第281話 運命の女神斬滅戦 二
『そこ』。
そこは──
「……ほわ」
──死国。
荒涼とした大地。はげ山。
打ち寄せる波が岩場を削り、遠く、青々とした山の中には、小さな橘の果実が実った木々が見えた。
左右を首なしの馬が駆け抜けていく。どんよりと曇ったこの地……
ここはヴィヴィアナが、このクサナギ大陸でもっとも多くの時間を過ごした場所だった。
封印されていた。だが、出ようと思えば出られた。
なかなか出なかったのは、理論の研究の方に夢中だったからだ。
基本的にヴィヴィアナは数百年の単位で『理論形成』と『実地での実験』を繰り返す。
異世界勇者クロードに同行した時は『実験』の期間だった。
それが長かったので、せっかく封印されたから理論を突き詰めていくか──そう思っていたら、いつしか六百年ほどが経っていた。それだけの話なのだ。
ヴィヴィアナらが住まう場所は、ここよりさらに南西方向にある。
もともとこの死国の大名であった者の居城。異世界勇者の出現の際にもっとも最初に氾濫に巻き込まれ、当時の帝(帝の祖)が事態を感知し軍を揃えるまでもたせてみせた、クサナギ大陸有数の軍略家大名の城である。
だが、ここはそこより北東、つまり……
死国の入り口。
魔境と呼ばれる氷邑家西の場所、『境』と呼ばれる土地につながる橋のすぐそばだった。
ヴィヴィアナは杖でトンと地面を叩く。
しかし、何も起こらない。
異世界転移術式──ここではかなり準備をしないと発動しないようだ。
ここは……
どこの異世界からも遠い、異世界。
『穴』が開きやすいクサナギ大陸──では、ないのだろう。かなり強固で穴のない、独立し、確固とした、揺らぎのない世界だ。
通常、ここまで安定した世界に転移することは不可能だが……
「……なるほど、なるほど」
ヴィヴィアナは、この世界を解析し終えた。
一言で結論を述べてしまえば、『出られない』。
神たるヴィヴィアナをして出ることができない──ここは。
自分より上のレイヤーにいる者が、こだわりと魂のすべてを注ぎ込んで形成した、箱庭。
この世界を脱するには、この世界のルールに従う他にない。
つまり──
「──殺すしかない、ということですか」
「その通りだよ『運命』」
魔境につながる橋から、ゆっくりと氷邑梅雪が歩いて来る。
一人だ。
もともとヴィヴィアナは、梅雪以外の有象無象が目に入っていなかった──なかなかかわいい女の子もいたが、ヴィヴィアナは幼い少女を好む。今のウメはヴィヴィアナの好みからは外れていて、記憶に残っていなかった。
梅雪が刀を抜いている。
この術式空間を解析し終えたヴィヴィアナは、これから氷邑梅雪が、一対一でこの自分を殺そうとするだろうことが予想できた。
だからこそ、疑問を投げかける。
「どのように、わたくしを殺すおつもりで?」
「……」
「あらあ、思考を閉ざしておりますねえ。すごいですねえ。一瞬でできる人は、少ないのに」
ヴィヴィアナは『人の可能性』を見ることができる。
質問に対して答えを思い浮かべる。すると、それを口に出すこともある。
そうして生じた可能性を選択肢化して閲覧することで、『実際には答えていないこと』を知ることもできた。
「しかし」ヴィヴィアナは小首をかしげ、顎に手を当てて、悩むような顔をした。「実際問題、人間の身で『本物の神』を殺すことは不可能ですよねえ? 面白い剣を持っているようですけれど、その剣でもわたくしを殺すことはできなかったはずですが」
かつて、氾濫を解決した帝の祖は、ハバキリを振るった。
その際にヴィヴィアナも斬り捨てている。……が、結果はこの通りだ。ヴィヴィアナは生き残っている。
当時、存在が妖魔化していたため、神のスキルを無効化するハバキリでは相性相関図がそもそも違ったというのはあるにせよ……
