十六. キルポップチェーンソー 〈后〉
十六.
桃木の剣。それは道士が殭屍退治に用いる武器の一つだ。
剣が飛来した方向を一瞥するまでもなく、トワイライトはにたりと不敵に微笑んでいた。
左頬から、薄く血が滲んでいる。彼が血を拭い、その指に舌を這わせれば、ボクにも味覚が伝わってきた。よく知っている血の味だった。
「――余所見してると死んじゃうよ?」
闇の中から凛とした声が響く。
続いて現れたのは、若く美しい女の姿。なにより、大きな鳶色の瞳が印象的だ。
「ハイ、トワイライト先生。あなたがこの街の霊幻道士なんだね」
「どうも、おコンバンハ~。……えっと、ごめんね。誰ちゃんだっけ? おれのこと知ってるの? どっかで寝たことあった?」
「さあね。あなたはどう思う?」
「ンー。さっぱり思い出せないけど、でも……」
「でも?」
「きみみたいな女の子と寝ておいてなんにも覚えていないって、そんな線は薄いよなァ」
その手の知り合いだとしたら名前を覚えていないのはもちろん最低。
けれどもっと最低なのは、視線が胸を向いていることだ。黒革のジャケット越しにもはっきりとわかる豊満で形の整った双丘。照準は完全に固定。ある意味すごい。今、ボクの視界には謎の女の巨乳以外の情報がまったく入ってこない。トワイライトの煩悩が水先人としてのボクの仕事を完全に妨害している。
「ハァ、すっごい……じゅるり」
『トワイライトッ! なにやってんの。どこを見ているの。むしろこれってボクへのセクハラだよね!?』
「なんであれ、おっぱいに罪はないだろ。ネロも眼福だと思いやがれよ。無理だとしても、おれがネロの分までたっぷり視姦するから平気!」
『ばかじゃないの! 召喚術使ってないとほんとろくでなしの色魔なんだから!』
同期しているから、トワイライトの目線の行方はすべてボクに伝わる。顔と胸。行ったり来たりで数往復。全身舐めるようにくまなく視線を這わせて「エヒヒ」とか忍び笑いを漏らしたのも聞こえたし、ほんとに最悪。彼の本性、その魂の底からゲスくさい気配が漂ってくる感じ。それでも一応、最終的にはちゃんと顔見て視線が定まったから赦してあげたいとは思う。実行できるかはわからない。
対して、女は苦笑を浮かべるのみだ。邪悪きわまりない黄昏色の視線に晒されてもどこ吹く風で、あっけらかんとしている。
「どう? 思い出してくれた?」
問いかけるその顔がどこか悪戯っぽくみえるのは、少女のようにあどけない顔立ちのせいだろう。
「……そうだね、残念なことにきみを覚えてないってことは、端からないんだろ。記憶というより、経験それ自体がね」
「ふん、さすが。実際、残念ながら初対面だよ。良くも悪くも、あなた有名だから」
愉快そうに告げて微笑む女に、トワイライトは少しだけ鼻白む。興がそがれたのか、それとも別のなにかが気に入らないのか。
「へぇ、それで? きみは誰ちゃん?」
「ヴィヴィ。さっき鐘を鳴らしたけど、聞こえていたかしら」
そう言って、女はもう一度帝鐘を鳴らして見せる。心までも震わせる鐘の音が遠く近く響き渡った。
――と、女の背後の闇から足並みのそろった靴音が聞こえた。
黒闇の中、姿を現したのは殭屍の一群だった。鐘の音色に呼応して、跳ねながら前へと進む。その歩調はぴったりと揃っている。本来不可視の音の波動。それを「視る」ことができるのは死者だけだ。殭屍の動作に術者の確かな力量が現れていた。
気がつけば七体の殭屍がきっちり整列した状態で止まっていた。全て額に呪符が貼られ、妖力を封じられている。
女は少しだけひけらかすような調子で、右腕を広げ、引き連れた死者たちを示した。
「数では私の勝ちのようね」
「……アー、さっきの。同業者だな」
