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31.ウエスト一〇〇一号室 ホービック/カーワン (一)

 

ジョイック・ホービック ノールウェイ出身、農学者・フランスの大学教授

アン・カーワン アイルランド出身、古生物学者・博物館の研究員、専門は花粉

アーノルド・ホービック 5歳

アリシア・カーワン 3歳


 アンとジョイックは、研究者に対して七年ごとに一年、契約で保障されている、サヴァティカルという名の研究休暇を利用、補助金も受けて、日本に滞在していた。

 転移時はセレシオンのウエスト一〇〇一号室を一年の契約で借りていた。


 無口で気難しいが情に篤いアンと、温厚ではあるが根は頑固なジョイックとは、非常に相性がよかった。ともに学者そのものであり、議論し合って、互いにコンプロマイズ(妥協)し、コンコード(協和)に達する技術を持っており、手ごわい論客として尊敬しあっている。


 ホービック教授は、フランスの大学の農学者で、気候変動を視野に入れ、ヨーロッパでも米を栽培して食糧問題に対応してはどうかと考え、サバティカルを日本で過ごすことにした。

 教授によれば、ムギからパンを作るよりも、米からご飯を作る方が手数が少ない上に酵母を必要とせず、エネルギー/時間効率といい獲得カロリーといい、ヨーロッパの気温が年間を通じて上昇したのちには、合理的になりうるという。

 日本では本来熱帯性植物である米を改良して、東北地方や北海道地方でも栽培・収穫していることから、気候変動への対応策として大きな可能性があると考えたそうだ。



 岩崎翔太と坂上智花、坂上俊彦は、セレシオンを離れる日を決めるために寺島、刑部とともに会議室にいた。地図と栗栖家が残した手紙を確認し、話し合いを重ねていたところへ、ホービック教授がクマのような巨体、茶色い顎髭、柔和な顔つきに度の強い眼鏡という姿で会議室の扉をノックした。


 押し入ったわけではなく、きちんとノックへの応答を確認してドアから入ってきたのだが、岩崎はほとんどのけぞって引きかけた。対人が苦手な上に、たまたま祖父が同席していなかったのだ、やむを得ない。

「トツゼンデス、ワタシ、ノウガクデス。ヨーロッパデ、コメツクル」

 えーっと、どうしようかと、会議参加者が目で相談し始めた時、ウエスト副委員長の椿が息を弾ませながら追いついて来て、通訳に入る。


「私と妻もこのコミュニティの役に立てると思います。受付カウンターに掲示されているマップを見て、私と妻は話し合いをしました。セレシオンから湖までの拡大地図によると、ここから東南二十キロほどのところに浅い湖、沼かもしれません、米が作れそうな場所があるようです。そこで米を作れるかどうか、試したいです。

 私とアンのふたりの子はまだ幼く、医療から遠く離れることはできません。二十キロなら、こどもを背負ってここまで来ることが可能です。

 岩崎君、ほんの十五キロほどだが、ぜひ同行させてもらいたい」


 沼は栗栖家がたどった東へのルートからは少し南に外れている。

 翔太は、目を白黒させたが、「オッケです」と短く答えた。

 翔太は、押しに弱わ……かった。


 計画を練り直し、翔太と坂上父娘は、ホービックが当面定住しようと計画している湖の畔まで一緒に行って、二、三週間は定住の手伝いをすることにした。三人とも農業はやったことがないが、アンとジョイックが準備作業をしている間に子どもたちの面倒を見るくらいはできるだろう。

 手伝いがてら、農業について教えてもらうこともできる。



「ジョック、ここの図鑑づくりは進んでる?」

「そうだね、ゆっくりだよ。植物学の知識を持っているのは花屋のシノムラだけのようだから」

「気が付くかしらね」

「そうだね、気が付いてほしいけどね」

「アン、君はどう思う、花粉の立場から」

「そうね。ジョックも同じ意見だと思うけど」

「ああ」


「花粉の立場から言うと、ここは異星もいいところよ。

 草は実で増えているようね、観察期間が短いから、季節変化はこれからね。そもそも季節があるかどうかも問題になるから、数年はかかると思って。

 蔓草類があって、これは希望が持てる。ブドウやフジのような植物が見つかるか、似たものから品種改良することはできると思う。

 問題は樹木よね。針葉樹でも広葉樹でもない。雄株と雌株があって、風媒か虫媒だと思う。ソテツのような繁殖戦略かとも思うけど、見た目は完全に木よねえ。家を建てるための木を探しに行くというプランも検討中だったわよね。いろんなものがまだ確認できないままなのよ」


「まあ、最低でも四・五年はかかるだろうねえ。でも、新しい植物を前知識なしに観察するチャンスだ、学者冥利に尽きるよ」

「もちろん」



「植物が違うと、農業はどうなるかね」

「ええ。米とトウモロコシは環境に対して非常に強いからここでもできるかもしれない。行き先の湖で葦のような植物が見つかれば、高確率でできる」


「小麦についてどう思う?

「どうかしら。麦の原種に近い草は見つけたわ。地球のような大麦・小麦に到達するには相当な時間がかかると思うけど、地球の麦類の種を持ち込んでいて、当面それを使おうとしているみたいね。

 仮に、ここの植物と交配できるようならなら意外と簡単かもしれない。

 だけどね、ジョック、外から持ち込んだ物は一斉に枯死するかもしれない。掛け合せを早急に進めた方がいい」

「ああ、それは任せておきたまえ。私の専門だよ」

「そうね、頼りにしている。問題が土壌と肥料なら何とかなるかもしれないけど、そもそも染色体の数が違うとなると交配が困難を極めるか繁殖不能になるでしょう?」


「そもそも、遺伝子の塩基構成が違うかもしれんよ」

「そうよね、電子顕微鏡が欲しいけど、結果から推測、になるでしょうね」

「ああ、時間がかかるね、間に合うかね」


「そうよね、遺伝子構成が違う植物を食品として摂取して大丈夫なのかどうかについては?」

「ここに転移させた何者かに責任を取ってもらうしかないね」

「なるほど? で、誰だと思う?」

「やはり地球外生命体かねぇ、どうも感触が奇妙だしねえ」

「せめて食物摂取型の生命体ならね。エネルギー物質による生命体だと、栄養的な偏りの積み重ねによって突然発病して全滅したとしても、そういう存在にとっては意味がわらないでしょうね」


「そうだね、地球にも壊血病の例があるよね。十分あり得るだろうね。

 地球産の種や苗とこちらの植物の交配が成功することに賭けることになるよ。外来植物として独立して繁殖させる手もあるけど、こちらの植物の抵抗もあるだろうし、とにかくやってみるしかない。

 栗栖家も今頃必死で交配を進めているだろうね、奥方は薬学分野の研究者だそうだからね」

「ええ、期待しましょう」

「シノムラ・リリ、クリス・クミ、そしてアンとジョイック、三組が取り掛かっているんだ。きっと何とかしてみせる、ねえ、アン」

「もちろんよ、ジョイック」


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