八. Jack You Up 〈中〉
八.
トワイライトを斬り捨てた後も、少女は淀むことなく動き続けた。
勢いを殺さず、それどころか更に加速すると、一気に女怪の懐へ飛び込んでいく。
彼女に躊躇いはない。一片の容赦も、また。
速い。今までに見た何者よりもしなやかで軽い。
彼女は剛であり、柔である。そのどちらも兼ね備え、内包した身のこなし。
螺旋を描きながら、あっという間に昇り詰めてゆく。
辛うじて追えるのはそれくらい。細かな動きまで、すべてを目で追うことなどできやしない。
そのままリーチを掛けるものだと思っていた。
けれど、当然というか――それは許されない。
核である女の体を守るように無数の触腕が聳え、次の瞬間には少女に向かって殺到する。
一拍を置いて少女も跳ぶ。遅すぎるなんてことはなかった。
彼女はぎりぎりまで引きつけ、待ち受けていたのだ。
鋭い呼気。トワイライトの耳にも風を切る音が届く。
少女が目を見開く。
長い前髪の下で燃え滾る眼光。桃色の闘気が陽炎となって瞳の中で渦を巻く。
どうしてか、それらがはっきりと分かる。
闇に閉ざされていても、彼女のことがはっきりと。
大きな瞳には極大の殺意。否、それは最早殺気とも呼べない。
そう言えるほど純粋に研ぎ澄まされ、練り上げられた気力で漲っている。
一瞬、薄紅の瞳が激しく揺らめき――――、
――――紫電一閃。
少女は掌を突き出し、回転させて、軽々と化物の刺突をいなす。そして回る。
片足を軸にくるりと身を翻し、攻撃を弾き返す。
力の余波か、背後の岩壁が抉れ、罅割れる。
彼女は縦横無尽に動きまわり、けして正面から力を受け止めたりはしない。
狡猾なやり方だ。流麗でもある。
また体を捻り、もう半回転して蹴りを喰らわす。
次の瞬間に無数の触腕が爆ぜて散る。ひとりでに破裂して血と肉をぶちまける。
少女の繰り出す技は内側から魔物の体を破壊しているらしい。
少女が駆け抜けたあとには蒼い残滓。血と肉片。狗の頭。濡れた触手の残骸。
魔物の血煙で辺りが蒼く霞んでいる。
繰り出される打撃とその波紋が淀みを引き裂き、どこまでも冷徹に閃く。
少女は螺旋状に技を炸裂させて舞いながら標的を追い詰めてゆく。
「……♪」
成り行きを見守っていたトワイライトは思わず「ひゅう」と口笛を吹いて囃した。
自分が置かれた状況も、今このときは意識の外に押しやられていた。
「ったく、いいもん見せてくれンじゃん? オチオチ寝てる暇もねえの……」
掠れ声でごちて、目を擦る。血も汗も邪魔だった。
眼前で繰り広げられる痛快極まりない光景を見逃す手はない。
なんとかそのまま上半身だけ這い起きて、次に何が起きるのかと目を凝らす。
少女は微塵の躊躇もなく踏み込む。目の前の雑魚に拘泥することもない。
紙一重で身を躱し、寄せては返す動きで制す。
相手の動きに呼応して、少女の術は勢いを増してゆく。
丁寧に揃えた指先、その掌を押し出す。面白いくらい簡単に魔物の触腕が、狗の首が弾け散る。
化勁のようなものか。発せられた不可視の力が全てを破砕する。
「はん、……おっかねえガキ」
ぎりぎりの死線を掻い潜っているようでいて、彼女はけして踏み越えない。
確かなものを見極めている。
そして、それはトワイライトには見えない。
これが力量の差。もって生まれたもの、すべての差異をそのまま表している事実。
あんな動きで攻められたら、自分じゃとても歯が立たない。
実際に切り刻まれてから言うことでもないのだが。
そんなことを考えていた刹那。
少女は群がる犬どもの頭を足蹴にして駆け昇り、その腕でとうとう魔物の胸を貫いた。
決着がついた。そう見えた。
僅かな間をおき、薄い花弁のような唇が何事かを紡ぐ。
何と言ったのか、トワイライトには聞こえない。