闇を人型に切り抜いたかのような屍の群れをみて、トワイライトはますます不愉快そうに頬を歪めた。いびつな美貌はしかし、こんな夜には勿体ないくらい艶やかだ。彼を見る女の瞳も好奇心か、それとも欲望からか、奇妙な色を帯びて映えた。
「そう。妖怪退治の依頼を受けたのだけど、既にあなたがいるのに気がついたから、ひとまずここまで連れてきた。どうする?」
「べつにどうだっていいさ。きみが燃やすか、連れかえりゃいい。手柄だろ」
「分別あるんだね。意外だ」
「そういうモンでしょ、おれらの稼業は。基本は不干渉、互いのシマは荒らさない」
「へえ……」
トワイライトは、ぶんとチェインソードを振って、乾いた肉片を払い落した。「この話題はおわり」という合図だ。
「やさしいひとで助かるよ」
「やさしさというより、ただの処世術だけどね。えがおも見てくれがいいと都合がよくて便利だなァ」
『トワイ、上乗せで正直さを便乗アピールしようとしても無駄なんだよ?』
「やれやれ、おもしろいひとたちだ」
女は意味ありげに口角をつり上げた。アーモンド形の大きな瞳は鳶色で、愛嬌のある顔立ちはどこか幼い。一見すればおおらかで、温かみのある表情だ。だけど、眼に宿る冷たい光を隠せていない。たとえばそう、ボクの兄さんたちと似た瞳。この人は無情な命のやり取りができる人間なんだ。
それにネコ科の肉食獣を思わせる強靭でしなやかな体つき。あらゆる意味で「体を使う」ことに慣れていることが見て取れる。
っていうかトワイライト、また胸を見てるよね? たしかに果実みたいな胸の膨らみは丈の短いジャケット越しにその存在を主張しまくりで、ある種の暴力かもしれないけれど、いい加減余所見するのはやめてほしい。どんな危険があるかわからないし、なによりムカつく。
……ヴィヴィ。
相貌と名前、あと何となくの勘をスパイスに照会にかけてみると、大陸出身の道士であることはすんなり分かった。
その他、きな臭い複数の経歴が浮上。この女は組織のために手を汚すタイプの人間だ。
出方によっては今後も注意を払うことが必要だろう。
「まァ、なんでもいいけど。ンで、そん中に探索者や捜索願出されてる一般人は混じってないの。あるいはヴィヴィちゃんの依頼人の探し人か……」
「あら。答えを誘導するつもり?」
「おれンとこに依頼がこないってこたァ、なにかを探してるか、奪いたいかの個人だろ」
言い切るトワイライトを一瞥し、ふ、とヴィヴィは笑みを漏らして肩をすくめた。
「……七体すべて迷宮街の浮浪者かスカベンジャー、あるいは身元不明人。そっちは」
「ン~、いっしょ」
遺体の身元はすでにトワイライトに伝達済みだ。
彼の言葉どおり、迷宮街をうろついていた人間たちが最初の一体の犠牲になったらしい。あとは先に転化したものが周囲の仲間を喰い殺した。
言葉は悪いが、「幸いなことに」探索者や市民は混じっていなかった。
トワイライトはヴィヴィの背後にぴょんと跳び、整列した殭屍たちに近づいた。不謹慎極まりないことに、両腕を前に突き出して、キョンシーポーズなんかを取っている。彼の存在自体が本当に罰あたりだと思うが、トワイライトはおふざけついでに鼻をくん、とひくつかせた。死体を嗅ぐなんて、ボクなら御免だ。
「ちょっと、あまり刺激しないでくれる? 暴れるのを呪符で抑えてるんだ」
「わずかだが……匂うね。ンン、こりゃあ妙な匂いだなァ~」
『死体妖怪なんだから、そりゃ妙な匂いだと思うけどね』
「土と水。微妙だけど迷宮の匂いがすンだよ。分かる? 迷宮の残り香って言えばいいのかなァ……潜ったときのあの独特の気配が残ってやがる」
「……気付かなかった。わたし、殆ど迷宮には潜ったことないから」
『ぼくも、そこまでは。っていうか嗅覚を同期することはできても、個人的な記憶や経験と結びつけることはできないんだよ。それはボクには不可侵で、キミだけの領域なんだから』
