第9話 『無能なる後継者』
……実力もなく人望もない、名門を潰すだろう次期当主。
氷邑梅雪への評価はそういうものだった。
だが、それなら──
目の前で起きていることはいったい、なんなのだろう?
「降参したければいつでも地面に額をつけて『梅雪様、雑魚の分際で逆らって申し訳ありませんでした。見る目のないわたくしが間違っておりました。以降は永遠の忠誠を誓い、決して逆らいません』と言っていいぞ! それとも山猿どもには難しいかァ!?」
金属交じりの竜巻が、梅雪を中心に吹き荒れている。
騎兵、すなわち騎乗兵器乗りというのは、その圧倒的重量も武器の一つだ。
それが、梅雪の起こす道術の風に乗せられて木の葉のように舞っている姿は悪夢のようだ。
相性的にもありえない。
この世界はゲームとよく似ているが、ここで生まれ育った人たちにとっては、もちろん、ゲームではない。
それでも相性というのは分かる。
道術士が起こすのは神威を使った物理現象なのだ。
そしてその威力は、剣士の一撃より強いことはありえない。
剣士は神威を用いて身体や装備を強化し、強力な物理現象を起こす。
道術士は神威を用いて自分の体の外の物理法則に干渉し、氷の槍を振らせたり、炎を放ったりという物理現象を起こす。
神威に対する干渉力で道術士は剣士の身体強化をぶち抜くことも不可能ではないが、騎兵というのの防御力も重量も、神威とは全く関係ない、純然たる物質的防御力であり重量である。
ゆえに、道術士は騎兵に勝てない。神威がかかわらない純然たる金属塊をぶち抜く威力の道術などありえないからだ。
だが、分厚い物理装甲をまとっているはずの、重量もかなりのものであるはずの騎兵たちが、木の葉のように舞わされている目の前の現象は何なのか?
そもそも……なぜ、竜巻が起こる?
道術士は世界を木火土金水の五行で捉えているはず。その中に風なんていう属性はない。
何が起こっているのか、分からない。
部下たちがものの数にもならず、弄ばれている。
この圧倒的な力の差は、いったい、何なのか?
……彼女は機工絡繰に搭乗している時は男勝りで強気──というよりも、阿修羅は少年だが、搭乗しているアシュリーは、気が弱く、ネガティブな、まだまだ幼い女の子なのだ。
だから、彼女は判断を誤った。
阿修羅──アシュリーは、その才覚においてクサナギ大陸有数。
幼いころから機械に親しみ、部品や機体の望む通りの運用を無意識のうちに出来てしまう天才メカニックである。
その天才性と、阿修羅という機体の圧倒的な丈夫さがあれば、大抵の相手には勝利出来る。
だが、当たり前の話として、『逃れようもない範囲で吹き荒れる、体が飛ばされて移動もままならないような大嵐』には対応出来ない。
相手が人であればどうにでもなるが、今の氷邑梅雪、人というよりは自然災害である。
……また、梅雪は相手が集団であればあるほど強くなるという性質もある。これに集団で挑みかかるのは、判断ミスであった。とはいえ、その事実をアシュリーは知りようもないのだが。
ここでアシュリーの脳裏には、二つの選択肢がよぎった。
一つ──このまま徹底抗戦を続けるという選択肢。
その後逃走を選ぶか、それとも相手を倒すために死力を尽くすかはまた考える必要があるが、こちらの選択は『とにかく梅雪に降参しない』というものだ。
忍軍たちが吹き飛ばされ、風に巻かれ、相手にもなっていないこの状況で徹底抗戦は愚か者の選択かもしれない。
だが、氷邑梅雪という人間の性質を信用出来ないならば、降参は『死』を選ぶのと同義である。……いや、『死』より酷い末路が待っているかもしれない。口では『謝れば許してやる』みたいなことを言っているが、そもそも『あの梅雪』だ。信用するのは難しい。
ではもう一つの選択肢、『謝る』はどうか?
氷邑梅雪は──信用していい相手か?
