第九章-花園の封印
今までもちょいちょい挟んではいましたが今回から改行、句読点、代名詞を時間経過+ダメージとする為若干ゃ変化するかもしれね。
街の全ての生命を吸い尽くすかのような重い静寂が訪れていた。八章での激闘の末 枯れ枝の竜は都市の狭間に叩き落とされメルリウスが大樹の力を補助したことで外界から完全に隔離された巨大な木のドームが完成していた。その闇の中心 光の届かない場所でフィル アロンソ メルリウス そして絹縛の四つの影が神話の化け物と対峙していた。
「……ここから先は神話の領域だ」
メルリウスの声が張り詰めた空気の中で響き渡る。その言葉通り 彼らの目の前に横たわるのはもはやただの敵ではない。古の森がその全ての生命活動を終えミイラ化したその残骸。憎悪と悠久の時だけを糧として動き出した巨大な死の化身。その虚ろな眼窩は覗き込むことすら魂を吸い取られるかのように闇そのものだった。
フィルは呼吸を整えながら手に握る木刀を見つめる。それは蠅王との戦いでその力を解放し原型を留めぬほどに植物のエネルギーで膨張し脈動する異形の木刀だった。彼がこの力を最大限に振るえば竜を破壊することは可能かもしれない。だがそれは最悪の選択肢だと彼は本能的に理解していた。この竜の正体は植物の死骸。破壊すればその死の力がドーム内部に満ちている大樹の生命力を吸い上げさらに強大な存在として再生するだろう。
「この竜は倒すことはできない」
アロンソがその拳を固めながら静かに重々しく告げる。彼の脳裏にはラヴェルの盾を吹き飛ばした竜の圧倒的な力が焼き付いていた。力でねじ伏せようとすれば逆にその力に飲み込まれる。それは彼のような力自慢の戦士にとって最も受け入れたくない現実だった。
「…この封印を内側から維持する」
メルリウスが杖を構え直す。彼が大樹の力を補助しこの巨大なドームを維持し続ける限り都市は守られる。だがその維持のためには常に竜の脅威に晒され続けなければならない。それは終わりのない絶望的な籠城戦の始まりを意味していた。
その張り詰めた空気を壁や天井から無数の単眼で虎視眈々と見つめる絹縛が新たな糸を一本フィルたちの足元へとそっと垂らした。それはただの糸ではない。この戦場を縦横無尽に駆け抜けるための絹縛が彼らのために用意した唯一の道標だった。
「…行くぞ」
フィルは糸を掴むと静かにしかし確かな決意を込めてそう呟いた。討伐ではない。勝利でもない。ただ仲間たちをそしてこの街を守るために。彼らの絶望的な籠城戦が今始まろうとしていた。
フィルは絹縛が張った糸を蹴り、枯れ枝の竜へと向かって跳んだ。その動きは人間のそれではない。重力を無視し、空中に描かれた銀の道を彼は凄まじい速度で駆け上がっていく。手に握る木刀からは植物の純粋な生存本能が脈動していた。
竜はその接近に気づくと虚ろな眼窩を向けた。それはフィルを捉えようとするのではなく、ただそこにいるという事実を認識するだけの無機質な視線。竜の全身を覆うのは朽ちた枝と根が絡み合った黒く硬い外殻。しかしその内側は生命を失った植物の茎のように柔らかく斬撃の衝撃を吸収してしまう。
「……っ」
フィルは渾身の一撃を竜の胴体へと叩き込んだ。木刀から伸びた無数の鋭い木の棘が甲殻に食い込む。しかしその斬撃は竜の体を貫くことはなかった。甲殻は硬く、その奥にある柔らかい茎が衝撃を逃がしてしまう。フィルは手応えのない感触に舌打ちをした。破壊したのではなく、ただ表面を傷つけただけ。
「無駄だ」
地上からアロンソの怒声が響く。彼はすでに竜の足元へと肉薄していた。彼はフィルとは違う。力でねじ伏せることを選んだ。その巨体から放たれた渾身の一撃が竜の四肢の一つを砕かんと叩きつけられる。轟音。大地が揺れる。しかし竜の足は完全に折れることはなかった。わずかに弾かれ体勢を崩しただけで、すぐに元の位置に戻ってしまう。
