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迷宮のウルトラブルー  作者: 津島修嗣
第一章 リトルドラゴン
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六. Invoke

 


 六.




 這いずる音が止み、短い静寂が訪れる。

 目の前を塞ぐのは多足類を模した形の魔物(イミューン)で、その姿は獰猛なクリーチャーそのものだ。

 恐怖よりも不快感を煽るグロテスクな有機体。

 ゆうに五メートルを超す巨大な体躯は見るからに強靭そうだ。硬い外殻に覆われた体を破壊するのは容易ではないだろう。しかも、それが二体いる。


 さて、どうする?

 ……ぶっちゃけ吐きそうなんですがァ!


 巨大ムカデどもは新たな餌を見つけたことで既に興奮状態にある。敵意も露に大顎を開き、こちらを威嚇している。

 人を骨ごと噛み砕くことのできる邪悪な口器には無数の牙が生えている。それに、あの顎肢と歩脚。奴らの得物の特徴は、野営地で発見された探索者たちの惨状とも合致する。

 トワイライトは腹の底で敵意が膨れ上がるのを感じた。というより、さっきから酷く腹が立って仕方なかったのだ。

 そうだ、何もかもが気に食わない。

 迷宮それ自体も、不運な探索者たちも。弱くて死ぬ奴も気に食わないし、それ以前に蟲。あれはだめだ。無理。絶対に無理。許せない。脚が多いとことかヌルヌルした動きとかが特にムカつくし、虫唾が走る。生理的に受け付けない。しかも地上の奴らより無意味にデカいときたもんだ。


「まァ、……とりあえずは選択の余地ナッシングってわけだよねェ」 


 どうするかなんて端から決まっている。此処でやれることは最早ひとつだけ。

 ただ壊し、殺すだけ。徹底的に。骨の髄まで。

 やり方なんかどうだっていい。不利な状況だって関係ない。

 とびきりダーティに暴れてやればいい。それだけだ。


「いくぜぇ、悪食クソ虫ども! 不快害虫は早急に駆除しなきゃなァ!」

『……今の台詞、ちょっと中二病っぽいんだよ』


 ネットスラングらしき言葉での突っ込みはよく分からない。ネロが一応『まー、好きにやっちゃえばいいさ』と締めたので、気にしないことにする。


 トワイライトは刀を構え、意識を集中させていく。自分の奥にある未使用領域を無理やりに抉じ開けていくような、えらく乱暴なやり方で。

 ……あるモンは使わなきゃ損だろーが? 体も手足もそう、脳味噌だってそうだ。

 利用可能なリソースはぜぇんぶ費やさなくちゃ、勿体ねぇよなァ?


 竜素を一点に収束させ始めたトワイライトに対し、二体の蝍蛆は静かに反応する。

 雌が坑道への進路を塞ぎ、雄が背後へ体をくねらせていく。ツガイでの連携した動き。ある程度の知能を持つ利口な連中だ。

 いまや完全に逃げ道を塞がれた格好となっている。

 此処はひどく狭くて、有利な間合いなんてロクに取れやしないだろう。逆に自分の空間を侵されているとすら感じてしまう。勿論、いつもの暗器も使えない。対人戦とはまるで異なるやり方を選ばなければならない。

 トワイライトの得意分野は待ち伏せや不意打ち、騙し討ちなど、奇手と搦め手による戦法だ。しかし、今回は完全に彼の方が不意を突かれた形だった。


 でも、だからなんだ?

