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1.六〇七号室・栗栖 (一)

ファースト・バッターは、母は薬学の研究者、父は建築・設計会社勤務、娘は高校生、息子は中学生という構成の、栗栖家

家族は、キャンプの愛好者ですが、車で行ってファミリーテントを張り、焚火台まで用意するというようなタイプの”キャンプ”ではありません、”野営”と言える、シングル・テント、シュラフ、簡易燃料、一日分の糧食、ステンレス・マグカップ(直火にかけられる)など、ひとり分の荷物は各自で背負い、4人で使用する鍋鎌等だけを父親が背負うという「行軍」的なキャンプです。栗栖家の選択は彼ららしい、彼らでなくてはできないものとなります

 

 夜明けにはまだ間がある午前四時、東西二棟のセレシオン成島の住人、およそ千人は、突き上げる揺れとドドンという腹に響く音で目を覚ました。



1.六〇七号室・栗栖 (一)


栗栖文人くりすふみひと 建築会社勤務

栗栖久美くりすくみ 製薬会社研究員

栗栖くるみ(くりすくるみ) 学生、高校二年

栗栖幸人くりすゆきひと 生徒、中学三年


「地震! 揺れたよね、今」

 栗栖久美はベッドで目覚め、隣のベッドの夫、栗栖文人を見た。文人はすでに半身を起こしている。

「ああ、揺れたというか、突き上げたな、直下型か?」

「くるみと幸人は? 寝てたかな?」

「あ、うん、えっと、ちょっと待って」


 久美は枕もとのスマホを手探りし、時刻を見た。

「四時? さすがに寝てたでしょ」

「だな、ちょっと見てくる」

 季節は初夏、五月の連休真最中だ。スタンドに手を伸ばしたが、停電のようだ。


「久美ちゃん、停電だよ、懐中電灯ちょうだい?」

「うん、スリッパ履いて行ってね、足元に割れた物がないか注意してよ」

 久美は、ベッドサイドの小箪笥から懐中電灯を取り出して文人に渡した。くるみがまだ夜泣きしていた頃に地震で一時停電した時に身に着けた習慣が今も続いている。


 文人はこどもたちを見に行ったが、久美は変だと思う。たとえ停電でも信号機まで消えるだろうか? いつもなら街頭や信号の明かりでほの明るい窓から外を覗き、あまりにも暗いことに驚く。これではまるで山奥の野営場のようではないか。

 それに静かすぎる。地震だったのに、車が事故を起こしてブレーキの音高く何かに衝突する音も警察車両のサイレンも聞こえない。今時ありえないことだが交通信号機がすべて停電したというなら、交番から警官が交通整理に飛び出し、ホイッスルを鳴らし懐中電灯でハンドサインを送り、交通整理をするはずではないのか。


 違和感を覚えたが、考えるほどの暇もなく文人がくるみに呼びかける声がした。

「くるみ、大丈夫か? 地震だったんだけど?」

「あ、おとうさん、うん、目が覚めただけ」

「じゃあ、しばらくそのままベッドにいて。停電なんだよ、あとでキャンプの時のヘッドランプ持ってくるからね、それまで動かないで」

「ん、わかった」

「ゆき、起きているか?」

「ん、俺ずっとパソやってたから」

「そうか、しばらくここにいて? 居間と廊下を片付けて安全になったら呼ぶから」

「うん、ケータイ繋がらないし」

「もう繋いでみたのか、速いね」

「ま、ね」

「パソはどうだ?」

「うん、今やってるけど、繋がらない。キャパオーバーかなあ」

「だろうねぇ、一般回線は一時遮断になってるかもよ?」

「そんなことできる?」

「うーん、たぶん。これだけ大きいとね、公共優先になってるかもだよ。首都圏直下型だよね」

「かもね、縦にドンときたよ、震度八いってるんじゃないかな」

「だな。後でヘッドランプと靴を持ってくるからな、それまで安全にしていろよ。大きいから余震が来るだろうね、用心だよ」

「ん」


 文人はダイニングキッチンと四人分の書斎兼勉強部屋にしてある部屋をざっと懐中電灯で照らして、う~ん、と、唸りながら寝室に戻ってきた。

「どうだった?」

「うん、本がね」

「そうでしょうねぇ」


 書斎の壁三面に作り付けた本棚からは本が雪崩のように落ち、入り口から順に片付ける以外に入ることもできない。書斎は購入前の間取り図によれば押入れ付き八畳の和室だったが、床張りの洋室にするように指定し、リビング・ダイニングとオープン空間にした。そのため、そちらにまで少なからぬ本が流れ込んでいる。