「くそっ」
アロンソの拳は傷ついた竜を前に、ただ無力に震えていた。彼らの最初の攻撃は竜の体にかすり傷をつけたに過ぎない。この化け物には倒すための弱点がない。その冷徹な事実を彼らは初動で突きつけられたのだった。
枯れ枝の竜が放つ一撃一撃がこの巨大な木の牢獄全体を揺るがしていた。竜の体から剥がれ落ちた枝やその巨体にしがみつく無数の根が激しい衝撃と共に内部の空気をかき乱しただでさえ薄かった酸素をさらに奪っていく。
フィルはその異常な変化に最初に気づいた。小柄な体は誰よりも早く酸素不足の影響を受ける。肺が熱く呼吸がうまくできず視界の端がわずかに霞み始めた。
喉の奥で獣のような荒い息が漏れる。戦いの最中にもかかわらずその身は鉛のように重く木刀を握る指先に力が入らない。メルリウスは杖を構えながらもその顔に苦渋の色を浮かべていた。彼が維持するドームの内部が竜の存在によって徐々にしかし確実に死の空間へと変質し始めているのだ。
アロンソもまた竜の一撃を受け流しながら苦しげに顔を歪める。彼はその巨体ゆえに酸素の消費が激しい。力が発揮できずただでさえ通用しない攻撃がさらに威力を持たなくなっていく。
フィルは戦う前に窒息するとその言葉を喉の奥で噛みしめた。彼らの絶望的な籠城戦はまだ始まってすらいない。だが彼らはこの竜という環境そのものとの戦いで既に敗北を喫しようとしていた。
竜の攻撃は止まらなかった。絶え間なく続く一撃一撃が、大樹のドームを内側から揺るがし、崩壊の予兆を告げるかのように軋んだ。フィルとアロンソは、息苦しさに膝をつきそうになりながらも、なんとかその場に立ち続けていた。このままでは、ただの時間稼ぎで終わる。根本的な解決にはならないと誰もが理解していた。しかし、その根本的な解決策が見つからない中で、彼らはそれぞれの役割を果たすしかなかった。
メルリウスは、杖を構えたまま、ドームの亀裂が走った部分に掌を向けた。彼の呼びかけに応じ、地面から伸びた根が亀裂を塞ぎ、木々は歪んだ空気を浄化しようと、必死にその生命力を燃やしていた。彼が竜の一撃を防ぐのは、直接的な攻撃ではなく、この巨大な木の牢獄そのものを、竜が持つ死の力から守り、維持することだった。彼の体は、既にドームと一体化し始めていた。
絹縛は、壁や天井から無数の単眼で、竜の動きを虎視眈々と見つめていた。竜の一撃が、フィルやアロンソに迫るその直前、彼は素早く糸を放ち、二人の身体を庇うように、何重にも、そしてゆりかごのように柔らかい糸の網を張り巡らせる。竜の一撃は、その糸の網に阻まれ、威力を殺される。それは、攻撃を防ぐことだけが目的ではなかった。フィルとアロンソが、竜の圧倒的な衝撃で吹き飛ばされるのを防ぎ、その場に留まらせるための、絹縛が彼らのために用意した唯一の策だった。
三人は、言葉を交わすことなく、ただ互いの呼吸だけでタイミングを合わせる。フィルは、メルリウスがドームを維持する隙を狙い、竜の体から剥がれ落ちた枝を掴み、その動きを封じようと試みる。アロンソは、竜の攻撃を受け流しながら、その巨体を僅かに弾き飛ばし、メルリウスとフィルに時間を与えようとする。彼らの連携は、竜の一撃を防ぐことだけを目的としていた。しかし、その全てが、根本的な解決にはならないことを、彼らは痛いほど理解していた。
枯れ枝の竜は、ただの攻撃を繰り返していたわけではなかった。その一撃一撃が、この閉ざされた空間の空気を揺らし、内部の圧力を高めていく。竜が枝を振り回すたびに、ドーム全体が悲鳴のように軋んだ。そして、その亀裂から、黒く、淀んだ灰の風が吹き出した。それは、竜の体内に溜め込まれた、死と腐敗の臭気をまとった、不気味な嵐だった。
