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十八. 黒妖犬

 


 十八.




「てめえ、テトラ。覚えてやがれ! このクソアマ!」


 続いて部屋の中から響いたのは怒気の籠った罵声だった。

 内容はかなり剣呑だ。何かを乱暴に蹴りつける音がして、荒々しい足音が近づき、扉が勢いよく開かれた。

 その瞬間、ヴィヴィの目の前で真っ黒な闇が(そよ)いだ。

 濃霧の如き黒闇が質量を帯びてせり上がる。獣の鬣のような漆黒が艶めかしく波打ち、うねった。かと思えば、それはあっという間に収束し、代わりに闇の中から男がのっそりと姿を現した。闇が男だったのか、男が闇だったのか。あるいはその両方で正解なのかもしれない。

 眼前に現れたのは逞しい体つきの青年だった。蜂蜜色の肌に、鬼か獣のような獰猛な骨格。かなり上背がある。それにまだ若い。男はただならぬ存在感と殺意を充満させて、一歩、こちら側に踏み出した。ぼとぼとと血が滴り、廊下を汚す。男のシャツは血まみれの上に穴だらけだった。

 ざらついた両眼がヴィヴィを捉えた。虚無を湛えた深紅の瞳が。


「あァン!? てめコラ、じっくり見てンじゃねーよヴォケ! つーか女ァ! てめえの帰りがクソおっせぇから無意味に無駄に俺が撃たれまくったじゃねえか! このシャツふかふかでお気に入りだったのに!」

「それは言いがかり……あー、あまり怒ると血が止まらないよ?」

「もう塞がってっからいいンだよ!」


 瞳の静謐さとは裏腹に、口を開けばこの上なく喧しい。というか、どう見てもただのチンピラだ。

 青年はグレーのVネックの裾を引っ張って見せるが、怒りの焦点がとんでもなくズレている。衣服の問題よりも自らの生命が脅かされたことを抗議すべきだろうに、それは二の次らしい。

 口元から血を垂らしつつ、男はさらに何事かを捲し立てる。半分以上はただの悪罵でいちゃもんだ。語彙力もチンピラ並かそれ以下のレベルで残念なため、ヴィヴィは心の中でそっと彼を憐れんでおいた。どういう環境で育てばこんな悪態をつけるのか、ヴィヴィにとっては理解不能だ。


「どうしてくれンだよコレ! あぁ!?」

「いいんじゃない? 迷宮ではそういう血まみれファッションがトレンドなんでしょ。とても良く似合ってる。下のほうの血痕とか、熊みたいな模様でかわいいと思う」

「うっせ、アバズレ! 皮肉くらいこっちだって一応わかんだよ!」

「そうなの? びっくり。なんなら後で繕ってあげてもいいけど? もちろん御自慢の毛皮ごとね、狼さん」

「てめえ、もう殺す……」

「さっき何回か死んだくせに」

「絶対に殺す」


 悪気はない――と言えば嘘になるが、この青年をみるとつい煽ってしまうのだ。理由は、ただ面白いから。

 しかし今夜は生憎と機嫌が悪すぎたらしい。どうやら相当いたぶられたのだろう。普段よりもキレるのが早い。いつもなら、あと二三押しくらいいけるのに。

 男が先程の異様な空気を再び纏い、濁った瞳に殺気を漲らせ始めた。周囲の闇がざわめいて、対峙した二人をこの次元から覆い隠すべく濃度を増しながら拡がっていく。汚泥のように、闇が質量を帯びる。おどろおどろしい感覚に身体がすっかり総毛立っていた。