「……ううう」
風に巻かれ、吹き飛ばされ、頭部ハッチが開いたことにより、アシュリーは機工甲冑『阿修羅』から投げ出されていた。
天狗である。
その容姿は金髪碧眼。耳がとがっており、まだまだ幼いながらも、美しい容姿をしている。
着ているものは体に貼りつくようなパイロットスーツ。
騎兵乗り。とはいえ騎兵はつまり『物体に神威を通すことに適性のある兵科』であるので、そこらに落ちている機工忍軍たちの機工の残骸があれば、ここからでも戦えなくはない。
戦えなくはないが、戦っていいのか、謝っていいのかが、分からない。
何せ、アシュリーの双肩に乗っているのは、忍軍の未来なのだから。
ここでの、頭領としての自分の選択が、忍軍の人たちの生き死にを決めるのだから。
「ううう……!」
幼い顔に土をこびりつかせ、立ち上がることも出来ないまま、アシュリーは目に涙をためて考える。
信用出来るか、出来ないか。
(絶対に出来ない。酷いことされる。あの人は怖い人だから……!)
アシュリーはメカニックとしての才覚において、同世代どころか、現在クサナギ大陸に存在するあらゆる人物の中でも抜きんでている。
氷邑家が安泰ならば、それだけでよかった。忍軍頭領とはいえ実際の隠密働きは忍軍の人たちがやってくれる。アシュリーは彼らの機工甲冑を整備し、彼らに十全以上のパフォーマンスを与えるだけでよかった。それで充分だった。
だが、状況が変わり、『頭』としての決断が求められている。
アシュリーはまだ十歳にも満たない少女だ。
人生経験は多くない。お勉強は嫌いだし、礼儀作法とかもよく分かっていない。
ただ、命が大事なことは分かる。
大事なことは分かる、から。
「うう……!」
ぼろぼろ泣きながら、うなっている。
うなることしか、出来ない。
まだ幼い女の子には、余りにも重い決断をしなければいけない状況に置かれている。
でも。
「はははははは! そうであった、貴様らは山猿であったことをすっかり失念していた!」
梅雪が楽し気に声を発する。
美しい顔立ちをした少年のはずなのに、その目がやけに爛々と輝いていて、恐ろしい。
恐ろしい少年は、語る。
「貴様らの装備、貴様らの機体、人材育成費用。全て全て、氷邑家が出したもの! それを貴様らは持ち逃げし出奔した訳だが──」
そこを突かれるとアシュリーとしてはかなり嫌な感じだった。
機工甲冑阿修羅に搭乗している時は『阿修羅の人格』でものを考える。だから『持ち逃げされる方が悪いんだろ』などという思考に共感出来る。
だがアシュリーの倫理観はどちらかと言えば現代日本寄りだ。それは彼女が幼いころから、優しい氷邑家当主、自分をちやほやしてくれる忍軍たち、孫のように可愛がってくれる前頭領に囲まれて育っていたからだ。
その倫理観でいくと、盗んだのが悪いことというのは分かるので、もうなんか、ごめんなさいという気持ちでいっぱいだった。
「──人の物を盗んだ時に真っ先にしなければならんことがある。先ほどは分かりにくかったようなので、はっきりと、優しく、教えてやろう。『人の物を盗んだら、ごめんなさい』だろう?」
それは、確かに、『そう』過ぎた。
そしてアシュリーは気付くのだ。
(……あれ、なんか、あの人……当たり前のことしか言ってない?)
そう、氷邑梅雪──
態度がいちいち悪役高笑いをしたり、口調が傲慢で高圧的だったりするのだが……
言っていることは、かなりまともだった。
アシュリーは混乱してきた。
なぜって、アシュリーは確かに知っている。煽りとは到底思えないことを煽りと受け取ってキレ散らかす梅雪。何にもしてないのになんだか当たり屋的に難癖をつけられて梅雪によって屋敷から追い出された人。何よりあの恐ろしい剣幕。
だが……
(……戦っても勝てない。でも)
でも。
ここで、今のこの、竜巻に弄ばれることしか出来ない状態から生き残るためには──
──謝罪という方法が、最善なのではないか?