「……ぐッ!」
フィルは、咄嗟に懐から灰袋を取り出し、口に当てた。灰の風は、ただの塵ではない。呼吸器官を焼き、神経を麻痺させる毒を含んでいる。フィルは、その毒を避けるために、リミナからもらった灰袋に口を押し当てた。その横で、アロンソは、口に何も当てず、ただその灰の風を力押しで対抗していた。
「これが戦いか!」
アロンソは、口元に血を滲ませながらも、笑っていた。その顔は、狂気と歓喜に満ちていた。彼は、この絶望的な状況を、ただの戦いとしてではなく、自らの力を試す、究極の試練として受け入れていた。彼の身体は、既に竜の攻撃と灰の毒によって、限界を迎えていた。だが、その瞳には、まだ闘志の光が宿っていた。
その時、フィルは、アロンソの言葉の真意に気づいた。アロンソは、この戦いを、倒すことではなく、ただ、耐え抜くこと。自らの力を、極限まで高めるための、試練として捉えていたのだ。フィルは、アロンソの言葉を心の奥で反芻した。これは、ただの戦いではない。生き残るための、そして、強くなるための、試練なのだと。
絶え間ない激闘が、大樹のドームに響き渡っていた。だがそれは、誰にとっても勝利へと向かうものではなかった。ただ、息苦しい消耗戦が続く。ドームの内部は、枯れ枝の竜の活動によって空気が濁り、枝が震え、摩擦するたびに、ただでさえ薄かった酸素がさらに奪われていく。
フィルは、その身をもって酸素の欠乏を感じていた。小柄な体は誰よりも早くその影響を受け、木刀を握る指先に力が入りにくくなる。彼の意識は、時折、遠のきそうになった。呼吸をするたびに肺が燃えるように熱く、足元が定まらない。
「はぁ……はぁ……ぐっ」
膝が笑う。視界の端が暗くなる。彼は無理やり意識を保ち、木刀を構え直した。だが、その動きは鈍く、いつもの切れ味はない。彼は、このままでは戦うことすらできなくなると本能的に理解していた。
「くそっ、体が……」
アロンソもまた、巨体ゆえに酸素の消費が激しく、その力は徐々に失われつつあった。彼は竜の一撃をなんとか受け流すが、その度に体が大きく揺れる。いつものような圧倒的な力強さはなく、ただ、その場に立ち続けるのがやっとだった。彼の呼吸は荒く、額には脂汗が滲んでいた。
メルリウスは杖を構えたまま、その顔に苦渋の色を浮かべていた。彼が大樹の力を補助し、ドームを維持し続ける限り、都市は守られる。だが、その内部は、竜の存在によって、徐々に、しかし確実に、死の空間へと変質し始めている。
その時、絹縛の糸が、一本、プツンと音を立てて切れた。それは、彼が酸素不足によって、糸を操る精度を落とし始めていることを示していた。糸は、フィルやアロンソを庇うための唯一の命綱。その命綱が切れるということは、彼らにとって、戦況が完全に不利になることを意味していた。
メルリウスの顔に、苦渋の色が浮かんだ。彼の補助によって維持されている大樹のドームに、今、異変が起きていた。枯れ枝の竜は、ただ攻撃を繰り返しているだけではなかったのだ。
「まずい、このままでは……」
竜は、その枯れ木の体から無数の根を伸ばし、ドームの内部に張り巡らされた大樹の根に絡みついた。そして、その根を通じて、大樹の生命力を吸い上げ始めたのだ。メルリウスの術は、竜を封印するために大樹の生命力を使っている。だが、竜はその術を逆手に取り、大樹の生命力を自らの栄養として奪い、力を増していく。
「こちらが動けば動くほど、竜は栄養を増す」
メルリウスは、そのジレンマに気づいた。彼が封印を維持するために大樹の生命力を使えば使うほど、竜は力を増していく。フィルやアロンソが竜を攻撃すれば、竜の体から剥がれ落ちた枝や根が、大樹の根に絡みつき、さらに栄養を奪っていく。彼らは、動けば動くほど、自分たちの首を絞めることになっていた。