 魔物相手の近接戦闘はただ単に「苦手」なだけで、べつに弱いわけじゃない。


 脳内物質の抑制を解き、力を解放する。

 出し惜しみすることなく、何だって垂れ流してやればいい。

 馬鹿力を出して暴れられるように、あらゆる枷を、怖れも痛みも、余計なものはすべて取り払っていく。

 鼓動が高鳴り、瞳孔は散大する。熱く滾る血の流れを、はっきりと感じ取ることができる。

 嗜虐的な欲望が膨れ上がってトワイライトの内面を占めていく。


 更にトワイライトは頭の中でイメージを組み上げ始める。

 刺青の紋様に魔力、すなわち竜素を取り込み、自らの血肉を媒質として霊的存在を呼び降ろすそのために。

 憑依召喚は実物そのままを自分の体に憑依させて行うのではない。さすがにそんな事に人間の身体は耐えられない。何度も発動を繰り返すうち、力に呑まれて自壊してしまうのがオチだ。

 だから彼の使う召喚術は大きな力の一部を切り取り、霊的存在――神や精霊のごく一片を降ろすよう改変したものなのだ。ひた向きに力を求め、様々な魔術体系から節操なしに組み合わせて練り上げた邪なる術。

 トワイライトは左道をゆく外法道士だ。

 意のままに扱うことができるのならば、出鱈目な力だってなんだってかまわない。



「我が身に降り来て、存分に喰らい(――invoke――)・蹂躙せよ」



 猥雑で支離滅裂だが、一番簡潔で自分らしい祈りの言葉を口にする。純粋に求め、請い願うのなら言葉自体は大した問題じゃない。

 口にした刹那、自らの中に生まれた炎が一気に膨れ上がり、暴発する。

 きたという確信と同時に途方もない破壊衝動が湧き上がる。


「百邪斬断、万精駆逐、蹂躏鬼蜮――急急如律令!」


 〝祈りながら汝自身を燃え上がらせよ〟というのはいったい誰の文言だっただろうか。

 でもまさにそれだ。その通り。

 その文言の示す如くに、トワイライト自身が狂える刃、神の乗り物と化して襲い来る魔物を迎え撃つ。


「おぉるぅぁぁぁぁあぁぁァっ!」


 獣じみた雄叫びを上げ、トワイライトはひとっ飛びで魔物に肉薄する。

 勢いよく振り降ろした刃は、しかし硬い皮膚によって阻まれた。がきん、と音を立てて剣が弾き返され、びりびりと肘を超えて上腕まで痺れが走る。


「やっぱダメかねぇッ!?」


 だが、今のトワイライトがそれで止まることはない。

 弾かれた勢いに任せて身を翻し、雌の触角に掴みかかると、強化した拳で激しく頭部を殴りつける。言葉を持たぬ魔物相手に符術は効かない。有効なのは暴力そのもの。単純明快な破壊のみ。

 正確には目とか口内とか触角、そういうところを狙って刃で刺す。殴って、刺して、斬りまくる。トワイライトは雌蝍蛆の頭部を執拗に攻撃し、柔らかい箇所から何からぐっちゃんぐっちゃんに潰していく。


「エヒッ、ムカデのくせに鈍くせぇんだよ! ヴォケッ!」


 内面から悪魔的な存在に変貌したトワイライトが魔物を蹂躙していく。その姿はまさに鬼畜そのものだ。

 蝍蛆は堪らず体を揺さぶり、彼を頭部から振り落とす。トワイライトは後方に飛ばされながらも尖った体節に手を掛けて、歩脚を数本有りっ丈の力でぶった斬ると、手近な場所へ滑り降りる。