けれど、終始涼しげだった横顔が一瞬だけ苦味を帯びて見えた気がした。
イミューンは悲鳴を上げる前に、その叫びごと封じられることとなった。
少女はろくすっぽ呪文も唱えず、結界らしきものを展開する。
大きくて透明な結晶が魔物の体を覆い尽くしてゆく。
ただ、完全に仕留めたというわけではない。
殺意の籠った視線が結晶の内側からトワイライトたちに向けられている。
手傷を負い、全身を拘束されていても、青い双眸から敵意は消えていない。
堅く隔てられていても背筋がぞくりとする強い眼だった。
……あの結界はどのくらいもつのだろう。
即席の檻。
魔術であるかどうか怪しいが、あの結晶がとても強力なものであることは一目瞭然だった。
けれど、永遠に凍結したままにはできない筈だ。
つまるところ、あれはとりあえずの時間稼ぎでしかない。
少女がそういう方法を選んだのはどうしてなのか。彼女のやり方であれば、一気に片を付けることも出来ただろうに。
「……ってぇ、いい加減考えてる暇とかねぇよなァ」
身動きを取れるようになるまで、どれくらいかかったかは分からない。
それでも、そんなに長くは経っていない筈だった。
斬り飛ばされて転がった先。トワイライトは漸くその場に身を起して膝をついた。
しばらく死んでいた――フリではある――そのおかげで幾分か休むことができたわけだが。
さて、どのくらい動けるか。
「クソ、本気で斬りつけやがって」
立ち上がりかけたものの、再びその場にへたり込む。膝が完全に笑っていた。
冷たい岩壁に凭れて、長く息を吐く。
深呼吸。大丈夫、次はいける。っていうか、意地でもいかす。
ひどい痛みで胸が軋むが、そこに傷は存在しない。
そう、先ほどの攻撃に限っていえば、防ぎきれているのだから。
少女の腕で無残に引き裂かれたかに見えた体は、一応は無事である。
「は。書きつけが無かったらマジ死んじゃってたねェ」
別に不死だとか、そういうイカした性質を持ち合わせているわけじゃない。
トワイライトだって斬られればちゃんと死ぬし、生き返ることはない。
僵尸みたいに死後も動き跳ね回るなんてことも勿論ありえない。
ただ、衣服の内側には霊符へ書きこまれるのと同じ類の呪文が前もって記してあった。
もしものとき用のバックアップ。
さっきの斬撃を耐え凌いだのは、この身代わりの書きつけのおかげだった。
でも、もう同じ手は使えない。服も体もボロボロだ。
この調子じゃ、簡単な術を発動させることすら満足にできないだろう。
「……お気に入りの装備だったのにぃ」
悲壮感を払い除けるために軽口を叩き、血で張りついた襤褸切れを体から引っぺがす。
その向こう側、此方に歩いてくる華奢な姿が見えた。
随分と小柄だ。戦っている様子と比べれば何だかかなり子どもっぽい。
少女はトワイライトが死なないことなど端から分かっていたらしい。
慌てることもなく、ずんずん歩いて近づいてくる。
蒼くて長い髪が風もないのに戦ぎ、たなびいている。
……おそらく自分は怪物の気を引き欺くためのフェイントに使われたのだ。
でも同時に少女の容赦ないだまし討ちに助けられもした。というか、そのための見せかけだろう。
そういうわけで、トワイライトの胸中は複雑だった。
怒りが半分と、もう半分はよくわからない。
安堵? 感謝? もしくは相当混乱しているのかもしれない。
なんだっていい。考えても分かりはしない。
だから、とりあえず声を張り上げる。不満は遠慮なくぶつけてやればいい。
「おまえなァ! 本気で斬りやがって、殺るにしろ助けるにしろもっとやり方ってモンが――」
剥がした襤褸切れを投げてその向こう側を見る、と。
少女は思ったよりも至近距離まで踏み込んできていた。