もしかしたら梅雪は分かりにくいだけで、かなりまともな理由で怒るタイプの人なのではないか?
……そう閃いたのは、アシュリーの優れた直感ゆえか。それとも、今この状況を打開する方法が余りにも思いつかず、なおかつ忍軍の人たちの人生が双肩に乗っているという八歳児には重過ぎるプレッシャーを与えられ続けて、ついつい見えた蜘蛛の糸に飛びついてしまったというだけなのか。
ともかく、行動は決まった。
アシュリーは、大きな声を出す。
「ごっ、ごめんなさい!」
嵐が、ピタリと止まった。
ドサドサと風に巻かれて宙を舞っていた忍軍たちが地面に落ちていく。
氷邑梅雪が顎を上げ、ニヤつき、アシュリーを見ている。
(絶対悪い人の顔だよ……)
早まったかなと思う。
だが、今さら、ここからどうしたらいいかも分からない。
アシュリーは、考えて、考えて、次にどうしたらいいか、最善の行動を探した。
そして、思い出す。
──這いつくばって許しを乞え、三下どもォ!
氷邑梅雪はそう言っていた。
だからアシュリーは……
這いつくばった。
両手と両膝と、それに額まで、山の柔らかい土の上につけて、這いつくばった。
すでに地面しか見えていないアシュリーには分からぬことであるが、その瞬間、忍軍どもがざわめき、梅雪がとても嬉しそうな顔をした。
そう、氷邑梅雪──
人に土下座をさせるのが、とても好きだった。
「それで?」
声に笑いが混じらないように、梅雪が発言する。
アシュリーは困った。『それで?』と言われても、ここからどうしたらいいか分からない。
機工甲冑に乗り込んでいない時のアシュリーのおつむは年齢相応の女児なのだ。この年齢で『土下座の先』の行為を想像しろと言われても、全然分からない。まだ歯も生え変わっていないお子様には難しい。
しかし彼女はよくしてくれた忍軍のみんなの命がかかっているので、一生懸命考える。
「わ、わたしは……えっと……」
「……」
「何でも、しますから、許してください」
「うーん……」
「……」
「まぁ、山猿の頭ではその程度が限界か」
土を踏む足音が近づいてくる。
梅雪が、アシュリーのすぐそばに来て、しゃがみこんだ。
「『何でもする』。その言葉に相違ないな?」
「はい……」
発言一つごとに『早まったかも』という思いがアシュリーの胸中に湧く。
梅雪はアシュリーの肩を叩き、
「であれば三つ、貴様に命じる。一つ、二度とこの俺を裏切るな」
「はい……」
「一つ、土下座の仕方を教えてやるので、覚えるように」
「は、はい……?」
「そして最後の一つ。……お前はもう、この俺のモノだ。ゆめゆめ、他の男にとられぬよう」
「…………………………はい? え?」
梅雪的には、アシュリーが剣桜鬼譚本編で『主人公』にとられることを知っているので、そうならないように釘を刺しただけだった。
だがそれは、『剣桜鬼譚』というこの世界を俯瞰するようなゲームを知らない者からすれば……
(お嫁さん……ってこと!?)
極限のストレスのあとの特大のびっくりは、疲れた脳にとてもキマる。
アシュリーが顔を上げた時、すでに梅雪は背中を向けていた。その様子はもう、『騙されたな氷邑梅雪、死ねェ!』みたいな騙し討ちが来ないことを信じ切っている様子だった。
「……ご主人様」
アシュリーの中で『物語』が組みあがる。
それは氷邑梅雪がここまで追いかけて来て、あのキレ易いお子様代表みたいな梅雪が自分たちを単純に『処刑』するのではなく、こうして回りくどくも許した理由を補完する物語。
つまり──
(これって……結婚を申し込むために追いかけてきた……ってこと!?)
アシュリーは『正解』に辿り着く。
もっともその『正解』は──
氷邑梅雪の『真実』とは、ほんのちょっとばかり、違っていたのだけれど。