「くそっ、どうすればいいんだ……」
フィルは、その絶望的な状況に、歯を食いしばる。彼らの戦いは、もはや竜を倒すためのものではない。自分たちの動きが、竜をさらに強くするという、あまりにも残酷な現実を突きつけられていた。
メルリウスは、杖を大地に突き立てたまま、その顔に苦渋の色を浮かべていた。彼の補助によって維持されている大樹のドームに、今、異変が起きていた。枯れ枝の竜は、ただ攻撃を繰り返しているだけではなかったのだ。竜は、その枯れ木の体から無数の根を伸ばし、ドームの内部に張り巡らされた大樹の根に絡みついた。そして、その根を通じて、大樹の生命力を吸い上げ始めたのだ。メルリウスの術は、竜を封印するために大樹の生命力を使っている。だが、竜はその術を逆手に取り、大樹の生命力を自らの栄養として奪い、力を増していく。
メルリウスは、そのジレンマに気づいた。「こちらが動けば動くほど、竜は栄養を増す」彼は、その冷徹な事実に気づき、静かに、しかし、はっきりと告げた。「竜には急所がない」「攻撃は足止めにしかならない」彼の言葉は、一同に「倒せない」という現実を突きつけた。
メルリウスは、杖を構え直す。この巨大なドームそのものが、彼らの戦場であり、同時に、彼らの命を繋ぐ命綱だった。彼が封印を維持し続ける限り、都市は守られる。だが、その内部は、竜の存在によって、徐々に、しかし確実に、死の空間へと変質し始めているのだ。
「…この封印を内側から維持する」
メルリウスが、杖を構え直す。彼が大樹の力を補助し、この巨大なドームを維持し続ける限り、都市は守られる。だが、その維持のためには、常に竜の脅威に晒され続けなければならない。それは、終わりのない、絶望的な籠城戦の始まりを意味していた。
その張り詰めた空気を、壁や天井から無数の単眼で虎視眈々と見つめる絹縛が、新たな糸を一本、フィルたちの足元へとそっと垂らした。それは、ただの糸ではない。この戦場を縦横無尽に駆け抜けるための、絹縛が彼らのために用意した、唯一の道標だった。
フィルは、その糸を掴むと、静かに、しかし、確かな決意を込めて、そう呟いた。討伐ではない。勝利でもない。ただ、仲間たちを、そして、この街を、守るために。
酸素がさらに薄まり、ドームの内部は窒息寸前の状態になっていた。フィルは、もはやまともに立つこともできず、膝をついた。木刀を握る手は震え、視界は真っ暗になりそうだった。意識を保とうと歯を食いしばるが、その力すらも続かない。彼の体は、限界を超えていた。
その横で、アロンソはかろうじて立ち続けていた。彼は、その巨体ゆえに酸素消費が激しく、呼吸はもはや絶叫に近かった。だが、彼は諦めなかった。その拳を固め、竜の一撃を受け止めようとする。彼の目に映るのは、自分を庇おうとして、糸を操り続ける絹縛の姿。絹縛もまた、酸素不足で糸の精度が落ち始め、竜の一撃を糸ごと弾かれ、吹き飛ばされかけていた。
「ぐっ、くそっ、体が……!」
フィルは、もはや声にならない声で叫んだ。彼は、仲間が目の前で窮地に陥っているのに、何もできない自分自身に、深い無力感を感じていた。戦況は完全に不利。彼らの絶望的な籠城戦は敗北ならば即座に終われる状態になった。
メルリウスは、杖を握ったまま、竜と、そして仲間たちを交互に見つめていた。その表情には、悲壮感も、絶望もなかった。ただ、全てを受け入れた者の静かな覚悟が宿っていた。酸素が薄まり、フィルは膝をつき、アロンソは荒い呼吸を繰り返す。絹縛の糸も、もはや竜の一撃を防ぐことはできなくなっていた。戦況は、完全に不利。彼らの絶望的な籠城戦は、今、まさに終わろうとしていた。
