信済みだからあとで確認して。ついでに、あの催淫道士」

「ぶほっ」

「あら、失礼。視線だけで孕まされちゃうかもしれないから気をつけて、という貴女の忠告ほぼそのままの人物だったもので」

「…………孕まされたの?」

「さすがにないわ。というか、ごめんなさい。そっちのほうは失敗したんだ」

「かまわないさ。もとより、そこまで君にやらせるつもりはないんだから」


 お分かりだと思うけれど、と付け足しテトラは苦笑。ヴィヴィは肩を竦めて再度会話の軌道修正を試みる。


「ともかく……彼、トワイライトが見つけた殭屍も同様だった。探索者でも一般人でもない人間が転化したごく成りたてのモノ。身元不明者も含まれていたけれど、だいぶ前に街から消えたヤクザ連中で、捜索願などは出されていない。今夜見つけた個体は結局、あなた方には関係のない人間ばかりだったということだ」


 先程と同様、テトラは穏やかに微笑みながら報告を聞いていた。

 ところが、その顔つきがトワイライトの名前を出した瞬間、明らかに変わったのだ。

 ヴィヴィも勿論その変化を捉えたが、気がつかないふりをしてさらに話を進める。テトラから切り出さない限り、なにかを聞きだそうとしても無駄だろう。


「でも、死体には共通して奇妙な傷跡が残っていた」

「どんなだい?」

「おそらく何かの噛み痕。食い荒らされているものもいた。傷口に陰気が残っていると彼は言っていた。土と水、迷宮の匂いがする……ともね」


 死体あるいは生者が殭屍になる場合には、いくつかのパターンがある。

 一つ目は、道士が意図的に殭屍を造り出す場合。

 二つ目は、四神相応、龍穴格局、その他の位置取りを含め、風水的に誤った埋葬をされた場合。

 そして、三つ目。殭屍に噛まれ、精気を吸い取られることで転化したものがなる場合。

 ほぼ全てに共通して言えるのは、恨みや憎しみ、苦痛を抱えて死んだものが、死してなお夜を歩き血肉を求める怪と化すことである。


「つまり〈元凶〉となった個体がいるってことか。いいね、楽しくなってきた」

「その〈元凶〉だけど、今夜は見つけることができなかった。兎にも角にも、最初の一体が今も魔都のどこかにいるというのが互いの出した結論だ」

「今はお腹いっぱいだろうが、いずれ黒数の街でも被害が出るだろうね。最初に依頼したときに話したけど、迷宮街周辺の怪異発生数は先月に比べて無視できないくらい増えているんだから。これはとても物騒な話だよね。妖怪が紛れているんじゃ、市井のひとたちは大変だ。こういうときこそ我輩たちが助けてあげなくちゃ。高貴なる者には義務が伴う……この言葉、知ってる?」

「生憎と、わたしのような裏界隈の人間には縁のない言葉だ」

「そうかもしれない。でもどっちだっていいんだよ、そんなことは。ねえ、ヴィヴィ……我輩はその怪物を捕まえなくちゃあならない、そう思うんだ。誰よりも早くにね。手を貸してくれるかな?」


 テトラはぞっとするような、凄惨な笑みを浮かべた。言葉にも瞳にも有無を言わさぬ覇気が籠っている。

 強い言霊とちぐはぐなかんばせ。だれにも撥ねつけることなどできない。

 理屈を数段蹴飛ばした言葉が知らず知らずのうちに根を張り、相対する者の心も身体も絡め取る。まるで女王蜂が纏う誘惑物質のように。それが彼女のやり口だ。

 彼女が迷宮で用いる魔法。もしかすると、ありえないことではあるが――テトラは地上でも同じような術を用いているのかもしれない。それも常時働く自動的(パッシヴ)なスキルとして。


「……もとより承知の上だ。他の個体はどうする?」

「みつけた殭屍が狗颅骨(クルグ)に関係ないなら、今夜のように始末してくれていい。狗颅骨やシザーズのものだったら連れて帰ってきて。同様に〈元凶〉に関しても殺し直さずに捕獲してほしい」

「了解。要するに標的が見つからない限りは通常業務ってことね」

「とはいえ、あまりにも危険なようなら遠慮なく言って。もっとも、うちの子たちも基本的に死人は専門外だから、壊すことや殺すことくらいしかできないんだけど、援護させるよ。いつでもね」

「なるべくそうならないように努力する。他はなにをすればいい? 殭屍退治のためだけに師父を通じてわたしを雇ったんじゃないでしょう」

「察しがいいね」


 テトラは満足げに微笑み、「おりこうな娘は大好きだよ」と顔を綻ばせた。


「トワイライト。彼の挙動に注意を向けておいてほしい。こういうのは君みたいな同業者がやるのが一番いいからね。要は監視なんだけど……彼が連れ帰った娘が目覚めたら知らせて。迷宮で召喚された竜の子どもとやらが地上でどんなふうに振舞うのか、興味があるんだ」