その時味わった感触から判断すれば、ハバキリは本物の神を斬るには力不足な剣だ。
せいぜい『神の息吹』を止める。その程度の剣でしかない。
なのでヴィヴィアナ視点、梅雪が自分を殺す方法はなかった。
だから、
「一緒に考えてみましょう」
「…………何?」
「完全体の神が顕現した場合、これを殺す方法はあるのか──いいテーマですねえ。そういった方向の術式は知っていますが、実現できたものは知らないのでえ……あなたと、わたくしで、作ってみましょうか」
「……貴様は本当に何が目的だ?」
「? 目的は『神を殺す術式の完成』だって、今、言いましたけどお……?」
「そうではない。……そこまでして、なぜ、『術式化』にこだわる? 利得ではない、貴様がなぜそこまで興味を抱くのかを聞きたい」
梅雪らしからぬ話運びだが、運命の女神ヴィヴィアナは、梅雪の性格や個性には興味がない。
この女神が見るのは可能性であり才能でしかなかった。だから、梅雪が、『殺す』と決めた敵を前に、こんなふうに話に乗ることに違和感を覚えない。
ヴィヴィアナは質問に答える。
「何が起こるかわからないじゃないですかあ」
「……話しぶりがへたくそだと言われたことがないか?」
「ありますよお」
「整理をしろ。いきなり結論を言うな」
「ええー……ルウちゃんみたいなこと言いますねえ? うーん……ほら、人間って、奇跡を起こすじゃないですかあ? でも、奇跡って、『倍掛け』なんですよねえ。運命を燃やして『起こり得る中でもっとも可能性の低い、その人が届かない目標を達成させる』っていう……」
「……」
「だったら、人間が神の術を使えるようになったら、もっとすごい奇跡が起こせると思いませんかあ?」
「……つまり貴様は、人間が起こす奇跡を見たいと? そのために、神の術を、人間にも扱えるように術式化していると、そういうことか?」
「そうですよお?」
それが、何になる。それで、何をしたい。
……などと問うのが間違いだと、氷邑梅雪は結論付けた。
ようするにこいつは『見たことのないもの』を見たいだけなのだ。
映画に飽いた者がマイナー映画を漁るように。漫画に飽いた者が一次創作同人誌を漁るように。
市販品、既製品、出来あい、クオリティの保証された評判の良いものに飽きてしまったがゆえに、『どうか、見たことがないものが見られますように』と行動する。
神の術を術式化──人間に扱えるように定義化・通俗化するというのは、こいつにとって、そういうことだ。
有名作・大作・評判作・商業作に飽きた金持ちが、何か変わったものを作りそうな個人に出資したい。
その『出資』なのだ。『神の術を使いやすくする』というのは。
つまりこの神は──
「──貴様は、もしや、退屈しのぎでこの世界に侵略してきたのか?」
「え? はい」
他にないでしょ、という顔だった。
氷邑梅雪は『異世界勇者』を知っている。
だから、あいつが、『言われてないことをしない』のも、知っている。
氷邑梅雪は『異界の騎士ルウ』を知っている。
だから、あいつが、自ら『異世界への侵略』などという道を選ばないことを知っている。
氷邑梅雪は、暗殺者を知っている──とは、言い難いかも、しれない。
だがあのゴブリンはどう見ても『使われる側』だった。自ら行動指針を打ち出すような者ではない。
となると、異世界勇者をこの世界に送り出したのは──侵略を勧めたのは、『魔法使い』ヴィヴィアナか、もう一人の四天王ということになる。
そして異世界転移術式を、ヴィヴィアナは使える。
そこに加えて先ほどの問いかけの答えだ。
六百年前に、帝の祖が対応した氾濫。
その主犯は、目の前の女神で間違いなかった。
氾濫が梅雪にとってはるか過去のことであるせいでもあるのが、その時、梅雪が抱いた感情は『あきれ』だった。