 振り返ったトワイライトの視線の先――

 雌蝍蛆は苦しげに胴を震わせたかと思うと、一瞬にして損傷した歩脚を切り離した。


『あの肢、気をつけて!』


 本体から離れた歩肢は無秩序に暴れ出し、トワイライトの行動を阻害する。


「きっしょ! 自切りまでやンのかよ」


 一撃が重い。その圧力だけで体が飛ばされてしまう。加減も制御もされぬ攻撃をまともに受け止めるなんて不可能だ。

 巧みにかわすか流すかして避けるしかない。だというのに動ける空間はごく僅か。大きすぎる魔物の体が邪魔をして、思うように身動きがとれない。


「ったぁッ、こなくそ! 意味わかんねぇ動きすんじゃねぇよ、反則だろうがクソ虫!」


 切り離された脚部がうねり、痙攣するような動きを繰り返しつつなおも襲い来る。

 無作為すぎる動きについていくことが出来ない。その上、逆方向からは本体の尾脚や牙による追撃の嵐。

 じりじりと追い詰められて、対応がほんの一瞬だけ遅れる。


『避けて、トワイ!』

「やべっ……」


 それでも避けようとした刹那、横合いから飛来した雄の尾脚が思い切り背中に叩きつけられる。

「ぐぼっ!」とかなんとか出ちゃいけないタイプの悲鳴が漏れたが、抑えようがない。

 なすすべなく吹っ飛ばされて床を転がりながらも、どうにか踏ん張って勢いを殺す。壁際まで転がり、半ば無意識に手や靴底を摩擦させて強引に止まる。


「がっ、は――」


 衝撃の大きさに数秒の間呼吸を忘れ、それからすぐに咽返る。

 一瞬遠のいた音が自らの激しい拍動を伴って戻ってくる。耳の奥ではホワイトノイズのような音が鳴り響き、目は痛みに眩んだままだ。

 血混じりの喘鳴。舌でも噛んだか、もっと深くから出血しているのか、口内に堪った血液をぶっと吐き出して口元を拭う。思ったよりも多く血が出ていたために、ぼとぼとと零れて地面を汚す。というか、既に床は探索者たちの血潮に塗れている。そこにもう一人分を足しただけにすぎない。

 体を支えていた手がずるりと滑り、そこにねっとりとした血が纏わりついた。最悪の感触だ。

 いっそ反吐でも戻した方が楽になるかもしれないが、さすがに胃の中身までぶちまけている暇はない。泣きたいわけでもないのに、苦痛から溢れる涙で視界が霞む。


『トワイライト!』

「ぅぎッ…………ぜんっ、ぜん、へーきだしィ!?」

『どこがなのさ! やばいなら早くそこから離脱して――』

「ネーロ。なに焦った声だしてやがんの、オマエは。……げほっ。ちょっと可愛くみえちゃうじゃんよ?」


 おまけでもう一回、口に溜まった血の塊を吐き戻す。胸の奥の圧迫感が消え去り、だいぶ呼吸が楽になる。……気がする。


「はー……これで元通りって感じィ?」

『ばか言ってる場合じゃないよ。ツオルギだって深追いするなって言ってたじゃない』

「今更ァ? ったって、あの蟲どもをころっとヤれる探索者なんかそんないねぇだろうがよ。ふはっ、ああもう、やたら痛ェし意味わかんねぇ。……最初からちょっと舐めてかかり過ぎたかもね」