「びびってんじゃねえぞ、女ァ……」

「その口調、すごく駄犬っぽい」


 さすがに不味いか。ヴィヴィは自身の得物である一対の八卦鉞を構えて、出方を窺う。

 チンピラもどきであっても、この青年は攻撃能力にひいでたアタッカーだ。本人としては不服かもしれないが、頭目の右腕とされる狗颅骨(クルグ)の主力探索者である。

 深部攻略回数の多いクランにおいて主力とされるということは、探索者全体の中でも高位の実力者であることを意味する。まともに相手をするわけにはいかない。

 そこへ、先ほどと同じ銃声が響いた。少しの間をおき、金属的だが明朗な声が続く。


「バルちゃん、少しおいたがすぎるよ。彼女は大切な客人なんだから、ちゃんともてなさなくちゃ。ねえ、バルべル……」


 声は廊下の外まではっきりと届いていた。

 子どもの悪戯でも諌めるような甘ったるい口調。それに舌っ足らずだ。むしろ、この声のほうがよっぽど子どもじみている。

 尋常ならざる声音は、心を病んだ人のように、あるどこかの時点で成長を止めているようにも感じられた。

 ならばその姿は如何様であろうか。


「それに今度は頭を撃ってもいいけど、もとから少ない脳味噌がもっと少なくなっちゃったら大変でしょう。頭の中身ばかりは君には残念なことに替えがきかないんだからさ」


 ねちっこく厭味を言われて、青年は舌打ち一つ。少しの逡巡をみせたが、周囲にまとわりついていた闇は殺意とともに霧散した。ぎらついていた瞳も元通りの静謐さを取り戻す。

 恐れでも不安でもない、べつの複雑ななにかがバルの瞳をよぎった気がしたが、正体は分からなかった。

 なにがこの男の感情を引き戻したのかも。


「ヴィヴィ、貴女も。あまり彼をからかわないでね。ばかだからすぐ本気にするの、知ってるでしょう」

「てめコラ、馬鹿ってなんだよ! さりげなくこっちを貶めンじゃねえよ! 殺し直すぞ!」

「うん、それは今度ね。今夜はおやすみ」


 ぞんざいかつ一方的に声が告げた。

 バルはさらに舌打ちしたが、ヴィヴィを一睨みすると、そのまま廊下の奥へ歩き出した。ざらついた獣の瞳が、紅く尾を引いて闇に溶けた。最後に闇の中からゴミ箱かなにかを蹴る音がして、聞くに堪えないFワードがいくつか続いた。


「いいかげんそれ以外の言葉覚えたら? 下僕狼(ワンコ)ちゃん」

「うっせ、犯すぞコラ!」


 やっぱり悪罵が返ってきたが、それっきり気配は消えた。

 無数の箱のどれか、ラップダンスの個室にでも潜り込んだのかも知れない。ここはC³、肉慾と悦楽の城だ。憂さ晴らしの種はそこらじゅうに転がっている。


「さて、ヴィヴィ。こっちへ来て、ね……。今夜のきみの成果を聞かせて貰おうか?」


 優しくおおらかな声がヴィヴィをその心ごと(いざな)った。

 魔窟の中枢。この街で最も不埒な妖城C³。狗颅骨の頭目・テトラのためだけに誂えられた特別遊戯室へ、彼女は足を踏み入れた。





「おかえりなさい、ヴィヴィ。怪我はない? バルは貴女に手を上げたりしなかっただろうね?」

「それはない。こちらこそ、からかい過ぎたみたいで悪かった」

「いや、むしろ丁度いい退屈しのぎになったと思うよ。ここの皆は少し遊び飽いているところがあるからね」


 夢に微睡む少女の瞳がヴィヴィを見据えた。それだけで胸の奥が温まるような気さえした。

 混沌。あるいは地獄。その渦中で待ち受けている彼女の姿態だけがひたすら白い。まるで無垢の象徴であるかのように。

 どの部屋よりも濃密な闇の中、レッドベルベットのカウチソファにゆったりと寝そべっていたのは、視る者の魂を蕩かさんばかりの少女であった。

 赤いパーカーを前開きにして羽織っただけで、内衣の一切を身につけていない。壊れもののような媚体が、ヴィヴィの眼前に惜しげもなく晒されている。


「とにかくね、ヴィヴィ。貴女が無事に戻ってくれて良かったよ。我輩の大事なお客様に傷がついたらことだもの。それに君のお師匠には全然言い訳がきかないんだから……」

「それはどうも。えーと、あなたこそ平気?」

「ああ、さっきの。飼い犬にちょっとお仕置きをくれてやっていただけさ。彼ったら偉そうに、我輩に向かって説教垂れるんだもの。ちょっと遊んで欲しかっただけなのに、部屋をなんとかしろってうるさいの。最近の男の子って神経質なんだね」