「おまえ様は、またぼろぼろダナ。塵か何かと勘違いスルところだった」
少女というには少し低く、でも甘い声が降って――。
もうほぼ真上から見下ろされている。
表情は陰になっており、視認できない。
けれど、その瞳は闇の中でもはっきりと見て取ることができる。
秘密めいた煌めきを宿した、奥行きある双眸。
瞳には垂直スリット型の瞳孔が閃き、額からは髪を分けて小さな角が生えている。
聳弧の一角を思わせる円錐状の突起。
闇の中でも浮かび上がる薄花色の肌。角も同じ色でつやつやと輝いてみえる。
そういう危うい容貌がいっそうトワイライトの気を惹いた。
だが、それよりも、もっと視線を惹きつけてやまぬものがあった。
「……うが。えーと」
真っ先に目に入ったもの。
それは、つるりとした肌に滑らかな縦線一本。
半熟の水蜜桃のような、控え目な肉の双丘。
一瞬だけ頭が真っ白になる。というか桃色に。
目の前に立った少女は両腕を腰に当て、トワイライトを堂々と見降ろしていた。
ただしその姿は、
「オギャーーッ! 全裸ァあァァぁッ!?」
「うるさい」
「オマエもろ出しじゃねえか! せめて隠せ、恥じらえよ!」
「なにヲ?」
「ぜんぶだァッ!」
叫ぶと同時に呪符が舞い、少女の裸身に纏わりついて申し訳程度にあちこちを隠す。
トワイライトは最後にちょこっとだけ残った力を超絶無駄に行使して、いよいよ息も絶え絶えだった。
命がけで突っ込みをいれている場合ではないが、つい反射的にやっていた。
上着を脱いで差し出すという最も効果的かつ紳士的な行為は、そもそも服がずたぼろで叶わなかった。
「ナンダ? この黄色い紙切れは」
「霊符だよ。お願い事を書いた紙、みたいなもん」
少女は自分の胸や内腿に張り付いた呪符をしげしげと見つめ、端を摘んでみせた。
ぴりっと音を立てて紫電が走るが、痛くも痒くもないらしい。
薄い紙切れ越しに、あれやこれやの輪郭が透けている。
「……あ、あられもねぇ、けど、これはこれでかなり……ィィ……」
もはや疑いようがない。
こちらの方が全裸よりよっぽどいかがわしい。
なんというか、性癖を何段階か面倒くさい方向に拗らせた感じでもある。
「くすぐったい。ここの、剥がしちゃダメカ?」
「そこだけは絶対ダメ」
それでも丸見えもろ出しよりはマシだ。断じてマシな筈だ。
トワイライトが必死に下種くさい邪念を振り払おうとする傍ら、少女は不満げな顔でもぞもぞと脚を動かしていた。
……妙な動きは前張り代わりの護符の違和感を払拭しようとしているが故だろう。
「……おまえ、もしかしなくても阿呆だな」
「?」
本当にあらゆる意味で召喚に失敗した。
そう思って頭を抱えていると、小さな白い手が胸を覆う札の一枚を引っ剥がす。
「ってこらァ! さっそく剥がしてンじゃねえよ。ひとが命がけで隠してやってんだぞ! 地味だけど! 命がけで!」
「脆イ。まるで玩具」
「人の言うことを聞け! つーかオマエ俺の使役獣じゃねえのかよ、やっぱり言うことをきけよ!」
「こんなまやかしモノを扱って、恥ずかしくナイノ」
「恥ずかしいのはオマエの格好だろうが! だから言ってるそばから剥くんじゃあない! ただの安い紙切れじゃねぇんだぞ、それェ……って、ぐぎぎ眩暈がァ」
「む」
「あーもう……一応それだって魔術だしィ? 自分の術を超簡単に破られるとか、けっこう複雑な気分なんですけどォ」
「ふむ? 確かに似たのがおまえ様の肉体を守っていたヨウダケド」
少女は指先に挟んだ符を一瞥する。
瞬間、呪符は音もなく発火。青い炎に包まれてあっという間に燃え尽きる。
「こんな紙切れに頼らざるを得ナイなんて、ひとは脆弱なんダナ。それともおまえ様が弱いノカ」
「うっせ、地上と迷宮とでは魔術の大系が違うンだっての!」
