17.三日目 一階会議室 (一)
岩崎翔太が目を覚ましたのはもう十時になるころだった。うっそりと起き出し、ジャージのゴムあたりに手を突っ込んでボリボリと搔きながら祖母におはようと声を掛ける。
「起きたかい、よく寝てたね」
居間のあちこちで丸くなっていた三匹の猫が、うにゃ、と翔太を見る。マスター・キイを開放して、留守宅を調べた時に保護されたペットの一部を預かっているのだ。
「まね。じっちゃんは?」
翔太は手近の一匹を抱き上げて、喉をくすぐってやる。
「今日は二階で災害用保存食の数を確認するらしいよ。どう配布するか決めるって」
「うお、そりゃ急がないと」
「何だね?」
「うん、えーっと、斎藤さんの巡回時間は十時だっけ、オレ行くわ、ばっちゃん」
「はあ、朝ごはんは」
「なんかある?」
「おにぎりだけど」
「ばっちゃん、飯炊けるようになったんだ、すげえ」
「ま、ね。ファミリーキャンプが流行った頃があったでしょう。キャンプ番組でお鍋でご飯を炊くやり方を見たことがあってね」
そう言いながら、芙美子はおにぎりを二個ラップに包み、半分お茶が入ったペットボトルを孫に渡す。翔太は抱いていた猫を下ろしてやり、おにぎりのラップを開いて齧りつく。
「いちさんに、お昼はおにぎりを差し入れしますよと伝えてね」
「うーっす」
翔太は、寝起きのままでおにぎりを齧りながら階段を降り、一階で定時巡回中の警備員・斎藤を探した。ペットボトルからぐびりと喉にお茶を流し込む。
斎藤を見つけ、手早く事情を話すと、斎藤はウエストの警備員安中を探しに走っていった。斎藤は自分のタブレットではまだ食糧支援項目を見つけていなかったが、これが今日の食糧配布計画に大きな影響を与えることは即座に理解したのだった。
斎藤が翔太をドアの外に待たせて寺島と富田に事情を話す。そして寺島の指示で四階へ石黒を呼びに行った。翔太が二階に入ることができないので、一階受付裏の事務室に五人が揃ったのは、もう十一時になるころだった。追いかけるようにイーストから刑部が走って来る。
「刑部さん、お茶をどうぞ」
富田が、刑部を労わってカセットコンロで沸かしたお湯で淹れたお茶を差し出す。
「あ、どうも。ありがとうございます富田さん」
「いやいや、お互いに大変ですからね、ここを乗り切ればだいぶん楽になりますよ」
「はあ、そうだとよろしいですけど、これも巡り合わせですから、やれるだけのことはやりますけれども、間に合いますかねえ」
刑部の気持ちは、誰もがわかる。集団が崩壊して、食べ物の取り合いやストレスが募ってのケンカになる前にまとめきれるかどうか、今日明日、まだ住民が自分の部屋で、冷蔵庫の食品や棚の保存食品でやりくりできている間にしっかりした方針を示すことができるかどうかが勝負になる。なんとかやっていくしかない。できなければ、食料争奪戦になって、二階に積み上げられている緊急物資もめちゃくちゃになり、怪我人どころか死者が出るかもしれない。ここには、抑止力である警察も自衛隊もないのだ。
「さて、お集まりいただいたのは、こちらの岩崎翔太君が支援食糧へのアクセス権を見つけたことでこの先の状況が大きく変わるためです。まず、岩崎君の説明を聞きましょう」
寺島が、これが会議であることを全員に示す。この場では発言権を求めなくては話すことはできなくなった。翔太は、大人ばかりの場でちょっと怯みそうになるが、祖父が励ます視線を送ってくれているのに気が付いて気持ちを立て直す。クラス会議みたいなもんだ、やれるとも、と。
「えっと、みなさん、タブレットを見てください」
緊張している翔太のために、寺島が口を挟む。
「岩崎君、緊張しているだろうね、普通に話していいよ。大切なのは内容だから」
「あ、はい。タブレットは起動できていますか」
全員がタブレットを長机の上に置き、起動する。
「個体情報のページ。出たら、確認。個体名、氏族名、年齢・性別、主言語、個体履歴、アクセス権」
全員が、頷く。
「アクセス権にタッチ、支援アクセス権に」
翔太と斎藤以外のメンバーが、お、という顔つきになったり、びくりとしたりする。
寺島は少し動揺している。すぐに立て直したようで、司会の役目を果たそうとする。
「支援内の項目、食料、これですか」
「その画面、右上に1/420 1,000yenとあるけど、いや、これ言っていいのかな。じっちゃん、言ってもいいの?」
「ああ、いいだろうよ翔太、ここでは。寺島さん失礼しました、よろしいですかね」
「はい、表示が大きく異なるようなら申告してもらって、相談した方がいいでしょうが。どなたか、違う表示になっている方は?」
同じですねと声が揃う。
「420はここの一年じゃないかな。1,000yenは、支援してもらえる食糧の一日当たりの金額だろうと思う。明日の午前四時に、千円の内残っていた金額が次の日に持ち越されるかどうかわかる」
「ふーむ、なるほど、皆さんご意見は?」
「ありませんか、それでは。重要なことですが岩崎君、食糧はどのように受け取るかわかりますか」
場に軽い緊張が生まれる。アクセスの方法によっては、今より面倒なことになる。
「1,000yenにタッチ、アベイアブルにすると、食料のリスト」
五人が黙ってタッチして、リストを出す。
「一番上の米、いや、わかりにくいか、上から九番目のバターにタッチしてみて下さい」
「いいですか? 九番目はみんなバターでいいですか?」
寺島が顔をあげて確認し、いいようだね、次を頼む、と言う。
「バターをタッチ、映像と値段が出る」
「これは……。 これは、まるでネット通販の画面のようだね。皆さんいかがですか」
刑部が代表して答える。
「いや、驚きました。こんなことが。米、小麦粉、コーンと来て、次がエンドウ豆ですか。岩崎君、少し時間をもらってもいいだろうか。寺島さん、支援食糧に何があるか確認させてもらっても?」
「はい、そうですね。私も驚いています。岩崎君、少し時間をもらっても?」
「俺も一時間くらいこの画面を見てました。じっちゃん、俺、お昼の差し入れ取りに行っていいか、ばっちゃんに言われてるんだ」
「おお、いいとも、行って来てくれるか」