突っ込みに軽く両肩をあげて、トワイライトは「傷口と、それと人相記録して」という。もちろん、ボクは出来る子だから既に動いてる。
先程の五体の人相。それとヴィヴィの操る七体の情報。切り口がザクロのように開いた肉。何かに抉られ、噛まれたような凄惨な傷跡。それらすべての〈型〉を組み合わせていく。
……記録であれば、ボクにだって十分アクセス可能。
『大昔の手配書は別にして、特に捜索願も出ていない。その人の言う通り、ここら辺に住み着いた浮浪者だね。傷跡は――』
「おれの捕まえたやつと一緒か、あるいはこの中のいくつかと一致だろ?」
『おっしゃる通り』
警察機関の科学捜査並みに正確ってわけじゃないけど、簡単な走査と照合であれば電脳を介してでも可能だ。
しかし扱っているのは超自然的現象。オカルトの分野だ。
死体妖怪を作り出した犯人――おそらくは人外の存在に関する場合、その専門家はボクでも他の誰でもなく、トワイライトやヴィヴィのような存在だろう。
トワイライトはいつのまにか取り出した手袋の端を口で引っ張って嵌め、殭屍の創傷に触れる。虫喰いのような歪な痕だ。
「ちびっとだけど、喰われた後に陰気が残ってる」
『それって、邪気とか妖気みたいなもん?』
「そ。ヴィヴィちゃんがやっつけたのも、最初の一体に喰われて転化したか、すでに転化した他の殭屍に喰われたやつかのどっちかってこと。そしてこれらの元凶は地下迷宮からやってきた。迷宮の匂いをプンプンさせちゃってさァ」
「不穏だね。迷宮街には他に何も感じられない。ならば最初の一体とやらはどこへ行った?」
「すぐに分かンだろ。地下からでてきて、迷宮街の餌はあらかた食い荒らしたんだ。……いずれ黒数でも出るだろうなァ、犠牲者」
「へえ。そうなら、あなたはどうするの?」
「べつに、ですよォ? 依頼があれば死者も生者も殺すけど。だって黒数は流入を続ける探索者や移民、その他一般市民にヤクザやなんやで溢れかえってる。殭屍一匹紛れ込んだところで、到底喰いきれやしねえしよォ……」
昏く渦巻く瞳に歪んだ笑みを交えて言い切るトワイライト。
ヴィヴィはその様子を見て一つため息をついた。
「わたし、大陸から渡ってきたばかりなんだけど、仕事に困らない街だと言われた理由が分かったよ」
「そう? 商売繁盛できるといいねェ。かわいい女の子は応援しちゃうよ」
「それはどうも。いまのところ、あなたの領分を侵す気はないから安心して」
会話が途切れる。ここらで今夜はお開きということだ。
届け出がでていなければ、発見した殭屍はその場で処理して帰るのが普通だという。
……すなわち。
「じゃ、燃やすね」
短く咒を唱えると、ヴィヴィが連れてきた殭屍たちの体が炎に包まれた。
札に書きこんだ命令を発動させたのだ。
「ネロ、こっちも問題ないよな?」
『うん』
再度確かめて、トワイライトも指印を結ぶ。そのまま短く念じると、札を貼られた殭屍たちの体に雷撃が走り、あっという間に燃え始めた。
殭屍は炎に弱い。死体を燃やしてしまうのが結局は一番の対処法で予防法になる。
「アー、殭屍退治で一番たのしい工程が終わっちゃう。燃えてるモンをみるのだけはいつだってわくわくすンだろ」
『人前で変態放火魔みたいなこと言うのやめなよ、トワイ。くだらないガキみたいで、けっこうダサい』
「てへ、怒られちゃったァ」
燃える炎を瞳に宿し、トワイライトは満足そうに呟いた。
「まーね……でも、おれみたいなやつがぽこぽこ生まれやがるのも気色悪いしな」
確かにそう聞こえたけれど、どういう意味かを問う前に、彼は表情を変えてくるりと振り向いた。
極上の笑みを浮かべて、素早くヴィヴィの両手を握る。印象より線の細い指先だ。つやつやしていて、温かい。女の子らしい肌触り。