「まるでスパイだね。ひとつ聞いてもいい?」

「なにかしら」

「どうしてそんなにあの男にこだわるの」


 予期していなかったとは思えない。それでも、問いをつきつけられたテトラの顔が一瞬強張った。瞳の奥に広がるのは哀切。怨嗟。あるいは思慕。それらが混ざりあい、複雑に渦を巻く。

 やはり聞いたところで無駄であろうか。

 溢れそうな感情を抑え込んで、少女はいつもの夢見る調子で続きを紡ぐ。奇妙な様子だった。


「此度の迷宮の変化……階層違い(イレギュラー)及び地上の怪異の増加が、彼らに関係するのではないかと我輩は疑っているんだよ」

「……どういうこと?」

「トワイライトが行った召喚。それによる蒼い少女の顕現。その前後で大きく迷宮が変化したってことさ。偶然か必然か、我輩の知ったことじゃないけどねぇ」

「本気でそれらに関係があると思っているわけ?」

「勘違いしてほしくないから言っておくがね……本当のことなんて関係ないんだよ、我輩には。単純に、この機に乗じてあの男を堕とそうと考えているだけさ。前から欲しくて堪らなかったんだ、召喚士。それにね……」


 今、魂を蕩かすような美貌に浮かぶのは激情の色だ。緋色に耀く瞳が揺れている。少女の甘ったるい声色はどこか暗い。


「彼を苛めて、苛めて、苛め抜いて、ひどい目にあわせて知らしめるの。もっと快楽が必要だってこと。自分が何者かってことを早くあのひとに思い出させなくちゃ、我輩はとてもじゃないけど浮かばれない」

「トワイライトと貴女、どういう関係なの?」


 満月の美貌に仄暗い笑みの影を刻んで、テトラは答えた。


「彼は我輩の、だいじなお兄さんなんだよ」


 おにいさん。その単語にだけ、独特で微妙なニュアンスが含まれていた。

 兄人(しょうと)。兄妹。本当にそうなのだろうか。

 似ていると言えば似ている。性格と態度。人間離れした能力に容姿、内面の複雑さも共通しているが、にわかに信じ難い。

 それに、テトラはまだ別のなにかを隠している。まだ何かがある。彼女を前に、ヴィヴィはそう感じていた。


「それ、本当なの?」

「嘘じゃないよ。半分はねぇ」

「それってどういう……」


 テトラはヴィヴィの唇に中指と人差し指をそっと添えて、先を遮った。ヴィヴィはその指先から濃い血の匂いを感じ取った。

 悪魔の手足は彼らが奪った魂の分だけ、血と汚泥に染まっているという。


「ヴィヴィ。焦っちゃいけない。お楽しみは先にとっとかなくちゃ」

「……そうだった。ごめん」


 必要のない限りは依頼主のプライベートを詮索しない。そのルールをすっかり忘れていたことに気がついて、ヴィヴィは自らの態度を改める。

 気を引き締めて見つめ返すと、傍で透明な瞳が細められた。その中心には相変わらず、心をざわめかせる紅い光が宿っていたが、今はもう凪いだ湖面のように静まっている。

 ……なんにも無かったみたいだ。

 それこそ、今夜の出来事がすべて夢だったかのように。

 そう思いかけて、そっと首を振る。ありえない。夢ではない。これは甘い悪夢のような現実だ。


「じゃあ、今夜はこれでおひらき。でも、もう少ししたらとびきり官能的で素晴らしい夜が来ることを約束するよ。きっと派手なパーティをしよう。君だって誰だって参加自由の楽しい夜会だ」

「……おやすみ、テトラ」


 踵を返そうとすると、名残惜しそうな視線を感じた。幼子のような、頼りのない、けれども見る者の同情を引くような何ともいえぬ眼差し。

 もしかしたら、支配されつつあるのかもしれない。知っていながら、その手に墜ちていこうとしている。

 それは何より危険なことでさえあるだろう。分かっていて、ヴィヴィは再び少女の方を振り返った。

 手を伸べれば、細く華奢な手がそれを掴んだ。芯に宿るはずの熱も感じさせない、冷たい手だった。


「眠るまで付き合ってよ」

「いいけど、こんな趣味の悪い部屋じゃ嫌。空き部屋はあるんでしょう?」

「……また我輩の趣味に文句をいう。ヴィヴィは部外者なのに」

「契約書に条項を足してくれたら、意地悪言うのやめるよ」


 天使は口を尖らせて文句を言った。舌っ足らずで可愛らしい調子だった。

 見掛け通りならどんなにいいか、でもそれはありえない。この街も迷宮も、見たままが真実を語るものはあまりに少ない。何かを装い、欺きながら生きる者のどんなに多いことか。

 そして彼らは沈黙を守りながら待っている。何かを。



 謀略が実を結ぶ、その時を。






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