26.三日目夜 一〇〇四号室 (二)
ポテトチップスの袋を抱え込んでタブレットに没入していた翔太が、ちらっと祖父の顔を窺う。
「うん? なんじゃね翔太、コメント、つーのがあるかね」
「あ、うん、えーっとさ、電気は違うことにとっておいた方がいいんじゃねぇのかな」
「違うこと?」
「いや、石黒先生の手術とか、三史歯科の虫歯治療とか。これからお産の人もいるんだろ?」
「確かになぁ、だが、上の方の階にも足の弱い者はおるしのぉ」
「あのさ、それなんだけどさ」
「うん?」
「あのさ、ここのマンション、四階から上、真ん中まっすぐ空いてるじゃん? そこを使って水や荷物の上下ってできないか? そりゃ人の上下はちょっと危ないだろうけどさ。
滑車とか。ウインチだったか?そんな道具もあったような気がする。あ、そうだ、クレーンとかどうだ? エレベーターほど電気も安全確認もいらないんじゃないの。
えーっとなんてったっけ? ゴンドラ? ビルの窓掃除するやつ、それってここにあった? ゴンドラなら人も上下できるかも。
千人もいるんだ、アイディア募ったらどう。
俺たちは、もう二十一世紀の東京にいるんじゃない。このマンションだって百年もすれば崩壊するんだろ?
一、二年のこと、考えてちゃダメなんじゃないのか」
祖父世代は黙り込んでしまった。今はまだ実感が薄いままに慣れ親しんだ行動、マニュアルに従ったアクションをとっている。だが、言われてみれば確かに、日常を東京メガロポリスの基準に戻している場合ではないのではないか。
「口幅ったいことはわかってんだ。だけど、頼む。俺はもう大学に行けない。大学、ないからな、どこにも。それでもまだ俺はいい、高二まで教育を受けてきたから。
でも、どうすんだ、あの河であそんでる小学生。じっちゃんたちはあいつらを野生児にするつもりか。科学の恩恵のない、産業革命以前の世界に放置するつもりでいるのか。おかあさんたちはどうなんだ。避妊具もない、産ませ放題か。食料と人口のバランスはどうすんだ」
「じっちゃんたちは、ここじゃ多分英知の最高峰だぜ。石黒先生は弟子をとって医学を教えるっつーのは? 誰かが先生の後を継ぐしかないんだ。医学を一度失ったら、医療倫理って奴も一緒になくなるんじゃねぇのか。金がねぇ奴には医療の恩恵もない、盲腸とか腸捻転で苦しみ抜いて死んだり、お産の時に出血多量や細菌感染で母親が死んだってのは、そんなに前のことじゃないって習った」
二次元男子が生涯でもっとも長くしゃべった、空前絶後の時間であった。うーん、この孫はなかなかデキル高校生だったんだな、よし、今日から大人扱いだ。と、うんうん頷いている祖父だった。翔太は、じっちゃんがいるところでは無口枠を外すことができるようになったのだった。
その場を支配する沈黙を破ったのは石黒だった。若い医師を指導する立場にあった石黒は、若者の指摘には寛容である。
「翔太君、いや、岩崎君。私は食料生産に道が見えたら、弟子をとることにするよ。任せておきたまえ。そうだ、翔太君も大学での勉強と研究を諦めることはないよ。まずは数学、生物学、化学、物理、天文、地学だね、基礎がないところに学問の家も塔も建たないよ。
三史先生や、予備校で数学を教えていらっしゃる刑部さんにもご協力をお願いしよう。
医療に関しても家の書庫にはちょっとした数の医学書がある、全部読破させてやるよ、医療倫理の本も含まれているとも」
翔太が、ひぇ化学か、有機がなぁ、ま、いっか、というと、祖父が孫の背中を撫でた。
「みのりと仙一君は、よい教育をしたようだな、娘と婿が育ててくれた孫は、ここでいい仕事をしておるぞ。
そうか、それで翔太はご婦人大切とか言うておるんだな」
「あ、うん、社会的圧力つーやつのタガが外れたら、何をするかわかんねぇ男はいっぱいいるだろ? おまわりいないねえもんな、ここ」
「たしかにそうだな」
会話を寺島が引き取る。
「岩崎君の言うことはもっともだと俺も思う。確かに小学生を放置しておくわけにはいかんな。まず下水、それから上水、食料生産、教育か。道は長いな。だが、考えておいて損はない」
弁護士の長谷川百合子がはっきりとした口調で話す。
「寺島さん、ひとつずつ確実に進めたいお気持ちはよくわかります。
ですが、こういう時は一気にやってしまっていいのじゃないでしょうか。人は自分の出番を待っているよりも、何かの責任を果たしているときの方がパニックやウツになりにくいでしょう?
この先自分はどうなるんだとか、残してきた親の面倒を誰かが見てくれるのかとか、ここで死ぬまで生きて行くってどうなんだとか、いろいろ考えてどうしようもなく落ち込むより、何でもいいからここで生きる方向へ気持ちを持っていくっていうのは?」
「ええ、はい、そうですね、おっしゃることはよくわかります。取り掛かる前に準備もいるだろうけど、その準備だって誰かがやってくれるように持っていけるかもしれません。なにも組合委員会がすべてをやる必要はありませんよね、みなさんひとりひとりが、得意なことをやってくださるよう、そういう風に構成しましょう、できるかな、いや、やらないと。皆さん、どうぞご協力を。
組合プログラムで公共工事、クエストで個人の問題を解決、公開の依頼を提示して、応じてくれる人に支払いをする、そんな感じで行きますか? どうでしょう、まずはやってみましょうか」
「椿さん、クエスト方式ですか、それについて素案で結構です、アイディアをうかがえますか。酒の席のことです、どなたも自由にご発言を」
メモを取りながらプランをまとめていく寺島、アイディアを出す委員たち、夜が更けるに従って突拍子もない話も出たりしたが、次第に笑いも挟まるようになり、会合は盛り上がっていった。
チームワークを維持できるかどうか
ひとりは全員のために、全員はひとりのために
というのがラグビーのチームワークの在り方で寺島も2,30人ならまとめていけるでしょうが、1,000人となるとまとめきれるかどうか
そこで委員会の存在意義が出てくるわけですが、彼らは1,000人の群れの一部であり続けながら、同時に群れの方向性を決め、ひとりもモブを出さないようにしていくことができるでしょうか
民主主義以前の考え方だと、英雄とか建国者の血筋とかで「王」をだして、そのひとりを「貴族集団」とか「事務に優れた官僚」とかが支えていく訳だけど
それが、「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対的に腐敗する」という格言を呼び
いまの日本は、民主主義と個人主義を採用、全員が統治者、ひとりも統治の責任を免れない、という基本コンセプトでやっている
突然、特異な環境下に飛ばされ、英雄や指導者なしで、集団を維持することができるものなのかどうか
目先の食糧問題が、420日分と言えども解決したわけで
そうなると集団維持圧力は今のところ医療しかない状態です
集団に所属する利益を高め、同時に、農業なんかやってられるかという個人や小集団に対し「母集団への出入りの自由」を認める、そんな感じの方向性になるかな~
これ、実現するのは難しくない? できるものなのかな?