トワイライトが間近から瞳を覗きこめば、女は大きな目をさらに大きく丸く見開いて、素っ頓狂な顔になった。
「ちょっと、なんのつもりなの?」
「これでお互いに一見落着ゥ! ってことで今からウチ来てイイことしない? あ、心配ならヴィヴィちゃんチでもいいけど。ほらほらァ……ね、嫌じゃないでしょ? 手だけでも既に気持ちいいもんね? 濡れてきちゃうよね? むしろおれのことちょっと気に入っちゃった系でしょ!? 顔と体とアレだけは極め付きだよ、おれ!」
「うわ、さすがに予想の斜め上の展開だ」
「エッチなコトしとかないとさァ~、元気もなかなか溜まんないじゃん? その点、プロ同士なら勝手が良いもんね? 仕込んであるでしょ、房中術。ね、おれときみと、いっしょに元気になりましょう?」
『きも! なにいってんの、トワイライト! 家帰って寝なよ! 永眠永眠! 寝不足なんでしょ』
「あっ!? ネロ、……ざざーッ……なんか声が遠」
『遠くない! 口で雑音いれてもダメ!』
ボクらのやり取りを眺めつつ、なぜか長考していたヴィヴィが衝撃の一言を返す。
「いいよ。付き合うってことじゃないなら」
あっさり言って、ニッコリ笑う。謎めいた肉食獣の笑み。
「ほんと! それじゃあ早くいこ! 優しくしてね! あと願わくば俺が下ね!」
「ただし、服を着替えてからね。チェーンソーは特に脚腰が汚れるの、考えていなかったみたいだから」
汚物をみるような眼をされてもトワイライトはめげない。むしろご褒美とでもいったように愉しげに笑い返している。
笑顔は天使だけど、その本性はゲスだ。
「あと、頭の中身への期待は一切ないよ」
「なにげにヒドイね。でもカワイ~からいっか!」
「あら。ひどいのはあなたじゃないの? そんなに可愛らしいナビを連れたうえ、家には拾った女の子が置き去りだ」
「……ふうん。おれのこと、知ってるつもりなんだ?」
「言ったでしょ、有名だって」
いつの間にかヴィヴィの瞳からは笑みが消えている。その口元だけが優しいままだ。
「この街にいればウワサくらい聞くよ。たとえば、あなたが迷宮で拾った女の子を無理やり連れて帰ってきたとか……その娘が人間じゃないらしい、とか。それに、迷宮には人を誑かして心ごと喰らおうとする類の魔物もいる、なんてこともね」
「へー。だったらなに?」
「なにも。あくまでただのウワサだし、鵜呑みにする気なんてない」
生ぬるい風が女の髪を撫でるように吹いている。
暗い黝色のセミロング。狼の鬣のような美しくも荒々しい髪色だ。
「でも忠告しておく。早めに対処しておかないと、くだらない噂に流されて暴発しそうな連中もいるってこと。迷宮で仲間を失ったクランの人たちとかね」
『どうしてキミはそこまで教えてくれるのさ?』
「あなたたち、へんてこだけど素敵だから、親切心だよ。あとは秘密」
シザーズ、そして、狗颅骨。先の事件で複数のメンバーを失った中堅クランだ。
あの後、一部の構成員が報復とばかりに五層以降に潜り、イミューンを狩ってまわっていると聞くが、それがどうトワイライトたちに関係するのだろう。
殭屍に、二つのクラン。
迷宮と地上それぞれに不安要素があるみたい。いずれも注意をむけておく必要がありそうだ。そしてこの女にも。
「用心した方が賢明なのは本当。もうじき、いろいろ起こると思う。確実にね」
「そりゃ、ご忠告どーもねぇ」
「で、どうする? ヤるの?」
「……やんなァい。気が削がれたから、帰ってクソして寝る」
「そう。それじゃあ」
別れを告げて踵をかえすと思いきや、女は一歩踏み出した。音も立てず、一瞬で数センチの距離に踏み込んでくる。鼻先がトワイライトの唇に触れそうなくらい近い。血色のよい肌が目の前に晒されていた。それでもトワイライトは顔色一つ変えない。
