演劇の楽園
人類はようやく楽園を手に入れた。毎日演劇をしていれば暮らせる世の中になったのである。どんな三流役者でも一日三食と甘いお菓子とが社会的に保証されていて、飲み物も好きな種類を好きなだけ飲むことが出来ることになっている。こうした社会的な雑事は全てオートメーションで機械がやってくれている。
今日も陽が落ちて、橙色の空が群青に滲んできた。ビル群は黒い背景に消えてしまったが、ただ一つ煌々と浮かび上がる一角があった。太陽から奪った華やかな光が空気を満たし、芸術的な煉瓦造りを輝かせている。賑やかさが湧き上がる劇場街だ。
ストリートは足の踏み場もないほどに混み合っている。暗天をかき消す眩いライトが大小様々なポスターを照らす。文字が踊る。それを観た客も踊るようにストリートを盛り上げる。ここに来る客は一日の仕事を終えた労働者と決まっているから、その高揚は尋常ではない。
そんな宝箱のような混雑の中に、二つの影があった。
「今日の仕事は大変だったね。さて、今日はどのショーを観ようか?」
「良い俳優がいるといいんだが」
もちろん誰もが俳優となった世の中でも俳優の格付けは存在している。とはいえ人間の数だけ俳優がいるから、純粋な演劇の巧拙よりも、ほんの僅かな運の差が人気の分かれ目になっている。豪華絢爛なステージのスポットライトを浴びている者が必ずしも上手いという訳ではない。それを見分ける目を備えるというのも、観覧者たちの娯楽だった。
「あそこのはどうだい? あの俳優が出ているということはハズレではないだろうさ」
「でもおとといも彼だったじゃないか。たまには小劇場なんかで無名俳優でも観てみるのも悪くはないぜ」
そう言って指さす先には、劇場街から一本入った小さな通りがある。お世辞にも上手とは言えない演劇をやる小劇場が密集している地区だ。しかしそこに出入りする数は少なくない。努力を重ねて小さな劇場からスターが生まれるなんてことが時々あるので、マニアック精神がくすぐられるのか、それなりに客が入るのだ。だから下手が下手なりにやっていても、何ら問題はないのである。
「じゃあ、あのコメディーなんかどうだい? ポスターが随分と凝っているよ。ポスターにお金をかけられるんだから、きっと中身も面白いに違いない」
「それは確かにそうだろうね。しかしあまり面白すぎると、僕は明日に響くんだよ」
「なんだい? 体の調子でも悪いのかい?」
「最近どうもネジの調子が悪くってね。笑うたびに腹のあたりがキュッキュッと鳴るんだよ」
「そりゃ早くロボット・ドクターに見てもらった方がいいぞ。じゃあしょうがないから、今日はあっちのミステリーものにしようか。あれは脚本家が良いんだ、最新のCPUが入っているから」
そう言ってロボットの労働者たちは思い思いに劇場の中へと姿を消していった。
こんな世界でも人間は文化していられるのだから、機械に楽しまされているよりは楽園である。