メルリウスは、静かに、そしてゆっくりと剣を収めた。
「俺の剣はここまでだ」
彼の声は、張り詰めた空気の中で響き渡る。フィルは、その言葉に、絶望的な顔でメルリウスを見つめた。だが、メルリウスは、その視線に気づかぬふりをして、言葉を続けた。
「だが、俺の体はまだ使える」
その言葉は、フィルやアロンソ、そして絹縛の胸に、一筋の希望の光を灯した。メルリウスは、自らの命を犠牲にして、この封印を強化する覚悟を示したのだ。フィルは、その決断に、呼吸困難で声にならない悲鳴を上げた。彼は、師が自分のために犠牲になろうとしていることを理解していた。だが、彼は、その悲鳴を、言葉にすることはできなかった。
メルリウスは、静かに、そして、しかし、強い意志を込めて、杖を握りしめた。彼の瞳には、もう迷いはなかった。彼は、この街を守るために、自らの命を差し出すことを決意したのだった。
メルリウスは、迷うことなく杖を大地へと突き立てた。彼の顔には、もはや感情はなかった。ただ、この街を守るという、静かで、そして絶対的な意志が宿っていた。
「犠牲でしかこの封印は成り立たん」
その言葉が、フィルやアロンソの耳に届いた、その瞬間だった。メルリウスの身体が、音もなく、大樹と融合し始めたのだ。彼の足元から、木の根が這い上がり、その体は、まるで樹皮のように硬質化していく。緑色の光が、彼の身体から溢れ出し、大樹の幹へと流れ込んでいく。それは、自らの命を、大樹に捧げるための、神聖な儀式だった。
フィルは、その光景に、呼吸困難で声にならない悲鳴を上げた。彼は、師が自分のために、そしてこの街を守るために、自らの命を犠牲にしていることを理解していた。だが、彼は、その悲鳴を、言葉にすることはできなかった。
メルリウスの身体が大樹と融合していくにつれて、ドームの内部は、さらに暗くなり、さらに酸素が薄くなっていく。竜の動きが、一時的に鈍り、空間全体が締め付けられる。しかし、それは、彼らが生き残るための希望ではない。ただ、彼らの戦いを、さらに過酷なものへと変えるための、始まりに過ぎなかった。
メルリウスは、最後に、その瞳をフィルに向けた。彼の瞳には、悲しみも、後悔もなかった。ただ、弟子に全てを託す、師としての、静かな誇りだけが宿っていた。
「……あとは、お前たちに任せる」
その言葉が、木の葉のざわめきに変わった時、メルリウスの姿は、完全に大樹の中に消え去っていた。彼の犠牲によって、封印は強化された。だが、彼らの戦いは、これからが本番だった。
メルリウスの身体が大樹に同化した。その瞬間、ドームの内部に満ちていた空気が一変する。枝や根がうねり絡み合い竜を締め付けた。その力は凄まじく竜の巨体が軋む音が響く。一瞬は押し潰されるかのように見えた。だがその代償は大きかった。ドームの内部は光を失い完全な闇に包まれる。酸素不足が加速した。フィルとアロンソは荒い呼吸を繰り返す。肺が焼けるように熱い。意識が霞み始める。彼らは師の犠牲がもたらした封印の強化と同時にその代償の重さもまた全身で感じていた。
メルリウスの同化によって強化された大樹は、竜を押し潰すかのように絡みついた。枝や根が、その枯れ木の身体を締め付け、竜の巨体が軋む音が響く。しかし、それは一時的なものだった。竜は柔軟な茎の構造を活かし、潰された部分から再生し、硬い皮と柔らかい茎の二重性で、圧殺を逃れてなお蠢き続ける。その姿は、まるで何事もなかったかのように、再びその力を増し始めていた。
「永遠に終わらん……」
