挿話:2407:長谷川百合子・弁護士、転移後、副組合長を引き受ける
組合プログラムと個人クエストの受付開始を決定する会議の中で長谷川が質問した。
「えーっと、すいません、委員になったばかりでよくわかっていないのですが」
「はい、何でしょう」
「プログラムにしてもクエストにしても、百円単位、千円単位ですよね」
「ええ、そのつもりです」
「対応できるものでしょうか、一万円札を差し出されて、おつりはいつまで続きますか?」
「ああ、なるほど」
寺島が、全員に話しかけた。
「組合金庫の中身を知っておられますか? 長谷川さんは、着任前後あわただしくてまだ組合金庫の話をお聞きでないようですが、いかがでしょう? イーストでは富田さんが前組合長で私が引き継ぐときに、私と石黒君に見せてくれました。
刑部さん、ご覧になりましたか?」
「いえ、引き継ぎの時に二千万あるとだけ」
「椿さんは?」
「はい、前組合長に見せていただきました。イーストの初代組合長は実に慎重で配慮の行き届いた方だと実感いたしました」
「そうでしたか、では、会議はここで一時解散にして、刑部さん、引き継ぎの時に受け取った鍵束を持ってきてください。長谷川さん、組合の金庫用暗証番号は覚えていますか?」
「はい、だいじょうぶです」
「私も、常に鍵束は身に着けて移動していますので、このまま行けます」
「では、ウエストの方で。金庫を開くところからやりましょう」
ウエストの二階、防火扉に守られ、山のように災害用緊急物資が積んであるその一隅に置かれた机の上に、何気ない様子で小型の金庫が置かれていた。その前で寺島が開錠の手順を述べていく。
「刑部さん、鍵を差し込んでください、まだひねらないで」
「はい、入れました」
「では、長谷川さん、番号を入力してください、七桁です」
「はい、語呂合わせで無理やり覚えましたが、間違っていないと思います、では」
番号入力が終わって、刑部が鍵をひねると、金庫が開いた。
中をみた刑部が、なるほど、と納得し、長谷川は驚いている。
「よくもまあ、ここまで準備を」
そこにあったのは、千円札の山と、フィルムに包まれた五千円分の百円玉がたっぷり入った菓子の缶だった。
「千円札が一千万円分で、一万枚、百円玉が包み二千個で一千万円、合計二千万円と聞いています。数えたことはありませんけどね」
「これは一体どうして」
「ええ、イーストの初代組合長は、前成島町の町内会長でもありましてね。非常に古風で慎重な性格だったのですね。
セレシオンが、広域避難所に指定されることを聞いて、最大限に防御的な準備をしようということだったようです。何しろ、東京大震災の時の話をさんざん聞かされて大きくなり、東京大空襲の時は小学生で、焼け野原の中で泣きながら死体の埋葬を手伝ったそうですから」
「うーん、小学生の時ですか、それは……むごいですねぇ」
「セレシオンができた時、最近はカードがよく使われるようで、やがてカードが主流になるかもしれない、だが、それは通信が繋がってこそだ。災害時には現金でなければ買い物ができないということもあるだろう、とおっしゃったそうで。積み立てた組合費の一部を地道に現金に換え、こうして保管したと聞いています」
「慎重ですねえ、驚きました。
つまり、百円と千円で十分だとお思いになったのですね」
「そのようです。一万円なんかいざという時には役に立たん、これだってどうなるかはわからないが、ないに比べれば数百倍マシとおっしゃったらしく、ほとんど独断だったそうです。通信が途絶したら、貸し出しを始めていい。現金が手元にない組合員に、部屋番号と借りた金額をノートに書いてもらって組合費からの貸し出しだと念を押して貸せ、できるだけ早く返済してもらえ、とのことだったそうで。
お亡くなりになる前に病院にお見舞いに行かれた富田さんの手を握って、頼む、あれを頼んだぞ、と言われたとか」
「うーん、壮絶ですねえ」
「まあ、これがあるから、早急に貨幣経済を復活させることもできるわけですよ」
「なるほど、それでクエストで二百円だの、プログラム参加で千円だの言っておられるのですね。一万円出されたら、おつりがないと思って、どうも浅慮ではないかと思ったのですが、大変失礼しました」
「いえいえ、弁護士さんが注意深いのは当然です。
それで、これの管理なんですけど。全公開にするつもりです。公共事業に使うのですから、使途は明瞭・明白でなくてはなりません。
出納簿を、銀行勤務の方に付けてもらい、週に一日公認会計士の方の確認を入れてもらおうと思います。閲覧はいつでも自由とします。
いかがでしょうか、お知り合いの方に銀行員と公認会計士の方がおいでではありませんか?」
「看護士の堺さんのご主人が銀行勤務だったと思います」
「ああ、そうですね」
「公認会計士は、今のところ知り合いがいませんが」
「組合プログラムで公募しますか」
「いいですね、自ら申し出てもらいましょう」
「やる気がない方に押し付けないで、やってくれる人を探しましょうか」
