十四. キルポップチェーンソー 〈前〉
十四.
こと人生においては無慈悲で不条理な運命が牙をむく。
生きている人間にとって平等なところがあるとしたら、きっとこれだけ。
誰にだっておかまいなしに運命は襲いかかる。望もうが望むまいが、それは災害みたいなもので、タイミングもなにもかも構っちゃくれない。
……でもそんなこと、めずらしくもなんともないよね。
残念ながら、ボクにも避けようのない結末が待っている。たぶん、もうすぐ。
唯一の救いは、そういう事実を前もって知っていることだろう。
ボクはネロ。もちろん本名じゃない。ハンドルネームってやつだよ。
おまけにこう見えて重病人だ。大抵の場合、身体はおうちでお留守番。それでも優れた目と手と頭、それに電網を通じて、街や迷宮を彷徨う人たちの水先人を務めてる。いわゆる寝台探偵。分からなくても別にいいけど、可視化された電網空間――拡張現実上で人助けをする妖精のようなものだ。ボクの得意分野は情報収集とコンピュータ。今は地下迷宮に潜る探索者の多くが頭に素子を埋め込んだり、外付けの機器を使ったりして電網に接続している。だからボクは自室にいながら彼らの意識に潜り込み、目的の場所まで導いてあげているってわけ。
もちろんそれだけじゃないよ。せっかく便利な能力を持っているんだもの。使えるものは自分の思う通りに使わなくちゃ。人生は有限で、とりわけボクには時間がないんだから。
電脳空間。あらゆるデータが視覚的に再現された共感覚的幻想世界。飽くことのない、膨大な情報の海。ボクはほとんどそこの住人だけど、今はそれよりトワイライトの眼を通してみる世界が一番おもしろい。
トワイライトはボクの先生で相棒だ。
地上では道士、迷宮では召喚士。今夜みたいに便利に使われていることもよくある。
符呪の力や道術知識を利用した闇医療を行い、裏界隈で阿漕に稼いでいても、雑務を断れない複雑な理由があるみたい。
少し前、彼は迷宮で階層違いの魔物と交戦した際、青い竜の化身だという少女に救われた。一か八かの土壇場で召喚したモノが彼女だったんだ。そしてマジで信じられないことに、彼は正体不明の少女を連れ去り、引き取ることまで宣言してしまった。「おれが拾った」とか「触媒はおれの血と肉なんだから、こいつだっておれのもんだろ」とかなんとかムチャクチャな理由をつけてさ。
探索者ギルドを統括する立場のツオルギをはじめとして、みんなトワイライトの行動にはびっくりしていた。もちろんボクも。どう考えたって彼はそういうことをするタイプじゃないんだもの。
なんでも、あの異形の少女――ブルーは自分にとっての「運命」なのだといって。
それはとても勝手で、泥棒みたいな言い草で。ボクなんかは未だにイライラきてしまう。攫ってきたのは自分のくせに、どこか導かれたような彼の潔さが余計に怒りを掻き立てるから。
でも正直いうと、少しだけその気持ちがボクには分かっちゃうんだ。彼が青い竜を運命だと謳ったように、ボクはボクで死よりも信じてみたい運命が別にある。
だって現実じゃなくても、信じるだけなら勝手じゃない?
