13.セレシオン二日目
セレシオン成島ツインタワー・マンション、ウエスト管理組合
委員長 刑部健一郎(おさかべけんいちろう 予備校勤務、大学受験数学担当
副委員長 椿慎二 水道局職員
副委員長 相良美弥子 転移時留守
二日目に長谷川百合子が就任 弁護士
警備会社派遣の警備員 安中直治 もと警官
一日目、イースト組合委員は住人の安否確認と災害対応要綱の実施で手一杯だった。
二日目は、ウエストとの連絡、実態のすり合わせから始まった。イースト居住者はもともと近隣住人であることが多いため、コミュニケーションがとりやすく落ち着いて行動する傾向があったが、ウエストは投資を含む公募であったため、そうはいかなかった。単身赴任者のために会社が借り上げた2LDKが二十ほどあり、そこの住人のほとんどは連休で家族の元に帰っていたため、安否確認に時間がかかった。近所付き合いも薄く、隣の人の顔も知らないのが普通だ。
さらに、悪いことに、組合副委員長のひとりが転移時に留守だった。
二日目朝、富田は翔太がまだ眠っていたので、タブレット操作の続きを教えてもらうことができないまま、一階受付裏の事務室に開設された災害対策室に行った。
そして、ウエストからの要請でマスター・キイの解放と、安否確認の手伝い、新しい副委員長選出の立会人としてウエストに出ていき、いくつかの手続きを経て、なんとか緊急事態宣言を成立させた。
マスター・キイを開放することができたのは五月二日の昼前だった。
ウエストの管理組合委員会は、富田と斎藤の手を借りて二日の午後いっぱいかけて、住民の安否確認を終えた。
次いで、非常時マニュアルに従って、広域避難室である三階と一階の避難住民用薬品使用トイレを開放、二階の緊急用物資からジェネレーターとバッテリーを開梱、稼働させた。パソコンとプリンターが使えるようになったのはその日の夜のことだった。
それから深夜までかかって住人の部屋番号と氏名を入力、ようやく全容を把握し終えたのは、もう早朝と言える時間だ。ウエストの組合委員会は住民の中から弁護士の長谷川百合子に頼み込んで委員会の形を整え、ようやく富田を解任することができた。
東西両棟の管理組合委員会が形を整えた。非常事態に対処する訓練が行き届いていたのか、それとも管理組合委員が社会的に指導者の地位に慣れていたのか、理由は判然としない。
だが、同じく送り込まれた他の十四の「1,000人」がまだ現状把握も十分でなく、集団として活動できていないことを考えれば、破格の出来と言っていい。
二日目のイーストは、四階を開放、食事やトイレに不安を持つ人を受け入れた。
三階は一日目夕方には自力で階段を上がり下りできる住民の為にすでに開放済みだったので、朝になって降りて来た人々も比較的落ち着いていた。
四階には石黒と堺が担当する緊急医療室が開設されている。そこで、ベッドを必要とする要介護者を会議室に、夜泣きする年齢の乳児を抱える家族にドアを閉められる和室を割り振った。階段の上り下りが不自由な住民のためには、フロアに四畳分の畳床を敷いてスペースを分離することにした。必要に応じてパーティションで目隠しをすることもできる。
自宅で生活している要介護、要支援の人々は戸別訪問時にリストアップしてあったので、ベッドや車椅子ごと住人を移動させることができるよう、非常電源を入れ短時間だけエレベーターを動かす。短時間と言っても再起動前の点検や起動安全確認があり、作業全体は午後いっぱいかかった。
不安と緊張で母乳が出なくなった乳児の母親も堺看護士の支援を受けられるようになり、同じ立場の母親同士でぼつぼつと話すうちにずいぶん気が楽になったようだった。
母乳が出なければミルクを飲ませればいいと思うかもしれない。だが、赤ちゃんは「最初に口にしたミルクの味」を、自分が飲むミルクと認識する傾向があって、数種類あるミルクのどれでもいいというわけでもない。手持ちの粉ミルクの量が少なければ、母親は不安になる。母親が不安になれば赤ちゃんも不安になって泣きやすくなり、不安と不安定の悪循環が始まる。
要介護、要支援の住民は三家族、お互いに苦労話もし合い、石黒と堺とともに介護・支援の実態とこの先の見込みを話し、次第に焦りから解放されていったのだった。
イースト一階の店舗、コーヒーとランチの店“せれしおん”では、店主の石井和徳が料理ができない人のために午前中に限り店の台所を開放した。石井のアクセス権はちょっと変わっていて、個体履歴の“料理人”に付属して支援アクセス権にガス供給という不思議な項目があったのだ。どんな仕組みなのか全くわからないが、せれしおんでは業務用のガスコンロ三台にガスが供給されている。
ガスの供給は、アマネが強く主張して設定された支援の内のひとつである。ミキは“クッキング・システム”の設置を提案したが、アイザックはアマネの「同じ災難に遭った人が集まって、同じものを食べる方が結束力を強くする」という、アイザック的には全く意味不明の提案を受け入れた。クッキング・システムは、集団が少数に分化した時に目指す場所となるはずの“植民地”用に準備した建物(ミキが最初に何日か住んだ家のようなもの)に備ることとなった。
石井は、寺島の要請に応えて炊き出しに協力した。炊き出しをする人々とともに大鍋でご飯を炊き、持ち寄られた材料を見ながら味噌汁とおかずを作った。食器とトレイを提供して四階に避難している人々に配るように整えた。
午後はコーヒーとスパゲッティを提供し、きちんと代金もとった。代金が用意できない人には、河から生活用水を運んでもらい、お礼としてコーヒーを提供した。
そこでまるで何ごともなかったようにコーヒーを淹れ、そこそこの味のスパゲティ・ナポリタンをつくる石井は、静かに、しかし確実にセレシオンの安定を支えていた。
えーっと、おはようございます? 夜間に読んでくださったいる方々、こんばんは~
このお話を書くとき「もしあなたが孤立した島にひとりで飛ばされて、三つだけ持っていけるとしたら何を選びますか」という質問が頭に浮かびました
書きながら、いろいろと考えました。この質問に対する回答は小学生の頃から何度か考えましたが、さすがに「大きくなって」ズルくなったらしく、今回の回答は
国会図書館、施設全部ごと (あとのふたつは猫ちゃんと猫ちゃんのご飯10年分!)
でした、えへ
施設全部ごとなら、緊急時発電もできるし、給水タンクだってひとりなら当分困らない。ティールームとかもあるだろうし、落とし物保管部屋とかもあって、衣類とかもあるかも、とか
困ったら何でも調べられるしね!
読んでくださっているあなたは、何を持っていきます?