 とろんと眠気の残る甘い声。会話の内容自体はともかくとして、少女は優しげな表情でほっと胸を撫で下ろしていた。

 満月のような美貌に、まろみを帯びた華奢な体躯。口元に浮かぶのは天使の微笑み。

 彼女が口を聞くたびに、ヴィヴィは自分の鼓動が高鳴るのを感じ取っていた。

 少女の名前はテトラという。名字は知れない。皆が彼女のことをそう呼んでいたから、ヴィヴィも同じく呼んでいるだけだ。

 そして、彼女こそがヴィヴィの個人事業の依頼人(クライアント)だ。

 僵尸退治に失せモノ探し、それにヘッドハンティング。それらの業務を引き受けるお抱え道士として、ヴィヴィは先日から本格的に狗颅骨と契約を交わしていた。


 テトラを少女というのは不適切で、もしかしたら少年というべきなのかもしれない。しかし、「別にどちらでも好きにどうぞ」というのが彼女のスタンスらしかった。だからヴィヴィは便宜的に〈少女〉と認識することにしていた。なんとなくの願望や外見の可愛らしさが主な理由だ。

 当然だが、テトラの本性は見た目通りではない。彼女こそ、このクラブを根城とする探索者クラン・狗颅骨の首領であるのだから。

 実際、今もヴィヴィを見つめる瞳はひたすら昏く、奈落の如くに渦を巻いている。

 それはどこかで見た双眸にそっくりだった。


「ところで、この部屋の惨状は? ……ひどく匂うようだけど」

「これかい? 我輩はどうせ天国には行けないんだから、うんと悪いことをしてやらなきゃねぇ。思い切り、思いやりのないことをさ。それに人生の思索も兼ねているんだよ。わかるかい? 誰だって考えるだろう、自己という存在の意味をさ。まあ、いくら考えたって最後には考える自分が残るのみで、実際のところはなんにも見つからないんだけどね」


 ふあ、と猫のような欠伸をしつつテトラは言った。

 そのとき、傍らで何かが蠢いた。それは真っ白な腕だった。のたうつ枯花のような腕がのびてテトラの脚を這い、膝に縋るように若い女がしなだれかかった。女の金髪は赤黒い血で汚れている。ヴィヴィの位置から、その顔は見えない。


「おっと、ストップ。がっつかないでよ……今宵の夜会はもう店じまいなんだから」


 薔薇色の小さな爪先が女の腹を容赦なく蹴飛ばした。テトラは椅子に放ってあった回転式拳銃をとって撃鉄を起こすと、あっけなく引き金を引いた。血と脳漿がどろりとした花を咲かせた。

 ヴィヴィは表向き無感情にそれを見ていた。何も言わなかった。ただ耳をやられないよう気を集中させていただけだった。

 視線を感じてそちらを見やれば、テトラが先程となんら変わらぬ様子でヴィヴィを見つめている。その瞳は凪いだ湖面のように透き通っていた。


「こわい? それとも気持ち悪い?」

「わたしは何も――」

「ヴィヴィ。無理はいけない。貴女は何にも見なかったような顔をしているけれど、もし動揺させたなら償ったつもりだよ? 我輩じゃなくて、この女がだけどもね」


 いっぱいの善意を毒のように滴らせると、テトラは拳銃を捨て、そっと眼を伏せた。

 長い睫毛が天使の頬に翳を落とし、銀色の瞳の中心に灯る紅い残光のみを浮かびあがらせた。彼女の瞳には、いつだって奇妙な光が宿っている。


「ってことで……夜会のお片づけが済んでなくて申し訳ないね」


 彼女の瞑目と共に黒闇による隠蔽が解かれた。そのように思えた。

 あるいは、バルベルの施した術が今になって消えただけかもしれない。

 仕事を引き受ける以上、覚悟を決めなくては。半ば諦観めいたものをこの短期間にも抱いてきたが、わかっていても息を飲まずにはいられなかった。

 だって、これはあまりにもひどい。


 ヴィヴィの眼前。薄明の中に浮かび上がったのは、醜悪きわまりない出来損ないの〈楽園〉だった。

 実際に目にする前から、気づいてはいたのだ。

 ……この立方体(キューブ)に脚を踏み入れた瞬間から、ずっと。

 最初から、この部屋には無数の腕が体を撫で回しているかのような不気味な気配が立ち込めていた。テトラと自分以外には誰もいないのに、何者かの気配が生温かい闇の奥に押し込められている。