彼にとっての運命があの娘であるなら、ボクにとっての運命は彼だとボクは信じてみたい。
だから――、
だからどうかきみが今夜もボクを招き入れてくれますように。
希い、目を閉じて。声には出さずに秒読みを開始する。ここまではいつも通り。
……さん、にい、いち。
花の嵐が吹き荒れる中、目映い朝焼け色の髪の女がとびきり邪悪に微笑む様がほんの一瞬だけ視えて。
再び目を開くと同時に、頬を撫でる生ぬるい風を感じた。夜のにおいだ。本物じゃないけど偽物でもない。夜風に揺れる黄昏色の前髪も見える。太陽が沈む直前の複雑な空の色。高くすっきりとした鼻梁や真っ白な頬の輪郭も少しだけ視界に入っている。
今夜も無事に同期出来たようで一安心だ。
流れ込んでくる情報は視覚が八割。残り二割は聴覚をはじめとする別の感覚モダリティ。
こういう一連の手続きを経て、ボクはトワイライトにとって世界を視るもう一つの眼、彼の〈水先人〉になる。
「……ン」
膨らんでいく途中の歪な月を仰ぎ、負荷に耐えるように一度だけ呼吸が止まり――すぐに深まる。
どこか気が触れていても、きっとそうだからこそ、ほんの少しの侵入感にも彼は繊細に反応する。挑発的で猥らな振る舞い方をするくせに感じやすいだなんて、ちょっとかわいい。だけどこれは内緒。
ボクの側では心拍数や血圧、瞬目回数、呼吸数などもモニターできるけれど、考えや気持ちまでを直接共有することはない。
だから、いろいろ想像を巡らせるのはお互いに自由だ。罪悪感がないわけじゃないけどね。
魂のたったひとかけらの共鳴。
感覚、知覚、そして認知。それらを統合する意識のほんの一部分の繋がりだけど、ボクは短い間だけトワイライトの眼裏の乗客になる。
つまり、彼の意識経験の一部をリアルタイムに体験するということ。
魔術と先端科学技術の融合により、他者と意識を共有するためのネットワーク技術が確立されて久しい現在、他人の体の乗客になることはさほど珍しくはない。
『やあ、トワイライト。どう? かわいいでしょ、ボクの新しい化身』
「……おまえ、それキョンシーモチーフっておれへのあてつけかよ」
『ひどい。ボクなりのこだわりなんだよ~、褒めてよ~』
彼の眼を通して夜を視ながら、ボクはいつものように拡張現実の中へと自らの化身を出現させる。コミュニケーションをとりやすくするための配慮。ボクの感覚はトワイライトに同期されないけれど、視覚化して繋がることで情報のやり取りは格段に効率が上がるんだ。
なんでだろうね。どこまでいっても、現実をなぞった立体感や肉体的な達成感を人間は求め続けてる。
「ま、いっか。……おコンバンハァ。ネロ」
どこか粘着的な口調。でも、不思議とお腹の奥にまで響くような官能的な声が降ってくる。
気持ちを落ち着けながら、ボクも生体通信であいさつを返す。実は先程までふつうにチャットで雑談していたんだけど、こうして同期しながらの会話は先の事件以来久しぶりのことだった。トワイライトの声は想像していたよりも元気そうだ。少しだけ疲労が滲んでいたが、それだっていつものことだ。
『……どうも、さっきぶり。今夜もご機嫌なようで結構だよ』
「ああ。死人を殺すにはうってつけの夜だ」
『もうすっかり元通りって感じだね』
「おかげさまで」
現在位置は蓋頚地区、迷宮街中央付近。
トワイライトはその一画にある廃ビルの屋上に独りきりで立っていた。
一歩先は奈落の底だが恐れる様子は微塵もない。いかんせん頭のネジが緩みきっていると、恐怖心がすっかり抜け落ちてしまうみたいだ。
もちろんミスを犯したりはしないけど、トワイライトは傍から見ると無謀で煽情的な行動を取りがちなんだよね。
もしかするとその抑え役としても第三者によるナビゲートを必要としているのかもしれない。よく考えなくてもそれはそれで面倒くさい。
「ところでどう? いい眺めだろォ……」
『キミの美的センスはほんとよく分からないけど、たしかに上半分だけはきれいだよね』
「ええ、おれは下半分が好きなんだけど?」
廃ビルの屋上からは魔都の夜景を一望に収めることができた。
ここらへんは既に棄てられた街だ。地下迷宮の発見により、街としての機能を剥奪された都市の中のエアポケット。真っ暗だから、そのぶん遠くの明るい場所がくっきり浮かび上がってみえる。
手前側には妖しく煌めく紅い街明かりが広がっている。懺骸地区を中心とした華やかな旧市街の灯だ。その向こうには互いの影を喰い合う様に聳える白魔摩天楼群の絶景が映える。頂部では赤い障害灯が深呼吸のリズムで明滅を繰り返している。
ネオンを反射した紫の雲が照り映えて不気味な生き物みたいに蠢く様子は確かに美しい。
