第7話 元・氷邑忍軍頭領〝阿修羅〟
不気味に尾を曳く、ゴーグルの赤い光。
そこらに勾配や木々のある山中でうごめくは、機工の甲冑を身に着けた忍軍。
氷邑機工忍軍は『戦う者』ではない。その主な活動は諜報である。時代によっては暗殺といったことも出来るのだろうが、現在のクサナギ大陸、帝のおわす帝内地域において戦乱は遠く、この地に集う帝家や御三家は争いや暗殺といった血なまぐさい行為とは長らく無縁であった。
だがしかし、それは、その地域で住まう者に戦う力がないことを意味しない。
氷邑梅雪は、木々の中でうごめく機工忍軍を観察する。
(なかなか、良い)
ブシューブシューといちいち蒸気を噴き出しながら減圧をする甲冑を身に着けたサイバーな連中を見た時には、『こんな連中に本当に隠密なんか出来るのか』と不安になったものの、こうして戦いになってみると、音もなく、気配もなかった。
少なくとも今の梅雪では、連中の位置を正確に掴む方法がない。
それに加えて、
「発気用意──」
全高三メートル、太い腕を備え、ずんぐりむっくりした体を持つ、忍軍頭領機阿修羅。
どう見ても隠密に向かなさそうなこの忍軍頭領、端から隠密能力を活かして戦うつもりはないらしい。
『仕切り』の体勢になると、
「──のこったァ!」
軽く地面に両腕をつけたあと、猛然と突撃してくる。
忍者、という属性からはおおよそ想像もつかない相撲スタイル。そういえばゲーム内でも阿修羅は仕切りの体勢からキャタピラで移動し、接敵すると張り手乱舞というグラフィックで戦っていたなと思い出す。
その動きはゲーム上で見れば、阿修羅がまんまるのシルエットであることもあって愛嬌があったが……
全高三メートル、横幅一メートル以上、太く長い腕を持った、黒光りする金属の塊が突っ込んでくる。
その迫力、身が竦むほどである。
あんなものにぶつかれば、その結果は交通事故も同然。梅雪の貧弱な肉体では耐えきれない。
死ぬ、かもしれない。
その状況になって、梅雪は笑っていた。
もしかすれば、極限の緊張と、目の前に確かに迫る『死』の気配が、頬をヒクつかせただけかもしれなかった。
だが、よくよく己の内面を観察すると、この笑みが確かに心の底からのものであるのが分かる。
(『死』と無縁の暮らしをしてきた)
もちろん『中の人』の記憶でも、殺し合いだの、一方的に殺されそうになったりだの、そういう思い出はない。
だが、戦国時代をモチーフにしたこのクサナギ大陸。そこで歴史ある大名家の嫡男として生を受けた梅雪自身もまた、死を覚悟するような経験は皆無だった。
大事にされていた。
自らも、危険や苦労から遠ざかっていた。
傷つくのも頑張るのも馬鹿馬鹿しいと思っていた。生まれつき求められる才能が備わっていなくて、けれど、大抵はどうにかなるだけの才能はあった。この自分が努力したって上へはいけない──剣士にはなれないし、道術士としては生まれ持ったものだけで充分に優れている。だから『このまま』でいい。そう思っていた。そう思って、危険や苦労を避け続けていた。
全部、言い訳だった。
「惜しい、惜しいなァ。もっと早くに『実戦』を経験していれば、俺は『こう』はならなかっただろうよ」
迫り来る阿修羅を前に、梅雪は剣を構える。
身体能力を強化出来ない、道術士。
猛烈な勢いで迫りくる金属塊──騎兵。
だが、回避は出来るのだ。
今の梅雪には、ゲーム知識を活かして獲得したものがある。
それすなわち『シナツの加護』というスキル。
クサナギ大陸にはいくつかの迷宮と呼ばれる場所があり、これの最奥まで行くと、その迷宮に住まう神の加護をスキルとして授かることが出来る。
道術士の属性は木火土金水。『風』は存在しない。だが梅雪が己の周囲に金属礫のある嵐をまとうことが出来ているのは、氷邑領に隠されたシナツと呼ばれる風の神性の迷宮を乗り越え、シナツの加護というスキルを得たからであった。
このスキルを得ることで、神霊属性(風)の攻撃が通常攻撃に付随し、部隊の行動スピードが倍になる。
アニメーションで戦闘が進むゲームである剣桜鬼譚において、『行動スピードが倍になる』というスキルはずっと腐ることがない。また、今の梅雪が独力でサクッと攻略出来てしまったところからも分かるように、シナツの迷宮もまた、主人公へのチュートリアル。
神の加護スキルと迷宮攻略のやり方を説明し、主人公にずっと使えるスキルを与えるための存在であった。
主人公に奪われる神。
ならば、奪わない理由はない。
そうして神の加護を備えた梅雪は、速度を手に入れている。
また、道術士としての天才性ゆえに、風を用いて己の体を飛ばすことによるスピードアップ、疑似的なパワーアップなども可能となっている。
……それでも、重量とパワーのある阿修羅を相手に正面からぶつかるのは、全く得策ではない。
そもそも『三竦み』システムにおいてさえ、騎兵は道術士に有利。おまけに阿修羅はゲーム中もっとも耐久力の高い騎兵でもあるのだ。
(だからこそ)
梅雪は、笑う。
『死』が迫っている時間は、本当に長く感じられるものだった。走馬灯、あるいはオーバーレブ現象。確かな命の危機を目の前に、人は時間の流れを遅くし、打開策を考えるために思考速度を速める機能が備わっている。梅雪の脳内で起こっていることはまさしくこれだった。
(だからこそ……)
梅雪は剣を構える。
阿修羅の肥大した腕が突き出され、金属の掌が迫る。
一瞬後には、死ぬ。
(だからこそ!)
