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第84話 『酒呑童子』討伐・海の陣 四

 氷邑(ひむら)梅雪(ばいせつ)は、唯一命令しなかった者に、告げる。


「ウメ、貴様には俺の左側を任す」


 言葉のうまくない少女は、ただ無表情でうなずいた。

 しかし、その首肯には、万感の想いが込められている。


 貴人の左側を任せられるというのが、どういうことか?


 貴人とは大抵、剣を帯びている。

 そしてクサナギ大陸においても、多くの者は右利きだ。梅雪もまた、右利きである。

 つまり腰の左側に鞘を帯びる。


 こうするとどういうことが起きるかと言えば、不意の襲撃の際に左側への対応がしにくい。


 街歩きの護衛などが護衛対象の左斜め後ろに立つのもそういった理由だ。

 襲撃者が不意の襲撃で対応しにくい左側を狙って斬りかかろうとした時には、その身を盾にして主人を守りやすい位置。それが『左を任せる』ということであった。


 さらに言えば、左側からの不意の襲撃に対応しにくいために、左に置くということは、すなわち、己の左に置く者には全幅の信頼をおくという意味でもある。


 ゆえにウメはその命令の重大さ、自分に向けられる信頼に応じるべく、いっそうの気合を入れたのだ。


 ──触腕が迫る。


 剣士の上半身を削り取る触腕。受けることなど馬鹿らしい、この世ならざる威力のそれを、梅雪は切り裂くことができる。


 それは彼の剣にもまた、神の力が宿っているからだ。


 シナツの加護──


 梅雪が指揮権を『彦一越し』ではなく『自分』に集めたのも、この神の力が理由であった。


 シナツの加護は本来、自軍の速度を倍化させ、自軍の攻撃に神霊属性(風)を加えるというものである。


 ゆえに、触腕に問答無用で殺されぬため、そして何より、迅速に大辺(おおべ)がいるであろう『酒呑童子(しゅてんどうじ)』根城に向かうため、軍を支配下に置いておく必要があった。


 ゆえに梅雪の統率下に入った七星家家臣団、疾風のような速度で山を駆け抜ける。


 それは『神の加護に守られぬ者を、剣士であろうがなんであろうが絶対に削り取る』という殺意を込めて放たれた触腕を、速度で振り切るほどであった。



 ……世の中にはいくつもの『理不尽』が存在する。


 同じことをしているのに、評価される者とされない者が出る。

 同じ修練を積んでも、芽が出るのが早い者・遅い者……時には芽が出ない者さえも存在する。


 そういった他者との差異は、多くの場合、努力の仕方、やり方の細かいところが違っているものではあろう。

 だが、中には『ほぼ十割の者が絶対にこうなる』という状況で、『ほぼ』の中に含まれない望外の幸運に恵まれる者も存在した。


 ようするに。


 大辺は、『ほぼ』の中に含まれない幸運の持ち主であった。


「忌々しい」


 必ず代償を支払うと言われていた、神の棲まう場所の欠片。海底にありその時が来れば浮上すると言われている、神の住居の欠片。

 それを(よすが)として呼び出した、『神の口(ひげ)』。その顎に生えていると言われる触腕。


 神の力を借り受ける、神の試練に打ち克って加護を頂戴する──そのどちらでもなく、呼んで、来てもらうというのは、ヒトの身には許されぬことのはずだった。


 正気を失うだけではない。もっともっと他にも代償を差し出さねばならない。それこそ命程度では到底足りない。そういうものの、はずだった。


 だが、大辺、これをすべて踏み倒す幸運(クリティカル)に恵まれた。


 正気を失わない。代償を支払わない。

 それゆえに、大辺は確信する。


(神に愛され、神の威を操るこの私の思い通りにならない、忌々しい羽虫……氷邑。まだ抵抗するというのは見事と言って差し上げましょうか。まあ、勝つのはわたくしですが)


 なんの代償も支払わず神の一部を呼び出し、使役したという事実は、大辺から氷邑やイバラキに対する畏れをすっかり取り去っていた。

 それどころか、勝利を確信している。


 神の触腕は確かにそれほどのものである。だが、大辺本人は剣士に斬りかかられればそれで死ぬぐらいの弱者である。

 そして何より、彼女の本性は臆病な小物である。


 だが、すでに勝利を確信している。

 それは神の力に溺れてのこと──というのとは、少しばかり違う。


 これだけの幸運に恵まれた自分が負けるわけがないという……言ってしまえば主人公症候群ヒロイックシンドロームに罹患していると、そういうことが、彼女の精神に起こっていた。


 ゆえに、必ず勝つ大辺は、相手をどう殺そうかを考え始める。


(氷邑の目の前で愛玩している獣人を犯すのは手始めにやるとして、生きたまま四肢をもぐ……舌を抜く……そして、四肢と舌を失った体で、氷邑家の滅亡を見せてやるとしましょうか。この私に一瞬でも恐怖を感じさせた罪、死でもまだ足りませんからね)


 大辺は臆病な小物である。

 そして、根に持つ性格でもあった。


 自分に恐怖や屈辱や怒りを味わわせた者を決して許しはしない。

 たとえば、道ですれ違った者に、軽く肩をぶつけられた。相手は謝りもせず去って行った。

 するとその場では何も言わないが、のちほど住所を確定させたのち、目の前で家族を凌辱しながら殺し、最後にそいつも殺す。そういう報復を適切と判断する。そういった人物である。


 ゆえに、自分に一瞬でも敗北をよぎらせた氷邑を絶対に許さない。殺すだけで飽き足るはずもなく、それ以上の罰を大辺は考え始める。


 ……皮肉にも。

 梅雪にとって同様、大辺にとっても、氷邑家というのは『親しい人の仇』でしかなかった。

 大辺の所属する海神の信者たちという組織をほぼ滅亡させたのが氷邑家の、現当主の父親にあたる。所属組織をほぼ壊滅させられたせいで南に逃げる羽目にはなったが、直接的な憎悪を抱くというのは、身勝手で他者愛のない大辺のような者には難しかった。


 だが、この山に侵入している氷邑が、大辺に恐怖を感じさせた。


 よって、梅雪にとってそうであるように、大辺にとっても、この山での出来事を経ることによって、初めて氷邑家が『殺意を向ける相手』になったのである。


 そして、すでに勝った気である大辺は、殺意を向ける相手である氷邑家の連中が、神の触腕をいなしながらどんどん接近してくる事実に対し、こう思う。


「早く死ねよ。本当にうざったい連中ですねぇ。はぁ、まったく、仕方ない」


 見下し切ったため息をつき、大辺は再び詠唱を開始する。


 代償なしで神の玉体(ぎょくたい)の一部を呼び出すに至った大辺は、もはやさらに神の一部を呼び出すことへの恐怖はなかった。


 彼女は『たまたま幸運(クリティカル)に恵まれた』とは思わない。『自分は神に愛されているから、代償なしでいくらでも神がその力を貸す、特別な存在なのだ』という確信を抱いていた。


 もちろん根拠のない思い込みであるが……


 思い込みによって、ブレーキは取り払われている。


「カミの口髭を前に生き延びたのは見事、ええ、見事ですとも。非常にうざったい羽虫どもが。あーあ、大人しく死んでおけばよかったものを。変に生き延びたせいで、お前たちはさらなるカミの()を知ることになるのです」


 ごぼごぼと鈴を鳴らし、新たなるものを招来する。

 口髭に続いて呼び出したもの、それは……


「■■■■■の鷲掴み」


 呼び出されたカミの手が、七星家家臣団に襲い掛かる。

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