呼吸も同然に物理法則に干渉し、事象を歪めてみせるとは。
まったく造作もなく恐ろしいことをやってくれる。
何をしたところでこの少女には歯が立たない。そんなことを眼前で示されているのだから、怖い。
でも、恐怖というよりは――――。
また見蕩れていたことに気がつき、そろりと視線を上げれば少女と目が合う。
視線がかち合うと少女は首を傾げて不思議そうな顔になる。
見られていたことには気がついていない。
あるいは、気にも留めていないのか。
「ナゼ、頬を赤くする?」
「別に、……ほっとけよ。なんでもない」
「なんでもないのは、チガウ」
少女はわざとトワイライトの眼前でもう一枚を剥がしてみせた。
その爪先だけが淡い花弁の色だった。
「これのせい? わたしの体が気にナルノカ」
試すような仕草には邪気がなく、あるのは興味本位だけだ。恐ろしい子。
薄い胸板から桜色の輪郭がわずかにのぞく。
惜しい、あと一枚。
……じゃない、見えなくていい。今は。
これ以上拍動が増して血圧が上がったら、今すぐにでも逝ってしまいそうな気がする。
「そういう出し物は地上でやって。俺が元気で平和なときに」
「今は? 元気チガウ?」
「この状態のどこが!? 元気皆無! 死んじゃう寸前!」
「……ン」
「分かンないからとりあえず頷きましたァ、みたいな態度やめような」
「ダイジョウブ、ヨク理解」
「あ?」
「出血多量、傷はどれも深イ。放っておいたらおまえ様はじき確実に死ヌ」
「おあああああアァッオマエなァァアぁぁッ!!」
的確な見立てを述べられれば、もうブチ切れて頭を振るしかない。
耳の奥で実際にブチブチと何かが音を立てて切れるのが聞こえた。
「すこし落ちつかねば、ヨケイに傷が開ク。トワイライト――」
「あ~も~いいよ。もうどうだっていいしどうにでもなれですよ~」
「ぼろぼろでもダイジョウブ、わたしが来た。ほかならぬ、このわたしが。だから……安全スル」
「安心、だろ」
「安心で安全。生きて帰ル!」
「オマエに賭けたせいで現状八割方死んでるんですけどォ?」
軽く言い合ううちに幾分か気魄が戻ってきた。
まさか計算づくで鼓舞されている、というわけではないだろう。
どう見たって少女はあくまで天然、ただ思うがまま振舞っているだけだ。
とりあえず気が散るので、もう一枚呪符を飛ばして剥がされた箇所を覆う。
少女は少しだけ不服そうな顔をした。
「なるべくそのままでおねがいしまァす」
「努力スル、けど」
「あン?」
「現世というのも不自由な世界ナノダナ」
「規則で縛られているからこそ、遊びがいもあるってもんよ?」
「キソク? アソビ?」
不思議そうに首を傾げる姿には苦笑するしかない。
「……破りがいもね」
別に理解してくれなくて結構だ。
悪い笑顔を浮かべてやると、少女は無表情のままで肩を竦めた。
大人げない阿呆だとその目が語っている。
お互い様だと思うトワイライトだったが、なにも言わない。
突っ込みをいれたところで無駄な事はとっくに分かっていた。
ピシッ。
背後で結晶が音を立てる。
美しく透き通る面には亀裂が一筋。その向こう側には女怪の瞳がある。
少女はそちらを冷たく一瞥。
刹那、結界が修復され、表面のヒビが何もなかったように消え去った。
「もうあまり長くはもたせられナイ」
「つーか何でトドメ刺さねえまま放置してやがんだよ、アレ。すぐにでも殺れるし殺れただろ、オマエの腕ならさァ?」
「それは、……どうしてもできない」
睨むトワイライトに対し、少女は静かに首を振った。
「わたしは所詮、不完全な召喚体ダ」
ふさわしい言い方が見つからないらしく、言葉を選びながらだった。
それでも少女はこちらを見上げて続きを紡ぐ。桃色の瞳が僅かに揺れていた。