フィルは、その絶望的な光景に、膝をつきそうになる。メルリウスの犠牲ですら、この化け物を倒すことはできない。枝の一振りが、ドーム内部全体を揺るがし、絹縛が張り巡らせた糸も弾け飛ぶ。彼らの戦いは、もはや竜を封じるためのものではない。ただ、時間稼ぎをするだけの、終わりのない消耗戦へと変質していた。
メルリウスの同化で強化された大樹は、竜を押し潰すかのように絡みついた。枝や根がその枯れ木の身体を締め付け、竜の巨体が軋む音が響く。だがそれは一時的なものだった。竜は柔軟な茎の構造を活かし潰された部分から再生し、硬い皮と柔らかい茎の二重性で圧殺を逃れなお蠢き続ける。その姿はまるで何事もなかったかのように再びその力を増し始めていた。
フィルは絶望的な光景に苦悶した。メルリウスの犠牲ですらこの化け物を倒すことはできない。枝の一振りがドーム全体を揺るがし、絹縛が張り巡らせた糸も弾け飛ぶ。彼らの戦いはもはや竜を封じるためのものではない。ただ時間稼ぎをするだけの終わりのない消耗戦へと変質していた。
枯れ枝の竜が放つ一撃で、ドーム全体が悲鳴のように軋んだ。フィルは、その身を揺らしながら、荒い呼吸を繰り返す。メルリウスの犠牲ですら、この化け物を倒すことはできない。枝の一振りが、絹縛が張り巡らせた糸を弾け飛ばし、彼らの戦いは、もはや竜を封じるためのものではない。ただ、時間稼ぎをするだけの、終わりのない消耗戦へと変質していた。
「永遠に終わらん……」
フィルは、その絶望的な光景に、膝をつきそうになる。その時、アロンソが、竜を力押しで弾き飛ばし、荒い息でフィルに語りかけた。
「お前の弱点を突く一撃は奴には効かん」
彼の声は、張り詰めた空気の中で響き渡る。
「それは“倒す”ことを目的にした場合だ」
アロンソは、竜に背を向け、フィルをまっすぐに見つめた。彼の瞳には、悲壮感も、絶望もなかった。ただ、全てを受け入れた者の静かな覚悟が宿っていた。
「だが俺たちが欲しいのは討伐じゃない。“封じる”ことだ」
アロンソは、自らの拳を固め、言葉を続けた。彼の脳裏には、ラヴェルの盾を吹き飛ばした、竜の圧倒的な力が焼き付いていた。力でねじ伏せようとすれば、逆にその力に飲み込まれる。それは、彼のような力自慢の戦士にとって、最も受け入れたくない現実だった。
「突破口は俺に任せろ。そして──奴の骨を抉り出せ。茎の柔らかさを斬れるのは、お前だけだ!」
アロンソの言葉は、フィルに新たな使命を託した。彼は、自分の技が「倒す」ではなく「封じる」ために意味を持つと悟った。それは、彼がただの怪物ではなく、仲間を守るために戦う主人公であることを強く印象づける言葉だった。
フィルは、アロンソの言葉に、静かに、しかし、確かな決意を込めて、木刀を握りしめた。彼の瞳には、もう迷いはなかった。彼は、師の犠牲を無駄にしないため、そして、この街を守るために、新たな戦術を考える。
アロンソの言葉が、フィルの心を揺さぶった。倒すためではない。封じる。その言葉が、彼に新たな光を与えた。酸素不足に苦しみながらも、彼は木刀を構え直した。
「俺の斬撃は、倒すためじゃない。動きを縛るために振るうんだ」
その決意を、絹縛が感じ取った。彼は、新たな糸を張り、フィルのための足場を作った。その糸は、ただの命綱ではない。フィルの斬撃の軌道を計算し、竜の動きを封じるための、完璧な足場だった。
フィルは、その足場を蹴り、竜へと向かって跳んだ。彼の斬撃は、竜の硬い外殻を狙うのではなく、柔らかい茎の部分を狙う。その斬撃は、竜の体を貫くことはなかったが、その動きを一時的に止めることに成功する。
「これで、終わりじゃない」
フィルは、その言葉を心の奥で噛みしめた。彼らの戦いは、まだ終わっていない。