 それにこの悪臭。室内には、香水と血と精液、そして硝煙が混ざり合った甘くグロテスクな匂いが充満していた。

 ヴィヴィは唾を飲み込み、鼓動を抑えつけながら、露わになった部屋を注視した。



 磨き抜かれた黒い床には、出鱈目に繋ぎ合わされた犠牲者たちが転がっていた。犠牲者ではなく志願者かもしれないが、どっちだってもう関係ない。生きて動くものはいないのだから。

 結合。接合。交合に縫合。彼らはあらゆる方法でもって、愛の営み、あるいは人の繋がりを再現していた。

 一番近くでは、迷宮生物用の非合法手術器具(ブレード)を使って子宮を無理やり押し広げられた女の亡骸に、少年と思しき骸が胎児の姿勢で押し込まれていた。少年が握ったままの剣は内側から女を切り裂き貫いている。さらに慈母の如く瞳を伏せた母体は別の男の首を優しく抱きしめ、頭を捥がれた男の胴体は別の女と交合したまま事切れていた。

 部屋の奥では、背中を切り開かれ、翼に見立てて肩甲骨と肺腑を広げられた肉の天使像に裸の男女数人が縋りついた状態で絶命していた。

 駄肉の天使の指は丁寧に折り畳まれていた。むりやりに両手を組み合わされていないこと自体が異常だった。つまり、この男は自発的に祈りを捧げているということになる。現に、その表情の安らかなことといったら。

 天使の向かい側では、自らの胸に短剣を突き立て、その右手に心臓を抉りだして息絶えた男が椅子に凭れていた。虚ろな表情はどこか蕩けているようにも見える。その足元には彼の紅い臓腑を一切れ口に含んだ女が同様に倒れている。男の血でその口唇は鮮やかに染まり、死化粧が施されていた。彼女は男の燃える心臓を食んだまま逝ったのだ。


 端的に言って、胸の悪くなる光景だった。他に言いようもない。

 ヴィヴィの目の前にあるのはグロテスクな暴力そのものだった。しかし、無理強いした形跡が一切ないことが、なにより胸糞を悪くした。

 ……まるで立体コラージュだ。ばらばらで個別の素材を、あるテーマを表すために組み合わせた造形物。テーマはなんだ? やはり〈愛〉とやらか。

 されど今この部屋に転がっているものは、全てが完璧な作品とは程遠く、単なる暇つぶしのお遊びでこさえた肉のオブジェにすぎないこともまた見て取れた。どれも偏執的な動機を感じさせる一方で、統一感がなく、おざなりで稚拙な印象さえ抱かせた。

 単なるブラックジョーク。猟奇な代物。あからさまに途中で興味を失ったことすら透けて見える。

 何にせよ、性質が悪すぎる。こんな殺人さえも隠しだてされることはなく、この妖城は現世の片隅に存在を続けているのだ。


「――こんなものは習作ですらない。これじゃフィクションの異常者の行為をなぞったまねごとでしかないね?」


 誘うような眼をしてテトラが語りかけてくる。

 その声で、ヴィヴィはようやく現実へと引き戻された。少女は哀れっぽく微笑みかけていた。道化の笑みだった。


「手なぐさみにしたって限度があるね。ヴィヴィ。きみを待ちくたびれるあまり他のお客様たちと家族ごっこをして遊んでいたんだけど、途中で飽きちゃったんだよ」

「……家族?」

「そう、家族だよ。ファミリー、亲属。なんでもいいけど」

「意味が分からない」

「いいよ。いずれ分かる」


 その言葉はさざ波のない、ひそやかな祈りのようだった。

 ……意味が分からない。たしかに言葉の通りだが、少なくともテトラがこさえたコラージュのテーマが分かった気がした。

 〈家族〉だ。






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