このクサナギ大陸に生きる者として、お前のような邪悪を許せない! ……という気持ちも、少しだけ湧いたことに驚いたが。一番大きい感情はやはり、『あきれ』で間違いはない。
「『小人閑居して不善を成す』とはよく言ったものだな……」
あきれた。
だが……
「『それ』なのだな。貴様ら『運命』が、他者の人生をめちゃくちゃにする動機は──そんなもの、なのだな」
過去のクサナギ大陸への侵略。これは、あきれの感情が強い。
だが、今、そして過去、あるいは未来も、自分の目の前に立ちふさがる『運命のいたずら』としか呼べない様々な事件が、こんなテンションで放たれているとくれば──
「ふざけるなよ本当に」
──怒りも湧いてくる。
「九十九州に迫る危機……はるの拉致……いろいろと貴様を殺す大義名分はあったが、やはり貴様は私怨で殺す」
「それができないという話をしているんですけどお」
「いいや、できるんだよ」
ここは、剣桜鬼譚・異聞。
この時代のエロゲーにありがちなことに、理不尽なイベントが数多く起こる。
その中には──
「確かに俺は、貴様を殺せんのだろう。だがな、貴様より上のレイヤーに住まう者ならば、貴様を殺すことが可能なんだよ」
「はあ」
「まだ気付かないのか?」
「何をでしょう?」
「今、この場、このタイミングで何が起きるか──」
剣聖との戦い以来、梅雪は剣桜鬼譚・異聞の改良を続けた。
そもそもこれは布教術式──だが、布教要素が強すぎて、剣聖が一瞬がっかりしたのを、梅雪は見逃さなかったのだ。
であれば、この術式に、必殺の要素も加えてやろう。
ただし、布教という名目で、相手からの好感度が一定でないと、『世界をまるごと作る』という術式、そしてそこに相手を閉じ込めるということは、梅雪をしてもできなかった。
『布教なんだから相手を殺しちゃダメでしょ』という常識を逸脱はできなかったのだ。
だが……
ゲーム内に限れば、そもそも、剣桜鬼譚には、最初から『必殺要素』がある。
古いゲームにおける、ユーザーを発狂させる要素の一つ。
「──詰みイベントが起こるぞ」
踏んだだけでゲームオーバーになるイベント。
たとえば梨太郎との遭遇のような、『理不尽難易度ではあるが、攻略の可能性もある』というようなイベントではない。
踏んだら終わり。事前情報がなければ踏む。そういうイベントも、古い時代のエロゲーにはある。
梅雪が剣桜鬼譚・異聞を必殺にするためにしたことは、任意の場所でのセーブ──詰みセーブ作りだった。
その詰みセーブから始めることで、相手をいきなり詰みの状況に追い込む。
……もちろんこの術式は、中で死んだとて現実で死ぬものではない。
だが、すべてのスキルを剥奪し、初期状態に戻すことが可能となる。
神を殺すには足りないかもしれないが、神を大幅弱体化させることが可能な詰みセーブ。
そこからロードした時に起こる詰みイベント、それは──
「…………?」
ヴィヴィアナが、背後を──死国の南西方面を振り返る。
そこは現実のクサナギ大陸において、ヴィヴィアナらが過ごしている城がある方向だ。
そこから、とてつもない神威があふれて、大地を、大気を震わせる。
首無し馬たちが逃げるように北東へと走り、緑の葉の中に橙色の橘を実らせていた木々が、じわじわと枯れていく。
山々、荒涼とした大地にひびが入り、波が高く激しくなって、しぶきがヴィヴィアナのところまで届いた。
「俺には貴様を殺せんよ。神を斬る──ハッ! 馬鹿げているな。試練を与え、こちらに攻撃をし、その攻撃を解析して乗り越える様を見ようという神を、実力で降してなどやるものかよ」
「何が、来るのでしょう」
「教えてやるよ『魔法使い』。貴様らだ」
「……」
「100ターン経過してもなお、主人公が天下を統一できていなかった場合、このイベントが起こる。つまり──氾濫四天王と異世界勇者の復活だ」