「まともな触媒はおまえ様の右腕ひとつ。それに、ばらばらの血と肉のみだ。カヨウな状態では使えるリソースが限られルし、出来ないコトの方が多イ」
「よーするに仮の入れ物が栄養不足ってことか。喚起が下手でわるうございましたね」
「責めてイルわけじゃナイ。おまえ様が想像してイルより、今のわたしはずっと不自由。それだけ」
「なるほど?」
「それに、今のトワイライトにあまり負担はかけられナイ。わたしも力を制限シテ使わなければならナイ」
「……そりゃ、まあねぇ。でも、それ全部が理由ってワケじゃねえんだろ? まだ隠してるな?」
「どの道足止めは出来ても、わたしの手では迷宮内のイミューンを殺せない」
「はぁ? どういう理屈だ」
「これ以上深くは話セナイ」
「おもっきしはぐらかすんじゃないよ。さすがに意味不明なんですがァ」
「……でも、おまえ様の手でアレを倒すのに力を貸すことはできル」
「直接手を汚すのがNGってわけかよ?」
「ごめんなさい。でも、信ジテ」
そこで言葉を打ち切ると、あとはただ真っ直ぐにこちらを見つめるのみ。
「おまえも訳ありってこと、ねぇ」
腑に落ちない点はまだ残っている。
それでも、力を貸すというなら今はそれを信じるほかにない。
彼女こそがトワイライトの使役する召喚体なのだから。
どの道、生きて戻るすべはもうこれひとつしか残っていない。
「……まァいっか。ここはひとつ、頼むぜぇ」
少女は少しだけ安堵した顔になるが、すぐに固く唇を引き結ぶ。
頷くと、何も言わない代わりにトワイライトの左腕を掴んで、ぐいっと引いた。
細くたおやかな体のどこにこんな力が――という感傷はすぐに赤く塗りつぶされた。
それはある種、暴力と同意義だった。
「痛い! うん、痛いね!? 加減とかやっぱ分かってないよね!?」
「戦ウ。早ク立って」
「主張丸無視かよ!」
「早ク」
「オマエな……簡単にいうけどね、要求が厳しいんだよ。こちとら怪我に召喚と満身創痍だっつーの」
「そのためにわたしを喚んダ。違ウノ?」
「違わねえけど、足とか腰とか超重苦しい」
「それは、何とかシロ」
少女の目はどこまでも真剣で、容赦が無い。
自分が傍にいる限り、敗北も死も絶対に赦しはしない。彼女は全身で自らの意志を示していた。
クソガキのくせして、えらそうに。
というか、こいつはどうしたって記憶の中の姿で出てきたのだろう。今じゃ一回り以上の年の差がついている。
じっくり考えるまでもなく、推測はすぐについた。
イメージを練り上げ、咄嗟に形を与えたのがトワイライト自身だからだ。
覚えている強烈な印象をそのまま召喚の際に投影してしまったというところか。あとは根本的な材料不足。
なんにしたって苦笑するしかない。
ほんと、趣味じゃねえっての。
でも、こんなガキに見下されるなんて、さすがにイイわけがない。
「あー、クソ……相当イッてやがるなァ。とつぜん死んじゃったらゴメンナサイってことで」
トワイライトは腹に力を込め、ふらつきながらもなんとか立ち上がる。
体が酷く痛む。負荷のかけ過ぎで神経が悲鳴を上げている。
それでも奥歯を食いしばり、倒れかける体を支えた。
「ぐぎぎ」
「しぬ? 精気、足りナイ?」
「死ぬってオマエ軽く小首かしげんじゃねーよ。……あー、正直カラカラだけどね? やるしかないだろ」
少し考え込む仕草をみせてから、少女は口を開く。
「では、私が竜素ヲ注ぎ込む。貴方が制御シテ、魔術を放って。そのための傷でしょウ」
視線はトワイライトの刺青に向けられていた。
「傷じゃなくてこれは……まァ、どっちだってオマエにゃ関係ねえよな」
「迷宮との共鳴。竜素ヲ取り込んだ魔術、得意分野。チガウ?」
「成程。俺は発射台で、引き金はてめえで絞れってことね。仰せのままにするしかねぇな」