ヴィヴィは、すんと鼻を鳴らした。匂いを嗅ぐというよりは気配を確かめられている感じ。
触れる寸前で止まった唇が紡ぐ。
「あなた悪くない。あのリンレイが後生大事にしまっておいたのも頷ける」
「てめえ」
その名を出されて、トワイライトは激し、女の頸を捕まえようとした。でも予測されていたのだろう。するりと身をかわすと、ヴィヴィはさも愉快そうにころころと笑った。
「おっと、そんな獣みたいな目をしないで。きれいな顔が台無しだ」
「おまえみたいのが軽々と先生の名前をだすんじゃないよ。……反吐がでる」
視線が交叉し、互いの瞳が色を映しあう。
先程とはうってかわって、トワイライトの瞳はどこまでも昏く冷たい。対して、ヴィヴィの瞳には挑発的な色が浮かんでいる。トワイライトへの興味か、それとも狂気か。
「また会うよ、この街には仕事がたくさんありそうだから」
「……願い下げだね」
「あはは。今すっごくいい顔してる、貴方」
今度こそ、囁くように別れをつげた唇が、ほんのすこし触れて離れた。なにかを盗むような邪知深いくちづけだった。
相手をねちっこく嬲るような厭らしい振舞いが、正直ボクは少し怖かった。そして、それがとても悔しい。
「チャオ、トワイライト先生。あなたの小さな恋人さんにもよろしくね」
次の瞬間には、もう女の姿は闇の中に消えていた。
音までもが消えた気がした。訪れた沈黙は重い。
「……ネロの言ったとおり、おとなしく帰りゃよかったな」
『なにをいまさら。もともとトワイの方が欲望丸出しだったし、因果応報ってやつでしょ。でも、勿体ないね。いかにもやらせてくれそうな美女だったじゃん。キミの同業者なだけあって変人だけど』
「やらせてくれそうって、女の子にゃ最高の褒め言葉だね。ネロ?」
『そりゃ皮肉にきまってるけど。トワイだって、おっぱいばっか見てたじゃん』
「ん~。でも、迫力ありすぎてセックス中に絞め殺されそうだったし。こわいよ、ああいう女……」
『きもちいらしいじゃん、首絞めックス』
「まァね? けど、やめたはやめたなんだよ」
トワイライトは気分が本格的に乗らないらしい。相手もちょっと尋常じゃない感じだったし、無理もないだろうけど。
正直ホッとしている自分にがっくりくるが、トワイはトワイでしょんぼりダウナー気味みたい。彼の感情の起伏についていけないとは思わないし、もっとひどい落差を迷宮では目の当たりにしているけれど、ボクは少しだけ心配になった。
『トワイ。だいじょうぶ?』
「ンー、ぜんぜん平気ィ。ネロは? 迷宮ほどじゃないだろうけど疲れたろ? 解散しちゃう?」
『大丈夫。それに、もうちょっとつないでたい』
「さいですかァ」
それでも、やっぱり色々引っ掛かる。
トワイライトはバカでゲスくて頭おかしいけど、いつも苦痛を独り占めして抑え込んでいる気がする。なにを聞いても「平気」とか「大丈夫だ」としか言ってくれない。ボロボロになっていたって答えはおんなじ。彼はボクの先生で、こうしている間は半分保護者のようなもので、ある意味では当たり前なのかも知れない。だけど、ボクはそれが当たり前になっちゃうことが嫌だった。
『あのさ……さっきの、どういう意味? 言ってたでしょ、おれみたいのが生まれるのがどうのこうのって』
「別にィ。ちょっと独りごとだよ、ネロもおれのアタマがアレなの知ってんだろ」
『そんな身も蓋もない』
呆れてみせても、トワイライトは何故だかにっこりするだけだ。きれいな表情。燃えてる死体を目の前にした人間は普通こんなふうには笑わない。
『あのねえ、トワイライト』
ボクはふと思いついたことを口にした。
悪気なんて毛頭なかったけど、言わずにはおれなかったのだ。それはボクにとっても、彼にとっても慰めにならないような問いかけだった。