フィルは木刀を振り抜き、竜の茎を深く裂いた。内部の柔らかさが抵抗を吸い込み、切断には至らない。それでも刃が留めたその一瞬を、アロンソは見逃さなかった。巨体を沈み込ませ、全身の力を拳に集める。骨が軋み、筋肉が弾ける。解き放たれた一撃は雷鳴のように竜の枝を叩き砕き、衝撃で空間そのものが揺れる。
その揺れを逃さず、絹縛の糸が奔った。壁や天井を覆っていた銀糸が一斉に収束し、竜の四肢を縫い止める。数えきれぬほどの糸が絡み、もがく肢体を封じ込める。さらに、大樹の枝葉が急成長し、圧力そのものが封印の形を成す。
斬撃、打撃、拘束、そして大樹の成長。四つの力が同じ瞬間に重なり合い、竜の巨体は軋み、ねじれ、押し潰される。悲鳴すらなく、ただ圧と震動が空間を満たした。
しかし沈黙は訪れない。裂けたはずの茎が蠢き、潰された外殻の奥で粘つく体液が音を立てる。砕け散ったはずの竜が、再び姿を繕い始めるのだった。
竜の骨のような構造が軋む音が、暗闇の中に響いていた。押し潰されたはずの巨体はまだ蠢き、潰れた茎から粘ついた体液が音を立てて滴り落ちる。封印は強化され、内部は闇と熱と臭気で満ちていた。呼吸はもはや苦行に等しい。吸っても吸っても肺は満たされず、空気が喉を焼くだけだ。
その時だった。竜の崩れかけた骨の奥に、異質な光が生まれた。灰を反射するように、淡く、しかし確かな熱を帯びて輝いている。フィルの目がそれを捉えた瞬間、手が勝手に伸びていた。掌に触れたそれは、冷たくも熱くもなく、ただ脈動していた。まるで生きた木の心臓を握っているようだった。
「……これは」
フィルが力を込めると、それはするりと抜け出した。剣の形をした実。竜の骸から吐き出された、最後の牙のようなもの。引き抜いた瞬間、内部は閃光に照らされ、濃密な闇が裂ける。光は灰を押し払い、呼吸を一瞬だけ楽にした。
「ルナリア──」
名を与えられたその剣は、まさしく夜を照らす光のように輝いた。
フィルはその光を見つめ、もう片方の手に握っていた旧き木刀を見下ろした。植物たちの防衛本能が凝縮された、これまで共に戦ってきた象徴。彼は深く息を吸い、隣に立つ男へと差し出す。
「俺には、もうこの剣しかない。……木刀は、あなたに」
アロンソは驚いたように目を見開き、それを受け取った。掌に伝わるのは木の脈動。彼は頷き、低く言葉を返す。フィルはメルリウスの杖を千切り、拾い上げる。
「任せろ。俺の拳と共に、この街を守り抜こう」
二人の役割が、この瞬間に分かれた。
だが沈黙は訪れなかった。潰されたはずの竜の茎がずるりと音を立て、再び持ち上がる。粘液に濡れた残骸が蠢き、闇の中で再生を始める。終わっていない。竜はまだ生きている。
「……ここで止めるしかない」
フィルはルナリアを振りかぶり、次の瞬間、外に向かって全力で投げ放った。光を帯びた刃が枝葉を突き破り、封印の壁に一瞬の穴を穿つ。そこから流れ込む外の空気が、荒く喘ぐ彼らの肺を満たした。わずかな救い。しかし穴はすぐに塞がり、闇と熱が再び押し寄せる。
だがその一瞬が、彼らを繋いだ。
一度の光で全て覚えた、動けない竜相手ならばこれでも十分だ。
リミナたちが見上げた都市の空は、枝葉と蔦に覆われていた。封印は内と外を同時に呑み込み、もはや街全体を巨大な牢獄に変えていた。その中で、ひと筋の閃光が枝を突き破り、夜空を照らした。だがそれはすぐに塞がれ、再び緑の牢獄が閉じる。
「今の……フィル?」
リミナの声は震えていた。その周囲には、地獄絵図が広がっている。葉や枝が外へも暴れ出し、敵味方を問わず、兵も海賊も、名もない者たちはほとんど壊滅していた。城壁外は炎と血と屍で埋め尽くされ、息のあるものはわずか。
彼女の隣でスレアが呻くように言う。
「外も……封印の一部に飲み込まれてる……」
リミナはただ、閉じた枝葉の奥を見つめるしかなかった。
その向こうで、まだ戦いは続いている。