見えてはいけない魂
夜に外を歩くな。
それは、この世界で生きるための最低限の常識だった。
午後五時を過ぎると、街は急速に色を失う。
シャッターが閉まり、人影が消え、代わりに“気配”だけが残る。
鞍月蒼は、その帰り道を一人で歩いていた。
本当は、もう少し早く帰るつもりだった。
だが、担任に呼び止められ、気づけばこの時間だ。
「……ついてないな」
呟いた瞬間、胸の奥がざわついた。
――視える。
街灯の下。
自販機の脇。
人の影に重なるように、黒く濁った何かが蠢いている。
それは、人の形をしていない。
煙のようで、泥のようで、確かな悪意だけを孕んだ存在。
蒼は無意識に息を殺した。
(……殺した)
理屈ではなく、感覚で分かる。
あれは、殺人という罪を背負った魂だ。
逃げたい。
関わりたくない。
だが、視線を逸らした瞬間――
その“魂”が、こちらを向いた。
「っ……!」
心臓が跳ね上がる。
男の身体がぎこちなく動き、蒼の方へ歩き出した。
(やめろ……来るな)
足がすくむ。
逃げればいいのに、身体が言うことを聞かない。
距離が、縮まる。
その時だった。
――バサァッ。
空を裂く羽音。
次の瞬間、男の足元に影が落ちた。
黒と白の鴉が、地面に舞い降りる。
「……そこまで」
低く、澄んだ女の声。
蒼が顔を上げると、いつの間にか彼女はそこに立っていた。
黒を基調とした装束。
手には、異様な存在感を放つ大鎌。
「これ以上近づくと、あなたが壊れる」
女は男ではなく、蒼を見て言った。
「……あなたは」
言葉を探す蒼を無視して、女は一歩前に出る。
「まだ理性が残ってるわね。でも、時間の問題」
鎌が振るわれた。
空気が裂け、黒い魂が引き剥がされる。
男が絶叫した。
だが、魂は消えない。
裂かれても、霧のように戻っていく。
女は舌打ちした。
「……やっぱり」
蒼は震えながら尋ねた。
「……助けないんですか」
女の動きが止まる。
「助ける?」
彼女は、静かに言った。
「殺人の罪は、浄化できない」
その言葉が、蒼の胸に突き刺さる。
「だから私は“救わない”。
救えないものを、無理に救えば――世界が壊れる」
再び鎌が構えられる。
「あなたは、何?」
女は蒼を見据えた。
「被害者の子?
それとも、、、次の加害者?」
蒼の脳裏に、母の最期がよぎる。
逃げれば、また誰かが死ぬ。
だが、関われば自分も同じになる。
答えを出せない蒼に、女は言った。
「覚悟ができたら、鴉ノ神社に来なさい」
鴉が一斉に羽ばたく。
次の瞬間、女の姿は消え、男も崩れ落ちた。
蒼はその場に立ち尽くしたまま、拳を強く握り締める。
――もう、知らなかった頃には戻れない。
これは、
罪を視てしまった少年が、
世界の“裏側”に足を踏み入れた夜の話。