「ええ、そうですね。刑部さん、奥さまが確か」
「ええ、一応話はしてみますが、私の立場が組合長ですから、癒着を疑われるのも」
「そうですね、そのあたりは二人体制にするとか、いろいろ工夫していきましょう。
私は、できるだけ全員に参加してもらいたいのです」
「なるほど、ひとりでもできる仕事を細分化して、全員を主人公にする、そういうことですね」
「ええ、お分かりいただいているようで、本当にありがたいです。
ひとりに負担がかかりすぎないように注意する、というのも当然ありますし。責任も仕事も、できるだけ全員が背負いましょう」
長谷川と刑部は、昼食のためにウエストの階段を上がりながら話す。
「上手くいきますかね」
「どうでしょう、やってみなくては何とも」
「しかしまあ、よくあの寺島さんのような方がこのタワマンにいらっしゃいましたねえ、比較的セルフィッシュな方が多くて、人とのかかわりを嫌う人がほとんどだと思っていました」
「ああ、それですね。 イーストは成り立ちがね。
このあたりの下町は、一戸当たりの面積が小さいうえに小路が多く、災害に弱いとされる住宅地です。セレシオンで少し緩和されましたが。
当初から、区画整理を進めようと、イーストの方は成島町で地権を持っている人を優先し、しかも地権を評価してほとんど引き換えのようにして売った部屋もあるんです。
当時の噂話ですけど、大半の方が成島小学校の卒業生で、中川中学に統合される前の成島中学の卒業生でもあるらしいです」
「成島中学校と言えば、このツインの敷地になっている場所ですよね。そうでしたか、そういうこともあったのですねえ、イーストのチームワークがいい、いや、良すぎるほどのはなぜかな、とは思っていたんです」
「寺島さんと石黒さんは幼馴染、中小高と先輩後輩だったらしいです。高校では寺島さんが三年の時に石黒さんが入学して、石黒さんは一年生の夏休みの後に、一年生ながら生徒会長を寺島さんから引き継いだそうですよ。高校の生徒会の選挙で一年生が立候補して生徒会長に選ばれるとなると、生半可な人心掌握力ではありません、寺島さんの強い押しと、石黒さんの人格がなせる業だったのかもしれません、いえ、二年生候補の力が極端に不足していたのかもしれませんし、受験校ですからね、やってくれる人がいるならと二年生の立候補者が面倒を嫌ったのかもしれませんし、理由は絞り切れませんが。 都立高校ですからね、選挙で不正はなかったでしょう」
「そうでしたか、選挙管理委員会の方が生徒会よりしっかりしているという評判もありましたからねえ。おふたりとも、ウエストの信頼を集めていらっしゃることでもありますし」
「こういう事態になれば、運が良かったと言えるかもしれません」
考え込むそぶりを見せた刑部が、少し苦々しい口調で話す。
「我々を転移させた人は、寺島さんを選んだんですかね? われわれは、そのついで?」
長谷部は、刑部が知らない情報を持っているだけに冷静だ。
「刑部さん、やめましょう。それが本当でも勘ぐりでも、結果は何もいいことはありません」
「そうか、そうですね。被害者意識が一番ダメですよね。
すいません、取り消します。八十億人の人類、一億二千万人の日本人から選ばれてしまった。八十億分の千、あるいは一億二千分の千の確率だったと思うと、むしゃくしゃすることも多くて」
「いえいえ、そういう確率だったとは限りませんよ。他にも転移させられた人はいるかもしれません」
「え?」
「日本だけに起こったとは限りませんよ、他の国でも起こったかもしれません」
長谷川は、他の九の星に転移させられた人々の生存率情報にアクセスできる権限を持っているが、少なくとも今のところそれを誰かに教えるつもりはない。
タブレットには、第一次と書いてあった。そして、自分に妙なアクセス権が付与されている。
ならば、この転移は一度ではない、あるいはシリーズの最初にすぎないのではないか、と、長谷川はほぼ確信をもって考えている。
「第一次移住者、とタブレットに書いてあったと思います。つまり、第二次もあるということではありませんか? 第一次が全部で何名だったか、移住先がここだけだったかどうかもわかりません。まあ、待っていましょう。二、三年生き延びられれば、他にもこの“美輝星”とやらに、送られてくる人もいるかもしれません」
「はあ、なるほど?」
「わたしたちがここに送られた時、世界の他でも送られた人たちがいたのかどうかも、後から来る人がいればわかりますよ、判断は保留で待っていましょう」
「そうですか、そうですね。 だいぶん気持ちが楽になりました、どうも、とんでもないことで助言を戴くことになり、お世話になりました」
「何をおっしゃいます、寺島さんのスローガンは、ひとりは全員のために、じゃないのですか? ラグビー部のキャプテンだったのですから。いまのところ寺島さんの言っていることは、特に問題ない、ひとつの立派な解決策だと私は思います」
「はい」




