青い空
青い空と、気持ちの良い芝生の上で私は、大きくなったラブラドールのリョウと、座りながらいつまでも、海を眺めている。
入社したのは憧れのアパレル販売業。最初こそ楽しかったが、あっという間に
店長になった。数字に追われる毎日、夜遅い帰宅時間。友達も少なくなった。
気晴らしに始めた趣味のチャット。そこで彼と知り合った。私の住まいは東京、彼の
住まいは奈良だった。フリーアドレスを交換して、色々なメールをした。時間が合えば
チャットもした。だんだん、声が聴きたくなり、お互いの携帯の番号、携帯アドレスを
交換し、昼休みに、くじけそうになった時に、メールをしたり、時間の合うときに電話をして、随分、彼に励まされ頑張ってきた。
大阪店の応援要望があり、高知店の店長の同期の敦子と応援出張する事になり、食事の席に彼を招き初めて会ったが、写メで見ていたせいか、全く違和感は感じなかった。三人で歳も近い事もあり、ウマも合い、出張中、毎晩、大阪で遊んだ。その時に彼の人柄、優しさ、そして何よりひとなつっこい笑顔で更に大好きになった。
最終日の大阪。彼が見送りに来た。滑り込む新幹線。乗り込むときにちゃんと付き合う事を決め抱きしめられた。他人の体温は温かいと心の底から感じた。私は当時二四歳だった。順調に交際は進んだ。五年付き合ったところで、結婚をお互い意識した会話が続く。天保山の観覧車の中で、クリスマスにプロポーズされ本当に嬉しかった。すぐに頷き自然に涙が溢れた。
ただ彼の家は旧家の長男の跡取り息子。私の家は、両親は離婚していて、彼の両親から、猛反対される日々が続く。毎日彼の親からの電話で別れてくれと言われた。一緒に大阪で働いた敦子に、何度も相談したが、答えも出ず毎日泣いて暮らし、誰を信じていいのか解らないまま彼に幾度も励まされたが、結局、意志が崩れる様に別れる事を決意した。
あまりのショックで会社も辞め、鬱になった。電話にも出ず、何も食べられず、時間だけが無駄に過ぎていった。一年後に東京店に応援にきた敦子が、部屋に泊まりにきて私のあまりにも悲壮な様子に驚いていた。
彼は親の決めた相手と婚約したそうだった。ただ、敦子の所に着ていたメールには、私の事しか書いてなかったと携帯を開いて全て見せてくれた。
あんな別れ方になってしもうてつらいねん。
あいつ元気にしとるんかな。今でも心配やし、好きなんやけど、こんな風になってしもうたのは、俺のせいやし距離もあるから何もできひん。もう嫌われとるよな。
そんな内容ばかりだった。
「ねぇこのままでいいが?」敦子柔らかい声でそう聞いてきた。敦子が高知に帰ってからずっと考えた末に出した答えを、たった一言メールで彼に送った。
「会いたい」
すぐに折り返し電話がかかってきた。
「名古屋で待ってろ俺かて会いたいねん。婚約は破棄するさかい、いつものとこで待っててな。」
その電話が最期だった。名神高速 事故が多くて怖いと付き合っていた頃、漏らしていた。いつまで待っても彼は迎えに来てくれなかった。
居眠り運転の大型トラックの事故に巻き込まれ、搬送先の病院でなんとか会えた。
「オマエに会えてほんまに、嬉しいわ・・・」かすれた声でそう言って彼は初めて会った笑顔の時のまま息を引き取った。
霊安室で見せて貰った携帯には、お揃いで買ったストラップが揺れていた。
敦子だけが葬儀に参列した。
その間、彼と一緒に過ごした京都を一人で歩いた。
それまでショック過ぎて涙すら出なかったが、一緒に色々な話をしながら歩いた哲学の道、南禅寺、三千院を一人で歩いている時に涙が溢れて止まらなかった。
いつまでもそこでうずくまって泣いていた。
後追いを心配してか敦子が無理矢理、高知に私を連れ帰った。お腹の大きなラブラドールの人懐っこいラッキーが迎えてくれた。
何度もマンションから飛び降りようと決める。その度に、よたよたと重い体を苦しそうにしながらスカートの裾を引っ張り哀しげな瞳でラッキーに見上げられた。
「ごめんね。ごめんね。」泣きながら抱きしめるとペロリと涙をぬぐってくれた。
そんな日々を数ヶ月過ごした。ラッキーは出産し、そのまま彼の元へ旅立ってしまった。
どうしてどうしてと泣きじゃくる私に敦子は言った。
「私も哀しいがやけど、ラッキーは命を新しい六つの命に吹き込んだき、こんな満足な顔しちゅうがよ。アンタの彼も満足そうな顔しとったで!あんたに命を吹き込んだからやろ。やき、泣かんで前を向いて仔犬の世話を、私はせないかんと思うがよ。」
その日の夜に夢を見た。
ラッキーと楽しげに笑顔で走っていく彼。
「まだまだ、オマエに追いつかれたないわ。ど阿呆がぁ 少しは社会に貢献せぇや。」
私は子犬を育てながら、今、介護士の資格を取ろうと高知で勉強している。
くじけそうになると、必ず笑顔の彼とラッキーが夢に現れる。
まるであの頃、昼休みに携帯でメールしていたように・・・・。