 食器はすべて引き出しに収納して災害時にも落ちて割れないように用心したため、床に食器の割れ物が散らばってはいない。それは本当によかったと思う。だが、リビング・ダイニングの床には、書斎からなだれ込んだ本の他にも、コーヒーメーカー、花瓶、陶器の置物などが床に散乱、薄型テレビは前向きに落ち、腰高窓の下に並べてあった薄型の本箱が倒れて文庫本やコミックが散乱している。


「パソコンが無事だといいけどなぁ」

「そうねぇ」

「うちって地震保険入ってた?」

「入ってないわ」

「そっか、パソは買い直しかなぁ」

「かもね」


 ふたりのため息がその場に広がった。とりあえず片付けるしかないし、壊れたものは買い直すことになるだろう。そもそもマンションは補修しなくてもいいのかどうか、マンション組合の会議とか、補助金の申請とか、面倒なことが目白押しの予感しかしない。

 マンションが耐震構造で崩壊しなかったことと、家族四人が家にいる時間帯でよかったとするしかなかった。


「文さん、懐中電灯ちょうだい」

「うん、どうするの?」

「水を確保しないと。一日ひとり二リットルで、三日分は確保したいよね。十二リットルの三日で、四十リットルか、えっと~」

「そうか、屋上タンクへの揚水も電動ポンプだよね、上が空っぽになったら、後は持ち上げるしかないか」


「すぐに電気が戻るといいけど、地下で切れてたりすると時間かかるでしょ? エレベーターが復帰しないと、全部バケツかなんかで階段を持ち上げるんだよ。うちはまだ六階だからマシだけど、楽じゃないよ」

「そうか、三十二階の人とか、気が付いているといいけどねぇ。非常電源はどうなっているのだったかな」

「今はとりあえず、家のことをやろう? もし、トイレを流す人が多いと意外と早くタンクが空っぽになるよ」

「あ、そうか。じゃ、俺は台所で鍋とか水筒とかに水溜めるよ。久美ちゃんはお風呂場ね」

「うん。おふろの残り湯はトイレ用に確保するとして、バケツと、キャンプ用のクーラーボックスとかどうかな」


「あ、いいね、結構容量あるよ。ペットボトルの空いてるやつある?」

「うん、資源ごみの方にあるよ。念のために軽く濯いで? 冷蔵庫も使えないんでしょ?」

「ああ、そうだね。水も傷むからねぇ。あと、災害備蓄用の水のペットボトルってどこに置いたっけ?」

「コートクローゼットよ」

「あ、そうか。ちょっと待ってて、玄関の戸棚からキャンプ用のヘッドランプ持ってくるよ」

「うん、スニーカーもお願い。スリッパじゃ頼りないよ」

「ん、わかった」


 両手を空けるためにヘッドランプを被り、慎重に水を確保する。三日間耐えられれば、たとえ電柱が倒れていようとも地下の電線が切れていようとも、電気は復旧するに違いなかった。他の住人のことも考えに入れ、不必要に多く水を出さないよう慎重に水を溜め、続いて廊下からダイニングのソファへと安全にたどり着けるように床に散らばった物を片付ける。ぐったりと座り込んだのは、飛び起きてから一時間以上経った頃だった。



「よかったわ、水が確保できて」

「うん。でもガスもダメだよ」

「そっちはカセットコンロで凌ごう?」

「そうだね、キャンプのコンロもあるし、何だったら前回の焚き火用の薪も残ってるし」

「文さん、薪使うようになるって、どんな?」

「まあ、そうだねぇ。

 でもおかしいと思わないか」

「うん、救急車のサイレン、聞こえないよね」

「そうだよね、あれだけ揺れたんだよ。怪我人がいないはずないよ、火事だってあっただろうに救急車の音も、消防車やパトカーの警報さえ聞こえない」

「だよねぇ、エレベーターが使えないってことは、レスキュー隊の仕事になる?」

「このマンションはヘリポートもあるしねぇ。 でもまあ、とにかく静かすぎる」


 夫婦が白々と明け始めた外を見たのはほとんど同時だった。

「ふみさん……」

「くみちゃん……」

 窓の外に街はなかった。


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