でも、廃ビルのすぐ下の光景は真逆だった。
不自然な動きをしながら蠢く人影が複数。まるで水中を泳ぐように毛髪や衣服が揺らめいている。夜風のせいだけじゃないのだろう。
彼らは目的や意思を感じさせない緩慢な動作で闇のなかをふらふらと徘徊していた。黒闇の中にあってもその肌が土気色に沈んでいるのが分かる。
夜を彷徨う者たちは、まだこちらには気づいていない。トワイライトが予めなにかの仕掛けを用意してきたのかもしれない。
『……あれが殭屍?』
「そ。夜歩く死体妖怪。長い年月を経ても骸が腐ることはなく、起き上がって動きまわる者のことだよ。ネロにはゾンビとかグールとか吸血鬼とか、そっちのほうが分かりやすいかもな。とにかく奴らと似てるんだ。鋭い爪や牙、生前とは比べ物にならない怪力を持ち、人や家畜を喰い荒らして血とか吸う。そういや、低級であれば日光に弱いってのも共通してンなァ」
『へえ。それでキミが呼ばれたってことね』
「そゆこと。いつものクソめんどい慈善活動さ」
トワイライトは道士であり赶屍術者だ。
術を用いて殭屍を造り、操る力を持っている。つまり殭屍の先生ってわけ。
本来彼らは死者を正しく葬ることで現世に安寧をもたらし、生者を導くことを生業とする。でも、その方法を知っているということは逆も然り。時には死者を冒涜し、生者を貶め損なわせるために術を用いる左道もまた存在するのだ。例えばこの人のように。それでも彼が呼ばれるのは、毒を持って毒を制す――そのためだ。
「アー。でもな、別にナビなんて頼んでないンだけど。だいたい、仕事じゃないからおまえにとっては一銭にもならないよ?」
『たまたまチャット中に依頼が入ったら気になるじゃんか。それにトワイと違ってボクは別にお金に困ってないし、こういう体験はプライスレスなんだよ』
「ブルジョワめ」
『そういうけどサポートはあった方が安全だし、っていうか見ててもいいと言ったよね? ボクだって妖怪見たいもん! 迷宮の魔物はともかく、今は地上じゃ珍しいんでしょ』
「その筈なんだけど……そういうわけでもねえンだよなァ」
『というと?』
「ここ最近、アイツら妙に出やがるンだよ。地上の仕事だけじゃ食いつめてる道士も多いってのに、おかげでこっちは寝不足さ」
『ふーん、そりゃたいへんだね』
「もっと感情込めて言って。ちゃんとおれを励まして」
『いいけど、キミは白日昇天目指してもう少し徳を積んだほうが良いんじゃないかな』
「……今夜のネロちゃんは意地悪だよなァ?」
トワイライトは知らんぷりをきめこんで首を傾げた。
ボクが辟易しながら言い返したのは、ちらちら視界に入る彼のシャツが飾りボタンのついた女物だからだ。華奢なデザインで布地は薄紫。細く括れた腰まわりはぴったりだけど、肩とか腕とか背中が苦しい気もする。
ともかく、どこから駆け付けたのかがよく分かる。体臭もほんのり甘く、洗いたての髪の匂いと煙草の香りがトワイライト本来の匂いに混ざってる。たっぷりと精気を吸い込んだ後のいい匂いだった。
寝不足で忙しいのはどう解釈したって殭屍のせいだけじゃない。
父上の権力を傘に着て医者として囲っても彼がボクのものにならないことは分かってる。人の心をお金で繋ぎ止めることはできないし、いろいろ雁字搦めのようでいてトワイライトの心根はどこまでも自由だ。知っていても、やっぱり少し胸が痛い。たとえボクの側の感覚を共有していたとしても、この痛みは彼には伝わらない。
そう、これだけはボクのものなんだ。
『……意地悪言って突っ込んでくれる相手がいなきゃ締まらないでしょ。キミは』
「あはッ、そうだよねェ。だからなんだかんだでおまえが手放せないンだろうなァ」
『トワイが我侭なのはもう知ってる』
「ネロのそういうとこ好きィ」
『キミのそういう軽薄なとこ、嫌い』
緩い夜風が黄昏色の髪をふわりと揺らす。毛先は夕暮れに滲むバニラ色だ。トワイライトは心地良さげに眼を細めた。
同期していればこそ直に分かるのだけれど、やっぱり見てくれだけじゃなくて、何気ない所作の一つひとつが整っている。……アホなんだけど。
だから、できれば。
ボクはトワイライトの目で見る世界じゃなくて、彼の隣りで、同じ場所に立って見る世界が欲しい。でもそれは多分叶わない。そんな世界はどこにも存在しないし、これからも存在することはないだろう。それでも……。
「さァて、行くか」
舌舐めずりと共にトワイライトは抱えていた荷物のカバーを剥ぎ取った。呪符まみれの黒布は風に煽られ、闇に溶けるように消えてしまった。
気がつけば大変なモノが目の前に晒されていた。