剣桜鬼譚異聞において、主人公は異世界勇者である。
だが記憶を失い氾濫四天王のことを思い出さないまま、クサナギ大陸の統一──侵略完了もせずに、だらだらとクサナギ大陸で遊び惚けている場合……
『姫』が怒る。
そうして、『姫』に率いられた四天王により、主人公が惨殺され、クサナギ大陸が滅亡するというエンディングイベントが起こるのだ。
何をどうやって主人公を倒したのか。そこからどうしてクサナギ大陸を滅亡させたのか。
実際に何をしたのかは一切わからない。
だがゲームにおける『ターン数制限を超えましたのでゲームオーバーです』とは、こういうもの。その時の能力も、状況も、一切合切を無視して、とにかく死ぬしとにかく滅びる。それこそがゲームオーバーという『絶対なる終わり』。
運命の女神ヴィヴィアナより上のレイヤーに存在する者から押し付けられる、『運命の袋小路』である。
「……なるほどお。しかし、それだと、あなたも終わりますよねえ?」
……ただしこの詰みセーブは、ヴィヴィアナと同時に、もう一人のプレイヤーである梅雪にも降りかかる『終わり』だ。
確かにヴィヴィアナは殺せるかもしれない。だが、同じように梅雪も死に、この術式が解けたあとに、得たすべてを失うことになる……
これまでの努力の成果が無に帰すのだ。
……もちろん。
そんな心中をしてやるつもりなど、梅雪にはさらさらない。
「『運命』。俺はなぜか変態女によく絡まれるのだが……」
「大変そうですねえ」
「……そういった人生の中で、学んだことがある。変態女は、まともに相手をしてやると喜ぶ。だから、徹底的に塩対応をせねばならないとな」
「はあ」
「だからな。──俺はロードする」
「…………は?」
「相手をしてやらない。貴様と比べ合いたい技術、貴様と競い合いたい動機、この俺には一切ないのでな。ゆえに一人で死ね」
「……」
「『運命』。貴様が把握しているかは知らないが、俺は運命に対し、すでにこう告げている。『貴様がネタバレを避けるというのなら、もう貴様など知らん。せいぜい指を咥えて見ていろ。ここから先の展開に──」
梅雪の姿が、消えていく。
ヴィヴィアナはどうすることもできず、そこに立ち尽くす。
梅雪が、消え失せる最後の一瞬、笑った。
嘲るように、見下すように、嗤った。
「──貴様の席はない』。まあようするに、しゃしゃり出るタイミングが悪すぎた。俺の興味はとっくに貴様には向いておらんので、雑に処理することとなる。せいぜいあがけよ。この俺の掌の上で。あがきが面白ければ、視聴ぐらいはしてやる」
詰みセーブに連れ込んで、一人だけロードする。
剣桜鬼譚・異聞を用いての必殺。あまりにも理不尽ゆえに、本来、この術式に連れ込めるまで関係を深めた相手には、梅雪個人の思想から、使うことのありえない用法。
だが、すでに梅雪は『運命』への興味を失っている。
ヴィヴィアナに、『勇者四天王』が迫る。
まだ神化していないルウ。神還りできない自分。支配下にない暗殺者。それから──『姫』。
ヴィヴィアナがそれらを見て抵抗らしい抵抗をしなかったのは、実力差とか、絶望感とか、そういうものではなかった。
「…………無視、された?」
女神である。
しかも、運命を司る女神である。
選択肢を表示する権能を誇る彼女が『無視される』ことはなかった。
人は、絶望的な状況で目の前に現れる『運命の選択』を無視できない。誰もが、己の運命から目を逸らしたがったところで、無視することなど、できない。それこそが『運命』のはずだった。
だが、無視された。
初めてのことに呆然とするヴィヴィアナに、『詰みイベント』が迫る。
「……ほわ」
呆けたような顔のまま、ヴィヴィアナは……
イベントに、踏みつぶされた。