 破壊を撒き散らしながら通路の奥へ走っていった魔物の残肢は、ようやく動きを収束させつつあった。切り離された体節は一定時間で完全に死んでしまうらしい。

 ……さすがにそれくらいの脆さがなきゃ困る。


『でも、きみが――』


 トワイライトは傍に浮かぶネロの黒妖精(アヴァター)を一瞥して黙らせる。

 そして、俄然殺りがいが出たとでも言いたげに喜悦と怒りの入り混じった凶暴な眼で大蝍蛆を睨めつけた。

 どの道ここで始末をつけないと更に被害が拡大することになる。そうすれば犠牲者は増え、異変の原因究明も遅くなる。

 でも、そういう正義っぽい理由よりなにより、


「ここでやっとかねぇとトラウマか何かで一生ニョロニョロ系不快害虫の悪夢見そうでヤダ!」


 トワイライト当人にとってはそれが一番重要だった。優先事項だとか深追いだとか、師匠の呪いだとかはこの際関係ない。

 血で汚れた口元には悪辣な笑みが浮かんでいる。ちぐはぐで歪んでいて、それでいて倒錯的な色気を帯びた表情だった。

 ネロは諦めと気づかいが半分ずつ混ざったような声で呼びかけてきた。もう止める気はないらしい。


『……やれるんだね?』

「できるにきまってる」

『……また鼻血、出てるよ?』

「ンあ、舐めときゃおさまるじゃん?」

『まったく、汚いんだから』


 ――こういうのって、病人には良くねえストレスだよな。

 彼女に対して罪悪感がないわけではない。けれど、トワイライトはくつくつと一人でに笑い出し、あんまり大袈裟にならぬようそれを噛み殺してもいた。

 いつも通りだ。何故だかこういうときほど愉しくて堪らなくて、笑ってしまう。

 追い詰められてからでないとイマイチ燃えられないのは、我ながらどうにもならない悪癖だ。これだって、術でハイになっているせいかも知れないのだが。

 ああ。もっと。もっとぐちゃぐちゃに壊れて、壊したいんだ。

 俺は体を目一杯使って遊びたいだけなんだから。

 果たしてこれが自分自身の欲望か、身に降り来た神か何かがもたらす衝動なのか、もうトワイライトには分からない。もし分かったとしても、どっちだって変わらない。


 視線の先では雌の本体が濡れたような薄気味悪い音を立て、新たな体節を生やしていく。瞬時に切り離した箇所を増節して再生するなど、地上の動物ではありえない回復能力だ。


 殻を捨て、再生を果たした魔物が再び突進をかけてくる。そこにぶつかってゆくのは止めて、トワイライトは相手をそのまま待ち受けた。

 本体ならば対応は十分可能。もうやり方は掴んでいた。

 魔物を十分にひきつけると、腕の刺青に意識を向けて目一杯に宿した竜素を解き放つ。


「足が増えるってんなら、増えただけ潰せばいいんだよなァッ!」


 苛烈な雷撃となって炸裂した魔弾がまだ柔らかい再生箇所を焼き焦がし、抉って消える。

 ついで視界の隅で蠢く雄の気配を捕え、身を低く屈めて避ける。頭上を魔物の体節が通り過ぎる。トワイライトは転がるようにしてその下に潜りこむと、〈邪淫蓮葉〉を引抜き刺し貫いた。そのまま勢いを殺さずに雄の腹部をブチ抜いていく。


「このまま突き破って、もう一個汚ねえ生殖穴(あな)開けてやんよォ!」


 頭上から降り注ぐ体液が、髪や肌を蒼黒く汚していくが物ともしない。防毒の術式ならば、体に直接書きつけたものがとうに発動しているのだから。


「よし、帰って泣きながらシャワーを浴びよう!」

『……トワイ、口汚すぎてもうどこから突っ込んでいいのかわからない』

「ヒャアハハハッ! なんなら耳でも塞いでやがれ、ネロ餓鬼野郎!」

『野郎って、ボクは女の子だよ。……まあ、トランスしてるトワイも嫌いじゃないけどさ』


 ネロの冷静な突っ込みにもトワイライトの勢いがそがれることはない。

 それどころか歪な笑みをさらに軋ませ、おぞましい笑声をあげる。


「オラァッ、最初の勢いはどうしたよ!?」


 蟲どもは傷つき体液を撒き散らしながらも、戦意喪失していない。むしろトワイライトのボルテージが数段階上がっただけである。

 雌蝍蛆は彼に向かってそのまま真っ直ぐにぶつかってくる。歩脚で力任せに動きを封じ、顎肢で息の根を止める気だろう。短時間でケリをつけたがっている。頭部へのダメージが案外効いているのかもしれない。