追い詰められた今、他に選択の余地はない。
素直な追従の態度を示せば、少女は静かに頷いてみせた。
「あと、ひとつだけ。生きて戻りたいのなら、トワイライト」
一見無感情な瞳の奥に、青く揺らめく炎がみえた。
「約束を果たシテ」
「約束?」
「むかし、おまえ様は、わたしを地上まで掻っ攫うと言っタ」
「な、か、掻っさら……えーと」
激しい情熱を感じさせる類の双眸。そこに幼さなどは無い。
真剣な視線にどうにも耐えられず、目を逸らす。
「……正直あんま覚えてねえんだよ、地底に落っこちたときのアレは。失血気味の俺の妄想だと思」
「あれは嘘?」
声は穏やかで凪いでいるのに、遮って吐き出された言葉は強く胸に突き刺さる。
……胸に刺さる。実際刺されて斬られた後では洒落にならない喩えであるが。
少女の目はまっすぐにトワイライトを捉えていた。
視線に何か得体の知れない圧力を感じる。気のせいなんかじゃない。
強い魔力によって生み出される、不可思議な引力。
「そういう、わけでもない、というか……なんだ、その……てっきり幻をみたのだと、ずっとそう思ってきた、から」
口籠れば、少女はじっと瞳を覗き込んでくる。
言い逃れさせる気などないのだろう。
強く、真っ直ぐな瞳は苦手だった。言い淀んだまま逃げ道がみつからない。
「本当は期待なんてしてイナイ」
しかしそれ以上を追求することはなく、少女はあっさりと言い放つ。
ひょっとしたら淡く微笑んだかもしれない。
表情の変化が読み取りにくいので、本当に笑ったかどうか定かではない。
「けれど、わたしが会いたいと思った。だから、あなたの呼び声に答えた。トワイライト――」
少女の瞳が別の類の決意と真剣さを帯びる。
……まるで告白。
そう思うと、馬鹿みたいに頬が火照るのを感じた。
「呼んで」
真摯な祈りの言葉を口にするように、彼女は言った。
「呼ぶって……何をだよ」
トワイライトは精神生命体を「喚起」し、それに応えて降り立ったのがこの少女の筈だ。
よぶというのなら、もうとっくによんでいる。
「むかし、確かに言った。わたしの名を呼んでくれ、と。わたしはそれだけで満足ダ」
「ったって、名前なんか聞いた覚えがないし? 聞いたとしても覚えてないし……」
「べつに、思うまま好きに呼べばいい。もとより言葉などは問題じゃナイ。そうでしょう」
――――言葉なんて問題じゃない。
それは、トワイライトが抱く信条とどこか似通っていた。
自分が知っている以上に、彼女は俺を知っている。
こんな感覚、いつもなら嫌悪感を抱くかもしれない。
「さあ、お好きなヨウに。わたしに名前を」
少女が更に促す。
好きに呼べというのなら。
それで、この状況が打開できるというのであれば。
「あーもーっ、わけわっかんねぇけど、いいかァ!」
がしがし頭を掻いて、少女を見やる。
瞳は桃色。肌は幽鬼の如くに白い。くるぶしまで伸びた髪は美しい蒼色だ。
それに、強欲そうな凶腕。
記憶からそのまま抜け出してきた少女の姿は、トワイライトの憧憬そのものだった。
華奢な体から湧き上がる力も蒼くほのめいて見える。
ずっと焦がれて、何度も夢にみた蒼い色。
そうだ。目の前の少女こそが、あの時の小さな竜なのだ。
「……ブルー」
そう口にした瞬間。それを聞き取った少女の髪が逆巻き、銀鱗が舞う。
歓喜に沸き、花の嵐を起こしているかのように。
「おまえの名前はブルー。めちゃ安直だし、見た目そのままだけどな! いいか、これで?」
その向こうで蠢き、再び立ち上がる黒い影。
限界なのだろう。今にも結界は破られんとしている。
「ヨイ」
かような修羅場にあっても、少女は力強く頷いた。
初めてみる人間らしい表情。
それは無垢で、清冽な微笑みだった。
「力を貸ソウ、トワイライト」




