21.登別由佳
この21話は、ちょっと難解になってしまったので、解説多めで
主として寺島のキャプテンシーとは何か、なぜこの寺島が率いる千人が多少分散しながらも死亡率を低く抑えられるのか、について説明するエピソードです
登別由佳が、状況判断が悪そうなところにすぐ気が付かれるかと思います
彼女は、大金持ちの親から教えられたとおりに行動しているわけですが、普通ならここはもう貨幣経済が失われている世界になったのだ、ということがわかりそうなものです。でも、由佳はそれを十分理解しておらず、貨幣がもう「わいろ」にならないかもしれないとは思いつけないでいます
これに対して寺島は、この閉鎖世界を1,000人のチームで切り抜けるために、貨幣経済を「復活」させようとしている現状です。正確に言うなら、貨幣経済が終焉したことをチーム員に「気付かせない」ほど素早く行動することを目指しています
公開夫婦喧嘩の次の日、登別由佳は厚い札束を袱紗で包んで組合長・寺島の部屋を訪れた。
「この度は、誠に申し訳ありません」
深く頭を下げ、袱紗包みを差し出す。
「登別の婿が、組合と住人の皆さまに大変なご迷惑をおかけいたしました。こちらは父母より婿に不始末がありました時にと持たされております。どうぞ、車を出してくださった方にも、ガソリン代と迷惑料をお渡しくださいませ」
うーむ、と唸る寺島忍と妻・紅子。
これを受け取ると、寺島が組合長であるという立場から考えるて、いわゆる金権政治になってしまう。金や物を受け取って不正を黙認したり、頼まれて優遇したりするまで、あと一歩だ。
もっとも、今現在この場所では紙幣など何の役にも立たないのだが、由佳はそのことに気が付いていないように思われる。ただ、それをこの場で指摘するのもどうだろう。寺島のバランス感覚が微妙な状況を積極的な方向で解決しようとする。
「登別さん、お気持ちはありがたくお受けしましょう」
寺島はそう言って、袱紗包みを受け取るとその場で包みを開き、百万円の帯封が掛かった札束から二万円を抜き取り、残りを由佳の手に戻した。
「この二万円を受け取りましょう。これは、車を出してくれた嶋中さんへのガソリン代とします。費用と登別家からのお礼として受け取ってくれるでしょう。
ですがね、迷惑料は不要ですよ」
寺島夫婦は、にっこり微笑んでみせた。このふたりは、宥佑にそれなりに償わせる方法を考えていたのだ。
「登別さんは、有名なタレントさんだそうですね。年末の歌番組で司会をしたこともあるそうじゃないですか。
ですからね」
寺島は、ちょっと悪っぽくにやりとして見せた。
由佳は、寺島の言いたいことがわからない。
「登別家の婿殿には、畑仕事の音頭をとってもらえればありがたいと思っておりましてね。女性や子どもに大変人気のある俳優さんでもある。そういう方が率先して鍬を持って農地を耕してくれれば、さぞや盛り上がると思いますがね、どうでしょう?
収穫祭で歌ってもらうというのもいいですよね」
由佳のつらそうな顔が花咲くように微笑んだ。かすかに頷く。
「寺島さま、奥さま、ありがとうございます。
登別がここで生きていけるものかどうか不安でした。楽をすることしか考えない人なのです。私は母にさんざん言い聞かされました。夫を真人間にするのはおそらく無理だと母は言っていました。辛そうなことからは全部逃げるのがあの男の本性だと。
ですが」
由佳は深くお辞儀をして、寺島夫妻に感謝の意を告げる。
「気はいい人なのです。上手におだてれば木に登る性格です。カッコいいかどうかも大切な行動指針で、扱いやすいと言えばそうなのです。一番大切な食料生産で旗を振るという仕事というイメージを持たせれば、夫はおそらく受け入れるでしょう。私は全力でバックアップいたします。
どうぞよろしく、夫をお見捨てなく、どうぞ、どうぞよろしくお願いいたします」
幾度も頭を下げて帰っていった由佳を見て、紅子はため息をついた。
「いい娘さんなのにねぇ、登別はあの娘の財産が目当てで結婚したんだろうけどね」
「いや、おまえ、それがわかっていて結婚したんだ、女房の方もそこは承知で。まあ、若い娘にありがちだよ、ボンクラで軟弱な男を見ると、この男はわたしがいなくちゃダメなのよ、と思うのだろ?」
「あら、そうですか? 私なら頼りがいのあるあなたのような人がいいですけどね」
「それはありがとう」
「蓼食う虫も好き好きと言いますけどねぇ」
熟年夫婦は、目線を交わして居間に戻っていった。
紅子は、夫・寺島忍から、登別夫妻について軽く相談を持ち掛けられたとき
芸能の世界に生きる人は、そうでない人々とは少々異なる考え方をしているのかもしれないけれど
それでもひとりの市民であることに違いはない
だから、市民としての側面に期待して
芸能は置いておいて、他の人に馴染んで生活してもらったらいいのでは
という趣旨の回答をしました
ですが、忍はそうは考えませんでした
人の生まれ持っての性格は「それが必要だからそこにある」というのが彼の基本概念なのです
どんな人にも、そこに生まれて育ったのは「必要性がある」からで
それを生かす方向こそが集団を、チームを「強くする」手法だというコンセプトを持っています
つまり、彼は
「どんな人の中にも宥佑はいる」 宥佑はその中で特に強く芸能の分野が出た個体だ
だから
宥佑を否定することは
集団全部の個人に潜在する「宥佑的要素」全否定することにつながる、と考えているのです
そういう理由で、彼は、宥佑にしかできないことは何か
という方向性で紅子と話し合い、知恵を出し合ったのですね
紅子は、忍に較べれば「固い」考え方をしますが、忍にとって紅子の反応は「自分の行動は人にどういう反応を引き起こすか」を知る、大切な機会です
紅子にとっては、忍の考え方は「寛容」に繋がり、人を批判しがちな自分を客観的にみるチャンス
互いに受け入れあって、助け合っているのですね
由佳との話で、寺島夫妻が目指したのは、宥佑の「人気」を、この場所で最大限に「効果的」に発揮できるよう、妻でありファンでもある彼女に一定の方向性を掴んでもらうことでした
このアドバイスが由佳の中でどのように実っていくか、それはもう由佳次第で、だれも干渉できないところですが、そこを信じて見守り、必要があれば協力し、方向を修正する手伝いをする覚悟がある、それが「寺島忍のキャプテンシー」なのです




