第53話 帝都騒乱・終幕の三
間の話(帝都騒乱・破および幕間二)が投稿作業ミスで一部抜けているため、時間を見つけて差し入れていきます。
よろしくお願いします。
氷邑家秘伝の剣術は『氷邑一刀流』と呼ばれている。
『盾の氷邑』と称される御三家の一つではあるが、そもそも盾は用いない。
御三家の二つ名は役割であって装備品の名称ではないのだ。長刀による堅固な防衛力を持つ、自分と自分の背後にある者を絶対に守る、すなわち盾の役割を持つ剣術こそが、『盾の氷邑』の二つ名を作り上げたものであった。
この剣術流派、実はもともと、槍の流派である。
氷邑家の祖・道雪はもとよりとある寺で修行していた僧侶であり、若きころに寺を抜け出し破戒僧となった男だ。
氷邑家の当主および後継の名が銀雪や梅雪ではなく、銀雪、梅雪という両方音読みの僧侶としての名称なのは、この祖から名を受け継いだことによるものだ。
そして僧侶の基礎教養として、この時代から槍術があった。
破戒僧として暴れまわっていたころの道雪もまた、寺で修めた槍術を使う暴れん坊だったのである。
ところが未熟であった道雪は、帝の祖に槍の柄を掴まれるということで敗北し、帝のお供としてともに旅をすることになってしまった。
祖・道雪も気性としてはかなり荒く、負けず嫌いであったため、帝の祖を倒すために槍から掴まれにくい剣へと装備を変えた。
そして、それまでの槍術を剣術へと再定義した。その結果生まれたのが氷邑流剣術である、長刀を用いた氷邑一刀流である。
その流派は、己の体の前に円錐を形成することを基礎とする。
構えの基本──
左足を少しだけ引いた自然体、柄頭をへその前に置き、切っ先を相手の喉へと向ける。
両腕はゆるく延ばし、切っ先を体からなるべく離した状態で、その切っ先を頂点とした円錐が、底面を己の胴につけるような形であるものとして考える。
前へ突き出した剣を回したり、剣で払ったり、あるいは気勢によって相手をひるませたりして、あらゆる攻撃をこの『円錐』の中に入れず、外に流す。
するとただ前に進むだけで相手の攻撃は体の外側に流れていき、こちらの剣の切っ先が相手の喉に突き刺さる。
すべての技は『円錐』の中に相手の攻撃を入れない理念のもとに形成されている。
ゆえに、理念を体現できればこの剣術を使う者の背後にはどのような攻撃も通らない。
結局、老いて死するまで帝の祖への報復は適わなかった氷邑道雪ではあったが、帝の祖を殺す機会自体は幾度もあったと思われる。
道雪が亡くなったあと当時を知る者から、道雪が口癖のように言っていた言葉として、このようなものが伝わっている。
『貴様を殺すのは、この俺だ。俺以外の手にかかって死ぬなどと、許さんぞ』
それは帝の祖が危機に陥るたび、その命を懸けて帝の祖を守り抜いた道雪がよく言っていた言葉だそうだ。
代々、気性が荒いが奇妙な男が生まれる。
美貌と見事な体格に加え、性質まで受け継ぐ、氷邑家であった。
◆
時を少しさかのぼり、熚永アカリの矢がまさに迫ってきたその瞬間──
氷邑梅雪の体は、自然と動いていた。
彼の脳裏に閃くのは、父に認められ、そして、氷邑家父祖伝来剣術である氷邑一刀流の継承を受けていた日々である。
『いいか梅雪、我々剣士が術理に頼るのは、力押しで倒せない相手と戦う時のみだ。それ以外においては、力押しでやった方が早い』
ゆえに、と。
……その時に父・銀雪の浮かべた笑みの凶悪なこと、凶悪なこと……
『お前が剣術を用いる時、相手は確実にお前を性能で上回っている。正面から受け止められない力、動体視力や反応速度で捉えきれない相手、まともにやっても斬れない者。剣聖シンコウの愛神光流のみならず、わざわざ術理が必要になる相手など、自分より強いに決まっている』
とはいえ愛神光流は、過剰なほどの格上想定ではあるが──と銀雪はつぶやいてから、
『だから梅雪、父の力を逸らしてみなさい』
化け物は言う。
力の制御が苦手ゆえ、常に感情や動きを抑え込んでいる化け物が。
ただ『頭を撫でる』という行為で、生物の頭をもぎってしまう怪力の化け物が。
『構っていると殺しかねない』という理由で、愛息との交流を避け続けていた剣士が──
『多少、本気で行くからね』
──笑顔で、牙を剥く。
氷邑銀雪。
長身だが大柄には見えない。
身体のバランスがあまりにもいいのだ。腕、足、首、どこも体つきから見て適切な太さ・長さである。ゆえに際立たず、遠目に見れば、美貌もあって小柄にさえ見えるかもしれない。