 ……そんなら、その勢いをまるっと利用しちまえばいいだけだ。


 トワイライトは刀を一文字に構えると魔物の口に叩き込み、相手の速度を利用して一刀のもとに断ち切っていく。

 脚に力をいれてその場に踏み止まり、獲物と切り口にはありったけの魔力を込めて、それでも崩せぬ硬い組織は力尽くで引き千切る。

 外殻を、内臓を、神経節を。「肉」として壊せるものはすべて破壊してゆく。

 再生不可能なまでに損傷を受けた巨大蝍蛆はとうとう自らの肉体を保てなくなり、真っ二つに体を切り離されたまま崩れゆく。

 彼の背後、蒼く不気味な臓物をぶちまけて、魔物の肉叢が地面に叩きつけられた。

 そこには極めて不恰好な巨大ムカデの二枚おろしが出来上がっていた。


「イヒヒッ♥」


 悪魔じみた笑声を漏らしながらトワイライトは背をそらし、雄の蝍蛆を仰ぎ見る。その目に極大の狂気を浮かべて舌なめずり。


「死肉を喰らう駄虫風情がよォ……ちゃっちゃとおっ()ね♥」


 笑いっぱなしのまま、トワイライトは猛悪な勢いで二体目に襲い掛かっていく。


『うーん。ちょっと消耗が激しいな』と、ネロは彼の状態を危惧する呟きを漏らすが当人はお構いなしだ。


「消し飛べ――〈朱雀〉!」


 尻尾による攻撃を避け、トワイライトは器用に体を反転させて術を放つ。雄蝍蛆を爆撃が襲う。でも所詮目くらましにすぎない。爆炎は脚の数本、そして外骨格にわずかな傷を与えるだけだ。

 そこに煙を引き裂いて跳躍したトワイライトの一撃が魔物の脳髄を貫いた。強化した腕で、思い切り竜素を込めた刃を叩きこみ、めり込ませていく。

 トワイライトはそのままぐいぐいと荒々しく手を上下させて切り刻み、それを何度か執拗に繰り返したのち、〈邪淫蓮葉〉を引っこ抜く。

 出鱈目に刻まれた傷口から一拍遅れて蒼い血と脳漿が飛び散った。

 〈邪淫蓮葉〉は刀背に鋸状の歯が連なっているため、抉り取った傷口の再生は困難となる。実際に胴節を何度か激しく震わせて、雄蝍蛆は完全に動きを止めた。

 後はごぼごぼと醜い音を立てて、頭部と腹部から体液が流れ落ちていくだけだ。

 この手の虫は頭を破壊しても胴節に広く発達した神経のおかげで暫く暴れ回ることがある。だが不幸中の幸いか、雄蝍蛆の体が再び動き出すことはなかった。





 戦闘は終了した。

 野営地跡には、もう彼ら二人のほかに動くものは無くなっていた。

 ……にも関わらず、トワイライトは悪鬼のような表情で巨大ムカデの屍骸をがんがん蹴飛ばし、未だ荒れ狂ったままである。

 悪魔の美貌に毒の笑みを滴らせ、むやみやたらに罵詈雑言を吐き散らす。


「好き勝手食い荒らしやがって! だァれが後始末つけると思ってるンだよ、このド腐れ糞虫どもがっ! 〇〇して××して△△してやろうかっ!?」


 とてもじゃないが口に出してはいけないような悪罵と、やたらに艶っぽい笑声と共に、トワイライトは安全靴の踵で屠りたての屍骸を損壊しまくっている。

 彼が動くたびに肉だか内臓だかよく分からないものが弾けて飛んだ。


『ちょっとハイになり過ぎたみたいだね。よっぽど虫が嫌だったんだろうなぁ』


 ネロはそんな相棒の様子を半分呆れて観察していた。

 抜けるような白い肌。その頬が一連の戦闘によって薄く色づいている。


『……せっかくの美人さんなのに、このひと頭が気の毒なんだよね』


 唇と鼻孔には流血の痕があるが、傷自体は既に癒えているらしい。乾いた血が皮膚に張り付いているだけのようだ。

 トワイライトはその身に刻んだ刺青によって、医術や符術を受動的に発動させている。その効果が普段から発揮されているのだ。

 黄昏色の髪にも肉片やら血やらがこびりついているが、彼は気に留めようともしない。トワイライトは自身のみてくれなどお構いなしに忘我の狂態を繰り広げている。

 廉価版・破壊の女神モード(※男だから廉価)と、ネロは勝手にこの状態に名前を付けていた。


『トワイライト。正直かなり面白いけど、ちょっとだけ落ち着いて』


 また、彼女はトワイライトの扱いをすっかり心得ていた。


『ボクの側には記録用の装置も搭載しているから、キミの恥ずかしい言動の全てが記録されちゃってるよ? あんまり悪戯が過ぎるなら、これをネットに公開することも考えるけど――』