──その瞬間。
これまでの人生が脳内を高速で駆け巡り……
一つの『閃き』を梅雪にもたらした。
肉体の動きは、ほぼ自動的だった。意識していない。ただ、脳裏によぎったもの──サボり続けたが確かに見ていた『剣聖』の動き。家で閲覧した様々な勉学資料。隠れて調べていた『剣士になるための方法』。あらゆる『その時は全く実を結ばなかったもの』たちが、一瞬で凝縮し、梅雪を『死』から引っ張り上げる力となる。
梅雪は、阿修羅の掌が剣の切っ先にぶつかった瞬間、動き出していた。
身体も装備も強化出来ない道術士の剣は、巨大質量と速度をぶつけられれば、いかなる業物であろうとも普通に折れる。
だから梅雪、切っ先が阿修羅に触れた瞬間に、刀に風をまとわせる。
……道術士は剣士にはなれない。剣士でなければ、身体や装備を強化出来ない。
だが。
道術を剣にまとわせることが出来るならば、それは……
非力な身でも、鋼を斬り裂く刃になる。
ぎゃりいいいいいいい! と耳をつんざく音がした。
それは、梅雪の刀が……
道術士の刃が、騎兵の鋼鉄の腕を斬り裂いた音だった。
阿修羅と梅雪がすれ違い、同時に互いへと振り返る。
突き出された阿修羅の右掌には鋭い裂傷があった。
梅雪は無傷。刀もまた、折れていない。
このたびの交錯、梅雪の勝利──
だが。
「……ははは。なるほど、これが、今の俺か。……この程度が、今の俺か」
その結果、到底、梅雪が満足するようなものではなかった。
顔を抑えて笑い出す梅雪を、阿修羅はおろか、潜んで襲撃の機会を狙っていた忍軍兵たちさえもが、奇妙なものを見るような視線で見つめる。
梅雪は一頻り笑って、
「まだまだ弱い。俺の剣は、裏切り者一匹、両断出来ん」
風を刀にまとわせ刃とする技法。
剣士のように振る舞う戦い方。
失敗だった。
梅雪の理想では、あのまま、阿修羅を胴体まで斬り込んで両断する予定であった。
しかし実際に出来たのは、掌に裂傷を与えるのみ。
「流石大陸最硬の騎兵──などと褒めてやるのも虚しいだけか。……ああ、本当に、この俺はいまだ、最強にはほど遠いらしい」
「……心が折れたなら、見逃してやってもいいぜ」
阿修羅からの発言には優しさがあった。
だがこの状況で向けられる優しさは、
「『見逃してやってもいい』?」
氷邑梅雪にとって、煽りである。
梅雪は鼻から息を吐きだすように笑い、
「違うな、全く現状を認識出来ておらんよ、山猿。……相変わらず、見逃してやるかどうか、決めるのはこの俺だ」
「全く刃が立ってねぇぞ」
阿修羅は裂傷を受けた掌を握ったり開いたりして、健在をアピールする。
そう、阿修羅は機工甲冑。しかも、内部に搭乗するタイプだ。その全身は金属の塊であり、腕部分は斬られても必要なパーツが稼働する限り問題なく動く。
梅雪は風の刃によって阿修羅の掌を斬ったが、それは、『掌を斬るだけで精一杯』ということを相手に教えてしまったという結果をもたらしたのだ。
全くもって非力だった。
剣では勝てない。
それは、正しい。
しかし氷邑梅雪──
道術士である。
「剣で勝つのは諦めた。貴様らは──」
ゴンッ! と音がして、風が吹く。
……シナツの加護というスキルは、攻撃に神霊属性(風)を加える。
その風は術者の意のままとなり、味方には速度バフを与えるもの。
そして氷邑梅雪は道術士である。それも、ただの道術士ではない。
ただの一人で五千人を蹴散らす、大規模道術を当たり前のように使う、天才道術士である。
「──我が嵐で蹂躙することとする」
梅雪を中心に猛烈な風が吹き荒れる。
その風の中で煌めく物は、もともと梅雪が持つ道術属性から発した金属の礫。
金礫をまとった嵐。その風圧に、山の木々が揺れ、機工をまとった忍軍が吹き飛ぶ。
阿修羅の重々しいボディさえもが風に押されて地面に足を引きずった。
……今の氷邑梅雪に、気配感知は出来ない。
だから、潜む氷邑忍軍を索敵して攻撃を当てることは出来ない。
今の氷邑梅雪の剣では、全力でやっても阿修羅を両断出来ない。
だから剣で戦ってはジリ貧、体力差で敗北するが必定。
ゆえに、
「これよりは、『勝負』より『勝利』にこだわることとする。光栄に思えよ阿修羅。貴様が見下し、貴様が見捨てたこの俺の力を見せてやる。ゆえに──這いつくばって許しを乞え、三下どもォ!」
金属礫が孕んだ嵐で、あたり一面薙ぎ払う。
逃れる場所などどこにもない。
接近する隙などどこにもない。
ただただ圧倒的な神威量を押し付けるだけの戦い。梅雪にとっては美しくも楽しくもない──
──確実に勝利する蹂躙作業が、始まった。