近づかれると見上げるような長身に驚くことだろう。そして、その長身に見合った太さの手足が、平均的な体格の者と比べると太く、しかも鍛え上げられていることに気付けるはずだ。
そして、神威を見る目を養うことに成功した梅雪には、わかる。
銀雪の神威の異常さ。
ただただ広げれば氷邑領全体を包み込むような甚大な量に感じられる。でありながら、ピタリと銀雪の体の周囲を薄く覆う程度しか散逸しておらず、すべて無駄なく強化に回されている。
ゆえにこそ、彼は強すぎるのだ。
神威をこうまであふれさせずにすべて身体強化に回し切れている剣士など、このクサナギ大陸にいったい何名いることか。
祖父に曰く、氷邑家開祖・道雪に及ぶ才能の持ち主。
それが、多少、本気で剣を振るうという。
梅雪はその宣言を聞き──
笑った。
笑うしかなかった、というのはある。
だが、歓喜ももちろん、大いにある。
『お前が弱いから、お前に触れないようにしていた』と言っていた父が、多少とはいえ、力だけとはいえ、本気で相手をしてくれるのだ。
父に認められる。尊敬できる父に。
これに勝る喜びなど、子にあろうか。
ゆえに、梅雪は──
飛んできたアカリの矢を。
その赤熱し熚熚と輝く、鏃だけで大人の頭部ほどもある巨大神威矢を見て、思う。
(なんだこれは)
体が自然に、氷邑一刀流の構えをとり、短い刀身を風で補いながら、
(蒸気塔の壁は、この程度の矢にぶち抜かれるほど脆いのか)
であれば父が軽く剣を振っただけで、蒸気塔など根元から断たれるであろうよ──
高速で飛来する大威力の矢を見て、少しばかりの肩透かし感を覚えつつ、風の切っ先を矢の先端に合わせた。
手首を柔らかく使い、矢を巻き上げる。飛来する矢を、だ。
帝の御所にして内部に迷宮構造を採用した防衛の要たる蒸気塔。その壁面をぶち抜いて飛来した矢をあまりにも柔らかい動作で巻き上げ、軌道を上向きに。
しかしそのままではまだ後ろの夕山や、瀕死のケガを負っている筆頭護衛・ムラクモは耐えきれまい。
そこで梅雪は巻き上げて上を向かせた矢を、さらに刀身で巻き込んで下を向かせ、落とした。
ぼしゅう……という情けない音を立てて、地面に落ちた神威矢が消え去る。
すべてのエネルギーを流された結果、現界を維持できなくなったのだ。
「くだらん攻撃だな」
梅雪は矢が消え去った場所を見下ろし、鼻で笑う。
それはまったくもって、父・銀雪の攻撃に比べればお話にもならないほどに弱かった。
だが……
(くだらん攻撃を一発消しただけで、この消耗か)
父・銀雪の攻撃に比べればなるほど、鼻で笑うようなものではある。
しかしそれは弱いことを意味しない。
今の梅雪からすれば、対応に、多大な労力と集中を要する大威力の攻撃に間違いがなかった。
刀を握る手が疲労で震えている。
実戦の緊張、連戦の疲労、背後に守る者がいるという現状。
そもそもにして梅雪は剣士の才能を持たない子供である。愛神光流奥義・光断の理念を用いて相手の力を利用し動いているとはいえ、すでに尾庭博継との一騎打ちをし、ヤマタノオロチの首を八本まとめて斬り飛ばし、蒸気塔に正面から入る際にもひと悶着あった上で、ここで三方向を武士たちに囲まれ、背に守る者を負いながら戦っている。
実に四時間の連続行動。子供の体力はとうに限界が近く……
(この場で防ぎ続ければ、早晩、力尽きよう。さりとて空断はこんな場所から馬鹿正直に放っても恐らく通じない。かといって射手を討つために俺が離れては夕山もメガネの女も、『賊』や『矢』に好きなようにされる。さて、いかにするか……)
梅雪は考えようと思って……
やめた。
『いかにするか』などと、自分らしくもないと笑う。
ゆえに、こう口に出す。
「いるか?」
応じる声は、息を弾ませていた。
「こっ、ここに!」
粉塵に背を向け、振り返る。
そこには、機工甲冑に搭乗し、頭部ハッチだけ開けて顔を出すアシュリー。
そして、片膝をついて頭を垂れる、ウメ。
梅雪は笑う。
凶悪に笑う。
準備がこれで整った。
「この俺が望む機によく間に合った。あとで褒美をやろう。アシュリー、ウメ、貴様らに、カンナと、ついでにそこで死にかけているカンナの所有物たるメガネの女の護衛を任す。俺は……」
梅雪は、矢の飛来した方向を──
神威矢の痕跡が熚熚と輝く方向を、見る。
「……この騒ぎの仮想黒幕に、土下座させに行く」
解き放たれた梅雪が、いよいよ疾風となる。
帝都騒乱終幕、終の章、開幕。