 その声を聞くや否や、トワイライトはぴたりと動きを止めて大人しくなった。

 肩で息をしつつ術を解く。彼の中に入り込んでいた炎のような気配がするりと抜けて、緊張がほぐれていく。

 ふー、と大きく息を吐けば、一気に高揚感が失せて気分が落ち着いた。

 というよりも急激に落ち込んだ。


「アー……、なにを……何をやってんだよ。オレはもうぅ~」


 いつものことながら、我に返って考えるとかなり恥ずかしい姿である。

 トワイライトは羞恥に身悶えして頭を抱えた。

 ネロに見られるのはもう仕方のないことだ。しかし、あんな滅茶苦茶な狂態を誰か別の人間に目撃されるわけにはいかない。


 ――ヒトのレベルでは遠く及ばぬ高位の霊的存在を己の中に呼び降ろす。

 その状態は、膨大な量の情報が激しい奔流となって身の内になだれ込んで来る感覚に近い。力が湧くというよりも、そのエネルギーに自我が押し流されてしまいそうになる。電波的っぽい言い方を覚悟で表現すると、まさにこうだ。

 思考と行動を制御可能な瀬戸際ギリギリで統制しているつもりでも、これではただの狂気の沙汰だ。極めて好ましくない意味での「可哀想な人」っぽい。

 ……とは言ってもトワイライトは色々な意味で既に有名人であり、後悔しても遅いわけだが。


「はあ……ふう……ああ、またやっちまった。もう何でもいいから早く家帰りたい」

『賢者モードか』

「その言い回しやめてください」


 召喚の高揚の後にきまって押し寄せる虚脱感。この、まさに「我に返った」という感覚。それに心身の疲労から、トワイライトはぐったりとして重い溜息を吐いた。


 憑依召喚は自らを憑代として神魔を降ろし、それと融合・一体化して戦う召喚魔術だ。

 この方法は、喚起――自分の外に精神生命体を呼び出して使役する『請願召喚』よりも体力の消耗が大きい。触媒、つまり対価として捧げる自らの気力や血肉を要する上に、巧みな術の制御も外せない。故に、用いる者の限られた上級魔術。


 だからこそ、この憑依召喚がトワイライトの強みと言える。魔力や気を練り上げ操る仙術と、そして医術の心得があり、心身機能の制御・維持に長けているからこそ出来る力技なのだ。

 それ以前に、彼の術は正規の召喚術に改変を重ねた異端幻術である。まったく同じ芸当ができるものは他にはいない。

 融合時の暴走しがちでアレな言動はある意味では弱みでもあり、汚点でもあるのだが。

 ……とりあえず今は羞恥に悶え苦しんでいる場合ではない。


『戻る前に魔物のサンプルを採取しておかなきゃね? 機構が調査に使うやつ』

「分かってる」

『使える細胞、ちゃんと残ってるよね? トワイライト』


 先ほどの暴れっぷりを見ていたネロが懸念事項を口にする。

 トワイライトは己の阿呆さ加減については自覚しているが、決して馬鹿ではない……つもりだ。一応は状況を考えた上で破壊を撒き散らしている。

 考えている分、余計に性質が悪いと言われれば何も言い返せないのだが。


 採取キットを取り出して、これ見よがしに黒妖精の眼前にちらつかせると彼女も素直に頷いた。

 ついでに自分の研究用にもおこぼれを頂くつもりだが、それについてはネロも口出しはしない筈だ。

 今日のような急ぎの調査業務でなければ、外殻や臓器を持ち帰らせて、高値で売ることもできただろう。

 イミューンの死骸は様々な分野で重宝される。だから、つい「勿体なァ」とかそういう商売根性がうずいてしまう。激しく後ろ髪引かれる思いがあったが、懸命にそれを振り棄てて仕事に集中する。


