3.六〇七号室 栗栖 (三)
ベッドルームを見回した久美がそれを見つけた。
「あら、これかしら。こんなものあったかしらね」
「お、これだな。慌ててたしな、暗かったし、気が付かなかったんじゃないか」
「そうかもね。ところでこれって何?」
「さあ。くるみに聞いてみよう。画面に手を当てると言ってたよね」
「そうね」
廊下から幸人の部屋を覗くと、黒い板に手のひらを当てていた。
「ゆきちゃん、やってみてるのね、どう?」
「うーん」
「何か出た?」
「まあね。そっち行く」
ソファでは、くるみがしきりに黒い板の表面をタッチしている。三人が座ったことに気が付いて顔をあげた。
「あった?」
三人は申し合わせたように同じサイズ同じ質感の板をひょいと持ち上げて見せる。
「何、これ?」
「凄く軽いんだけど。見た目はガラス板だからもっと重いと思った」
「これタブレットっていうの? 文字通り石板ね」
くるみがうんうんと頷いて、質問に答える。
「表裏関係ないみたいだから、膝の上に置いて、左右どっちでもいいから手のひらを板の上に乗せて」
「え、表裏も手の左右も関係ないの?」
幸人はすでに起動に成功している。
「うん、今やってみてたところ。どっちでもどんなでもいけるみたいよ。
手の平じゃないと起動しないのは最初だけみたい。あとは指でよかった。やってみて。五秒くらい手を当てるの」
「そうか、じゃあまずお父さんが」
文人が手を当てる。久美も別に待ったりしない。ほぼ同時に手の平を表面にピタリとつける。幸人は板を裏返して指を押し当てている。
「うお」
「文字が出たわ」
「生体認証完了、このタブレットは栗栖文人に固定された、って、これ何だ?」
くるみは黙って家族を見ている。人が混乱しているときに声を掛けても効果は薄いことがわかるくらいには大人になっている。落ち着くのを待てば、説明は一度で済む。
「生体認証完了、とでたら、もう一度手の平を押し付けて、三秒待って」
「あ、うん」
「個体情報」
「個体情報ね、その下が個体名、氏族名、年齢、主言語、個体情報、アクセス権」
「あのさ、おとうさん、おかあさんのタブレットを覗いてみて? 読める?」
言われて、文人は久美のタブレットを、久美の方も文人の手元を覗き込んだ。
「いや? ただ黒いだけだ」
久美が同意を示して、うんうん、と首を上下する。
「やっぱり認証本人にしか読めないのね」
「どういうこと?」
「うん、説明聞くより自分でやってみるのがいいと思う。個体名とかの項目をタッチしてみて、そうすると名前とかが出てくるから、順にタッチするといいよ」
しばらくタッチしてはうんうん唸っていた文人が顔をあげた。
「よくわからんが、とにかく他の人のボードは読めないみたいだから、共通理解形成の為にボードを書き写して話し合おうか」
文人は会社で会議をする時のように、事態を整理することにした。
「ちょっと紙とボールペン掘り出してくるか、本の山の中になっちゃってるから時間かかるかなぁ」
「あ、おとうさん、学校の鞄の中のノートとボールペン取って来るよ」
「あ、そうか、くるみの部屋は何ともなかったんだよね」
「うん、あんまり物置かないしね」
そう言って、くるみはレポート用紙とペンシルケースを持ってきてボールペンやシャープペンをとりだした。四人は、メモを取りながらタブレットをチェックしていく。
「うーん、個体名の所は名前だね。
カタカナでフミヒト、その後に漢字、久美ちゃんは?」
「同じね、カタカナと漢字」
「幸人もいいかい? 次は、氏族名。えっと、クリス、栗栖とあるから、苗字のことかな」
「ファミリーネームってことかも」
「ああ、なるほど。所属している集団みたいな? 木村一族みたいな?」
「うーん、これ、何かの翻訳なのかもね。わかるけど少し違う」
「なるほどなぁ、そんなカンジだねぇ」
「次が年齢ね、それで、主言語。みんな日本語でいい?」
「うちの家族じゃ違う人はいないでしょ、それで、主言語をダブルタッチすると面白いよ」
四人がほぼ同時にダブルタッチする。
「なるほど、みんな同じの筈だね、読んでみるよ。
タブレットは、占有個体の主言語で表示される」
「うん、そう。占有個体って何?」
「ああ、それはおそらくこのタブレットの所有権は、生体認証された本人にはないということだね」
「え?」
「そうだね、つまり、タブレットは貸し出しているけど、あげないよ、いつか返してね、というような意味だね」
「ふーん」
「じゃあ、ちょっとショッキングだけど、いい?」
「なに? ねえさん」
「異世界転移なんかじゃないってことよ」
「へ?」
「いい? 名前の所をダブルタッチしてみて。名前という項目よ」
「う、うん」
そこには、栗栖幸人 惑星美輝 第一次移住集団、と、あった。