それでも口をついてでたのは、たぶん初めて動く死体を目にしたからだと思う。
死者はおそらく、生者よりもボクには近い。
『……トワイは死んだ人間を殭屍にする方法を知ってるんだものね』
「なになに、今更ァ。おれがおまえの兄様方相手にどんな商売やってっか分かってンでしょ」
『それじゃ、ボクが死んじゃったら殭屍にしてキミのそばに侍らしといてよ。たぶん、簡単だよ。恨みや憎しみを抱えて死んだひとが化物になるんでしょう』
「まァ、そうだがねぇ。なぁんで今そんなこと言うかなァ、ネロちゃんは」
『ネロキョンシー、実際すっごく役に立つんじゃないかな。頭脳に加えて、怪力神通力まで備わっちゃったら百人力だよ。こうして遠くから援護するだけじゃなく、一緒に戦える。……いつだって、さみしくないよ?』
「はん。確かに今以上頼れる相棒も魅力的だが、魂のない抜け殻なんざ、お断りだね」
トワイライトの瞳は揺らがない。いつもの通り、狂気と理性をないまぜにして黒渦を巻いているだけだ。
分かっている。哀れぶって同情を引こうとしても、それすら無駄なんだって、ボクは知っているのに。
『はいはい、冗談! 冗談です、っていうか、ね? ……こういうときは怒るか大人らしく諌めるものでしょ』
「なら、もっとハッピーな感じで楽しく言えよ。らしくない」
トワイライトは不機嫌そうに頭を搔いて、彼には珍しく少し言葉を選ぶようにあとを続けた。
「おれはなァ、おれ自身を含めてだが――お前みたいな死んでも死にきれないクソガキのために死人どもを殺して回ってるんだ。これからだって殺してやるよ。すべて殺す。それに、ネロ。可愛いおまえがあんなにあさましい怪物に成り下がるってんなら、そんときゃキッチリおれが殺してやるからよォ」
『……それってぜんぜん慰めになってないよ、トワイライト』
「ネロはおれの嘘を見抜くだろ、いつも」
確かにそうだ。
でも、トワイライトはボクの本当を見抜くのだ。大抵、いつも。
「だから、あんまり世の中を怨むんじゃないよ。たしかにネロはおれより死に近いかもしんないけど、まだ生きてるんだろ。まだまだ死なない、そうだよなァ? そんなら、もっと楽しいコトや酷いことをして回ったっていいんだぜ」
『……ばかじゃないの。ほんとは死体みたいな女の子が好きなくせに』
「そうかもしんないけど、おれは生きてて意地悪いうネロの方がよっぽど好きだね」
『それ、殺し文句なの分かってないでしょ』
言い合う傍らで、陰火は跡形なく燃え尽きていく。
夜明けが近い。帰ろうかというと、トワイライトも素直に従った。徐々に灯りが薄れ始めた街の方へ向って歩き出す。
眠気覚ましのつもりかいやがらせか、はたまた子守唄のつもりか、トワイライトがよくわかんない鼻歌を歩く間ずっと口ずさむので、退屈してボクはそれを遮った。
『殭屍の件、厄介なことにならないといいね。さっきの女のことも』
「それは分からんけど、黒数は人が大勢いるんだ。妖怪の一匹や二匹紛れ込んだところで到底喰いきれないほどにね。しかも大半が迷宮に夢中ときてる。だから、すぐに騒ぎがどうこうってわけじゃないさ」
『……ボクはきみを心配して言ったのだけど』
「心外だなァ。もうちょっと信じてよ、おれじゃなくて、おれの悪運をさァ……」
『無理いわないで』
遠い街の灯りを見つめる瞳は、夜の闇よりも昏い。それは不穏な予感すらも飲み込んでしまうような黄昏色だ。たしかに、心配なんかいらないのかもしれない。
……トワイライトは、生きているボクが好きだといった。
だから、どんな新しい日々が訪れても、ボクは大丈夫なんだろう。
彼がボクを引き止めて、受け入れる余地が此岸にあるなら。
傍にいるなら。
キルポップチェーンソー 〈了〉