『ねえ。さっきの女の子、可哀そうだと思ってる?』

「……はァ?」

『それとも、力量も運も足りない愚か者だと割り切っている?』


 黒妖精は、トワイライトが魔物の大顎から引き剥がした少女の亡骸をちらりと見て問うた。

 少しだけ遠慮がちであったが、やはりトワイライトの内面に踏み込んでくる類の問いかけだった。


『ボクに対してもそうだけどさ、あれくらいの年頃の女の子になんかトラウマでもあるのかなって。他のひとより、何かちょっと対応が違うでしょ。いつも――』

「別にィ。……ただちょっと、同じくらいの年の奴がよく見る夢に出てくるだけさ」

『夢?』

「そう、夢。俺はどうしてか、過去の夢をよく見るんでね」


 それ以上は答えないし教えてやらない。

 黒妖精のいぶかしげな視線を避けて、トワイライトは魔物の死骸の向こうに横たわる少女に目を向けた。

 あれは狗颅骨(クルグ)の魔術師の少女だ。おそらくパーティの中でも年少で新米だったのだろう。顔つきにはあどけなさが残っていた。

 どういう経緯で探索者を目指したのか、最早知るよしもない。

 ただ、地上には本人が望んでいなくてもその道を選ぶ他にない者がいる。幼くして探索者となる者には、やむにやまれぬ理由のある場合が多い。

 トワイライトだってそうだった。もしかすると、あの少女にも何か困窮した事情があったのかもしれない。

 ……そういえば、彼女の素子も取り出して地上に持ち帰らなければならない。


『夢とか言われても、さすがに誤魔化されているって分かるって』

「つーかァ、ほんとに何にも思うところはねぇんだよ? いくら若いったってこんなこたァ日常茶飯事だし、探索者として迷宮に潜る以上はどこまでも自己責任じゃん」

『それ本音? 全部?』

「……知ったことかよ」


 青年剣士と魔術師の少女。彼らの処置を終えると、トワイライトは少し考えて踵を返し、少女の殆ど肌蹴たローブを直してやった。破れた胸から除く筈の心臓はからっぽだった。

 惨状はあまり変らなかったが、やらないよりはマシだろう。彼女の周りにも念入りに魔物除けの結界を施す。意味ありげなネロの視線を感じたが敢えて無視した。


 結局、魔物の体内や野営地の近辺を探すことで、残りの不明者はすぐに見つかった。

 一人は魔物の消化器官から発見され、もう一人はすぐ近くの坑道で事切れていた。どちらの遺体も酷く損傷しており、魔物に一方的に嬲られたことを物語っていた。


 作業の全てを片付けると回収した最後の素子を端末に組み入れて、「読み込め」とネロに命令する。

 少しの間をおいて返答があった。


『捜索対象の登録情報と全部一致した。回収&パーティ全員の死亡を確認……と。依頼されたことは片付けた。もう上に戻れるよ』

「ああ、さんきゅ。なんかさすがに疲れたね。速いところ戻って引き渡しを――――」


 続きを紡ぐことは、どうしても出来なかった。

 最後に一度、視線を戻したトワイライトは空間の奥にありえないものを見た。

 ……否。目が合った。

 宝玉のような桃色の瞳。闇の中でも淡く輝く蒼い竜。


 トワイライトがかつて出会ったあの幼竜が、そこに居た。


「な、んで、お前が……」

『――――トワイっ、後ろだ!』


 ネロの上ずった声が響くのと同時。違う。それよりもよっぽど速かった。

 だから咄嗟に反応することすらかなわなかった。

 突如襲った横殴りの衝撃が、トワイライトの痩躯を迷宮の壁面に叩きつけた。






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